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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
喪の章

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154/252

11

 結局、イグニシア王国軍が街の残骸の中へ足を踏み入れたのは、五日後のことになった。

 その頃には、街壁や建物はほぼ全て崩れ落ち、精々が人間の背の高さ程度の石の塊になっていた。その合間には、(おびただ)しい量の、粉のような灰が溜まっていて、時折爽やかな風に舞い上がっては視界を霞ませている。

 王国軍は、できる限り整然とアーラ宮を包囲した。

 そして、正門の前には、数頭の馬が引く荷馬車が二台。その間には、奇妙な、長い革袋が吊られている。

「何だ、あれは……?」

 太さは一抱え程度。細長く、何やらごつごつしたものが入っているようだ。

「あの形は、破城槌に近いな」

 アルクスが小さく呟く。

「しかし、丸太には見えないが」

 首を傾げ、オリヴィニスが囁く。

「何でできてようと、用途が果たせりゃ一緒だろ」

 即物的な物言いは、いかにも戦士のようだ。苦笑して、オリヴィニスは口を開く。

「矢が届く範囲に入ったら、射て。馬を狙って、どうあってもここに近づけさせるな」

 その命令は、すぐに実行された。荷馬車を引く馬を、その後ろに続く兵士たちを狙い、矢が放たれる。

 だが、それは、対象に命中する前に、何か見えない防御物にでも当たったかのように、弾かれた。

「……っ!」

 アルクスが息を飲む。

 彼は、氏族のみで王国軍と戦った際に、それを見ていた。

 オーリが眉を寄せる。

 風竜王の高位の巫子がアーラ宮に施しているのは、〈魔王〉の力のみを阻み、物理的な力は通してしまう、竜王の防御だ。

 一方で、アルマとオーリは、街壁で戦っていた時点では物理的な防御壁を構築していなかった。それを設置すれば、物理的なエネルギーは双方から遮断される。

 風竜王宮は、王国軍を撃退するために。

 そして、王国軍は、何とかして中に入りこむための手段が必要だったからだ。

 人の、力が。

 今回は、破城槌のようなもの、が急(ごしら)えで作られている。それ以外の部分を防御すれば、王国軍に被害は出ない。

 それを予測できなかったことに加え、彼に、このような繊細な術が使えるとは思えなかったのが、誤りだ。

「矢が突き立たない、ということは、木じゃないな。革袋に石でも詰めこんだか」

 破城槌にぶつかった矢が、その勢いを反射して落下するのを見て、苦々しげに、アルクスが呟く。

 そう、今、アーラ宮の周囲には嫌と言うほどの石が転がっている。それは木で作られた破城槌よりも重く、固い。

 慌ただしく、前庭へと伝令を走らせる。戦士たちが、正門に向けて密集隊形を取った。

 オリヴィニスは請願を唱え、こちらもアーラ宮の周囲に防御壁を構築する。

 だが、〈魔王〉の力を阻むのと違い、物理的な力は自然界にそもそも存在するものだ。それを拒むのは、竜王としては、少々気に触ることである、らしい。

 小規模であったり、短時間であったりすればまだ堪えても貰えるが、どれほど長時間効くかは判らない。

 何より、中に侵入されれば、その後はもう白兵戦となる。双方、防御壁を構えてはいられない。

 頻繁に矢を射掛けられ、神経質になっている馬が正門前で止まる。破城槌に繋がった綱を、それの背後に控えた兵士たちが引く。

 破城槌が動いた瞬間、胸壁から戦士たちが矢を放つ。

 その時点で、兵士たちは矢から護られたり、護られなかったりと様々だった。

 破城槌を動かすためのエネルギーを、どう伝えるか。それは術を使う者によって様々な考えがあるし、そもそも、思う通りに現世へ現れるとも限らない。

 だが、変化した時点では確実に綻びが生じる。

 アーラ宮からは、雨のように矢が降り注ぎ、そして王国軍の破上槌の威力は正門を脅かした。

 前庭は大騒ぎだ。礼拝堂から運べるだけの椅子や、卓や、燭台など、障害となりそうなものを正門の内側に積み上げている。

 ずしん、と胸壁に震動が伝わる。

 王国軍は、正門以外に攻撃をかけているという報告はない。

 〈魔王〉の防護は、幾つもの場所でばらばらに構築できないのか。

 ただ、ぐるりと取り囲んでいるのは、風竜王宮の戦士たちが逃げ出すことを防ぐためなのだろう。

 ……彼らが逃げ出してくれるのなら、ここまで苦労はしないのだが。


 破滅は、近い。オーリは、それを薄々覚悟していた。

 その破滅が、全く考えもしなかった形で現れることは、当然彼には想像できなかったのだが。




 一体何時間、破城槌が叩きつけられたものか。

 やがて、めりめりと音を立てて、扉が破られた。

 兵士たちが扉に群がり、手斧を振るっては破れ目を広げようとする。

 防御物を透かし、草原の戦士がその隙間から矢を放つ。

 次々と犠牲者を出しながら、しかし侵入者はその経路を広げていく。

「退け、オーリ!」

 アルクスが叫んだ。

「だけど……」

「少しは考えろ! この胸壁の階段を押えられたら、逃げ場がないぞ! お前は一跳びで竜王宮まで行けるのか?」

 距離としては充分可能だが、彼の周囲にいる戦士たちは無理だ。不承不承頷きかけて、オーリは動きを止めた。

「早くしろ!」

「……アルマがいない」

 焦れた怒鳴り声に、呟き返す。

 王国軍がアーラ宮を取り囲んだ時から、〈魔王〉の姿を見ていない。

 これみよがしな口上もない。

 そして、街を焼き尽くした時のように、正門から一人入ってくることも、ない。

 思えば、街が燃え盛っていた五日間、彼の動きは全く報告されなかった。

 この地に存在はしているはずだ。でなくては、こちらからの攻撃を防ぐことなどできない。

 しかし、今、彼はどこにいるのだ?

「オーリ!」

 真下に向けて矢を射ちながら、更にアルクスは叫んだ。

 オーリがようやく身を翻す。


 追い詰められていく。

 明確にそれを理解したオーリは、アーラ宮全域に聞こえるように、声を張り上げた。

「正門が破られた。アーラ宮の下ニ層を封鎖する。全員、最低でもそれ以上に避難!」

 上層階へ向かう階段は、アーラ宮中央の巨大な(うろ)だけではない。竜王宮の面積は広大で、とても一箇所の階段だけでは足りないのだ。

 だが、岩山を掘り抜かれたアーラ宮は、通路は酷く入り組み、当然、階段の位置も上下層で連続はしていない。この地に精通していなければ、探し出せまい。

 まして、礼拝堂から通じる扉を一つ開ければ、中央の(うろ)に通じる。他の道を探すより、ここを通ろうとする筈だ。

 ならば(うろ)を封鎖すれば、王国軍の足は鈍るだろう。

 アーラ宮に残った人数は少ない。足音が、慌しく駆け回るのを確認する。

「オーリ!」

 息を弾ませながら、秘書官が現れた。

「上に行っていろ、ティオ」

 高位の巫子の言葉に、首を振る。

「随分と匿って貰っていたが、そろそろそうも行かないからな」

 戦いの間も、竜王宮は動かなくてはならなかった。具体的には、この地に残った者たちのための物資の管理や食事、休息の手配である。

 数少ない巫子がその仕事に当たり、それを統括していたのが、ノーティオだ。

「お前はよくやっていてくれただろう」

 彼に感謝し、詫びこそすれ、役に立っていないなどとは思ったことはない。

 だが、ノーティオは引かない。

「俺が、竜王宮に入ってから一体何年間、生命(いのち)の危険と無縁でいられたと思ってるんだ? 自分の身ぐらいは護れるとも」

 腰に()いた、先端の湾曲した剣を抜く。柄は細い針金で巻かれ、風竜王を表すエメラルドが嵌めこまれた剣を持つ姿は、確かに堂に入っている。

「判った。無理はするな」

 前庭で戦っていた戦士たちが、岩山の中に避難してくる。急ぎ足で階段を登り、三層以上の縁で弓矢を構えて再び陣取っていた。

 彼らの撤退を補佐していた氏族たちが、王国軍の侵入を遅らせるため、果敢に立ち向かっている。

 その背で、礼拝堂の扉が閉じられた。


 散発的に続いていた、剣を振るう、がらがらという金属音が途絶える。

 悲鳴が殆ど発せられなくなった。

 弱々しい呻き声が、時折ぱたりと消える。

 オーリが、唇を引き結び、(うろ)の底を睨みつけている。

 礼拝堂の扉に、破城槌を叩きつける音が響き始めた。

「……どれぐらい保つと思う」

 流石に冷静ではいられないのか、ノーティオが囁く。

「扉に、正門ほどの強度はない。そんなに長くは保たないだろう」

 オーリも囁き返す。

 礼拝堂への扉には鎖をかけてきている。(うろ)への扉も、鍵はかけた。だが、それは結局気休めでしかない。

「この一番底に油を撒いて、火をつけたらどうだ?」

 アルクスが低い声で尋ねる。

「駄目だ。この(うろ)は、最上階の下まで続いている。そんなことをしたら、煙突のように炎が立ち昇って、すぐに上階まで焼けてしまう」

 眉を寄せ、ノーティオが答えた。

「それに、アルマが自然界の火を消せないとも思えない」

 むっつりとオーリがつけ加えた。

 じきに扉は破壊されたらしい。荒々しい足音が響き、手斧で(うろ)へと通じる扉が破られる。

 (うろ)の下層には、外へ通じる開口はない。灯りを点さない限り、完全な闇だ。

 礼拝堂の扉が開き、弱々しい光が漏れた。警戒した足取りで、兵士が戸口に姿を見せる。

 鋭い風切音がして、瞬時にその兵士は何本もの矢を受け、倒れた。

 あからさまに怯んだ気配がする。

 こちらからは戸口は丸見えで、射ってくれと言わんばかりだ。逆に侵入者からすれば、中が暗すぎて相手の位置すら掴めない。

 静寂がしばらく続いたところで。


「わしが行こう」


 やけに()れた声が、響いた。



 戸口が、黒い影で塞がれる。

 放たれた矢は、鋭い音と共に弾けた。ばらばらと、床に破片が落ちる。

 (うろ)の中ほどまで悠然と進んできた人影の上方に、突如乳白色の光球が浮かぶ。

 それに照らされて、黒衣の〈魔王〉、アルマナセルは不敵に笑んだ。


「よぅ。吟遊詩人」



「……アルマナセル」

 三層目の階段の登り口に立ち、〈魔王〉を見下ろす。

 数日姿を見なかった彼は、力に満ちているように見えた。

 彼から、自分はどのように見えるのだろう、とふと考える。

 土埃と汗に塗れ、髪を振り乱し、聖服は泥に汚れている。

 しかしそれには一切触れず、アルマは口を開く。

「さて、そろそろ悪足掻きはやめたらどうだ?」

 その言葉に、戸惑ったようなざわめきが起きる。

「大人しく我々に従えば、そう悪いようにはしない」

「具体的には?」

 目を細め、問い質す。

(つつが)なく全員を殺し、竜王を滅してさっさとレヴァンダのところに帰る」

「莫迦だろう、君は」

 即座に返した言葉に、アルマは首を傾げた。

「侮るのはやめた方がいい。我々は風竜王の民、風竜王に仕える巫子だ。何があろうと、それに背くことはない」

「なるほど。まあ、予定がそのまま進むだけだ」

 戸口に、人影が動く。王国軍の弓兵が、光に照らされ、露になった(うろ)の中へと矢を放ってきた。盾を掲げ、歩兵がばらばらと内部へ走りこむ。

 迎え討つ側の攻撃は当たりにくくなったように思えた。

 だが、(うろ)の壁を螺旋状に上がる階段は、ぐるりとその縁に陣取った射手の全てを防ぐことはできない。階段を登り始める兵士たちは、時折その上に倒れ、転がり落ち、後続を巻きこんでいく。

 それでも、全てを押し留めることはできない。先頭の兵士が二層目と三層目の中間辺りに差し掛かりそうになって、剣を抜き放った戦士が階段へ躍り出た。

「オーリ、上へ」

 ノーティオが囁く。

 踵を返しながら、眼下を一瞥する。アルマは、変わらない表情のまま、見上げてきていた。



 一層上がるごとに、王国軍はその層を探索した。

 思えば当然のことで、その層に風竜王宮の戦士が息を潜めていたら、背後から襲いかかられてしまうだろう。

 それに時間が取られ、自然に追い詰める速度は遅くなる。

 親衛隊長は、戦士たちと自分の部下を組み合わせて班を作り、アーラ宮の内部に送りこんだ。

 親衛隊は、この地をよく知っている。見つかりにくい階段や部屋、横道などを駆使して、少人数で探索する王国軍を襲わせていた。

 それでも、じわじわと追い上げられていく。

 すっかり陽が沈んだ頃、一旦侵攻が止まった。互いに(うろ)の上下で睨み合いが続く。

 巫子たちはあらかじめ、食料を上層へ運び、分散して保管していた。戦士たちに保存食が配られる。

 オーリにも固いパンと干し肉が押しつけられた。

「食べたら、少し休め。酷い顔色だ」

 素っ気なく、リームスが言い渡す。肩を竦め、暗く冷たい岩の通路に座りこんだ。

 彼がオーリの傍に振り分けられたのは、少しでも気心が知れている相手がいい、と判断されたのだろう。

「最近、それしか言われていない気がするよ」

「お前が無理ばかりするからだ」

 自分の無理など、大したものではない。

 小さく苦笑して、固い干し肉を噛み切った。塩気が強い。

 革袋に入った、ぬるい水が回される。

「水が問題だな。重くて、あまり大量には持ってこられていないんだ」

 眉を寄せ、ノーティオが呟いた。

 それが足りなくなるまで、何人生存しているかによるが。

「いざとなったら、オーリに汲みに降りて貰うといい」

 アルクスが茶化す。

「一人じゃ無理だ。お前も一緒に降りろよ。連れて上がってはやれないけどな」

 オーリは軽く言い返した。

「お前たち、少しは言葉を慎め。今は戦時下で、こいつはこれでも一応高位の巫子だぞ」

 呆れた顔で、ノーティオが諫める。

「いや、あんたが一番不敬じゃないか?」

「心配するな。こいつが死んだら、ティオが次期高位の巫子に選ばれる。オーリよりもしっかりしてるからな」

 口々に言葉を放たれて、オーリが笑う。

「そうか。それは安心だ」

「オーリ!」

 困ったような顔で、ノーティオは咎めてきた。


 アーラ宮の陥落は、目前だ。

 だが、事態はそう悲観するものでもない。

 民の殆どは草原に逃げているし、今後、その動きはフルトゥナ全土に広がるだろう。

 オーリが命を落としても、すぐに新たな高位の巫子が選ばれる。

 そうだ。アーラ宮が落ちたところで、フルトゥナの民はまだ生き延びられる。

 それだけが、この地に残った者たちの希望だった。



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