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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
喪の章

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145/252

02

「悪魔?」

 馴染みのない単語に、訊き返す。

「ああ。カタラクタとの国境を越えてきた。五万ほどの軍勢だ」

「五万だって?」

 単純に、その数の多さに驚く。

「ああいや、そもそも、その軍はどこから来たんだ? カタラクタの領主たちが、この騒ぎに乗じて侵攻してきたのか?」

「そうじゃない。あの旗は、イグニシアの軍だ」

 きっぱりと言い切られて、眉を寄せた。

「じゃあ、船でやってきたか。にしても、わざわざカタラクタ側からくる意味は何だ?」

 船であれば、真っ直ぐ湖を横切ればいい。小さく呟くが、男は苛立たしげに首を振る。

「いや。我々も、流石にそれは警戒している。イグニシアからの船が見えたら、もっと早くにそれと判った筈だ。あんたがいたのがアーラ宮なら、湖を行く船団は上から見えた筈じゃないか?」

 それは、確かにそうだ。最上部の祭壇の間からは、四方が見渡せる。五万の兵と馬を乗せるとすると、船は一体何艘必要なものか。港に集められた時点で、それと判るほどに目立つだろう。

「だから、少なくとも奴らは陸を歩いてここまで来ている」

「だとすると、出発したのは最低でも三ヶ月前。冬の最中だ。そんな時に、あのクレプスクルム山脈を越えたって言うのか……?」

 低く呻く。世界の背骨たる山脈の厳しさは、ここフルトゥナにも流布している。

 それは、少なくとも事前にカタラクタの協力を得ていた、ということだ。領主どころではない、おそらくは王国自体から。

 焦燥に、唇を噛む。

「境界を儀式も経ずに越えた時点で、相手は敵だ。我々は、それを知ってすぐに戦士を集め、襲いかかった」

「……五万の軍に?」

 五万、と言っても、それだけの数の人間はオーリも見たことはない。だが、一つの氏族が抱える戦士は、せいぜい二、三百。それも、全てが集まったら、の話だ。

「まあ確かに無謀ではあった。だが、あの悪魔がいさえしなければ、いい戦いになった筈だ」

 僅かに謙虚さを見せて、男が頷く。

「悪魔、か。それは何者だ?」

 最初の問いを繰り返す。男はやや顔を青褪めさせた。

「少なくとも、人間とは思えない。身の丈は三メートルほどに及び、凄まじい筋肉を持ち、巨大な剣を振り回していた。何より、角を生やしている」

「角?」

 オーリが唖然とする。何と言うか、それは、あまりにも荒唐無稽だ。

 だが、男の表情は真剣だ。

「それが、剣だけでなく、妖術も使うんだ。空から炎の塊が降り注ぎ、その一つにつき、少なくとも十人は丸焼きにされた。雷が落ち、地面が割れ、戦士を飲みこんだ後、それがまた閉じる。いくら矢を射かけても弾かれる。あんたが、先刻(さっき)やったように。あれは人間じゃない。化物だ。悪魔だよ」

 この世の中で、人ならざる力を行使できるのは、竜王の高位の巫子のみだ。

 火竜王カリドゥスの高位の巫子は、一年ほど前に代替わりしている。確か、まだ十歳にも満たない子供だった筈だ。クレプスクルム山脈越えに連れ出すには、あまりに過酷な行軍だろう。

 また、水竜王フリーギドゥムの高位の巫子とも考えられなくはない。だが、カタラクタ王国はそこまで協力するだろうか。だとすると、一体どのような見返りを約束されたのか。

 考えこんだオーリを、先ほどよりは少しばかり落ち着いた様子で男は眺めた。

「あんたも早いところここを逃げ出した方がいい。我らが戦ったのは、三日ほど前だ。あの悪魔がいても、軍隊の行軍速度までは速くできない。このまま逃げ続ければ、何とかなるだろう」

「気持ちは嬉しいが、私は逃げるためにここに来たわけじゃないんだよ。その軍を止めなければ、どちらにせよ民が喪われる」

 ぽん、と男の肩を軽く叩く。

「情報をありがとう。どうか、無事で」

 そして、彼の横を通り抜けて、東へと馬首を向ける。

「……おい!」

 しかし背後から呼び止められて、振り返った。

 男は、何かを言い出したそうにしながら、しかし言葉が出ない様子で、オーリを見つめている。

 風竜王の巫子は、じっとそれを待った。

 やがて、男は諦めたかのように僅かに肩を落とし、口を開く。

「……俺は、アルクス。エウテイア族の、アルクスだ。名前を聞いておきたい、勇敢な巫子」

「オーリだよ、アルクス。家名はない。貴方が無事に氏族に合流できることを祈っている」

 軽く片手を振り、今度こそオーリは草原を走り出した。




 戦ったのが三日前とするなら、フルトゥナの馬の速さを考慮に入れても、一日も行けば遠目に見ることができるだろう。

 オーリのその判断は、空振りに終わった。

 彼は軍の、しかも何万もの兵の移動速度の遅さを判っていなかったのだ。

 結局、ようやく彼らの野営地の傍まで行くことができたのは、二日目の夕刻だった。


 フルトゥナの草原には、岩山が多くある。

 そこに生える、ひねこびた木々が点在する中に身を潜め、オーリは野営地を見下ろした。

 広い。

 オーリは文字通り開いた口がふさがらなかった。

 野営地の一辺は、一キロほどはあるだろうか。整然と兵士たちの天幕が建てられ、何百台もの荷馬車が連ねられ、食事の準備がそこここで始まっている。

 兵士の姿が、まるで蟻の隊列のように無数に見えて、目眩がした。

 これに数百の戦士で挑みかかるとか、エウテイア族は無謀にもほどがある。

 ともあれ、気を取り直してイグニシア軍の声を聞き取りにかかる。

 高位の巫子に即位して既に数年。最初のうちはただ雑多に彼の中に流れこんできただけの音も、今ではかなり選別できるようになり、しかも把握できる距離も延びている。

 野営地に溢れる中で、最も多いのは不満の声だった。

 こんな遠い土地まで連れてこられたこと。強引に雪山を越えたことで、少なからず犠牲者がでたこと。戦いで死んだ者たちへの悼み。戦いで、死ぬかもしれぬことへの恐怖。

 そして、続いては指揮官に対する畏怖だ。

 〈魔王〉アルマナセル。

 彼らの声は、そう囁いていた。


 さて、と考えこむ。

 イグニシアの王国軍が、東からも侵攻してきていることはほぼ確実だ。

 王室へ連絡し、迎え討つように進言すべきだろう。

 基本的には、竜王宮は国内外に関わらず、戦いには関与しない。

 竜王が、人の世には関わらないように。

 それは人の世の方もよく判っており、どれほど激しい戦いになったとしても、竜王宮は不可侵の存在となっていた。

 しかし、不確定要素がある。

「〈魔王〉アルマナセル、か……。魔王ねぇ」

 聞いたことのない二つ名だ。が、威圧感だけは凄まじい。

 彼が、本当に人ならざる業を使うのであれば、それは確認しておかなくてはならないだろう。

 〈魔王〉アルマナセルの天幕は、すぐに判明した。

 一際大きく、周囲に広く空き地が取られ、兵士があまり寄りつかないところだ。

 少しばかり不審ではあったが、しかしそれは好都合でもある。

 オーリは、深夜になるのを待って野営地に侵入した。


 歩哨(ほしょう)に立つ兵士の位置は、無言であっても、足音や呼吸音で大体把握できる。

 ひっそりと、青年は陰から陰へと移動していく。

 数回、ひやりとする場面はあったが、何とか見つからずに〈魔王〉の天幕へと近づけた。

 それは、最も数の多い、おそらく一般兵士の使う天幕の三倍は広い。その中には、一つの呼吸しか聞き取れなかった。

 それから離れた面へと移動して、地面に防水布を打ちつけている杭を数本、そっと抜く。

 そして、静かに天幕の中へと潜りこんだ。

 内部は酷く暗い。蝋燭の一本も点ってはいないのだ。天幕の外に燃えている松明の光が、ほんの僅か、ぼんやりと周囲の形を浮き上がらせていた。

 もう、眠ってしまっているのだろうか。

 天幕の主の呼吸に、乱れはない。

 内部を仕切る垂幕に向かい、床を這うようにして進む。幸い、柔らかな絨毯が敷かれていて、物音は全く生じない。

 もうすぐ、垂幕に手が届く、という瞬間。

 〈魔王〉とオーリを隔てるその障害物が、一瞬にして消えた。


「……っ!?」

 驚愕に、息を飲む。

 垂幕を中央から押し広げ、その奥の闇の中から、彼の視界を遮るように、大きな掌が迫る。

 それは反射的に立ち上がりかけたオーリの喉を掴み、力任せに床へと押し倒した。

 そのまま体躯を押さえつけるように馬乗りになってくる。みしみしと、身体の骨が軋み、声も出せぬままに空気を求めて喘ぐ。

「なんだ、おまえは」

 低い声が頭上から降ってきて、何とか薄目を明けた。


 把握できたのは、闇に溶けるような黒い身体だった。

 全身を包む衣服と、ぼさぼさにはねる髪。影になっていてその顔はよく見えないが、紫色の瞳だけがこちらを見据えてきているのが判る。それからは僅かな戸惑いと興味とが感じられたが、幸い、殺意といったものは見て取れない。

 そして、顔の左右にある、奇妙な薄白い……。

「なんだ?」

 ぐっ、と手に力を入れられそうになって、慌てて口を開く。

「私、は、……吟遊詩人だ」


「吟遊詩人?」

 咄嗟に告げた言葉を、きょとん、とした口調で相手が繰り返す。

 と、その瞳がぱあ、と見開かれた。

「知っているぞ! 前にレヴァンダから聞いたことがある。音楽を奏でて歩く人間のことだな? 聴かせろ聴かせろ!」

 予想外の反応に、オーリは二の句が告げない。

 一体自分は今どんな状況にあるのか、心の中で思わず再確認してしまったぐらいだ。

「ええと……。その、ちょっとどいては貰えないだろうか」

 とりあえず、忍びこんだ先にいた〈魔王〉らしき男に組み敷かれつつも、今は敵意はさほどない、と見て、頼んでみる。

「なぜだ?」

 だが、〈魔王〉は更に問いかけてくる。

「……苦しいんだ。とにかく、重い」

 率直に答えた。

 賭けではある。だが、この答えに気をとられて、オーリが侵入者である、ということに思い至らない、という可能性もあったのだ。

 勿論、それは相手がよほどの莫迦である場合だが。

「おお、そうか。こちらには、『重力』があったのだったな」

 一人で得心すると、〈魔王〉はあっさりと手を離し、オーリの横にどっかりと座りなおした。

 かなりの莫迦かもしれない。

 溜め息をつきつつ、ゆっくりと上体を起こす。

「さあ、どいたぞ。はやく聴かせろ」

 期待に満ちた声で急かされる。

「あー……。無理だ。できない」

 対応に困って、拒絶する。

「なぜだ?」

 声に、僅かな苛立ちが滲む。

「私は今リュートを持っていないから、満足な演奏ができないんだ。それに、ここで歌う訳にはいかない」

「なぜだ?」

 声に、更に険が混じる。

「……兵士に見つかったら酷い目にあわされるからだよ」

 よし。図体は大きいが、相手を子供だと思おう。半ば自暴自棄になりながら、オーリは辛抱強く説明した。

 利点はある。相手を、こちらのいいように説得できるかもしれないのだ。

 〈魔王〉は大きく頷いた。

「なるほど! おまえ、敵なのだな!」

 失敗した。


「アルマナセル様? いかがなされました?」

 天幕の外から声がかけられる。

 オーリが、目に見えて身体を震わせた。

 失敗した。

 目の前に、少なくとも戦士である大男が一人、天幕の外に兵士が一人。この状態で逃げおおせることは酷く難しい。

 最悪、何とか天幕の外に脱出できれば、跳躍してこの場は逃げられるだろう。だが、それはイグニシア王国軍に風竜王の高位の巫子が侵入したのだ、と喧伝するに等しい。

 狼狽するオーリの横で、〈魔王〉アルマナセルが声を轟かせた。

「なんでもない。わしの傍に近寄るな、と言ってあるはずだ。わしの眷属に喰われてしもぅても知らんぞ」

 小さくひきつれたような声を漏らし、兵士はぼそぼそと謝罪を呟いて離れて行った。

「……どうして……」

 囁くような言葉に、〈魔王〉は首を傾げた。

「酷い目に合わされるのだろう?」

 不思議そうな口調に、苦笑いが浮かぶ。

「……変な人だな」

「よく言われるんだ」

 更に不思議そうに、〈魔王〉は返した。

「それはそうと、歌えない吟遊詩人が、どうしてこんなところにいるんだ?」

 僅かに迷うが、口を開く。

「貴方に会いに来たんだ」


「わしに?」

 訊き返してばかりの〈魔王〉に頷く。

「噂で、〈魔王〉と呼ばれる人間がこの軍を率いている、って聞いてね。詳しく話を聞けたら、素晴らしい歌が作れるかもしれないからさ」

「そんな理由で、軍の中に入ってきたのか? 酷い目に合うかもしれないのに?」

「吟遊詩人というのは、そういうものだ。歌のために生きている」

 肩を竦めて、そう答えた。

「そうか。それはいいな。わしは、こちらに来てから初めて歌というものを聴いたんだ」

「え?」

 信じられない言葉に、つい訊き返す。

「あれは凄いものだな。凄く、凄いものだ。そのために生きる、というのもよくわかる。よし、協力しよう。わしの勇壮さが歌で広まれば、レヴァンダも少しは感じ入るものがあるだろうしな!」

 嬉しげに笑って、〈魔王〉は頷いた。

「さあ訊け! 何から知りたい?」

 何だか訳が判らないうちに、事態が上手いこと運んでいる。少々混乱しつつも、今のうちにできるだけ情報を仕入れるべきだ、と思い直してオーリが口を開く。

「ええと……。とにかく、貴方は何者なんだ? 〈魔王〉という二つ名を持つ者は、今まで話に聞いたことさえなかった」

「うむ。それは当たり前だろうな。わしは、しばらく前にこちらに来たところなのだから」

「こちら?」

 今までにも、幾度か出た言葉だ。何となくフルトゥナかと思っていたが、どうも少し感じが違う。

 〈魔王〉がこともなげに続けた。

「ああ。半年ちょっと前に、召喚された。わしの出身は、こちらで言うところの、『地獄』となる」



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