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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
喪の章

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03

「……地獄」

 小さく呟く。

「ええと……つまり、その、人間では、ない……?」

「うむ。見れば判るであろうが」

「いや悪いけど殆ど何も見えないんだ」

 天幕の中は闇に包まれている。少々目が慣れて、陰影程度は判るようになっているが。それに、闇に輝く〈魔王〉の眼の表情ぐらいは。

「ひとというものは、本当に何もできぬものだな」

 少し呆れたように呟かれる。

 むっとしたオーリは、次の瞬間、眩い閃光を浴びせられて、反射的に顔を庇った。

「なに……!?」

「暗かったのだろう」

 数秒ほど時間が経つと、何とかその光にも目が慣れる。

 おそるおそる目を明けると、彼らの頭上、天幕の屋根の近くに、光り輝く何かが浮かんでいた。拳程度の大きさの球形のものの周囲を、楕円を描くように幾つか光の粒が動いている。

「な……」

「これが魔術だ。大したことではない。おまえたちひとにはできぬことらしいが」

 心なしか得意げに、〈魔王〉が告げる。何気なくそちらに視線を向けて、再度オーリは息を飲んだ。

 傍にいる〈魔王〉の姿を、初めてまともに目にしたのだ。

 年齢は、二十代後半か。オーリとさほど離れてはいない。

 だが、黒い軍服を身につけたその身体は、ひどくがっしりしている。どちらかといえば優男と評される高位の巫子とは違う。それは、武器を振るう身体だ。

 髪は闇に溶けるのも不思議はないほどの漆黒で、癖がかかっているらしくあちこちはねていた。瞳は、人間ではありえない、淡いラヴェンダー色に染まり、好奇心に満ちてこちらへ向けられている。

 そして。

「それ、は」

 震える指を、〈魔王〉へと向ける。

 彼のこめかみから生え、ぐるりと曲線を描いて頬の下辺りで鋭く尖った先端をこちらへ向けている、白灰色の、角へ。

「ああ、角だ。立派だろう?」

 自慢げに笑みを浮かべ、そう説明する。

「本物、なのか?」

「勿論だ。おまえたちには生えていないのだな。初めて見たときには驚いたぞ」

 こちらは初めてのことばかりだ、と楽しげに笑う。

 オーリは、風竜王と数年つきあっている。人の世にあらざることに対しての許容値は、他の人間よりは高い筈だ。

 しかし、流石に動揺を隠せない。

「まさか、そんな。悪魔だって? 『地獄』から召喚された? 何のために!」

 殆ど何も考えずに、口走る。

 〈魔王〉は、素直にそれに答えてくる。今までと同じように。

 こんなこと、訊かなければ、よかったのに。


「ああ、何でも風竜王とやらと、それに仕える民を皆殺しにしろということだ」



 顔から血の気が引いて、上体がふらりと傾ぐ。

「おい、吟遊詩人?」

 〈魔王〉の声が、僅かに遠くなる。

 俯いて、片手で頭を支えた。

「どうかしたのか?」

「何でもない。その、少し緊張していて」

 半ば上の空で、言葉を返す。

「ああ、ひとにはよくあるらしいな。わしも、卒倒する人間を何度も見た」

 一人納得する〈魔王〉から顔を隠し、ひたすら思考を巡らせる。

 ゆっくりと顔を上げると、やや心配そうに〈魔王〉はこちらを見つめてきていた。

「その……、〈魔王〉、」

「アルマナセルだ。アルマでよい」

「……アルマ。どうして、そんなことをしに?」

 恐る恐る口にした問いに、相手はやや眉を寄せ、胸の前で腕を組んだ。

「それに関しては、契約の範疇に入ってしまうのでな。口外できんのだ。受諾した理由なら話せるが」

「それは?」

 せめて、と更に追求する。

 アルマは、突然ぱっと表情を明るくした。

「レヴァンダが、とてつもなく愛らしかったからだ!」

 予想しえなかった答えに、ただでさえ上手く働かない思考がついていかない。

「……レヴァンダ?」

「イグニシア王国とやらの、王女だ。ザラームのような髪、カルーフの角の先端のように白い肌、熟れたファラウラのような唇。煌く瞳は、まるでシャラールのように燃えている」

「……ごめん。さっぱり判らない」

 形容する単語が、聞いたことのないものばかりで、オーリは戸惑ったまま告げた。

 アルマがやや肩を落す。

「うむ。レヴァンダにもそう言われて笑われた」

「あ、でも、流れはなかなかいいと思うけど。詩人じゃないか、アルマ」

 初めて見た、アルマの気落ちした様子に、反射的に慰める。

 彼には気分よく話して貰わなくてはならない。

「それは、既にレヴァンダを讃える詩があったからな。わしが考えた、レヴァンダにふさわしい言葉を嵌めこんでみたのだ。もともとのものは、レヴァンダが読んでくれた」

「……ひょっとしたらそれ恋文なんじゃないかな……」

 小さく呟く。

 きょとん、とする相手に、苦笑した。

「まあそれはいいや。その、イグニシアの王女がどうしたって?」

「ああ。この契約を果たせたなら、王女を(めと)ることができるのだ」

 明るい、誇らしげな顔で、アルマは断言した。

「その、ために、フルトゥナに?」

 口の中が渇いて、声が掠れる。

「ああ。わしがこの剣を持っておれば、竜王とやらもひとたまりもなかろうよ」

 自慢げに、アルマは背後から一本の剣を取り出した。

 それは、刀身の長さが精々一メートルばかりの、所謂ブロードソードと呼ばれる種類の剣だ。エウテイア族のアルクスが話していた、身の丈ほどの剣とは程遠い。

 しかも、アルマ自身の背丈も、人と比べればやや長身の部類である、程度だろう。

 人は恐怖に駆られると、その対象を酷く大きく感じてしまうという。

 戦場での〈魔王〉アルマナセルは、それほどに恐ろしいものだったのか。

「この戦いが終わったら、こやつの銘は〈竜王殺し〉となるだろうな」

 満足そうに、アルマが呟いた。

 ぎし、と奥歯が軋む。

「どうした、吟遊詩人」

 アルマの言葉に、ゆっくりと溜めこんだ息を吐きだした。

「いや。話をありがとう、〈魔王〉アルマナセル。いい歌が作れそうだよ」

 それとなく話を切り上げようとしたところで、〈魔王〉は無造作にオーリの手首を掴んだ。

 固く握りしめられたその指を、振り解けそうにない。

「ここまで話をさせておいて、まさかただで帰るつもりではなかろう、吟遊詩人?」

 そのラヴェンダー色の瞳が煌いて、オーリは背筋が粟立つのを押し殺した。



 馬は、数キロ離れた場所に繋いでいる。

 野営地を出て、そこに辿り着くと、オーリはとりあえず夜明けまで眠った。

 王国軍が進みだした頃には、もうこちらの準備は整っている。

 そろそろ、食料が乏しくなってきていた。どこかで兎でも仕留めるのは簡単だが、少し離れたぐらいでは肉を焼く煙が王国軍の目に入るだろう。

 どうしたものかな、とゆっくりと馬を進めながら考える。

 軍隊の移動速度は、酷く遅い。

 苛立ちを押さえつけて、オーリはそれに合わせて進んだ。

 のろのろと、太陽は中天を過ぎ、そして地平線に沈む。

 充分に暗くなるのを待って、彼は今夜も動き出した。


 目指したのは、野営地から少し離れた岩山だ。この辺りの草原には、大抵どこかにある。

 岩の陰に身を潜め、じっと待つ。

 やがて、足音が聞こえてきた。

 少なくとも、十。

 小さく舌打ちする。

 おうい、と〈魔王〉の声が轟く。

「アルマナセル様、何故このようなところに」

「お待ちください、今周囲を探索させますので」

「必要ない。黙っておれ」

 そしてまた、呼ばわる声がする。

 小さく溜め息をつき、オーリはそっとその場を離れた。



 憮然として〈魔王〉が野営地に帰ってきたのは、もう夜半を越えた頃だった。

 天幕に一歩踏み入れて、眉を寄せる。

 闇の中、潜めた声が放たれた。

「……君は、莫迦か?」


「吟遊詩人? なぜこんなところに」

 〈魔王〉の声は、苛立ちに満ちている。

 昨夜、彼は侵入者の疑問にほぼ全て答えた見返りとして、こう要求した。


──おまえの歌を聴かせてほしい。


 そこで、オーリは、翌日の夜に野営地近くの岩山で落ち合うことを提案したのである。

「どれだけ待ったと思っているんだ」

 アルマは、おそらく最大限に忍耐を酷使している。

 だが、オーリにも言いたいことは山ほどあった。

「私だって待っていた。君が、あんなに兵士を連れてくるまではね」

「兵士?」

 アルマの声が、訝しげになる。

「見つかったら酷い目にあわされる、と言っただろう。忘れたのか?」

「それは……覚えているが。この軍の中でだけだと思っていた」

「外でも、だ」

 苛立ちを抑えながら、告げる。

 王国軍の目的がフルトゥナの民の殲滅(せんめつ)と竜王宮の壊滅である以上、一般の民ですら、捕らえられれば生命(いのち)はないだろう。まして、オーリは高位の巫子である。どのような目に合うか、想像もしたくない。

 だが、そのあたりを逐一アルマに説明するつもりはなかった。

 彼はこちらの世界に疎い。それが、オーリにとって少しばかり有利となるだろう。

 必要な事項だけを忘れずにいてくれれば、それでいい。

「それは……、悪かった。思い至らなかったのだ」

 少しばかりしょんぼりした声で、アルマが謝罪する。

「……まあ、私も、絶対に一人で来るようにと言っておかなかったしな」

 素直な言葉に、オーリも少し譲歩する。

「では、今夜はもう無理か?」

「ああ。明日か、明後日か……。君が、一人でも兵士を連れてきたら、私は姿を見せないよ」

「難しいな。わしは、どうやら酷く目立つらしいのだ。こっそり野営地を抜け出そうとしても、誰かに見つかってしまう」

「……だろうね」

 渋る言葉に、力なく同意する。

「しかし、おまえの歌が聴けるというのなら、努力しよう」

 アルマは気持ちを切り替えてそう告げた。

 前向きすぎる。

「君は、どうしてそこまでして、私の歌を聴きたいんだ?」

 ふと、不思議に思って尋ねる。

「歌というものは、凄いものだ。こちらに来て、色々と素晴らしいものに巡りあったが、その中でも二番目に凄い」

 数秒間、言葉を切る。

「……一番目はレヴァンダだ」

「うん、予想はついてた」

 あっさりと返されるのに、しかしアルマは嬉しそうに、そうだろう、と返す。

「それが、レヴァンダの元を離れてもう数ヶ月だ。寂しくもなるだろう!」

「ええと、歌の話をしていたんだよね?」

 あからさまに会話を元に戻す。

「うむ。レヴァンダの傍にいるときは、望めば常に音楽が奏でられていた。それが、このような軍に囲まれていてはそのような待遇は望めないなどと、あやつから説明されなかったのだ!」

 それは、説明されないと判らないことなんだなぁ。

 呆れて、オーリが沈黙する。

 その相手が誰か、ということを、彼はこの時に訊きそびれていた。

「だが、この契約が果たされれば、わしはレヴァンダと共に、素晴らしいものに囲まれた生活を送ることができるのだ」

 まるで夢見るような口調で告げられる。

 そのためには、フルトゥナの大地が民の血で満ち溢れるというのに。

 呼吸を乱れさせないよう、意識を保つ。

「まあ、それじゃあ明日の夜。くれぐれも、一人きりで来てくれよ」

 会話を切り上げたオーリを、アルマはさほど不審にも思わなかったようだった。



 話を聞きだした礼のために、彼に歌を歌うのではない。

 ただ一人であれば、そして充分に油断させれば、相手が〈魔王〉であっても、オーリが生命(いのち)を奪うことができるかもしれなかった。

 〈魔王〉さえいなければ、あとは人の軍である。対処は可能だ。

 オーリは、(くら)い希望に縋り、荒野の中で一人、眠った。




 当然のことだが、彼らの野営地外での逢瀬は上手くいかなかった。

 毎夜抜け出そうとする〈魔王〉は野営地を出る前に見咎められる。その都度兵士を威嚇するも、仕官レベルになるとそれも上手くはいかない。

 彼が頑として理由を言わなかったために、それは単純に〈魔王〉の奇行として片づけられた。

 やがて、アルマの天幕自体を見張る兵士が増える。

 オーリは、野営地にすら侵入できないことが増えた。

 まあそんな時はさっさと諦めて、昼間に狩っておいた獲物を少し離れたところで調理していたりしたが。

 夜間であれば、煙もそう目立たない。

 時間が過ぎる、ということだけが苛立たしい。

 このまま、むざむざと王国軍の侵攻を許している形になることが。



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