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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
神の章

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163/252

07

「……は?」

 小さく声を漏らした程度で済んだのは、上等だっただろう。

「レヴァンダル大公は、現在王都にて蟄居(ちっきょ)を命じられております」

 何故か自慢げに、エンプトル少佐は続けた。

 ……なるほど。それで、か。

 僅かに眉を寄せて、使者一行を睨めつける。

「現在、レヴァンダル大公の名代として、エスタ閣下が王国軍に参加くださっております。ご紹介致しましょう」

 馬の手綱を持ち、無言で立っていた黒いマントの男が、静かな動作でそのフードを首へと落とした。

 頭に二本の角を頂いた青年が、まっすぐにこちらを見据えてくる。全く何の感情を表すこともなく。

 カタラクタの貴族たちが息を飲んだ。

「紹介頂くほどのご身分になるとは、出世したものだね。エスタ」

 一見にこやかに、オーリが声をかける。

 エスタは表情すら動かさない。

 広場に入ってきた時から、少なくともアルマとオーリ、そしておそらくはグランもその正体を察していた。

 音もなく彼らの背後を移動したクセロが、がっちりとオーリの肩を掴む。

 風竜王宮の高位の巫子は、この〈魔王〉の(すえ)を仇と定めている。おそらく、クセロは以前からグランに言い含められていたのだろう。オーリは少しばかり疎ましげに、背後の男を見上げた。

「それでは、ご返答の期限は、明朝夜明けまでと致します」

 使者は周囲を一瞥し、反論がないことを確かめる。

 これも、儀礼の一部だ。降伏勧告を受け入れないのであれば、その刻限から戦争が始まる。

 形ばかりはうやうやしく一礼し、エンプトル少佐は馬の向きを変え、砦から退出する。

 エスタは視線をアルマへと向けてきた。

 少年は、こちらも何の表情も浮かべていない。対外的に、何も気取られないための訓練は受けている。

 僅かに何か言いたげな素振りを見せたものの、青年はそのままその場を辞した。



 その後、反乱軍は明日の作戦会議に入った。

 作戦会議、と言っても、既に殆ど作戦は立案してあるらしい。今回の使者とのやりとりから、少々手を加える程度だ。

 そして、今回は、実際に戦場に立つ士官も参加する。彼らに作戦を徹底的に理解させる、というのが主な目的だ。

 貴族たちは未だに会議からマノリア隊を排除しようとしていたが、明朝の作戦開始までに準備しなくてはならないことは山ほどある。強く異議を申し立て、ようやくアルマナセルとテナークスも参加が許された。

 会議室まで、暗い廊下を歩く。隣を進むペルルの手が、小さく震えているのに気づいた。

 ニフテリザ砦での戦いの間、彼女がどれほど心を痛めていたか、アルマはよく知っていた。何も口には出せなくて、乗せられた掌をただ軽く握り締める。

 ペルルから、小さく、感謝するような笑みを向けられた。

「……しかし、やけに静かだったな」

 前を歩いていたグランが、低く呟く。

「エスタかい?」

 オーリが囁くように問いかけた。

 エスタは、龍神の使徒イフテカールと契約して以来、竜王の関係者に対しては常に怒りと苛立ちを露わにして接していた。

 それが今日は、一言も口を開かず、平静な態度のままで何も破壊せずに帰っていったのだ。

 何かがあったのか、と勘ぐらずにはいられない。

「あれがエスタねぇ。旦那とはあまり似てねぇんだな」

 初めて間近で顔を見たクセロが呑気な感想を述べる。

「血縁で言えば従兄だからな。そうそう似てるもんでもないんじゃないか?」

 他に従兄がいる訳でもないから、よくは知らないが。

「しかし、そうか……。彼が、戦場にいるのか」

 考えこむように、オーリは呟いた。

「だからって、お前は戦場に出るなよ」

 幾度も繰り返された命令を、根気よくグランはまた告げる。フルトゥナの民は、軽く肩を竦めた。




 翌朝はよく晴れていた。夜明け前の空でさえ、雲の姿は見えない。

 司令官たちは、それぞれの軍を鼓舞するために門前の広場にいた。

 アルマが、規則正しく整列する兵士たちを馬上から見つめる。

 イグニシア帰還の時からと考えれば、彼らとは長いつきあいだ。見知った顔も多い。

 アルマは、今まで大人数の前で演説する、という機会はなかった。イグニシアにいた頃はただの大公子であり、表に立つのは大公である父だったからだ。

 何より、領地も領民も持たない大公には、そもそもそのような機会はあまりない。

 だが、不思議と緊張はしていなかった。

 〈魔王〉の、異常に図太かったというあの性格のせいか、と考えて、笑みが浮かびかける頬を引き締める。

 そして、小さく息を吸った。

「故郷を離れ、このような遠い地まで来てくれたことを、心から感謝する。その故郷、母なるイグニシア王国を操り、堕落させ、竜王と敵対し、世界を地獄へ変貌させようと目論む、我らが敵、邪悪なる龍神ベラ・ラフマは、策謀の果てに我らを裏切り者と(そし)り、貶めようとした。名誉を剥奪しようとした。だが、それは決して果たせはしない。テナークス少佐率いるマノリア伯爵軍に、その誇りに、傷一つつけられはしない。何故なら、奴らの卑劣なる牙は、今日、ここで貴公らによって折られるからだ!」

 アルマの声は、ひび割れることなく、響く。

 騎兵が、歩兵が、まっすぐにアルマを見つめている。

「本来なら、私がここで貴公らに対することはなかった筈だ。しかし、正義と、忠義と、大儀において、我々はここに集い、一つとなった。竜王の加護が、祝福が、全て我らの上にある。勝利は、(あやま)たず貴公らのものだ」

 すらり、と腰に()いた剣を抜く。天を指し示すように、それを掲げた。

「四竜王と正当なる〈魔王〉の名の元に、勝利を」

 ざっ、と兵士たちが一斉に剣を抜く。

「勝利を!」

 陽はまだ昇っていない。門前の篝火に、無数の剣が光る。

「勝利を」

 隣から、静かにテナークスが告げた。謹厳実直な男の声が、僅かに揺れている。

「頼む。テナークス」

 アルマの呟きに、頷く。

 マノリア隊は、北門から出陣する。まず、王国軍の(おとり)と目される部隊と最初に先端を開く隊に、サピエンティア辺境伯軍やモノマキア伯爵軍、火竜王宮親衛隊と共に参加するのだ。

 アルマを含む司令部の面々は、戦闘に同行しない。彼らは門の上に設けられた(やぐら)から状況を見守ることになる。隊が出発するまで見送ろうとしたが、それよりも早く上に行くように、とテナークスから(たしな)められた。

 櫓へ続く階段は、狭い。入り口の両脇に、城砦の広間にあるような巨大な槌が飾られていた。

 いざ門が破られたら、あれを障害物にでもするのだろうか、などと考えながら階段を昇る。

 櫓の上には、既にモノマキア伯爵とグラン、クセロが待機していた。

「異常はないか」

「ああ」

 グランから短く尋ねられるのに、答える。

 窓際に寄って、外へ視線を向けた。

 王国軍の野営地は、遠い。この高さからでも、アルマ以外の人間が詳しい状況を目視することは不可能だろう。彼にしても、ぎりぎり見えるといったところだ。

 胸壁に通じる出口から、人が入ってきた。

「ちゃんと戻ってきたな」

 安堵の息をついて、グランは呟いた。

「そんなにしつこく言われなくても判っているよ」

 少しばかりむっとして、オーリが言い返す。

 風竜王宮親衛隊は、結局、昨日までに砦内に居を設けることはなかった。

 が、それをいいことに、彼らは昨夜からこっそりと森の中へと進み始めていたのだ。

 北門以外の門が戦闘を開始する前に開いては、疑念を生じかねない。親衛隊は、他の軍が参加するまでの間、前哨戦を担当することになった。

 勿論、門を通らず、城砦の塀を乗り越えて行き来するのは、オリヴィニスには簡単なことである。

 しかし、彼がそのまま前線に立つのではないかと、グランは酷く気を揉んでもいた。実際、オーリはさり気なく剣を()いて、手に弓を持ち、背に矢筒を負っている。

「ああ、よかった! 間に合いました」

 ほっとした声が響く。階段から姿を見せたのはペルルだ。

「どうしてこちらに?」

 水竜王宮は、北門から出発しない。ペルルはそちらの方で、他の司令官たちと観戦することになる予定だった。

 少女は、ちょっと困ったように笑う。

「私がおりましても、戦争の指揮などできませんし。水竜王宮の竜王兵は、カイノンがちゃんと率いてくれます。それに、テナークスが心配でしたので」

 何とも言えない気持ちで、ただ、ありがとうございます、とだけ告げた。

 ペルルの後ろには、決然とした表情のプリムラもついてきている。淑女がつきそいもなく戦場に立つなどとんでもない、と言い張ったのだ。ニフテリザ砦では、外の寒さを理由に、強引に城塞に留め置かれていたが、今回は彼女の意思を押し通したらしい。

 竜王宮の一行が、全てこの櫓に揃っていた。

「これで全員か? ケルコスが来たりしないだろうな」

 少々呆れて一同を見回す。

「後はサピエンティア辺境伯だな」

 静かに、グランが答えた。

 テナークスを疑った筆頭の老辺境伯とは顔を合わせ辛い。表情を暗くして、アルマは溜め息を落とした。



 東の空に陽光が煌いた瞬間、門が鎖の音を立てて開かれた。重厚な足音を響かせ、兵士たちが戦場へと向かう。彼らの頭上には、何枚もの旗が翻っていた。

 王国軍の兵士たちも、既に陣を作り、彼らを待ち構えている。

 数百メートルの間を空けて、反乱軍が停止した。

 そのまま、十数分、何らかの儀礼的やりとりがあるのだろう。遠目には一見静かな時間が流れる。

 そして角笛が鳴り響き、城砦までその大地を轟かせて、両軍は激突した。



 轟音に、眉を寄せる。

「どうした?」

 傍らの男が尋ねてくる。自分はフードをすっぽりと被っていて、外から表情は伺えなかった筈だ。彼がさほど気配に(さと)いとも思えない。反射的に身じろぎでもしてしまったか。

「いえ。戦争はあまり好きではないので」

「意外だな」

 動じた風もなく、エスタは返してきた。彼の、自分への評価にややむっとする。

「私の手を介さない死に、興味はありません。意味がないとまでは言いませんが。それに、死というのは、もっとこう、細やかに味わうものであるべきです。この状況は、ただ騒がしいだけだ」

 うっかり語りすぎたらしい。黒髪の〈魔王〉は、あからさまに冷たい視線を向けてきた。

 ここは、現在戦闘が行われている場よりも、ずっと後方だ。周囲に(ほり)を巡らせ、柵を作り、尖らせた丸太を植え、それなりに防御を固めた陣である。

 が、はるか遠くに見える城砦ほど強固ではない。

 まあ、脅威が迫ればすぐに脱出すればいいだけだ。

 イフテカールは軽く考えて、視線を戦場へと向けた。

 少しでも見晴らしがいいように、と二人は馬に乗っている。

「貴方こそ、どうかしたのですか」

 エスタは元々寡黙な方ではあったが、このところ更に静かである。気にかかっていたことを問いかけてみた。手持ち無沙汰だったのだ。

「別に。お前の指示する通りに動いているだろう。何か不満があったのか?」

「どうせなら、もう少し愛想をよくして貰えますか。初めてお会いした頃の、あの天真爛漫だった貴方が懐かしいですよ」

「そうか。気をつける」

 あからさまなボケをあっさりとスルーされて、イフテカールが目を見張る。

 いやその辺りはどうでもいいが。

 エスタは、このところずっと、上の空、といった様子だ。

 しかし、特に考え事をしているという風ではない。話しかければきちんと返してくるし、要請したこともこなしている。

 それ以上のことはやろうとしないが。

 むしろ少しばかり投げやりになっている、と言った方が近いのか。

 とはいえ、その理由が判らない。

 エスタは、先日、レヴァンダル大公家の正式な跡取りとして認められた。大公自身からではない。結局のところ、貴族の立場を保障するものは王家であり、それを牛耳るイフテカールには容易い作業だった。

 アルマが反乱軍に加わっている、という状況では、特に。

 考えてみれば、彼がこのような無気力さを見せたのは、それ以降である気がする。

 〈魔王〉アルマナセルを崇敬し、その遺志を継ぐことを望んでいた彼には、これ以上ない喜びであった筈なのに。

 反応が思ったようなものではなくて、腑に落ちない。

 何か、それ以前と以降とで変わったことなどを思い返す。

 例えば、彼は今までずっと隠さざるを得なかった角を、このところ衆目に晒している。大公家の嫡子としての立場が確立してからだ。

 尤も、今まで隠していたのは単純に隠密活動が必要だっただけで、あのレヴァンダル大公子……いや、元、大公子か。彼の、恐怖に基づく隠蔽(いんぺい)とは理由が違うが。

 故に、その手のストレスがかかっているとも思えない。

 取りとめもないことを考えていて、やや注意力が落ちていた。

「……おい、イフテカール」

「はい?」

「例の丘に向かってる敵軍がいるぞ」

 感情を感じさせない声に告げられて、一瞬で我に返る。

「何ですって?」


 反乱軍の配置は、サピエンティア軍とモノマキア軍が前面に配置され、その後ろにマノリア隊と火竜王宮竜王兵が続いていた。

 前線では敵味方が入り混じり、血を迸らせている。

 敵軍の意識は、ほぼそこに集中していた。

 そこへ、敵軍の横をすり抜けるように、一群の騎馬兵が走り出したのだ。

 背後へ回られては不利となる。王国軍は、当然それを防ぐために森のすぐ際まで自軍を配置していた。

 その横、殆ど森の中を騎馬で駆け抜けた兵士は、しかし敵を背後から急襲しようとはせず、そのまままっすぐに進んだ。

 二つに分けた、もう一方の王国軍が占拠しようと目論んでいた、丘へ向けて。


「どの軍ですか!」

 戦場は遠い。イフテカールは、様々な点で人間離れしているが、生憎と身体能力自体は人並みだ。

「ちょっと待て。もうすぐ、丘に旗が立つ」

 冷静な声音に、苛立つ。鐙に立ち上がるようにして、できる限り遠くを見ようとするが、その状態でも隣のエスタよりも彼の視線の位置は低いのだ。

「……ああ、あれは……。マノリア隊だな」




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