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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
喪の章

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151/252

08

 夜の荒野に馬を走らせるのは、酷く揺れる。

 通常、乗り手は蹄の音が大きくて周囲の音など聞き取れない。だが、流石にすぐ後ろに乗る高位の巫子の呻きや悲鳴は聞き取れるらしく、十数分走ったところで、アルクスはようやく馬を止めた。

 野営地は未だに大騒ぎだ。しかし、こちらを追ってくる姿は見えない。

「オーリ。大丈夫か?」

 上体を力なくアルクスの背にもたせかけ、荒く息をつくオーリには、返事をする余裕もない。

 戦士の腰に回された手が、苦痛を堪えてか、時折びくりと互いに爪を立てている。

「……死なない、よな。それぐらいの傷、俺を治したみたいに、治せるだろ? なあ!」

 自らに言い聞かせるかのように、アルクスは問い質す。

「……ない、」

「え?」

 小さな呟きがようやく漏れて、戦士は聞き返した。

「矢、を、抜かないと、癒せな、い。私の、意識がある、うちに、頼む」

 オーリの切れ切れの言葉を理解して、頷いた。手を結びつけていた布を解く。

「俺が降りたら、すぐにお前を降ろすから。ちょっと一人で我慢してくれ」

 緩慢に頷くオーリを気遣わしげに見て、アルクスは素早く馬を下りた。背を丸め、腹を庇う形のオーリに腕を延ばす。

 細身ではあるとはいえ、相手は長身の成人男性だ。かなりの重さがあると思われるが、アルクスはやや眉を寄せただけで、できる限りゆっくりと、オーリの身体を地面に降ろした。

「ぐ……」

 それでも傷が痛むのだろう、低く呻く。

「矢を抜けばいいんだな? 言っておくが酷く痛むし、傷はもっと荒れるぞ」

「平気、だ。それを、全部、癒す。でも、気を失っ、た、ら、多分もう、治せない。はや、く」

 頷いて、一本の矢に右手をかけた。左手をオーリの肩に回し、身体を固定させる。

 かなり深く刺さっている。相手が治癒の術を使える巫子でなかったら、これを抜いては致命傷となるだろう。

 だが、アルクスは、彼の能力をよく知っている。いくぞ、と小さく声をかけ、力任せに引いた。

「あ、ぅあ、あぁあああ、が、ぁあああ!」

 声の限りに悲鳴を上げ、身を捩り、踵がここから逃れようとするかのように地を抉る。オーリの手が、止めようとしてかアルクスの手を捕まえ、強く爪を立てる。だが、戦士はそれに一切怯まなかった。

「しっかりしろ!」

 矢尻が抜けると同時、びしゃ、と血が体内から掻き出されるように、溢れ出す。

「……ニネミア!」

 既に請願を唱えるだけの気力はない。祈るように、縋るように、オーリは彼の竜王の名を呼んだ。

 すぅ、とその傷が塞がった。肌を濡らす温かな液体は、それ以上溢れることなく、少しずつ冷えていく。

 短く、呼吸を繰り返す。びっしょりと脂汗を滲ませた顔を、心配そうにアルクスが見下ろしていた。

「次、だ」

「少し休んだ方が」

「早く!」

 小さく肩を竦め、歴戦の戦士は二度は止めずに次の矢を引き抜いた。


 ぐったりと、オーリは地面に横たわっている。

 傷が治っても、消耗した体力はすぐには回復しないのだ。

 アルクスは、時折立ち上がり、野営地の方向を伺っていた。

「……何故、来た?」

 その背に問いかけられて、アルクスが振り返る。

「お前がいなくなっていたからだ」

 短い答えに、溜め息をつく。

「ちょっと気分を変えたくて散歩していただけだとかは思わなかったのか? そうでなければ、一人で逃げ出したとか」

「お前がか?」

 呆れた声を出されて、口を(つぐ)む。どちらにせよ、王国軍の野営地で見つかった時点で、何を言っても今更だ。

「どうせ、一人で王国軍に入りこんで、〈魔王〉と差し違えようとか思っていたんだろう。そんなこと、させる訳にはいかないだろうが」

「何故だ。私なら、充分果たせる見込みはあった」

 図星を衝かれ、僅かに気を悪くしながらも更に問う。

「果たせてないだろう。死にかけてた癖に」

「それは、お前たちが派手に乗りこんできたからだ!」

 流石にそこを自分の過失とされたくはない。がば、と上体を起こして怒鳴りつける。

 しかし、アルクスは退かない。

「なら、それがなかったら絶対に見つからなかったか? 〈魔王〉を、あの化け物を殺して、しかも生きて戻ってこれるとでも思ってたのか?」

「……それ、は」

 そこまでは断言できなくて、言葉を濁す。

「オーリ。お前は、風竜王の高位の巫子だ。お前をここで死なせる訳にはいかない」

「別に、私など死んだところで、困りはしない。どうせすぐに次の巫子が立つ……」

 視線を逸らし、小さく呟くように告げる。

 アルクスが、彼の隣に膝をついた。オーリの顔を覗きこむように近づく。

「困らない、だと? 莫迦を言え。俺は、草原の民だ。竜王の、竜王宮の仕組みなど、ここ数年、巫子たちが草原を巡ってくるまで知らなかった。だが、その言葉によると、高位の巫子が死んだら、次の巫子はどこの誰が選ばれるのか、竜王しか判らないのだろう?」

「ああ」

 それは事実だ。何を問題視しているのか、戸惑いながらオーリは頷く。

「お前は、どこにいるのか知れない、そいつ自身、〈魔王〉に対して何の知識もない、覚悟も心構えも勝算もない、そんな巫子にその地位を押しつけて死ぬつもりなのか? 無責任にもほどがあるな、オーリ」

 真っ直ぐに目を見てそう言い渡され、オーリは言葉を失った。



 オーリが姿を消し、おそらくは王国軍に侵入したであろうことを察したところで、彼を救うために決死の突入を決断したのは、三氏族の長たちだった。

 その話に驚き、そしてやや恥じる。

 彼らはおそらく自分を見捨てるだろうと思っていたし、特にそれを責めるつもりもなかったのだ。

 戦士たちが生き延びれば、その後は街道沿いの次の街であるオイケインかその次のプラーヌム、そうでなければアーラ宮に向かう、と決めていたらしい。

 そろそろオーリが移動に耐えられる程度に回復した、と判断したところで、二人は再び馬に跨った。

「重いだろう。頑張ってくれよ」

 ぽんぽんと、馬の首を叩いてアルクスが宥める。

「私は跳んでいってもいいんだぞ?」

 皮肉げに呟くが、手綱を握る男が冷たい視線を向けた。

「お前を放っておくと、戦場に戻りかねないだろうが。先刻(さっき)までみたいに手を縛らないだけ、ありがたく思え」

「あれは逃亡阻止用だったのか?」

 半ば呆れて呟く。アルクスはそれには答えない。

「……次の街で、馬を手に入れられたらいいんだが」

「お前が逃げ出さないならな」

 軽く駆け出した馬の上で、二人は軽口を叩いていた。

 遠く、背後で繰り広げられたであろう惨状を、痛いほど感じながら。



 草原の野火を避けて、オイケインに辿り着いたのは、二日後だった。

 街は騒がしい。荷物を馬車に積み、逃げ出そうとしている者も多い。

 東の草原が燃える煙は、ここからでも充分威圧的に望むことができる。

 尤も、イグニシア王国軍が動けるようになっていたとして、ここに着くまではあと五日以上かかるだろう。全く時間がない訳ではない。

 しかし、竜王宮に着いたオーリが見たのは、多くの人々が敷地内に入っている状況だった。中には、天幕を張っている者もいる。

「……名乗りはいるか?」

 呆れた風に、アルクスが尋ねてくる。

「必要ない」

 ぶっきらぼうに返す。そのまま、馬を竜王宮の礼拝堂前につけた。身軽にオーリが飛び降りると、大股で中へと入っていく。無造作に額に巻いた布を解き放った。

「巫子様!?」

 その姿を見て、慌てて巫子や親衛隊が駆け寄ってくる。

「竜王宮長は?」

 腹部を赤黒く染め、革鎧を身につけたまま尋ねるオーリに問い返しもできず、そのまま彼らは竜王宮長の執務室へと案内した。


「一体何をやっている!」

 オーリの怒声は、軽く敷地の中を隅々まで響き渡った。

 馬を厩につなぎ、水と餌を用意しながら、アルクスは苦笑いを浮かべていた。



 アルクスが竜王宮内に招き入れられたのは、二時間近く経ってからである。

 豪奢な一室で、オーリは憮然とした顔で窓の外を見つめていた。血に汚れた衣服は、既に着替えさせられている。

「絞り上げたみたいじゃないか」

 にやにやと笑いながら告げる戦士を、じろりと睨みつける。

「竜王宮に民を受け入れるな、と、私の名前で命じておいたんだぞ。東からの街道沿いのこの街には、特に厳しい密書を送っておいた。あれから一体何日経ったと思っているんだ! 民の避難など、とっくに終わっていてよかった筈だ」

 古い考えというのは、そうそうすぐには変わらない。オーリがどう命じようと、今まで安全だった竜王宮に民が集う、というのは、変えられない行動だった。

 だが、竜王宮自体までそのような考えだというのは、別問題なのだ。

「で、聞き入れたのか?」

「それを見せたからな」

 卓の上に置かれていた、片手に乗るような大きさの石を示す。

 それは、シュレインの街の残骸だ。

 街を一つ、丸ごと消し飛ばした、という証拠に、流石に竜王宮長も危機感を覚えたらしい。民を順次草原へと逃がすために動き始めている。

「どれぐらい休んだら出発できそうだ?」

 オーリの言葉に、首を傾げる。

 彼のことだから、またこの街で王国軍を待ち受けるのかと思っていた。

「馬の世話は終わらせた。休ませてやれるならその方がいいが、まあ頑張ってくれるだろう。お前の分の馬を連れて行けるならな。俺たちも少しは温かい食事が欲しいところだが、そこは贅沢は言わないさ」

「判った。二時間あればいいな」

 その辺りの準備は既に言いつけてあるのだろう。殊更人を呼ぼうともせず、オーリは頷いた。

「何かあったのか?」

「……アーラ宮から知らせが届いていた。王室から返事がきたらしい。東に戦力は割けない、と」

 苦々しく、オーリが答える。

 意味ありげに、アルクスは眉を上げた。

「西の国境では、ロポスの岩山を占拠された。今、戦線は草原に移動して一進一退の状況らしい。とはいえ、岩山に立てこもれる分、イグニシアが有利だな。王室が動かせる軍は、そちらで手一杯だそうだ」

「街の兵士なんて、その程度さ」

 さらりとアルクスが評する。

「どちらにせよ、〈魔王〉に対処できるとすれば、それは今でも私ぐらいだし、こちらに向かわせて無駄に死者を出すよりはいい。あと、他氏族は幾らかがアーラ宮に集っているそうだ。私の命令以外は聞かない、と主張しているそうだから、一度戻らなくては」

 その言葉に、思い出したようにアルクスがつけ加えた。

「ああ、俺たちの仲間も、街の外に来ているようだ。ざっと、二百ぐらいはいると聞いた」

「……無事だったか」

 僅かにほっとして、呟く。

 二百、というのは少ないが、ここに集まった者たちが生存者全てではない。きっと。

「お前がアーラ宮まで行くなら、それを伝えておこう。二時間あれば奴らも準備できる」

 草原の民であれば、大人数となってもさほど速度が落ちる訳でもない。アルクスは軽く告げた。

 が、数秒考えこんで、オーリは口を開く。

「いや。百は、ここに残ってくれ。街の住民は、草原に慣れていない。彼らを護って欲しい。残りの百は、プラーヌムまで行って、向こうの民を護って貰いたい。どうせ、あそこも避難は進んでいないんだろう」

 僅かに、戦士が不愉快な表情を浮かべた。

「街の者を、俺たちに護れと?」

「そうだ。イグニシアは、私たちを一人残らず虐殺するつもりでやってくる。だが、我が国は広い。しかも、その大半が草原だ。街から逃げ出してしまえば、全てを殺し尽くすことなど不可能だ。そうやって、民を一人でも多く生き延びさせれば、我々の勝ちだ。……これはもう、そういう戦いになってしまった」

 沈痛な瞳で、オーリはそう説明する。

 その様子を見て、アルクスが溜め息をつく。

「判った、言ってみよう。だが、これはあくまでお前の要請ですることだからな」

「理由は何でも、感謝するよ」


 彼らは、まだ知らない。

 敵には、フルトゥナの民を残らず殺してしまう手段があることを。




 街を出てしばらくして、肩越しに振り返った。

 さほど特徴のない、どちらかと言えば小さな、低めの街壁に囲まれた姿が見える。

 この情景を、再び目にすることはできるだろうか。

 しかし、すぐにきっぱりと前を向く。

 アーラ宮までは、まだ何日もかかる。



 次の街、プラーヌムも大体同じ状況だった。

 ここまで来る道中、既に幾度も考えていたのだろう、オーリは滞りなく竜王宮の上層部を怒鳴りつけ、すぐさま命令に従わせた。

 氏族の生き残りはこちらの街にも僅かながら到着していて、オーリが連れてきた者たちと共に、早々と街の民を率いる準備を始めている。

 そして、その陽が沈む前に、街を出た。

 オーリと共にいるのは、アルクスを含めた氏族が三十名ほど。

 高位の巫子は一人で戻ってもいいと主張したが、アルクスはそれを了承しなかったのだ。

 また数日馬に揺られて、ようやくアーラ宮の威容が視界に入る。

 目に見えてオーリの表情が和らぐのを、面白そうにアルクスは眺めていた。


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