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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
水の章

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15/252

14

 出立の日は、晴天だった。

 山を降り、季節は再び秋に戻っている。暖かな空気の中を、無理のない速度で街道を進む。

 ペルルは当初、まだ気分が晴れないようだったが、時間が経つにつれて少しずつ笑みが戻ってくるようになっていた。

 小さな村を通り過ぎる時には、彼女は物珍しそうに町並みを眺めている。

「屋根が、すごく鋭く尖っているのですね」

 驚いたような口調で話しかけてくる。

「ああ、それは私も思った。雪が積もるからかな」

 ノウマードがあっさりと同意する。

 彼らは今までイグニシアに来たことがなかった。北方に位置する国と、以前にいた国との差異を敏感に感じ取っている二人に半ば感心して、アルマが口を開く。

「私は気づきませんでしたね。カタラクタの家屋の屋根は、そういえば平らか、緩い勾配になっていましたっけ」

「民の生活に関心がないからじゃないか?」

 皮肉げにノウマードに返されて、憮然とする。まだ半人前だ、と、あてこすられている気がした。



 ある夜、アルマとテナークスは天幕の中で顔をつきあわせていた。

 今後の行動を話し合うためだ。

 アルマが属している組織は、イグニシア王国軍、と銘うってはいるものの、実際のところは少し違う。

 直接徴兵し、雇うのは、各地を治める領主だ。

 今回のように、王の旗印の下に領主たちの兵が集まることは余程のことがなければありえない。

 故に、大抵の場合、ある領主が治める地へ他の領主の兵が侵入することは、単純に宣戦布告と捉えられる。

 今現在、カタラクタ侵攻という非常時ではあるが、それだけにその隙を衝いて、という疑惑は消せない。

 また、物資を手に入れるのも、容易いことではなくなった。

 カタラクタでは、全てが王家の名の下に集められ、統合された後のことだったために、王国軍に話が通っていればそれで済んだ。

 しかしそれは、物資の統括所である、国境の集積所から先のことだけだ。

 イグニシア国内では、各地に配置している補給部隊に依頼しても、勝手に譲渡はできない。統括されるまでは、各領主に所有権があるからだ。

 戦争が厳密に終結してもいないのに、一部隊だけ先に戻ってくる、などという変則的な事態を想定していなかったせいではあるが。

 そのため、彼らは街に入り、市場から直接買いつけることになる。

「……戦場だったカタラクタの方が楽だったな……」

 必要な物資のリストに目を通すのは今までと同じだが、新たに購入見積もりが追加された。購入後には、その金額と見積もりとの差額が明記されることになる。

 微妙な労働が加わって、アルマが小さくこぼした。

 テナークスが苦笑する。彼らは、もう、この程度の軽口は叩ける仲になっていた。

「それでも、支払いは王家へ押しつけられるのですから、まだましですよ。これが領主間の争いだと、どうやっても物資は自分たちで運んでいける量しかないですからね」

 さらりと物騒なフォローを入れてくる。

「なるほど、あまり遠出ができないわけだ」

 貴族の間で、軍隊まで出るような争いごとは、大抵、領地が隣接した者同士で起こる。奇妙な点でそこに納得して、少年は感心した声を上げた。

「それだけではありませんがね。形態として、王国軍の在りようがまず画期的だったのです。発端は、三百年前のフルトゥナ侵攻ですが」

 テナークスがやんわりと意見を告げてくる。

 何となく、彼は学者になってもやっていけそうな気がするな、とアルマは心の中でだけ考えた。



 いきなり軍隊が街へと姿を見せることで起きる、多くの無用のトラブルを回避するため、アルマが率いる隊は、使者を先行させていた。戦意はなく、王都へ進む道中に通過するだけであると領主と民へと知らせるために。

 それがある意味仇となったのは、イクティノス伯爵領の藩都、ガルデニアに着いた時である。



 他領主の都市の中で、その地の兵士が駐屯する施設に、まさか王国軍が入れる訳がない。

 自然、王国軍兵士たちは都市の外で野営となる。

 が、士官たちやペルルは、都市の宿に宿泊することにした。

 物資の手配を済ませる間の数日間、ある高級宿を借り切るのだ。

 宿は三階建てで、二階と三階が宿泊用のフロアだった。十人に満たない士官たちと、従卒、そして警護の兵士が泊まりこむ。

 宿泊して二日目の朝、二階の談話室で、アルマは困惑顔のテナークスから不穏な知らせを受け取った。

「イクティノス伯爵夫人から、晩餐会へのご招待です。アルマナセル殿」


「……え?」

 単語の意味を把握しかねて、問い返す。

「晩餐会への招待状が届いております。隊の責任者と、水竜王の巫女においで頂きたいと」

「あー……。そうか。参った、想定してなかった」

 言い直された言葉に頭を抱え、手近な椅子に倒れこむ。

「テナークス。こういった場合、応じるべきなのか? つまり、軍事行動上の前例に鑑みて」

 ざっくばらんに意見を求める。至極真面目に、テナークスは口を開いた。

「軍事行動中に、通過地点の領主から招待された悠長な貴族的交流に応じるべきか、ということですね? 残念ながら、そのような事態の前例はございません。ですが、一蹴していいものでもないとご忠告申し上げます」

「だよなぁ……」

 長く吐息を漏らす。

「イクティノス伯爵か……。確か、カタラクタへの侵攻軍に参加されていたよな」

「はい。当主と長男のお二人が兵と共に参加されています。何事もなければ、今も司令部におられるかと」

 夫と息子が戦場にいるとなると、少しでも話を聞きたいのかもしれない。そういった情は判らないでもないが。

「テナークス。行けないか?」

 驚いたように、副官は期待に満ちて見上げてくる指揮官を見返した。

「私が、ですか?」

「俺は、伯爵の状況をさっぱり知らない。戦場にいた頃のことでも。その点、貴公は司令部で彼らと間近にいたはずだ」

 テナークスは眉を寄せて、片手を上げた。

「アルマナセル殿。貴公は正式に王国軍に任ぜられた指揮官で、しかも大公子です。私は副官で、少佐ではあるが、爵位はない。伯爵夫人がどちらを無礼だと思われるか、推測はできるでしょう」

 貴族の爵位は、大抵の場合は長男が継ぐ。その家が複数の爵位を持つ場合、下位の方は更にその息子が受け継ぐ。よって、次男以下の男子が爵位を得るには、明らかな手柄を立てて王家より新たな爵位を授けられるか、娘しかいない貴族に婿入りするぐらいしか手段はない。

 可能性の低いそれらを実行するよりは、家長の元で財産を管理するなり軍に所属して家に尽くすなりする者、学問に生涯を捧げる者、いっそその資産を元に商売に身を投じる者などは少なくない。テナークスも、領主である兄の元で軍務に就いていた。

 だが、彼の、貴族としての思考が衰えている訳ではない。理路整然と述べられて、アルマナセルは身体を椅子に沈みこませた。

「それに、伯爵家にはお二人ほど、未婚の若い令嬢がおられたと記憶しています。伯爵夫人の目的は、存外そちらかもしれませんよ」

 澄ました顔でそうつけ加えられて、少年は思わず苦笑した。

「それはないよ」

 即座に否定した言葉に、副官はあからさまに眉を上げた。それをよそに、素早く政治的打算を打ち立てる。

「まあ、仕方がないか。姫巫女にお伝えして、断られなければお伺いすることにしよう」

 諦めたようなアルマの言葉に、テナークスが僅かに心配そうな表情を浮かべた。

「姫巫女には、支障がないのですか?」

 一瞬何かと思ったが、彼の危惧するところはすぐに察することができた。

「竜王宮が巫女たちへ世俗との関わりを禁じているのは、豪奢な舞踏会とかに参加することだ。つまり、政治に関わることだな。一家族の晩餐会に招待される程度なら、さほど咎められることはない。まあ、火竜王の高位の巫子を呼ぶのなんて、うちの家ぐらいだけど」

 レヴァンダル大公家は、火竜王宮と密接に結びついている。戒律については、アルマもよく知っていた。

 だが、水竜王宮の戒律が厳密にどうなっているかまでは判らない。一応、ペルルに訊いてみなくてはならないだろう。

 そう説明すると、副官は静かに頷いた。

「では、仕立屋を呼びましょう」

 背後に存在を消して立っていたエスタが、いきなり言葉を放つ。アルマが、うんざりした顔を斜め後ろへ捻じ曲げた。

「止めろ、エスタ。今は任務中だぞ。着飾っていい場合じゃない」

「しかし伯爵夫人とお会いするのに、行軍中の格好など論外です。大公家が軽く見られる訳には参りません」

「いいんだよ、質実剛健でいけば。口さがない奴らには言わせとけ」

「しかし」

「テナークス!」

 アルマは食い下がる世話役の説得を早々に諦めて、副官に再度こういった場合の前例を尋ねようとしたが、当のテナークスはペルルの意向を伺うため、三階へと続く階段に姿を消して行っていた。



 結局、水竜王の姫巫女からは招待を喜んでお受けします、との返事を受け、夕刻には二人揃って馬車に揺られていた。

 紛糾したアルマの衣装の話だが、ペルルの正装が純白の聖服に銀とアクアマリンのサークレット、ということを踏まえ、それよりも目立つことなど論外であるという結論でエスタも納得した。

 故に、基本的に彼はいつものように、濃いグレイの軍服風の上下、無骨な革のブーツ、ピアスは小さなアメジストのもので、赤地に黒の模様が入った布を頭に巻き、金茶のマントを肩にかけている。旅の汚れを徹底的に払拭することで、エスタはとりあえず満足したらしい。

 まあこれでも結構派手だよな、とアルマは内心眉を寄せていたが。

 向かいに座るペルルが、ふふ、と含み笑いを漏らした。

「どうされました?」

「いえ、ちょっと。……楽しみでしたので」

「楽しみ、ですか?」

 少しばかり意外な言葉に、問い返す。にっこりと笑って、少女は頷いた。

「ええ。フリーギドゥムでも、巫女や貴族のご令嬢たちと、よく午後にお茶を飲みながらお話ししていたものですから。随分と久しぶりです」

 嬉しげなペルルに、説明されても腑に落ちなくて、小首を傾げる。

「そんなものですか」

「男の方には判らないかもしれないですね。女性には、同性との関わりが絶対に必要なんです。それが、どんなに無駄な時間に見えていたとしても」

 悪戯っぽく、打ち明けるように告げられて、どきりとする。

「貴女を信用しましょう、姫巫女」

 その返答に、ペルルはまた楽しげに笑う。

 それだけで、この招待には充分以上の価値がある、とアルマは確信した。



 イクティノス伯爵の屋敷は、街の最も賑わう中心部を抜け、更に奥の閑静な地区にあった。

 夕闇の迫る中、正面玄関に寄せた馬車から降りる。

 出迎えた家令に伴われて、屋敷の奥へ通された。廊下の壁には、代々の当主の肖像画がかけられていた。巨大なそれが、じっと二人を見下ろしてくる。

「レヴァンダル大公子アルマナセル様、水竜王の高位の巫女ペルル様がおいでになりました」

 掌の上の、ペルルの細い指が、ぴくりと動く。楽しみだと言ってはいたが、緊張もしているのだろう。イグニシアの貴族階級の、言うなればサロンとの、実質的な初遭遇だ。カタラクタについて、どういった印象を持たれるかは、彼女の行動にかかっている。

 アルマが、軽くその手を握りこんだ。小さく笑んで、ペルルが見上げてくる。

「お入りください」

 家令が扉を開け、一礼して示す。

 戸口に立ち、室内を一瞥して、二人は軽く息を飲んだ。


 庭に面して大きく窓が取られた部屋には、三人の女性がいた。

 貫禄のある三十代半ばほどの女性が、おそらく伯爵夫人だろう。あとの二人は、ペルルと同じくらいの年齢かやや幼いようで、こちらがその令嬢たちだと思われる。

 しかし二人が気圧されたのは、部屋の中に、大輪の薔薇が飾られていたことだ。

 紅、白、黄、と様々な色の薔薇が、部屋のあちこちに活けてある。秋も終わりに近いこの時期に、これだけの数を集めることは難しい。

 薄く笑みを浮かべ、アルマは数歩進み出て軽く会釈した。

「お招きに(あずか)り、光栄です。伯爵夫人」

 伯爵夫人は立ち上がり、彼らに向き直った。

「ようこそ、アルマナセル殿」

 にこやかに挨拶を交わすが、しかしどちらからも手を差し伸べようとしない。

「水竜王の姫巫女、ペルル様をご紹介して宜しいですか?」

 アルマの言葉に、伯爵夫人がペルルに視線を向けた。

「お招きいただき、ありがとうございます。ペルルと申します」

 僅かに感じた不審感を隠し、ペルルが聖服を小さく摘んで一礼する。

「イグニシアへようこそ、ペルル様。遠いところを大変でしたでしょう」

 暖かな口調で応えられて、少しばかり少女はほっとした。

 伯爵夫人がちらりと令嬢たちを見る。緊張というよりは好奇心に満ちた二人が来客を見つめていた。

「姉のフィリアと、妹のカリディアですわ」

「初めまして、大公子様、姫巫女様」

 練習でもしたのか、二人で唱和するように挨拶を口にした。

「初めまして、お嬢様方」

 アルマナセルが片手を胸に当てて一礼する。姉妹は顔を見合わせてきゃあきゃあと声を上げた。

「さあ、こちらへどうぞ。道中何事もありませんでしたか?」

「たいしたことは。山脈を越える際に、数日吹雪に捕まってしまいましたが」

 ソファへと誘導されながら会話を交わす。まあ、と伯爵夫人は小さく呟いた。

「吹雪など、例年であればまだまだ先のことでしたのに。今年は冬が早いのでしょうか」

「せめて厳しいものにならなければよいのですがね」

 穏やかに当たり障りのない話題を進める。姉妹が、ちらちらと来客の様子を伺ってきた。ペルルがテーブルの向かい側からにこりと笑むと、恥ずかしげに小さく笑う。


 小一時間ほど談笑した後、晩餐会が催される部屋へと一同が移動する。

 一歩足を踏み入れて、ペルルが瞳を見開いた。

 そこは、鏡の間だった。控え柱の合間に張られた壁に、それぞれ大きな鏡が設えられている。鏡の枠は純金でできていて、細かい細工が施されたそれと鏡面に、蜜蝋で作られた無数の蝋燭の炎が反射し、部屋の中は眩しく光輝いて見えた。

 そして、その部屋にも大輪の薔薇が数多く飾られている。

「お気に召して頂けまして?」

 伯爵夫人が笑みを浮かべて尋ねる。

「ええ、勿論。素晴らしく美しいですわ」

 伯爵夫人は、その言葉に満足したように頷く。感激するペルルの気分を壊す気は全くなかったので、アルマは感想を避けた。



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