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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
神の章

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159/252

03

 軍隊の入城は細々とした問題はあるものの、致命的なものには発展しないようだ。

 短い報告が終わった後、議題は敵の動向を予測することに移った。

「先のニフテリザ砦での戦いに負けたことで、イグニシア王国軍は焦っている筈だ。少なくとも、彼らは次に敗北することは許されない。事実、こうして新たに同盟に加わってくださる方が増え、他の領主からも好意的な反応が増えてきている」

 モノマキア伯爵の言葉に、サピエンティア辺境伯が頷く。

「次は五万では効かぬだろうな」

「最低でも八万。できれば、十万は欲しいところだろう。それだけの数をかき集めるには、王都に駐屯させている兵や占領地域の兵を連れてこなくては足りない。この地に集まるには、時間がかかる」

 マグヌス子爵の言葉に、グランが声を上げる。

「単純に、移動のみの時間を見ておくべきだ。書簡のやりとりなどは、龍神の下僕が何とでもしてしまうだろう。そうすると、ここへ集まるまで何日かかると思われる?」

 眉を寄せ、カタラクタの貴族たちが考えこむ。

「半月、ですかな」

「近い隊ならその半分ですが、流石に数が揃わないうちに姿は見せますまい」

 先の戦いからは、もう五日は経っている。

「ならば、猶予は十日か」

 準備を整えるには、何とかなる時間だ。

「あの下僕が、次にどんな手を使うか知れたものではない。備蓄は充分にお願いしたい」

 火竜王の幼い巫子の言葉に、貴族たち、特にニフテリザ砦に封じこめられていたモノマキア伯爵は真剣な顔で頷いた。



「この近辺の地図は手に入るかな?」

 夕刻になって、一旦会議が解散となったあとで、オーリが尋ねた。

「頼めば可能だろう。どうした?」

「ちょっと気になることがね。それに、地図は手元に一つはあった方がいい」

 グランの問い返しに、軽く返す。肩を竦め、グランはアルマを見上げた。

 扉を開けると、彼らの居間へ通じる廊下を護る従卒が顔を向けてくる。

 十数分後、地図を持ってきたのは意外な人物だった。

「レグルス殿?」

 両手で丸めた羊皮紙を持ち、扉をくぐる相手に、アルマが声をかける。

「地図をご入り用だということで」

「わざわざ貴方が届けに来ずとも」

 立ち上がり迎え入れる少年に、小さく笑いかける。

「大した労力ではありませんよ。何かお訊きになりたいことがあるのかとも思いまして」

 ティーテーブルの上をプリムラが手早く片づけ、地図を広げる。羊皮紙を何枚か継ぎ合わせたそれは、かなり大きい。

 オーリが眉を寄せてそれを覗きこむ。

「アルマ。君が知っている時点での軍の配置でいいんだけど、一体どこからどれぐらいこちらへ回せそうだと思う?」

「その辺はテナークスに聞いた方が確かだとは思うけどな」

 無茶を言われつつ、記憶を探る。

 大体は北から北東にかけて駐屯している隊が近いだろう。

「レグルス。この辺りは、森が深いのかな? 数万の軍が野営できるとなると、どれぐらい離れた場所になりそうだ?」

 いきなり無造作に話を振られて、レグルスは驚いたようだ。が、地図の上に滑らかに指を滑らせた。

「この辺りでしょうか。馬ならば一日で着くでしょうが、歩兵を含んだ軍ならば、二日以上はかかると思われます」

「馬で一日、か。うちの馬なら半日かな」

 草原の民が小さく呟く。

「オーリ。何を考えている?」

 胡散臭げに、グランが問い質した。

「いや。風竜王宮の入城は、かなり後回しになりそうなんだよね」

 フルトゥナの民、というか、ロマに対する偏見は相変わらずらしい。さらりと告げられた言葉に、僅かにレグルスが気まずそうな顔になる。

「で、暇にさせておくのも何だから、ちょっと斥候に出させようかな、と思って。うちに龍神の手先が入りこんでいる可能性は、他よりは低いし」

 龍神の策謀によって故郷を追われたフルトゥナの民の恨みは、かなりのものだ。更に、それが判明する以前に龍神に誘いをかけられていた者は、判る限り既に親衛隊率いる義勇軍からは淘汰されている。

「お前は行くなよ」

 グランが釘を刺す。無邪気に、風竜王の高位の巫子は首を傾げた。

「お前の性格は判っている。どうせ、後ろで構えているのは性に合わないんだろう。だが、お前に代わりはいない。三百年前ならいざ知らず、今お前が死んだら、風竜王と人の世を繋ぐ存在は完全に絶える。お前が行くぐらいなら、アルマを送り出せ」

「俺かよ!」

 いきなり名前を出されて、反射的に抗議する。

「大丈夫だよ。指示を出したら戻ってくるさ。どうせ今日はもう遅いし、出発するのも明日になる。夜に馬は走らせられない。知らない土地だし、我が民は森はちょっと苦手なんだ。地図をしばらく借りるよ」

 手早く羊皮紙を丸めると、オーリは背を伸ばした。

「あ、あの、道案内にご一緒します」

 慌ててレグルスが身を起こしかける。が。

「大丈夫。城塞は目立つし、迷わない」

 帰りのことだけを問題視し、オーリは窓を開いた。無造作に窓枠に足をかけると、軽く一歩を踏み出す。

 そのまま高く跳んだ青年の後ろ姿に、レグルスが息を詰める。

「……俺、時々、あいつはこういう反応が見たいが為にわざとやっているような気がするよ」

「奇遇だな。僕もだ」

 少々疲れた気持ちでアルマが呟くと、グランが憮然として同意した。


 その後、すぐにレグルスは部屋を辞そうとしたのだが、ペルルがお茶に誘ったためにそのまま椅子に腰掛けることになった。

 尤も、クセロはそういうことにはあまりつき合わないし、グランもドゥクスが何やら書類を持ってきたために、部屋を出て行ってしまう。

 実質、アルマとペルル、レグルスだけで会話をすることになった。

「まあ。レグルス様は、十八歳でしたの?」

 少し驚いたように、ペルルが尋ねる。

 はい、と騎士は小さく笑んだ。

 貴族の嫡子が戦場へ出るには、ぎりぎりの年齢だ。それだけ、マグヌス家がこの叛乱に色々と賭けている、ということでもあるのだろう。

 三人は、その後もかなり他愛のないことを話していた。アルマがイグニシアにいた頃の話や、ペルルがフリーギドゥムからイグニシアに護送された時の話など。

 その間ずっと、レグルスは熱い視線をペルルに向けていたのだが。



 翌朝、風竜王宮親衛隊は、半分ほどの人数が幾らかの隊に別れて野営地を出発したらしい。

 オーリは、約束通り城塞に留まっていたが、居間の窓を開いてその横に椅子を寄せて座っている。

 何かがあったら、すぐにそれを聞き取り、立ち上がるつもりなのだろう。

 三百年前、最前線に立ち続けていた時のように。

「……お前さぁ。巫子にならなかったら、何かやりたいこととか、あったのか?」

「何だい藪から棒に」

 隣を通りかかった時に、ふいに尋ねてみる。苦笑しながら、オーリは顔を向けた。

「どうかなぁ。私は、かなり子供の頃から、風竜王にお仕えすることだけを願っていたからね。他にやりたいこととかは思いつかないな。……一度、離反しようと思った時は、漠然とあの地から逃れたかっただけだったし」

「だろうな」

 アルマとしても、風竜王に仕えていないオーリなど、今は考えられない。

 巫子というのは、そういうものなのだろう。

 なら、他にペルルやグランに訊いても同じような答えしか返ってこまい。

 一方で、クセロはその生まれによって、否応なく人生を狭められていた。今、地竜王の高位の巫子などに就いていることがイレギュラーだ。しかも自身が望んだ訳ではない。

「……自分の望むような人生を送れるかどうかなんて、結局そんなに簡単にはできることじゃないんじゃないか?」

 ふいにそう呟く。貴族も、民も、大体が親の仕事を継ぐものだ。

「そうそう。私はむしろ幸運だったよ」

 アルマの意図とは違う方向に同意して、オーリは小さく笑う。

「自分の、やりたいことねぇ……」

 そもそもそれが思い当たらない、ということは無視して、少年は眉を寄せて考えこんだ。




「しかし、それは……」

 苦々しい口調で呟いたのは、カタラクタ侵攻を任されたハスバイ将軍だ。

「これは国王陛下からのご命令ですよ、将軍」

 静かな声が、(いさ)めるようにかけられる。

 部屋の内部は暗い。暖炉の炎だけが彼らを浮かび上がらせている。

 使者の、細い金髪がその光を受けていた。冷徹な瞳を向けられて、将軍が怯む。

「だが、それは、本当に国王陛下からなのか。陛下はこのところお身体が思わしくないとの知らせもきている」

 反論に、金髪の青年は溜め息を落とした。

「陛下の直筆の署名に、王家の印が押されているのに、疑われるのですか?」

「それは、貴殿が手を回せば好きにできることではないのか? 龍神の使徒よ」

 しかしハスバイ将軍は更に言い募る。

 無言で、イフテカールは片手を振った。その背後の闇の中から、すぅっと鋭く光る刃が現れる。

 反射的に将軍は自分の腰の剣に手を添えた。だが、自分に刃を向けている相手の正体に思い至り、動きを止める。

 ゆったりと、イフテカールが口を開く。

「貴方の代わりなど、いくらでもいるのですよ。尤も、少々、惜しくは思いますがね。私がそう思っているうちに、陛下のご命令に従っては頂けませんか?」

「……貴殿の命令には全て従うことをか?」

「私はただ、陛下のご意思のままにお話しさせて頂いているだけですよ」

 やんわりとイフテカールは訂正する。

「そして、彼を担ぎ出すことを、貴方の責任において了承頂きたい」

 その上で更につけ加える。

 将軍は暗がりを見通すように目を眇めた。

 一旦刃を納めた相手は、暗がりの中に静かに立つ。黒を基調にした飾り気のない服と、黒髪のその姿は、陰に埋没していた。

 ただ、その青白い肌と、灰色の二本の角を際だたせて。




 その日の午後になって、アルマのところにも書類が届けられる。大したものではなく、ざっと目を通し、署名をつけ加えた。

 これをレグルスへ届けなくてはならないのだが、宿舎からやってきていたマノリア隊の者は、忙しいのか先に帰ってしまったのだ。

 かといって、砦の兵に書類を託すことははばかられる。

 何となく、アルマは自らレグルスのもとを訪れることにした。

 すぐに、彼の執務室に隣り合う控室へと案内される。

 取り次ぎを待っていると、一人の兵士が現れた。

「お待たせして申し訳ございません。どうぞお入りください」

 慌ただしくそう告げて、忙しげに出ていってしまう。

 少しばかりその後ろ姿を眺めた後に、扉を叩く。返事が聞こえないが、一応許可は出ているものと考えて、扉を開いた。

 奥の窓が開いていて、柔らかな風が吹きこんできている。机の上に突っ伏しているレグルスの淡い柔らかな髪を、揺らす。

 一瞬ぎょっとしたが、微かに寝息が聞こえてきたので緊張を解いた。

 疲れているのだろう。無理はない。

 扉を閉め、歩み寄りかけて、床に数枚の羊皮紙が散らばっているのに気づいた。身を屈め、それに手を伸ばす。

 インクで書かれたのではない、黒い、太い線に眉を寄せた。

「……何だ……?」

 小さく呟いた声に気づいたか、頭上でがたん、と音が響く。顔を上げたアルマとレグルスの視線が合った。

「アルマナセル様……?」

「レグルス殿」

 少しばかりぼぅっとした顔で見ていたレグルスは、アルマの指先が触れているものに気づいてばっと身を起こした。

「それは……!」

 慌てて立ち上がろうとして、バランスを崩し、勢いよく床に膝をつく。

 ごっ、と鈍い音が響いた。

「だ、大丈夫か!?」

「大丈夫……」

 僅かに瞳を潤ませて、それでも気丈に呟く。

「いや、それよりも、それを!」

 レグルスが強引に手を伸ばす。そのまま、乱暴に羊皮紙をかき集めた。

「あの、それは……」

「見た、んですね?」

 今までの印象とは全く逆の、おどおどとした目でアルマを見つめてくる。

「ええ、あの、落ちていたのでそれで」

 答えた言葉に口を引き結ぶ。そして、ゆっくりと自嘲して、抱えこんだ腕を緩めた。

「アルマナセル様。私は、本当はやりたいことがあったんです」

 晒された羊皮紙には、木炭で線が描かれている。

 それは、穏やかに笑みを浮かべる少女の絵だ。

「私は、画家になりたかったのですよ」


「画家?」

 少しばかりぴんとこなくて、問い返す。

「はい。その、何か心を打つような風景を見たときなどに、無性にそれを描き留めたいと思ってしまうのです」

「それは、お抱えの画家に描かせればよいのでは?」

 貴族は画家に出資し、作品を描かせるのが普通だ。貴族にとって、絵画は自ら描くものではない。

「それは、試してみました。でも、違うのです。その風景を、見た、そのままに描いてはくれます。ですが、私が、こう、形にしたい、と願ったものでは、ないのです」

 もどかしげに、レグルスは言葉を紡ぐ。

「よく判らないな」

 小さく漏らす。レグルスは失望した表情を浮かべた。

「ああ、いや、つまり、画家の腕前が悪かったってことなのか?」

「いえ、そうではなくて。何というか、その絵には私の心が入っていないから、ではないかと思うのです。……それは、勿論、私は彼ほど上手く描ける訳ではないのだけれど」

 やはりその気持ちが判らなくて、沈黙する。

「……すみません。よしないことを」

 恥じいるように呟いて、レグルスは視線を手元に落とした。小さく溜め息をつき、その羊皮紙を引き裂こうとする。

「待て待て待て!」

 慌てて、アルマがその腕を掴む。

「い……っ」

 彼の握力は、非常に強い。予測していなかったレグルスが、苦痛に眉を寄せる。

「あ……あ、ごめん。でも、破くことはないだろ」

「いえ……。ですが、こんなことをしていても仕方がないことは判っているのです。いい機会ですし、もう諦めなくては」

「勿体ないって!」

 アルマの声に、きょとんとした視線を向ける。

「俺はそりゃ、そういう、描かずにいられない、って気持ちは実感できない。でも、それをなかったことにするのは違うってことぐらいは判るさ」

 どうしても歌わずにはいられない、フルトゥナの民のように。

 その歌を愛してやまなかった、彼の始祖のように。

「だけど……」

 レグルスが視線を落とす。

「なあ。忙しいとは思うが、午後のお茶に俺の部屋まで出てくることは、できるか?」

 手にしていた自分の書類を押しつけながら、にやりと笑んでアルマは尋ねた。





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