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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
喪の章

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152/252

09

 街の外には、氏族たちが野営していた。

 幾つかに別れた集団は、礼儀正しく互いに距離を置いている。

 こちらの姿を認め、数名が馬に乗って進み出てきていた。

 オーリが先頭に出る。

「風竜王の高位の巫子、オリヴィニスだ。此度は、不躾な要請にお応え頂き、感謝する」

 族長たちは値踏みするように、オーリと、背後の戦士たちを見た。

「千ほどの氏族を引き連れていたと聞いたが。戻ったのはこれだけか」

「……私の、力不足によるものです」

 オーリが静かに告げる。

 アルクスが声を上げかけたが、前にいてこちらが見えない筈の巫子に振り返られて、口を(つぐ)んだ。

 その瞳が、あまりに暗かったから。

「状況が少々変わりました。今は、民を草原に逃がすことが何より優先されます。皆様方には、彼らを護って頂きたい」

 ざわ、と対峙する族長たちがざわめく。

「血も繋がらぬ、定住者などを草原に連れ出す筋合いはない」

「ならば、我が国は滅亡するでしょう」

 オーリが言い切るが、族長たちの表情は渋いままだ。

 再び、青年が振り返る。

「アルクス。後の説明を頼む。……彼は、ずっと私と一緒にいた者です。状況は、私と同じぐらい、よく知っている」

 アルクスと族長たちが頷く。

「申し訳ないが、竜王宮に顔を出してきます。できるだけ、早く戻ってくる」

「気にするな。こっちも、絶対に長くかかる」

 皮肉げにアルクスが返してきた。



 竜王宮からも、こちらが近づいてきていたのはとっくに知れていたのだろう。街の正門のところで、風竜王宮親衛隊が列を作って待ち構えていた。

「儀礼はいい。先を急ぐ」

 言い置いて、一歩たりと止まらずにオーリは街路を進む。

 街には、まだ人影が多い。

「民の避難はどうなっている?」

 隣に追いついた総隊長に尋ねる。

「さほど進んではおりません。皆、財産が惜しいようですな」

 期待していた訳ではないが、それでもやはり失望はする。

「まさか、竜王宮に匿ったりはしていないだろうな」

「毎日礼拝から帰ろうとしない民を追い払うのが大変ですよ」

 真面目な顔で答える総隊長に、少しばかり苦笑する。

「そうだ。誰か竜王宮へ先行させてくれ。会議を……」

「秘書官が既に準備しています。彼は本当に抜かりないですからね」

 懐かしさと共に僅かに気が重くなって、とりあえずオーリは沈黙した。


 会議の間の扉の前で立っていたノーティオは、僅かに眉を寄せていたが、しかし何も言わず、オーリが通れるように扉を開く。

 中には、長老たちが揃っていた。

 オーリは今回、馬を下りてまっすぐここへ向かっている。土埃を頭から被り、革鎧を身につけ、そう、馬の臭いを纏わせたままで。

 今は非常時だ。それを、老人たちによく判らせる必要がある。

 彼の、芝居がかった振る舞いで周囲を巻きこむ手法は、この頃には既に確立されていた。



「少し休め、オーリ」

 数時間後、会議室から足早に出てきた高位の巫子に、ノーティオが忠告する。

「時間がない。氏族たちの様子を見てこないと」

 手近な窓に近づいて飛び降りかねないオーリの手首を、乱暴に掴む。

「アルクスという者から、連絡が来ている。あちらは心配要らない、と。それより、お前、負傷したんだって?」

 露骨に不機嫌な秘書官から、視線を逸らせる。

「……大したことじゃない。もう治した」

「へえ?」

 意味ありげに、眉を寄せて聞き返された。

 ぐい、と腕を引くと、相手の手はあっさりと離れる。竜王宮から殆ど出たことがないノーティオは、あまり力が強くない。

 だが、諦めは悪い。彼は次いで、オーリのマントを素早く握りこんだ。

「ティオ」

「お前から目を離したら、またイグニシアとの最前線に一人で戻るから気をつけろ、とも言われてる」

「……あいつ……」

 小声で毒づく。

 不機嫌なまま、しかし真摯な瞳で、ノーティオが告げた。

「オーリ。お前にしか背負えない重荷があることは判っている。だが、そうではないものまで一人で背負いこむな。お前がそうするのならば、どうして俺たち他の巫子や親衛隊は、こうして竜王にお仕えしているんだ?」

 数度瞬いて、年下の友人を見詰める。

 ほんの数年前まで自らも抱いていた気持ちを、既に忘れかけていた。小さく溜め息を落す。

「……判った。明日の朝までは休もう。ただ、何かあったら、絶対に私に知らせてくれ」

「言われるまでもないさ」

 そして、ようやく用心深い秘書官はその手から巫子を解放した。




 街の住人をグループ分けし、氏族たちの庇護を受けるために割り振るのに、二日かかった。

 その間、オーリは辛抱強く、不満を漏らす氏族たちを説得していた。

 四日目には、ぞくぞくと民が街から離れていく。

 オーリは鐘楼に出て、東の様子を伺いながら、民の移動を見守っている。

 小さく溜め息をついたのを、聞き咎められた。

「心配なのか?」

 弓を手にして、リームスが軽く声をかけてきた。

「お前たちがだよ」

 胸壁に背をもたせかけ、親衛隊員に向き直る。

 竜王宮に仕える、かなりの人数の巫子や親衛隊員、そして氏族たちが、この地に残ることを志願していた。

「正直、誰がいても足手纏いだ。君たちがもしも王国軍との戦いで生命(いのち)を落せば、風竜王が嘆かれる。その時、私はそんな感情を背負ってる場合じゃない可能性が高い。勝利を願うなら、私から重荷を取り除いてくれ」

 しかし、オーリが酷くざっくばらんにそう言い渡して、ある程度の人数は怒りながらこの地を脱出したのだが。

 それでも居残る者たちは、いた。

 リームスやノーティオ、そして勿論アルクスもその中に入っている。

「あの程度で気分を害していたら、お前の元では働けないさ」

「違いない」

 鐘楼の入口で、アルクスが笑う。

 アーラ宮に残ることを主張した氏族たちは街や竜王宮内に入り、護るために配置についている。

「ここは、思ったよりも護りに向いたつくりになっているな」

 ぐるり、と周囲を見下ろしてアルクスが呟く。

「元々は、ここはある氏族の砦だったんだ」

 軽くオーリが告げると、二人ともが意外そうに視線を向けてきた。

「もう、何百年も前だ。今ほど内部が掘られてもいなかったし、礼拝堂のような空間も作られていなかった。当時は難攻不落の砦として有名だったらしい。それがやがて竜王宮に差し出されて、本宮になったと言われている。古い歌に、幾つか歌われていたよ」

 へえ、と呟きながら、リームスは鐘楼の屋根を見上げた。

「難攻不落、か。縁起がいいな」

「人間の軍隊相手ならな」

 肩を竦め、オーリは釘を刺した。



 東の空に一際大きな黒煙が上がったのは、その翌日のことだった。





 嫌になるほど晴れた日に、悪魔はやってきた。



 続々と、黒々とした軍隊が街道を進んでくる。

 街の十数キロ手前で陣形を組み、そのまま近づいてきたのだ。

 酷く威圧的ではある。だが、ここアーラ宮で、高位の巫子が在る状態で、只人の軍隊など、さほどの脅威ではない。

 ただ、その先頭に立つ、黒衣の〈魔王〉のみが、絶望を運んでくる。

 陽光の降り注ぐ中、街の正門の前で〈魔王〉アルマナセルは馬を止めた。


「ここが、風竜王とやらのねぐらか?」

 その声は、ざっと数キロは離れたアーラ宮にまで轟き渡る。

 竜王宮の正門の上、胸壁に立ってオーリは真っ直ぐにアルマを見下ろしていた。正式な聖服を身に纏っており、その純白と額のエメラルドとが、眩しく光を反射させている。背に負った矢筒と、手にした弓だけが、ややその姿には似合わない。

 背後にはノーティオとアルクスが控えていた。リームスは親衛隊の一員だ。総隊長に命じられた場所で配置についている筈だった。

「我が竜王の名とその誇りにかけて」

 小さく呟く。主に、自らを鼓舞するために。

 そして、もう少し大きく声を張り上げた。

「寄る()なき哀れな〈魔王〉、アルマナセルよ。私が、風竜王の人の世での代理人、高位の巫子オリヴィニスだ。この地はお前を歓迎はしない。()く、その身が産まれたところ、暗く、臭く、惨めな地獄へと舞い戻るがいい」

 オリヴィニスの声は、さほど大きくは聞こえない。だが、それは街の外の王国軍の最も後ろにいる兵士にまで届いた。

 アルマが鼻で笑う。

「大きく出るではないか、人の子が。だが、契約を果たせぬ以上、わしが地獄へ戻ることなどないのだよ。果たせるに決まっているが、な。そうなればわしは王女レヴァンダを手に入れ、この地に君臨することになる」

 ざわり、と人々がざわめく。

 フルトゥナの民だけではなく、王国軍もだ。

「国を一つ滅ぼし、民を虐殺し、竜王をも抹殺しなくては手に入れられない王女とは、酷く血塗られたものだな。それほどの価値が、その娘にあるとでも?」

 オーリが嘲る。

「あるとも」

 しかし、アルマは即答した。

「わしはこちらに来て、初めて愛を知った。焦がれる想いを知った。喜びを知った。美を知った。友を得た。それは、わしの力だ。わしを後押しする、力だ。地獄に戻っては失われる。わしは帰らんよ、高位の巫子。ただ、そなたらを殺し尽くせばいいだけの話なのだからな」

 不敵に笑み、すらり、と腰に佩いた剣を引き抜く。

 だが、オーリも引きはしない。

「間違うな、〈魔王〉アルマナセル。お前が得たと思っている力は、その愛は、未だお前の手には入っていない。お前は未だ、孤独でうら寂しいだけの存在だ。対し、風竜王は既に私を全て手に入れておられる。肉体も、魂も、全て。お前ごときが、我が竜王に太刀打ちできるとでも思うのか!」

 高らかに言い放った言葉に、痛いところを衝かれたか、ぐぅ、とアルマが呻く。

「我が想いがそなたらに劣るなどと、傲慢にもほどがあるな、高位の巫子よ」

 絞り出すような声に、しかしオーリは手を緩めない。

「傲慢などと、お前のような卑俗な者が語るか。我が竜王はこの世界を統べ、回帰し、庇護し賜う存在だ。その民への愛の深さは、お前などに計り知れるものではない!」

 しん、と静寂がその場を包む。

「……今のお前をディアクリシス様たちがご覧になったら、さぞお喜びになるだろうな……」

 ノーティオが小さく呟くが、しかしその言葉とは裏腹に視線は酷く冷たい。

 オーリが短く咳払いをした。

「まあ、ともかく、お前には民も竜王も滅ぼさせはしない。今一度言う。おとなしく、冥府へと戻るがいい」

「これで、交渉とやらは決裂だな」

 低い笑い声を響かせて、アルマは剣を天へと向けた。

 次の瞬間、空に、直径五メートルはある炎の塊が出現した。

 人々が、息を飲む。

「灼き堕とせ」

 存分にその威容を見せつけた後、〈魔王〉がそう命じる。

 炎の塊が、街壁に襲いかかった。

 オーリは表情一つ変えない。

 炎が空中で広がり、波のように街壁に、街に襲いかかろうとする寸前に。

 弾き飛ばされたかのように、炎は逆流した。

 〈魔王〉と、その背後に展開するイグニシア王国軍めがけて。

 ほんの数秒で、炎の大部分が掻き消える。

 それは、〈魔王〉アルマナセルには火傷一つ負わせていなかった。しかし巻きこまれた王国軍は、幅百メートルほどに渡って一切の痕跡も残さず消滅していた。

 周囲の草原に火が点き始めて、残りの兵士たちが逃げ惑う。

 今まで〈魔王〉が絶対的に振るってきた力が跳ね返されたことによる、恐怖もあるのだろう。士官ですら、命令を発していない。

 オーリが、手にした弓に矢を番え、引き絞る。

 直線距離でも、彼とアルマの間には数キロの距離がある。常識的に考えれば、矢などが届くはずがない。

「我が竜王の名と、その誇りにかけて」

 凛とした声が、響く。

 放たれた矢は、大きく弧を描いて〈魔王〉へと迫る。

 それが通常の矢であれば、彼に近づけもしなかった筈だ。

 だがそれは、アルマが講じた防御すらあっさりと通過し、驚愕する彼の肩を貫いた。

「う、が、ああああああああ!」

 瞬間、風竜王の[祝福]が、この世の者ではない〈魔王〉の体内を蹂躙する。

「お前ごときの力、我が竜王には通用せぬと知れ」

 オーリは静かに言い渡す。

 アルマが、無事な方の手で矢を掴み、力任せに引き抜いた。

「……なるほど。少しはやりがいがあるという訳か。風竜王よ」

 傷を負い、異質な存在に侵されていてなお、〈魔王〉は笑みを浮かべてアーラ宮を見上げる。

()て!」

 間髪を容れないオーリの言葉に応え、街壁の上部に身を潜めていた氏族たちが立ち上がる。そのまま、矢をイグニシア王国軍へと降り注がせた。

 〈魔王〉の力は絶対だった。それを当てにして、王国軍は、城を攻めるための投石器も破城槌も持って来てはいない。そして、イグニシアならばまだしも、草原の国フルトゥナで、そう間単に必要な丸太は手に入れられない。

 更に、〈魔王〉は確実に、攻城戦のやり方などは判っていない。

 この地であれば、油断しなければ、勝てる。

 高位の巫子は、無造作に胸壁を乗り越えた。

「オーリ!?」

 アルクスの声を背に、たん、と胸壁の縁を蹴り、東門へと跳ぶ。

「あいつはいつもああなのか!?」

 苛立たしげに、アルクスがノーティオに突っかかった。

「我々の苦労を少しは分かち合ってくれ」

 疲れたように零すノーティオに、溜め息をついてアルクスは地上への階段へと向かった。




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