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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
神の章

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160/252

04

 部屋の扉が開き、中を一瞥したところで、レグルスは少なからず怯んだ。

「まあレグルス様。ごきげんよう」

 にこにこと出迎えたペルルに、狼狽えて小さく会釈する。そして、傍に立つ少年に小声で囁きかけた。

「アルマナセル様! 何故ここにペルル様が」

「いた方がいいだろう?」

 にやりと笑って、アルマは客の背を押す。

 覚悟を決めたような悲壮な顔で、彼は席についた。

 プリムラが慎ましやかに紅茶を淹れている。

「レグルス様、さあ、見せてくださいな」

 いそいそと身を乗り出すペルルに、観念したように手にした羊皮紙を束ねる紐を解く。

 現れたのは、木炭で描かれた風景画だ。人の行き交う街や、丘の連なる中を行軍する兵士たち。砦の上層から見下ろしたのであろう、森の広がる大地。

 確かにそれは、本職の画家が描いたものに比べれば拙いものではあるだろう。それでも、レグルスの言うところの情熱が籠もっていると思えば感慨深い。

「人物画はないのか?」

「人が悪すぎますよ、アルマナセル」

 尋ねたアルマに、苦々しげにレグルスが小声で言い返した。

「あら」

 ペルルの声に、視線を向ける。

 彼女の視線の先には、二本の角を頭に戴いた男が描かれている。

「これは、居間の壁にかかっている絵ですね」

 『シュレインの戦い』に描かれていた、〈魔王〉アルマナセル。

 その、模写である。

「私の幼い頃から住んでいた城には、オーリムの絵が何枚もありました。それに惹かれたのも、私が絵を描きたいと思った一因かもしれません」

 しみじみとレグルスは呟く。

 何となく面映ゆくて、アルマは紅茶に口をつけた。


 一時間ほど滞在して、レグルスは部屋を辞した。

 外の通路まで見送って、アルマが戻ってくる。

「……何をやってるんだ、君は?」

 相変わらず窓際に座って、呆れた顔でオーリが尋ねた。

 ほんの数部屋離れたところにいただけの青年に聞こえていないとは思えなかったが。

 アルマが、眉を寄せて腕を組む。

「……黙っててくれるか?」

「彼が、ペルルや君のスケッチを取っているってことを?」

 少年を見上げながら皮肉げに告げる。

「言うなよ」

 憮然として返す。

 このお茶の時間は、人が傍にいない僅かな時間を縫ってはスケッチを描いていたレグルスが、纏まった時間、落ち着いて描けるようにと思って誘ったものだった。

「いいだろ。どうせ、……次の戦いが始まるまでだ」

 言葉の最後に、溜め息が混じる。

 まだ何か言いたげだったが、オーリは迷った挙句に肩を竦めた。

「そうだね。折角、君に友達ができたんだし」

「友達?」

 思いもしなかった言葉に、問い返す。

「違うのかい?」

 それ以上言い返せずに、アルマは笑みを浮かべる青年の頭を軽く突いた。




 陽が沈んだ辺りで、風竜王宮親衛隊の斥候は一部戻ってきたようだ。グランに一声かけて、オーリは再び城塞を後にする。

 彼が戻って来たのは、深夜になろうという時間だった。難しい顔で、細く開けておいた窓から居間へと侵入する。

「遅かったな」

 蝋燭の数を減らし、薄暗くなった部屋の中で声をかけたのは、椅子に座っていたクセロだ。

「まさか待ってたのか?」

 少しばかり驚いて、オーリが尋ねる。

「大将が、あんたが戻ったら知らせろって言うからさ。ちょっとここにいてくれ。呼んでくる」

 そう言い置いて、身軽に男は立ち上がった。

「休んでいてくれてよかったのに」

 気遣うように呟いた言葉に、クセロは皮肉げな視線を向ける。

「だったら、一人で出掛けないことだ。おれだって、大将をこんな時間に起こしたい訳じゃない」

 流れるような動きで指を突きつけられて、オーリはやや鼻白んだ。



 すぐにグランは姿を見せた。その背後に立つクセロは、注意深い視線を幼い巫子に向けている。

 彼が地竜王の高位の巫子となっても、二人の主従関係は変わらないのか。しかし、それを差し引いても、確かにグランの顔色は少々悪く見えた。

「調子が悪いのか?」

 オーリの問いかけに、軽く片手を振る。

「少し疲れが出た程度だろう。大したことじゃない。それより、何か判ったか」

 頷いて、青年はあらかじめ広げておいた地図に指先を触れる。

「今日帰ってきたのは、割と近い地域を調べてきた隊なのだけど。森を抜けて、小さな丘を越えたところに、既に王国軍が野営し始めている。今のところ、数は二万程度らしい」

「二万か……」

 難しい顔で、グランが呟く。

「その程度で済む訳もないから、周辺を更に捜索中だ。せめて、どっちの方向からどれほど来るかは掴んでおきたい」

「あまり無茶をさせるなよ」

 眉を寄せ、しかし心配するような言葉を告げる。

「大丈夫。彼らは、ロマの服装で行動している。万が一捕まっても、言い逃れは効くからね」

 オーリの答えは、少しばかり、自分に言い聞かせているようだった。

「さて、それで、だ。どうする?」

 続いて向けられた問いに、ふむ、とグランは考えこんだ。

「……二人を起こすまでもないだろう。奴らには、明日の会議で問い質せばいい」



「どういうおつもりでしたか、マグヌス子爵?」

 グランの視線は、城塞の主の顔から外れない。

「このような近距離に、これほどの人数がいることを、まさか貴公が把握していない訳でもありますまい。何故、我らにお知らせ頂けなかったのか?」

 苦々しげな表情で、子爵は口を開いた。

「オリヴィニス殿こそ、我らに(はか)ることもなく勝手に斥候を出すなど、無礼ではないですか。周辺の状況をお知りになりたければ尋ねられればよかったものを」

「ほぅ。敵の配置という重要事項を、尋ねなければ我らにお知らせ頂けなかった、と。幾度もこちらで会議を開いていたというのに」

 グランが更に言葉を重ねる。

「そもそも、私が斥候を出すということを、ご子息はご存じであった筈ですが。ご報告を受けていらっしゃらなかったのですか?」

 やんわりと、オーリが続けた。

 レグルスはこの会議に参加はしていない。あくまで、各軍の指揮官が集う場だ。

 初耳だったのか、マグヌス子爵は更に唇を引き結ぶ。

 アルマは、年上の知人に少しばかり同情した。

 やがて、子爵は長く溜め息をついた。

「……先のニフテリザ砦の戦いでは、明らかに同盟の中に裏切り者がいたと思えます。私は、出来る限り情報が漏れることを防ぎたいと」

「貴方は、我々の中に、裏切り者がいるとおっしゃるのですか?」

 モノマキア伯爵が、堪らず声を上げた。

 彼は、当時、誰が内通者だったのかを知っている。故に、殊更非難に動いたのだろう。

 義兄でもあるその人物が無闇に追求されないように。

 しかし、竜王の高位の巫子ではない、カタラクタの貴族にそう抗議され、流石に子爵が慌てた様子を見せた。

「いや、その、伯爵方がどうこう、という訳ではなく」

 と言ってはいるが、子爵にとって邪魔なのはほぼ全ての指揮官だろう。彼は、おそらくは救国の英雄を目指している。

 子爵本人だけの意向ではない。その父親のマグヌス公爵が指示していると見て間違いない。

 精々、水竜王宮だけは味方につけておけばいい、程度に考えているのだろう。他の貴族、ましてや他国の竜王宮など、彼が功を独占するには邪魔でしかない。

 だが、少なくとも子爵は策謀に向いていない、とアルマは内心考えた。

 この時点で同盟相手との間の疑念を明らかにしていて、王国軍に対応できる筈もない。

 貴族の陰謀としては、あまりにも拙すぎる。

 公爵については、流石に王家との血縁だけでその爵位を維持できるわけもないのだから、かなりの陰謀家だと推測していたのだが。この状況を善しとしているのなら、それも考え直すべきか。

 いっそ、この考えが仲間割れを狙った龍神側の企みではないのか、という考えがちらりと過ぎったりもした。



「ありえない話ではないな」

 一笑に付すかと思われたグランは、あっさり同意した。

「いや、ないだろ? こんな、俺でさえ判るような考え、奴が実行するなんて」

 むしろ呆れて、アルマは返す。

 居間に戻った一行は、思い思いにくつろいでいる。その場にいる全員が、二人の会話を注視していた。

「だが、実際、我々の間に不和の種を撒くことには成功している」

 むっつりと、グランは指摘した。

「あいつの策謀は、全てが練りに練られたものではない。いくら手を尽くしても、その労力がそのまま成功に結びつく訳ではないことを、あれはよく知っている。合間に、うまく働けば儲けもの、程度の小さな(はかりごと)を無数にばら撒いているのだ。マグヌス子爵はそれにひっかかっている可能性もある」

「厄介な男だな」

 苦々しく、オーリが呟いた。

「それよりも気になるのは、サピエンティア辺境伯だ。彼は、この騒ぎで全く動かなかった」

 眉を寄せ、考えこみながらグランが告げる。

 この老辺境伯は、以前、実の孫を龍神の企みで殺されかけている。龍神に対する敵愾心は強く、反面、竜王の巫子たちへの信頼は厚いと思われていた。

 が、その巫子たちへの露骨な阻害と稚拙な策謀に、頑固なサピエンティア辺境伯は無言を貫いていたのだ。

「理由を考え出すときりがないな」

 アルマは溜め息をついた。

「注意して聞いておいてくれるか、オーリ?」

 視線を向けられて、青年が頷く。

「勿論だとも。それに、アルマも宜しく頼むよ」

「俺が?」

 何の要請かと、問い返す。

「君の友達が、今、こっちに向かってきてる」



「……今日、来られるとは思わなかった」

 迷った上で、そう言葉をかける。少しばかり困ったように、レグルスは小さく笑んだ。

「ああ。まあ、その、少し父に呼ばれてはいたけれど。行くな、とは言われなかったよ」

 ぎこちなく告げて、レグルスは居間にいる全員に向き直った。

「この度は、私の不注意で皆様にご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありません」

 そう言った後に、頭を下げる。

 戸惑ったような表情で、彼らは視線を交し合った。

 彼らにとって、レグルスがオーリのことを報告しなかったのは、別に不都合ではない。それを言い立てたのはただの手段だ。

 しかし彼は、それが自分の失態であり、しかもそれで彼らに迷惑をかけてしまったのだ、と思ってしまっている。

 アルマなどから見れば、あまりにも素直だ。

「気にすることはない、レグルス。特に何も困ってはいないよ」

 鷹揚にオーリが告げて、ほっとした表情でレグルスは顔を上げた。

 そうだ。このような、百戦錬磨の相手には歯牙にもかけられないほどに。

「じゃあ、そろそろ行こうか」

 少しばかり気の毒に思って、アルマは来客を促した。


 部屋の中に、羊皮紙に木炭を走らせる音が響く。

 レグルスは、ティーテーブルを囲むアルマとペルルから少し離れ、二人を一瞥できる位置に座っていた。

 描いている間は、かしこまらずに、自然に振舞っていてほしい、とは彼の望みだ。

「レグルス。子爵に、ここへ来て何をやっているか、言ったのか?」

 アルマが視線を向けて尋ねる。

「まさか。ただ、お茶に誘われているだけだと思ってるよ」

 画家になりたいなどと、父親に打ち明けられはしないのだろう。自嘲気味に、レグルスは答えてきた。

 そしておそらくは、子爵からはこの機会を逃さずに竜王の巫子たちからの情報を得て来い、と命じられているのか。

 とはいえ、そのような話題にはあまりならないのだが。

「……やはり、アルマの角は形が取りにくい」

 眉を寄せ、レグルスは呟く。非難された少年は、軽く肩を竦めた。くすくす笑いながらペルルは席を立ち、レグルスの隣から今描いた絵を覗きこんでいる。

 アルマは、今まで肖像画を描かれたことはない。成人するか、当主となるか、何らかの偉業を達成するか。そのような記念に描かれることが多いためだ。彼は従軍するまではただの学生だった。そんな機会などはない。

 だが、こうして絵を描かれることは、描く人間との間の距離を思いがけず縮めていくものだった。ほんの数日で、彼らは互いに心を開いていっている。

「レグルスは、あの場所に王国軍がいることを知らなかったのか?」

「ああ。全く知らなかった。まあ、私はそんな責任ある立場でもないし……」

 言葉が宙に浮く。

 確かに、父親の意向が判っていたら、幾ら彼でもオーリに尋ねられて素直に答える訳もない。

「まあ、そんなものだよな。俺だって、王国軍じゃお飾りだった」

「アルマが?」

 慰めるような言葉に、信じがたい、という目で見つめられる。〈魔王〉の(すえ)は、頬杖をついて、にやりと笑った。

「あの侵攻が勝ち戦になった時点で、俺、というか、レヴァンダル大公家には、何もしていなくても〈魔王〉の血筋としての勲功が生じる。他の面々は、それ以上俺に活躍して欲しくはなかったんだよ。どの道、俺に頼らなくてもやっていけるだろう、という目論見で始まった戦いなんだしな」

「何というか……、貴族というのは、どこも同じようなものなんだな」

 遠慮がちに、レグルスが感想を述べる。

「全くだ。どろどろだよ」

 苦笑しつつ、アルマは同意した。



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