06
「……一体、どのような意図でのご発言ですか」
知らず、アルマの口からでた言葉は、酷く乾いていた。
しかし流石は老獪なサピエンティア辺境伯は、それに動じる素振りもない。
「先だってのニフテリザ砦での戦いでは、どう考えても、同盟の中に間者がいるとしか思えない状況があった。テナークス少佐、貴公はそもそも何を目当てにイグニシア王国を裏切ったのだ? アルマナセル殿から莫大な報酬でも頂いたのか?」
「莫迦なことを。私は、現在個人の財産など所有してはいない。テナークスはただ」
反射的に言いかけた言葉を、途中で途切れさせる。小さく、グランが息を漏らすのが聞こえた。
「なるほど。金でもない、地位を授けてくれる立場の者がいるでもない。なのに何故、その男は我らが側に寝返ったのだ? こちらの情報を王国軍へ流し、我らが破滅へ向かうように誘導するためではないか?」
「辺境伯!」
あまりの侮辱に、頭に血が上る。
アルマナセル、と、小さく諫める声がした。
テナークスは真面目な表情を一切崩さず、ただ真っ直ぐに立っている。
「それは、何か確かな証拠でもおありの上で、彼を糾弾されているのでしょうな、辺境伯」
うっすらと笑みを浮かべさえして、オーリは流れるような声で尋ねた。
むっとして、数秒、辺境伯は言葉を発しない。
「……しっかりとした根拠があれば、もっと早くに問い質しておるわ」
「つまり単なる言いがかり、ということですね」
にこやかに、風竜王の高位の巫子は断定した。
「オリヴィニス殿」
窘めるように、サピエンティア辺境伯が名前を呼ぶ。孫の生命を救われたことがあるこの巫子には、彼は少々遠慮がちになる傾向にはあった。
「話になりません。そのような、ただの疑惑程度で、テナークスを弾劾するとおっしゃいますか!」
がたん、とアルマは席を立った。
少年の激昂っぷりは、貴族たちには予想外だったようだ。僅かに慌てたような視線を向けてくる。
「アルマナセル殿……」
「本当に。残念ですわ、皆様」
静かに告げて、立ち上がったのは、水竜王の高位の巫女、ペルルだ。
「ペルル様?」
「一体何を……」
ざわめく空気の中、ペルルは珍しく冷たい、とさえ言えそうな視線で自らの国の貴族たちを眺め渡す。
「テナークス少佐の高潔さは、私はよく知っております。こうしてイグニシアに反旗を翻す前から、捕虜である私に、少佐は礼儀正しく、敬意を持って接してくださいました。私に見る目がないとすれば、貴方がたに対してでしょうね」
とはいえ、彼ら竜王の巫子たちが選んだのはモノマキア伯爵のみで、後は彼らが次々に連れてきた者たちだ。そのモノマキア伯爵は、テナークスを疑う言葉に賛同はしていない。だが、ニフテリザ砦での戦いにおける裏切り者が誰であったかを知り、それを公表したくない彼は、擁護の声も上げていなかった。僅かに視線を逸らせている。
アルマは、勿論、あの時に彼の名誉を守ると約束した。だが、テナークスに謂われなき汚名を着せるままにするのなら、それを遵守するつもりはない。
「勿論、お覚悟をなさっての御言葉だったのでしょうね? 我々は皆様に助力をお願いはしましたが、我々と袂を分かつとなると、皆様には一切大儀はなくなってしまうのですよ」
笑みを途切れさせることもなく、オーリが立ち上がる。その背後に、すっとイェティスが立った。何も言葉を発しないが、その険しい表情は何を思っているか明らかだ。
巫子の言葉は、一見貴族たちを気遣っているように感じられる。
竜王宮と仲間割れ、となれば、貴族たちにはただ占領軍とそれに従った王家への反逆という事実しか残らない。流石に顔色を悪くし、囁き交わす。
と、次に立ち上がったのは、金髪の巫子だった。
「ま、ちょっと頭が冷えたら、その考えを一体誰から吹きこまれたか、を追求してみたらいいんじゃねぇか?」
人差し指を軽く突きつけて、告げる。
クセロは、おそらくグランの意向に従うだろうと思っていたために、幼い巫子が何も言わない内に去就を明らかにしたのは意外だった。
その火竜王の巫子が、長く溜め息をつく。
「グラナティス殿……!」
おろおろと、マグヌス子爵が声をかける。
この面々を引き止められるとすれば、それはグラン以外にはないのだ。
不機嫌な顔で、グランは卓の向かい側に座る者たちを一瞥した。
「今、謝罪を頂けるなら、僕が責任を持って皆を宥めよう。だが、気が変わらぬようであれば、我らは全員この地から離れることになる」
静かに告げられて、貴族たちばかりか、仲間たちまでもが驚いた視線を向ける。
「しかし……」
「我々巫子は、これで意外と情熱的なのだよ。一旦こうと決めると、どうにも融通が利かないのだ」
ひらり、と片手を振って更に言う。
「……彼が純粋に味方だと証明できぬ以上、謝罪も何もできぬ」
硬い表情で、サピエンティア辺境伯は返した。
幼い巫子は、二度は猶予を与えない。たん、と軽く卓を叩くと、立ち上がった。
「残念だ」
言い置いて、竜王宮の関係者たちが踵を返しかける。
その時に。
「お待ちください」
静かな声が、その足を止めさせた。
彼は、困ったような雰囲気を漂わせて立っていた。
「テナークス……」
「感情に任せて滅多なことをなさるものではありません」
窘めるように、そう告げる。
「しかし、お前は……!」
苛立ちが、副官へ向かいかける。しかし、テナークスは真面目な表情で見返してきた。
「寝返る、ということは当然これぐらいのリスクを負うものです」
信用されない、ということ。
それをあまりにも当たり前に受け入れている男に、唇を噛む。
そして、テナークスは視線をカタラクタの貴族たちへ向け、口を開いた。
「私は、誓ってイグニシア王国軍の間諜などではございません。反乱軍に入って以来、私の隊より、外部へ向けて使者を送ったことはございませんし、届けられたこともありません。ユーディキウム砦には優先的に入城させて頂いておりましたし」
「……昨日の合同訓練とやらは、どうなのだ」
僅かに当て擦られた、と感じたか、サピエンティア辺境伯が尋ねる。
「我らマノリア隊は、一時たりと個別で行動しておりませんでした。常に、風竜王宮親衛隊の方々と共におりました」
「……風竜王宮か」
ロマではないか、と言いたげな言葉に、イェティスがぐっと拳を握る。
彼は激昂しがちな性格ではあったが、最近は自分の感情を抑えるべき時を覚えてきていた。テナークスを始め、火竜王宮や水竜王宮など、様々な主に使える者たちを目にしていたからだろう。
「我々はまだ、席にはついておりませんよ、皆様方」
オーリがにこやかに思い出させる。
「そもそも、やってもいないことを証明しろ、とは無理難題もいいところだ。むしろ、貴公らが、テナークスが何をしたかを証明すべきだろう」
グランは冷たく言い放つ。
それは道理だ。だが、既に根を張ってしまった疑念は、そのような正論で消えてしまうものではない。
双方が、相手の出方を探るように視線を向けあう。
「判りました。それでは、このような提案ではいかがでしょうか」
思案したテナークスは、とうとうそう切り出した。
「……お前は何を考えているんだ……」
「全くだ」
「度胸があるにもほどがあるよ」
会議が終わり、解散して部屋に戻ったところで、竜王宮一行は一様にテナークスに疲れた視線を投げかけた。
「これでも、私は勝算のない戦いはしない主義ですよ」
平然と、男はそう言葉を返してくる。
最終的にテナークスが申し出たのは、今回の戦いの作戦を立てるにあたり、彼は一切関与しないということだ。そして、どのような役割を与えられようと、反論はおろか調整すら要求することはない、と。
少々言い争った結果、竜王宮と貴族たちはそれを承諾した。
「こういう条件になった以上、司令部の皆様は私に無駄な役割を押しつけた結果負けた、などということにはしたくありますまい。ならば、考え得る限り最上の作戦を作り上げる筈です。そしておそらく、私はあまり重要な局面に投げ出されることもない。下手にその場で王国軍に寝返られたら大変だ、と思われるのが当然です。ですから、私の仕事はかなり楽にはなると思いますよ」
さらりとテナークスが説明する。
「しかし、それじゃ、お前の汚名が晴れる訳じゃない」
アルマが、未だに怒りを籠めた声で告げた。
「一度に一つずつですよ、アルマナセル。信頼とは、そもそも地道に積み上げるしかないものです。一旦それを壊してしまった以上、相手が違うとはいえ、またそうするのではないか、と人は考えるでしょう。むしろ、皆様方が揃って私を信頼して頂けていることに少々驚きましたよ」
「テナークス!」
思わず、声を荒げて咎める。忠実な副官が小さく肩を竦めた。
「それはあれかい。私たちが見くびられていたってことかな?」
苦笑して、オーリが呟く。
「竜王の巫子となれば、私のような取るに足らぬ武人の思惑など及びもつきませぬな」
にこりともせずに、テナークスは軽く頭を下げた。
「……できれば、お前はこういうところは学ばないでいてくれ、イェティス」
呆れて、オーリは背後に立つ部下に呟いた。
「まあいい。問題は、作戦の立案だ。あまり時間はないし、お前の助言を容れられないのは少々厳しいが……」
眉を寄せ、グランが溜め息を落とす。
「大変なことになった感じだね」
レグルスが羊皮紙を前に、小さく告げた。
「ああ」
ぐったりと、アルマは椅子の背に体重をかけている。
お茶の時間に集まっている、という訳ではなかった。流石に、今は時間的にも精神的にもそんな余裕はない。
マノリア隊は、しばらくの間アルマとの直接の接触を禁じられた。書類等、彼の署名が必要な場合、直接レグルスに届けられ、彼の目の前でアルマが署名する、という形を取ることになる。
また、マノリア隊の指揮官でもあるために、彼は作戦会議からも締め出された。元々、大して発言できるわけではないが、その場にいられるかいられないか、という意味は大きい。
今、アルマがレグルスの執務室にいるのは、書類仕事のためと、一応は監視のためなのだろう。
だが。
「実際、これで何が防止できるんだろう」
不思議そうに呟きながら、また一枚、レグルスが内容を確認し、署名した書類をアルマに回した。インクが乾ききるまでの間、あまり触らないようにしてアルマも中身を読んでいく。
「疑心暗鬼が少しばかり和らぐ、ってぐらいだろう。意義がない訳じゃない」
僅かに揶揄するような口調でアルマは返した。
「……結構冷静なんだな」
意外そうに、子爵令息は零した。
「俺だって、裏切られたことはある。子爵も辺境伯も、俺よりずっと歳上だ。俺なんかよりももっと経験は積んでいるんだろう。今回の疑惑が正しい、と言ってるんじゃないからな」
判ってるよ、と苦笑して、レグルスはインク壺に鵞ペンの先を浸した。
「レグルスは、テナークスを間諜だと思ってるのか?」
ふと思いついて尋ねてみた。呆れた顔で見返される。
「君との友情に賭けて、立場上答えられない質問はやめてくれないか」
「それ賭け方はあってるのか?」
立場の微妙さは判らないでもないので、アルマはそう尋ねるだけに留めた。が、ちょっと釘を刺しただけだったらしく、レグルスはすぐに口を開いた。
「まあ、個人的には彼はそんなことをしそうにない、とは思うけど。最初にお会いした時に、テナークス殿は私に軍を視察してもいい、と許可をくださった。間諜であれば、そんなことは言い出さないような気がするんだ」
「だろうな」
「でも、間諜ならば、それを見越して物事を整えている気もする。結局私はどうしたって若輩だし、君よりももっと人を見る目がないだろうしね。私に言えるのは、君のために、彼は間諜でなければいい、と祈っているってことぐらいだよ」
「ありがたくて泣き出しそうだよ」
鵞ペンを弄びながら、アルマは呟いた。
二日後に、事態は大きく動いた。
囮と目していた王国軍より、使者が城砦へと赴いたのだ。
人数は、五名。エンプトル少佐、と名乗る小太りの男と、三名の兵士。残る一人は、黒いマントのフードを深く被っている。
彼らは、砦の北広場にて対面した。
エンプトル少佐は、どら声で通告を読み上げる。
曰く、即時降伏と軍の解体を命じ、それに従えば温情を持って処遇する、と。
その辺りは定型文のようなもので、特に大した意味はない。応じるとも考えてはいないだろう。
だが、続いての言葉は、彼らを震撼させた。
イグニシア王家は、レヴァンダル大公子アルマナセルを廃嫡したのだ。




