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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
水の章

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15

 晩餐は、流石に美味だった。

 まあよく考えれば、基本的に保存食が主である行軍中の食事と、領地内の新鮮な食材をふんだんに使える領主の晩餐とを同列に考えることが間違っているのだが。

 しかしちょっとばかりペルルに対して申し訳ない気分になっているアルマをよそに、皆は最初に通された部屋へと戻っていった。

「姫巫女様、こっちこっち!」

 すっかりなついてしまった姉妹に両手を掴まれて、ペルルが部屋の一角の、小さなソファへと連れていかれそうになっている。

 戸惑った顔で、ペルルがアルマを振り返った。

 にこやかに笑って頷いてみせると、ぱっと華やかな笑顔になって、少女たちはさざめきながらテーブルを囲んだ。

「優しい方ですのね」

 伯爵夫人が、和やかな瞳でそれを見つめている。

「ええ」

 それに同意したところで、二人は大きめのソファへ腰を下ろした。パーラーメイドが香りのよいお茶を注いでいくまで、双方ともに口を開かない。

「……カタラクタではどうなっておりますか?」

 固い声で、伯爵夫人が尋ねてくる。

「休戦の申し入れがあってから、二ヶ月近くになります。現在、前線では条約の交渉に入るため、カタラクタの王都へ向けて進軍中の筈です。ああ、交戦はしていないのですから、前線という言い方はおかしいですね」

 交戦していない、という言葉に、伯爵夫人は僅かに肩の力を抜いた。

「イクティノス伯爵とご子息は、私の知る限りでは最後まで司令部におられました。条約の制定に尽力されているのではないでしょうか。なにぶん、私が前線を離れたのは、停戦の申し入れがあってすぐのことですので。ですが、もしも伯爵に何事かがありましたら、すぐに使者がやってくる筈ですから、ご心配には及ばないかと」

 昼間、テナークスから急遽仕入れた知識を披露する。伯爵夫人が無言でカップに口をつけた。安堵したような、困ったような顔を隠すかのように。

 カップがソーサーに戻される、小さな音が二人の間に響いた。

「皆様は、いつ頃、イグニシアへお帰りになるのでしょう」

 次いで放たれた問いに、流石にアルマは困惑した。

「条約の内容による、としかお話しできません。おそらく、休戦の知らせが戦場から王宮まで届き、王の意向を言い含められた使者がフリーギドゥムへ辿りつくのが全速力でそろそろ、手間取っていたのならもう少し時間がかかるでしょう。勿論、ハスバイ将軍が全力を尽くしているでしょうが、使者のやりとりは随時必要です。休戦から、軍の帰還までは年単位の時間がかかってもおかしくはありません」

 落胆したような女性の表情に、更に少年は言葉を続けた。

「それに、もしもカタラクタ全土をイグニシアが完全に支配する、という状況になれば、手に入った土地を預かり、統治する者が必要です。それは、新たに爵位を与えて召し上げた者では務まりません。王が充分に信頼する人物でなくては」

 暗に伯爵位を持つイクティノス家を持ち上げつつ、しかし伯爵夫人には嬉しくないであろう情報を与える。

 力なく、女主人は微笑んだ。

「男の方というのは、酷く忍耐が要るものなのですね」

「ええ。気が遠くなりそうなほどに」

 真面目な顔で、アルマは頷いてみせた。




 伯爵家を辞したのは、もう夜も更けた頃だった。

 がたがたと石畳の上を進む馬車の中で、ペルルが時折思い出し笑いを零している。

「楽しまれましたか?」

「ええ。ありがとうございます」

 にこにこと笑う、その笑顔のお裾分けに(あずか)って、アルマにも自然と笑みが浮かぶ。

「姫君たちも、とてもお可愛らしくて。伯爵様と、お兄様が従軍なさっていて、寂しがられていました」

 それに共感したのか、僅かに物憂げな表情を滲ませる。

「伯爵閣下の情報は、知っている限りのことを夫人にお話ししてきましたから。少しは安心して頂けるのではないでしょうか」

 しかし、アルマの返事に安心したか、笑みが戻った。

「でしたらいいのですけど。それに、あのお屋敷の素晴らしいこと。私、あんなに大きな鏡が一面に張られたお部屋なんて初めてでした。この季節に、あれほど見事な薔薇を揃えていらっしゃったのも」

「ああ。せめてもの用心でしょう。留守を預かっておられるのだから、無理はありません」

 つい返した言葉に、ペルルはきょとんとして見つめてきた。

 苦笑して、指を一本立てる。

「悪魔は、鏡に映らない。聞いたことはありませんか?」

「いいえ……?」

 まだ意図が判らないのか、小首を傾げて答える。アルマは、もう一本、指を増やした。

「それから、悪魔が薔薇に触れると枯れてしまうとか。主人に招き入れられないと、悪魔は屋敷に入れない……は、今回関係ありませんね。招待状を頂いてますから。流れる水を越えられない、も、ちょっと無理かな」

「アルマナセル様……?」

 徐々に理由が判ってきたのだろう。ペルルがその瞳を大きく開いた。

 そうだ、挨拶の時に、二人ともが手を差しのべなかったのは、あれは。

 アルマが肩を竦める。

「〈魔王〉の災厄に触れないように自衛するのは、まあ、それなりに説得力のある理由ではありますよ」

「でも、そんな、アルマナセル様にそんなこと、ひどい……!」

 泣き出しそうな顔で見つめられて、慌てて〈魔王〉の(すえ)は手を振った。

「別に実害はありませんから。全部迷信ですし」

「本当に?」

 ひたり、と見つめられて、頷く。

「試してみますか?」

 馬車の中、向かい合わせで座っていたアルマが、上半身を乗り出した。顔を近づけられて、ペルルが僅かに身を固くする。

 真っ直ぐ、その様を見ていた少年は、ふいに、視線を横に逸らせた。

「ほら」

 つられて顔を向けると、馬車の扉につけられた窓、暗闇の街を切り取ったそこに、ペルルとアルマの顔が映し出されていた。

 数度瞬いて、ペルルがくすくすと笑い出す。アルマが馬車の背もたれに身を沈めた。

「これは鏡とは厳密には違いますが、まあ似たようなものでしょう。流れる水、というなら、私はこの行軍で四回ばかり川を渡っていますよ。ああ、橋の上ですけど。招かれない屋敷に押しかけたことは今までないので、ちょっと真偽は判りませんね」

「薔薇は?」

 まだ楽しそうな笑みを唇に残して、ペルルが尋ねる。

「そうですね。王都に着いたら、腕一杯の薔薇の花束をお持ちしましょう。それが枯れているかどうか、ご自分で確かめられればいい」

「でも、王都に着く頃にはもう冬に差しかかっているのでは?」

 秋でさえ難しいのに、その頃に薔薇はもう咲いていないだろう。しかも、イグニシアは北方の国だ。

「それが、一体何の弊害になると言うんですか?」

 わざとらしいアルマの驚いた声に、ペルルはまた楽しげに笑った。



 宿に戻ってしばらく経った辺りで、テナークスが訪ねてきた。

「伯爵夫人のご機嫌はいかがでしたか?」

「まあまあだった。知らせてもいい情報は知らせてきたし、王都の連中に比べれば、大した相手じゃない」

 王都にいる貴族たちは、もっと狡猾で陰湿だ。しかしその辺りをテナークスは実感していないのか、僅かに腑に落ちない表情を見せた。

「それより、今後の行程を見直そう。できるだけ、藩都を避けて進めないか? この先何度も、領主に呼びつけられるのは御免こうむりたい」

 副官は、ざっと国内の地図を頭の中で浚ったようだった。

「藩都を通過するのは、あと一度だけで済むルートが取れるかもしれません。王家の直轄地に入ってしまえば、王都まで邪魔はされますまい。朝までに行程を見直してお持ちします」

「出発前日までにできればいい。夜はちゃんと休んでくれ」

 職務に熱心なのはいいが、彼の身体が少々心配で、アルマはそう注文をつけた。




 国境を越えてからおよそ一ヶ月。アルマたちは、とうとう王都を目前にしていた。


 ペルルは、再び沈みがちになっていた。

 今までは無事に王都に着くことだけを考えていればよかったが、着いてしまえば彼女は本格的に人身御供の身である。しかも、一人でカタラクタを代表して振る舞わなくてはならないのだ。

 プレッシャーに押し潰されそうになっていても、無理はない。

 アルマは、できる限り気持ちを軽くしようと、度々話しかけていた。

「心配は要りませんよ。姫巫女は、火竜王宮に滞在されることになります。同じく竜王に仕える者同士なのですし、彼らは無体は致しません」

 ペルルが、力ないながら、笑みを浮かべた。

「火竜王の高位の巫子、グラナティス様がいらっしゃるのですよね。一体どのような方なのですか?」

 その名前を持ち出されて、一瞬怯んだ。隠しようのない失態に、ペルルがまた不安そうな表情に戻る。慌てて、アルマが明るく声を上げた。

「グラナティスですか? 尊大で傲慢で、とてつもなく絶対的な支配権を握っていますよ。ただ、彼は絶対に過ちを犯さないし、見逃さない。彼は、竜王の庇護を受ける者たちを、みな平等に自分の下に庇護します。それが火竜王だろうが、水竜王だろうがお構いなしに。ですから、竜王宮にいる限り、貴女は絶対に安全です」

「凄い方ですのね」

「ええ。凄く、質が悪い」

 おどけたように言って、二人は顔を見合わせて笑った。

「私は、所属で言えば竜王宮の管轄になりますから、度々お邪魔することもできます。ご安心ください、姫巫女」

 はい、と返して、ペルルは少し落ち着いたようだった。


 この時、普段なら遺憾なく話に茶々を入れてくるノウマードがやけに静かだったことに、アルマは気づかないままだった。



 そして、ある日の午後、彼らは重苦しい曇り空の下に黒く蟠る王都を目にした。


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