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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
喪の章

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148/252

05

 その日、再びオーリは部屋を飛び出すと、真っ直ぐ鐘楼へ向かった。

 親衛隊たちは、胸壁から身を乗り出す高位の巫子に、気が気ではない。

 しかしオーリは、ただ東方から近づいてくる砂塵に視線を注いでいた。

 王都へ送り出した使者は、まだ辿り着いてもいまい。

 ソリドゥムの生き残りだったとしても、あの戦場は船で五日はかかる地だ。馬ならば、一ヶ月近くかかるだろう。

 同様の理由で、更に速度の劣る王国軍でもありえない。但し、〈魔王〉の率いていた軍に限定されるが。

 イグニシアは、既に軍を東西に分けている。もう一隊、別働隊があったとしても、不思議はない。

 嫌な予感ばかりが膨らんでいく。

 やがて、視力のよい親衛隊員が、フルトゥナの民だ、と叫ぶ。

 やや張り詰めた空気が緩んだが、それでも何故ここに、という訝しさは消えない。

「何人ぐらいだ?」

「ざっとではありますが、およそ千ほど」

 千人、とオーリが呟く。

 それは、かなりの脅威になりうる。

 ただでさえ、遊牧民と街の住民の間には意識の違いが大きい。氏族との間となると、敵意すら介在することもある。

 彼らはアーラ宮を取り巻く街の外れで一旦停止した。数名が、街の中へと進んでくる。

 オーリはようやく胸壁から身体を離した。

「一応、警戒は怠らないように。だが、絶対に露骨に振舞うな」

 親衛隊員に言明する。

 十中八九、彼らは竜王宮に来る。出迎える準備に、時間は掛けられない。


 竜王宮の正門前まで来たのは、四騎だった。訓練されたかのように、同時に馬を止める。

「エウテイア族、族長、カルディア及びアルクス、レシタル族、族長レギオ、ナヌリズマ族、族長の息子キクロス、風竜王の高位の巫子にお目通りを願いたく参った!」

 名乗りに、閉じられた正門の内側で、オーリが目を見開いた。

 緊張して指示を待つ門衛に、一つ頷く。

 がらがらと鎖が巻き上がり、巨大な正門が開いた。

 四騎は横に並び、騎乗したままで内部に入ろうとする。

 門衛が、すかさず槍でそれを留めようと動く。

 双方が、即座に敵意を膨れ上がらせた。

「いい」

 半ば溜め息を漏らしながら、オーリが制した。門衛がゆっくりと横に控える。

「申し訳ない。ここには、あまり戦士が(おと)なわれないもので」

 彼の言葉を聞いて、髪を剃り上げた頭に斜めの刀傷を持つ男が、にやりと笑みを浮かべた。

「勇ましき戦士のご来訪を、風竜王の高位の巫子オリヴィニス、心より歓迎いたします。天地の狭間全てに、風竜王のご加護があらんことを」

 片手を胸に当て、ゆっくりと頭を下げる青年に、周囲からざわめきが起きる。

「我らが儀礼に通じておられるようだ」

 低く、長い髪を一本に編んだ男が呟く。

「だがここは竜王宮だ。皆、こちらの流儀に応じるがよかろう」

 白い髭を蓄えた、最も年齢の高い男が告げ、四人はそれぞれ馬から下りた。

 一人、満面の笑みを浮かべた男がオーリに近づく。

「久しぶりだ、勇敢な巫子」

「無事でよかった。アルクス」

 固く、手を握り合う。

 二十日ほど前、オーリが東方へ向かった折に、イグニシア王国軍から敗走する彼と出会ったのだ。

「怪我の様子は?」

「おお、すっかり治ったとも。だが、傷痕も残らなかったから、あの戦に参加した時のものだと自慢できなくなってしまった」

 嬉しげに、しかし少し残念そうにそう告げる。

「加減できなくて悪かったよ」

 苦笑して、オーリは返した。

 白い髭の戦士が彼らに近づく。正直、年齢を感じさせるものはその白さぐらいで、彼の身体は未だ頑健だった。

「アルクスを救ってくださったことへの感謝をお受け頂きたい、高位の巫子。我が孫もあの戦いに参加しておったが、手傷を負い、他の者たちとはぐれ、あわや死ぬところであった。そこにアルクスが行き会い、生命(いのち)を拾ったのだ。貴方がアルクスを救ってくださらなければ、または手負いのままであれば、孫は生きて戻ってはこなかっただろう」

「全て、竜王の御心のままに。ご令孫がご無事で何よりです」

 うやうやしく、オーリは返す。そして、全員を一瞥した。

「このようなところではなく、竜王宮にて話を致しましょう。一応屋内となってしまいますが、風通しのよい部屋を選びましたから」

 草原の民は、閉塞感を酷く嫌う。戦士たちが僅かに笑みを浮かべたところで、エウテイアの族長がぴしゃりとそれを跳ね除けた。

「いや。そちらに移る前に、一度申し上げておくことがある。高位の巫子」

 オーリが小首を傾げる。

「何なりと、族長カルディア」

 しかし、内心は穏やかではない。

 感謝をされていることで、悪い知らせではないだろうと思うのは、楽観的にすぎるか。

 老族長は、ぐるりと周囲を見回した。その場は、風竜王宮親衛隊、風竜王の巫子たち、そして背後には、こちらを恐々と伺う街の住民たちに囲まれている。

「此度、イグニシアからの侵略に対し、我ら草原の民、氏族エウテイア、氏族レシタル、氏族ナヌリズマの全戦士は風竜王が高位の巫子、オリヴィニスにその指揮権を譲渡することを決定した。どうか我ら千百二十四の戦士を率い、邪悪なる敵を打ち破らんことを」

 その朗々とした宣言に、オーリが呆気にとられる。

 彼の表情など気にもしないように、戦士たちは揃って剣を抜いた。色めき立つ親衛隊を、ほぼ反射的にオーリは片腕を広げて押し留める。

 数歩、戦士たちは前に出て、横並びに立った。互いの動きなど見てもいないのに、同じタイミングで剣をぐるりと回転させる。そして切っ先を己が胸に向けると、動きを止めた。微動だにしないまま、オーリの返礼を待っている。

「……あー。いや、私は竜王の巫子だ。戦線に立つことさえ、前代未聞の立場にいる。誇り高い草原の戦士たちが、それを受け入れるだろうか」

「他の氏族を説き伏せたは我だ、高位の巫子。我らエウテイアは、相手のことを知らず、侮ったままに襲い掛かり、そして大敗した。一氏族だけでは、あれには勝てぬ。だが、我ら氏族の間にはそれぞれに溝があり、その中の誰かが全てを統率するということは不可能なのだ」

 カルディアがきっぱりと告げる。

「だからと言って……」

「お前ならできる、勇敢なる巫子。我ら戦士が逃げ去るしかなかった地へ、お前は単騎で駆け入り、そして無傷で生還しているではないか。その勇気と地位において、お前ならば我らを統率し、勝利を得ることができるだろう」

 アルクスがきっぱりと断言した。周囲で、ざわざわと驚いたような呟きが起きる。

 オーリが溜め息をついた。更に声を潜める。

「私は、戦士であったことがない。この場合の返礼をどうしていいか、判らないんだよ」

 アルクスが小さく苦笑する。

「剣の柄を右手で握るといい。ニ、三秒したら離せ。そうしたら、我々は剣を納める。その後、次の剣に向かうんだ」

 囁きに覚束ない表情で頷くと、オーリは言われたように動いた。族長たちは至極真面目な顔で、その後剣を納め、胸に手を当てて一歩下がる。

「さて、では……」

「では高位の巫子よ。我らが戦士に、お言葉を賜れれば有難い」

 露骨に遮る言葉に、親衛隊があからさまにむっとする気配がする。

 オーリを指揮官として迎えたい、と言いつつ、彼らは話の主導権を譲ろうとしていない。高位の巫子本人はともかく、彼の、そして竜王宮直属の武官である風竜王宮親衛隊には、少々面白くない流れだ。

 数秒考えて、オーリが口を開く。

「ならば我ら竜王宮、そして街の者たちにも聞いて貰おう。全て、我が竜王の民だ」

 不可解な言葉に、カルディアはきょとんとする。軽く会釈すると、オーリは背後に視線を向けた。

 そこには、アーラ宮が高く(そび)え立っている。

 軽く膝を(たわ)めただけで、次の瞬間には高位の巫子は二十メートル近くを跳んでいた。

 氏族たちが、息を飲む。

 巫子たちの中で、ノーティオが疲れたような溜め息を漏らした。

 大聖堂の扉の上、壮麗に飾られた臥梁(がりょう)の上部に立つと、青年は周囲を睥睨(へいげい)した。

 次の瞬間、街の外周部にいる戦士たちにまで届くほどの大きさで、彼の声は轟いた。


「我らが風竜王の子らよ! 現在、フルトゥナは未曾有の危機に陥っている。西より侵攻してきていたイグニシア王国軍は、東方からも我が国に侵略をかけていることが判明した。

 しかも、東からの軍を率いるのは、人間ではない。地獄より召喚された、〈魔王〉アルマナセルが、我ら民を、そして風竜王ご自身を滅するために近づいてきている!」

 これを知っているのは、アーラ宮でも一握りの巫子のみ。あとは、アウィスの竜王宮長だけだ。

 初めて耳にする情報に、街全体がどよめく。

「しかし我が民よ。風竜王は、御自ら彼らを征伐されたりはしない。そもそも、竜王は人の世に関与しないものなのだ。

 理不尽に思う者もいるだろう。絶望に揺れる者もいるだろう。

 だが、よく考えよ。もしも我らのために竜王ご自身が人の世に干渉すれば、それは他の竜王にも同じことができる、ということになる。竜王が地上で相争えば、まもなくこの世界は塵芥(じんかい)に帰すだろう。それ故に、竜王は人の世に介在しない。何があろうとも。故に、我ら巫子が人と竜王を繋ぐ為に存在するのだ」

 数年前、先代の巫子と蒐集した歌の中に、似たようなものがあったことをぼんやりと思い返す。

 だがその思い出は、すぐに先代の巫子を失ったときのものに取って代わられた。

 あの時の理不尽さと、絶望と、憤りを、彼は全て竜王にぶつけ、問い質し、やがてこの結論に至ったのだ。

 竜王は、民に対して決して薄情だという訳でもなければ、彼らを失って苦しまない訳ではないのだと。

「しかし、イグニシアはその理の裏をかき、火竜王ではなく、〈魔王〉をこの世に顕現させた。奴は一心に、目的に向かって進むだろう。我が民を虐殺し、草原に火を放ち、都市を壊滅させて。

 私は、誇り高き草原の民、勇敢なる氏族たちと共に、王国軍を食い止めるべく戦いに行く。

 心せよ。常とは違い、竜王宮は安全ではありえない。アーラ宮は王国軍の最終目的地であり、この街は敵に囲まれる可能性が最も高い。

 我が民よ、我が竜王の愛する者たちよ。どうか、我らが勝利の声を上げるその時まで、安全な地で生き延びて欲しい。

 風竜王は、皆を一人たりとも失いたくはないのだから」




「千百二十四名、と言っても、全てが戦士だという訳ではないのだ。相当数の、子供や女が含まれている」

「何故です?」

 街の外に作られた野営地を歩く。

 族長の説明に、オーリは不審を覚えた。

 氏族の戦士は、基本的に成人男性のみだ。戦場に、女子供は連れていかない。

「彼らは身が軽い。伝令に向いている。今は三氏族のみしか声をかけられなかったが、しかしこの先、他の氏族の協力を得なくてはならなくなるだろう。何せ、奴らは数が多い」

 眉を寄せ、カルディアは苦々しげに告げた。

 数秒沈黙して、オーリが口を開く。

「その伝令を、幾人か借りてもいいだろうか。各地の竜王宮に使いを出したいのだが、我らの馬では遅すぎるのだ」

「無論だとも、我らが巫子」

 二つ返事で、要請が了承される。

 通常の戦乱のように、竜王宮に戦禍を避けてくる民がいることは想像に難くない。

 だが、今回ばかりはそれを拒まなくてはならないのだ。

 そして、王国軍が竜王宮自体へ攻撃をかけることはほぼ確実だ。民と共に、巫子たちを避難させることも考えなくてはならなかった。



 深夜になっても、執務室には灯りが点っている。

 オーリが、各地へ向かわせる使者へ持たせる密書を書いているのだ。

 他国に比べて街の数が少ないとはいえ、それなりにはある。まずは〈魔王〉の進軍ルートの近辺から優先するべきだ。

「お前の思う通りになったな」

 近くの卓で密書の写しを作りながら、ノーティオが話しかけてきた。

「予想以上だよ。ソリドゥム族がここに来るまで待たなくてはならないかと思っていた」

 かり、と羽ペンが羊皮紙に引っかかり、小さくインクが飛ぶ。

 アーラ宮に戻った当初、オーリは王国軍に対して竜王宮が戦いに立たねばならない、と力説した。

 無論、フルトゥナ王国の兵を回して貰うのが大前提ではある。だが、それらは今、殆どが西方からの侵略に対応していて、即座に東へ向かうのは困難だ。

 東方の氏族であるソリドゥム族に、アーラ宮に来るようにと命じたのは、それを考えての策だった。

 しかし、手痛い敗北を喫したソリドゥム族が、オーリの要請に応えて他の氏族と共にアーラ宮に来るとしても、まだ十日以上はかかるだろう。来ないことだって、充分考えられる。

 そして竜王宮の長老たちは、竜王宮が戦いに立つ、ということに酷く反対していたのだ。

 代案など出もしないのに。

「問題なのは、〈魔王〉に対処できるのは実質私一人だということだ。氏族の方から指揮に加えて貰えれば、多少の横車も押せる。親衛隊も、アーラ宮の警備の方に回せるし、慣れない草原での戦いに出なくともいい」

「それなんだが、お前を一人で戦いに行かせる訳には」

「心配いらない。氏族の戦士は、戦闘に慣れている。私に危険はない。まあ、さほどは。負けた場合は、そりゃあ生きてはいられないだろうが、その時はどうせお前も同様だ。気にするな。勝った場合も、多分私は生きていないだろうけどな」

 途中、あからさまに嫌そうな顔で話を聞いていたノーティオが、更に眉を寄せた。

「どういう意味だ?」

「邪魔になるからさ。王家は面子を潰されるし、氏族としても、私を上に戴いたなんて、汚点になるだろう。竜王宮にとっても、戦線に立つ高位の巫子など、とどれだけ反対された? 多分、殺されて、私はいなかったことになるな」

「……お前は、そんなことを考えて」

 掠れた声に、オーリは肩を竦めた。

「民の存亡に関わる非常時だ。私がどうなろうと、民が生き延びることが何より大切なんだ。生きていさえすれば、可能性は幾らでもある。……私は、今自分の生命(いのち)を惜しんで風竜王に見放される方が、よほど怖いよ」




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