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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
喪の章

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149/252

06

「不満が出てきている」

 むっつりとした顔でリームスが告げた。

「いいことだ。何だって?」

 持ちこまれた革鎧を試着しながら、オーリは問い返す。薄い鉛の板を重ねて作られた帷子(かたびら)は、残念ながら彼が着るには体力が持ちそうになかったのだ。

「高位の巫子が、草原の氏族にばかり目をかけて、親衛隊をないがしろにしているとさ」

「驚いたな。お前たちは戦場に行きたかったのか?」

 わざとらしい顔で返されて、リームスはむっつりとしたまま、よせ、と呟いた。

「悪かったよ。だけど、親衛隊員は基本的に都市にいるものだからなぁ。草原での戦いには、多分向いていない」

「お前の金策で、草原を回っている奴らも多いんだ。多少は慣れてる」

 しかし、親衛隊の男は更に言い募る。

「リームス。先日も言ったが、アーラ宮はこの先安全じゃない。王国軍は最終的にここを目指してきている。街に住む民や、巫子たちを避難させないといけないし、その後も警備という形で留まってもらうことになるんだ。どれだけ言っても、庇護を求めて民は竜王宮に来るだろうからな。私は、お前たちを置いて行く訳じゃない。お前たちに、このアーラ宮を任せて行くんだ。……竜王のおわす、この宮を」

「その演説を、直接言ってやってくれよ」

 リームスが軽く促すのに、オーリは苦笑した。

「そっちが直接言ってこないからだろ」




 朝霧の中、静かに配置につく。

 湖から海へと流れていく河はところどころで湿地帯を作り、それに近いこの辺りは霧が発生しやすかった。

 ここはナヌリズマ族の縄張りでもあり、岩山や溝の有無には詳しい。周囲の地形は、数日前から皆に教えこんである。

 王国軍は、ようやく兵士が起き始めた頃だ。

 彼らは、ただ静かに待った。

 そして、朝霧の中に、一際赤く炎が舞い踊った。

()て!」

 オーリの声に、周囲の戦士たちが一斉に矢を放つ。その幾らかは、火矢でもあった。

 突然の炎と降り注ぐ矢に、王国軍からは悲鳴しか聞こえない。

 オーリは、じりじりと時間を計っていた。

 ほんの十分、経過したかどうかという時点で、再度声を上げる。

「撤退!」

 傍にいた戦士が、角笛を吹き鳴らす。

 騎馬戦士たちは、即座に踵を返し、朝霧の草原を駆け抜けた。



 ざわざわと、高揚感の漂う中、馬を下りる。

 その影に隠れるように、人ごみを外れようと思ったのだが。

「オーリ!」

 陽気な声が横合いからかけられた。

「アルクス」

 僅かに笑みを作って、彼が近づいてくるのを待ち受ける。

「やったな! 奴ら、反撃すらできなかったぞ!」

 嬉しげに笑いながら、アルクスは乱暴にオーリの背中を叩いた。

「不意が衝けたからな」

 肩を竦め、さり気なくその手から逃れる。

 イグニシア王国軍は、フルトゥナ国内をもう何十日も進軍してきている。自然、隊列は長く延び、ところどころで途切れているが、彼らはそれを整列しようともしていない。

 つまり、隊列の後ろの方へ回りこめば、〈魔王〉の目も届かない。

 オーリは夜明け前に、数名の戦士と共に王国軍の野営地に侵入した。

 食料を積んでいる荷馬車に油を撒き、長い縄を結わえつけ、それに火を点けてから脱出した。

 荷馬車に火が点くまで、充分以上の時間があって、ちょっと失敗したな、と思ってはいたが。

 現在、正面きって王国軍と戦うのは無理だ、と三氏族の長と意見が一致している。

 そのためにこうして食料を焼き、不意打ちをしかけ、相手が体勢を立て直しかければ離脱する、という戦法を繰り返してきた。

 こうやって、少しずつでも敵の力と士気を削っていくしかない。


 だが、敵は学習し、味方は慢心する。

 オーリは、それをまだ判ってはいなかった。



 街道を、ひと(かたまり)の人の列が行く。

 王国軍は頻繁に周囲へ斥候を出しているために、あまり近づけない。オーリは、できる限り聴覚の指向性を高めさせ、彼らの情報を探っていた。

 今まで、草原の民は深夜に忍びこみ、早朝に襲撃をかける、という行動を取っている。一般の兵士は怯えてはいるものの、王国軍の昼間の警戒心は、むしろ薄い。

 軍が停止しているときでなければ襲ってこられない、と思っている節すらある。

 丘と丘の間の窪地に王国軍が差しかかった時に、陽光の降り注ぐ中、角笛が響き渡った。

 街道の両脇の丘の上、千の騎馬戦士が駆け上がってくる。

 明らかに怯むイグニシア王国軍を、オーリは見下ろした。

()て!」


 小型の盾を頭上に持ち上げ、密集し、彼らは矢を避けようとしている。

 時折、王国軍からも矢が放たれはしたが、高低差に加え、弓の性能と射手の腕前の差で、こちらに届くことはない。

 しばらく矢を射かければ、草原の民は去っていく。

 既にそれを判っているのか、彼らは攻撃をやり過ごそうとしているようだ。

 それを、不審に思うべきだった。

 が、南の丘にいたエウテイア族の族長、カルディアは、やがて大きく腕を振った。傍に控えていた兵士が、高らかに角笛を鳴らす。

 弓を肩に背負い、剣を抜いた戦士たちが、一斉に丘を駆け下り、王国軍に襲いかかる。

 その地響きに、慌てて盾の下から外を伺い、剣を取り槍を構えようとするが、遅い。

 騎馬は、やすやすとその薄い隊列を突き破り、北側の丘に到達する。

 そして北の丘にいた戦士も加え、もう一度突撃した。

 オーリは丘の上に留まり、眼下の戦闘を見つめている。

「心配要らんよ、オーリ。奴ら、今にも逃げ出しそうじゃないか」

 隣で、陽気にアルクスが声をかけた。が、オーリの顔は晴れない。

 できる限り味方の被害を少なくしたい、と思いがちな風竜王の高位の巫子の意向を、戦いが続くにつれて氏族たちは軽んじるようになってきた。

 戦闘が専門である彼らには、攻勢に出る時、というのが自分よりもよく判っているのだろう。何より、生命(いのち)を惜しんでいては勝てない、という言葉は説得力が強すぎる。

 決して深追いはしない、と条件を取りつけて、今日、彼らは強引に討って出た。

 オーリとは別の理由で、アルクスは落ち着かない様子で戦いの様子を見つめている。

「お前も戦場に出たかったんだろう?」

 青年の問いに、慌てて首を振る。

「俺はお前に生命(いのち)を救われた。お前を護るために傍にいる、と誓ったんだ。誓いを破るつもりはない」

 そう告げる男の決意は、確かに固いと判ってはいたが。



 その蹄の音に気づくのは、遅すぎた。

 戦場に意識を集中していたオーリが、ふいに視線を上げる。

 数キロ離れた場所にある、岩山。街道から離れたそこから、ただ一騎、こちらへ向けて疾走してきている。

「……斥候は?」

 小さく呟く。

「いや、今日は……」

 アルクスがばつが悪そうな顔で返してきた。

「周囲を探っていないのか?」

「今までだって、誰もいなかっただろう」

「だが、あそこにいる!」

 オーリの指さした騎馬に視線を向けて、鼻を鳴らす。

「たった一騎じゃないか。何ができる」

「お前なら、周囲を敵に包囲されたこの戦場に、たった一騎で乗りこめるのか? 勝てるつもりでいるからだ。撤退を!」

「オーリ……」

 あまりにも臆病すぎると言いたげに、アルクスが口を開きかける。

「お前はもう忘れたのか? 奴だ! 奴が、来たんだ!」

 僅かに目を見開いた戦士の言葉は、もう聞こえなかった。


 凄まじい雷鳴が、名乗りの代わり、と言わんばかりに周囲に轟いたのだ。



「……〈魔王〉アルマナセル……」

 じんじんと耳の奥が疼いて、残響以外何も聞こえない。

 オーリでさえそうなのだから、他の者たちは尚更だ。

 あまりの轟音に恐慌に陥った馬は暴れだし、乗り手を振り落とし、又はその背にしがみつかせたまま、半数以上が逃げ出し始めている。

 その馬に踏み潰されずにいる者たちは、敵も味方もなく、呆然として丘の上を見上げていた。

 忽然と現れた、頭に灰色の角を戴く黒衣の〈魔王〉を。


「退却!」

 必死で馬を落ち着かせながら怒声を上げても、おそらくまだ周囲には聞こえていない。誰かが角笛を吹いていたとしても、同様だろう。

 アルマが、軽く剣を天に(かざ)した。

 上空に、赤く燃える火の球が形を成していく。

「我が竜王の名とその誇りにかけて!」

 自分でも、きちんと言葉になっているか自信がない。

 だけど。

「……ニネミア!」

 祈るようなその呼びかけに、彼の竜王は応えた。

 炎の一部分が、へこむようにその形を消す。

 じわじわと、溶けるように、喰われるように、球形だった炎の塊は小さくなっていく。

「オーリ……」

 弱々しいアルクスの声が、ようやく耳に入る。

「退却だ! 角笛を」

 早口で命じる青年に、慌ててアルクスは鞍に下げた角笛に手を延ばした。

 どれほどの戦士にこの角笛が届き、そしてどれほどの戦士が退却できるものか。

 我に返り始めた兵士たちは、勢いづいて氏族を攻撃し始めている。ただでさえ、戦場は乱戦だった。整然とした退却など、望めない。

 オーリは、ただ、意識をアルマへ向けている。

 しばらく、自ら生み出した炎が消えていく様を眺めていた〈魔王〉は、再び剣を持ち上げた。

 その刀身が、遠目に、薄青く光り始めたのは、気のせいか。

 アルマが、剣を横に一閃した。

 次の瞬間には戦場の真上に、十を越える光の球が生じている。それはてんでばらばらに上空を飛び回った。

「……潰れろ!」

 幾つかが、穴が開いて水の漏れた革袋のように萎む。

 だが、上手く意識で光球を捉えることができず、それ以上を潰すことが難しい。

 嘲るように飛んでいた光球の一つは、そのうち飽きたかのように、突然四散した。

 拳大程度の光が、次々に革鎧を突き破り、焦げた臭いを放つ。

「……アルマ!」

 怒声を上げ、オーリは一つでも多く、と光の球を潰していく。

 はらはらしながらそれを見守っていたアルクスが、やがてオーリの腕を掴んだ。

「もういい、俺たちも行くぞ!」

 しかし、戦場にはまだ革鎧を着た者たちが残っている。

「駄目だ、まだ民が……!」

「もう無駄だ! もう、奴らは逃げられない」

 断ち切るように告げられて、オーリは言葉を失った。

 王国軍の兵士たちが、こちらへ向けて丘を登りつつある。

 唇を噛み、二人は馬の脇腹を蹴りつけた。



 オーリは疲弊しきっていた。

 今まで、只人ではない力を持つ者と、その力を駆使してやりあったことなどない。

 相手に何ができるのか、何をしてくるのか、そしてそれにどう対処してよいかも判らない。

 覚悟はできていたものの、結局ほんの数十分〈魔王〉と対峙しただけで、彼の神経と体力は酷く磨り減ってしまっていた。

 殆どアルクスの先導に任せた形で、退却した後に氏族が集まる予定だった地へ辿り着く。

 そこは岩山の間に穿たれた谷だった。中には、低い呻き声が反響している。

 二人が姿を見せると、弱々しくも声が上がった。

「巫子様……」

「巫子様だ」

「ご無事で」

 ずるり、と滑り落ちるように、地上に降り立つ。何とか自力で立つと、オーリは周囲を眺め渡した。

「怪我人は?」

 高位の巫子の突然の言葉に、周囲からおずおずと声が上がる。

「その辺りにおります。手当てができる者が、さほど多くおりませんので」

 そう声を上げた者も、革鎧を赤く染めている。

 頷いて、オーリは手近な一人の傍に膝をついた。

「……我が竜王の名とその誇りにかけて」

 高位の巫子に触れられた肌がじわり、と温かくなり、そして急速に痛みが消えるのを、その戦士は絶句して感じていた。

 その様子を一瞥して、オーリはすぐに隣の戦士へ向き直った。

 訝しげに見つめる仲間たちの前で、癒された戦士は驚愕したまま、つい今まで腱を切られてしまっていた腕を動かしている。

 オーリの周囲には、いつしか戦士たちが群がるようになった。

 剣、弓、槍、全ての傷を竜王の恩寵は癒していく。

 だが、身体から切り落とされてしまったものは、治せない。傷口を塞ぐことだけだ。

 既に息を引き取ってしまった者も。

 唇を引き結び、オーリはただ無心に傷を癒し続けた。

「……オリヴィニス様」

 頭に布を巻き、白い髭を赤黒く染めたカルディアが声をかけてくる。

「後にしてください」

 素っ気なく、オーリは返す。

「今後のことをご相談したく」

「後だ!」

 すぐに礼儀正しさをかなぐり捨て、怒鳴りつける。

 まあ、自分を優先して癒せ、と言ってこないだけまだましだが。

 溜め息を落とし、踵を返す男の背中に、短く問う。

「どれほど減りましたか」

「……三百ほどか。馬は、更に百ほど足りぬ」

 苦渋に満ちた言葉に、青年は更に眉を寄せる。

 三百の、生命(いのち)

 一瞬だけ拳を握り、そしてオーリは次の戦士の身体に手を触れた。



 族長たちとの話し合いが終わる頃には、既に陽が落ちていた。

 谷からよろめき出、少し冷え始めた空気を大きく吸う。

 だが、ここはまだ駄目だ。力の入らない足を何とか動かして、草原へ出た。

 馬に乗りたいところだが、ただでさえ動揺している戦士たちを脅かすかもしれない。オーリは、ゆっくりと歩く。

 何百メートルか行ったところで、草原に倒れこんだ。

 苦しい。

 頭が重く、胸が圧迫され、身体の震えが止まらない。

 ここまで、民を(うしな)うことが辛いと思うなどとは、正直予想していなかった。

 これは、自分一人のものではない。これは、風竜王の嘆きだ。

『代わりに自分が死んだ方が気が楽だ』

 先の高位の巫子の言葉を、苦く思い返す。

 何十分か経って、草を踏みしめる音が近づいてきた。

「……オーリ」

 気を使ってか、しばらく距離を置いていたアルクスが小さく声をかけてくる。

 数秒間、返事を待っていたようだが、口を開く気分にはならない。やがて、アルクスが再び声を発した。

「オーリ。死者を気にかけるな。戦で死ぬのは、弱い者たちだ」

 鋭く、顔を上げる。傍らに立ち、見下ろしてくる男は、死者に対する憐憫の欠片も表してはいなかった。

「……アルクス……」

「戦に勝って生き延びるのが、強い者たちだ。我らは強者であることを望み、戦いに赴く。だが、決して望まないことは、死ぬことではない。戦に負けて、なお生き延びることだ」

 男の剥き出しになった腕には、幾つもの刀傷が残っている。

「それは恥辱だ、オーリ。俺は、既に負け、そして逃げた。これ以上恥辱を繰り返したくはない。勇敢な巫子よ、どうか死者を哀れむな。それも、彼らへの侮辱だ」

 彼の言葉は、傲慢から出るのではない。

 小さく吐息を落し、上体を起こして、草の上に座る。アルクスの肩の上に、星が煌いていた。膝に頬杖をついて、それを見上げる。

「……私は戦士であったことがない。生き延びて欲しいんだよ。皆に」




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