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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
滅の章

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142/252

18

 そのような日々が、五日ほど過ぎる。

 深夜、また自室に戻って資料を探すため、オーリは階段をよろよろと下りていった。

 昼間は竜王宮の仕事に慣れるため懸命に学び、そして夜は風竜王と向き合う。

 自然、オーリは疲れが溜まっていた。

 段を踏み外しかけて、ひやりとする。

 鼓動が大きくなるのに、胸を押さえながら、その場に留まった。

 いっそディアクリシスの手記を、全て神殿に移動させた方が楽だろうか、などと思っている時に。

 暗い通路の先から、静かな足音が聞こえてきた。


 警戒心を持って、息を潜め、身動きを止める。

 相手はゆっくりと近づいてきて、やがて自分に気づいたようだった。

「……オリヴィニス様?」

 躊躇うような声に聞き覚えがあって、身体から力を抜いた。

「ノーティオ」

 名前を呼んだことで、彼はそのままこちらに向かってきた。が、ふと途中で立ち止まる。

「具合が悪いの……ですか?」

「え? あ、いや」

 胸を押さえたままの格好だったことに気づき、慌てて真っ直ぐに立つ。

「何でもないよ」

「無理をされている、と聞いていますよ」

 非難するような口調に、溜め息をついた。

「ノーティオ。お前まで、俺にそんな仰々しいことを言わないでくれ」

「私は他人に敬意を表せる人間なんです」

 さらりと嫌味を向けられて、苦笑した。

「俺が望んでいても?」

「身内から敬意を向けられない相手が、外から敬意を持って扱われるとお思いですか? しかも、それは竜王宮全てが侮られるということです」

 幼くして竜王宮に入ったとはいえ、貴族の息子はやはり考え方が政治的だ。降参、というようにオーリは両手を小さく挙げた。

「それで? とうとう俺に文句を言いに来たのか?」

 アーラ宮に仕える者たちの前で啖呵を切って以来、彼らは実に静かなものだった。忙しさに紛れてはいたが、それでも肩透かしをくった感は否めない。

「苦情を言いに来たんです。文句じゃない」

 少し強く、ノーティオは返してきた。

「何が違……」

「毎日のように、風竜王を召喚されないでください。竜王の存在感が、どれほど皆を動揺させているか、ご存知ないのですか?」

 遮って苦情を告げられる。少なくとも、敬意を持たれているようには思えないな、と考えつつも、腑に落ちなくて、繰り返す。

「動揺?」

「竜王の存在感は、普通の巫子には重過ぎます。夜の間ずっと顕現されていて、身体の不調を訴える者も出ているぐらいです。……それに、我々はほんの少し前に、先の高位の巫子を失っているんですから」

 後半は僅かに沈んだ声で告げられた。

「ああ。竜王が顕現しているのに、俺が死んだ訳でもないから、がっかりするのか」

「オリヴィニス様」

 咎めるように、ノーティオが名前を呼んだ。

「別に、隠すこともないだろう。俺がこの地位にふさわしいなんて、一体誰が思っている。俺自身が、そんなこと信じられる訳じゃない。……お前だって、悔しい、と言っていたじゃないか」

 ノーティオが明らかに怯んだ。

 だが、オーリが即位して以来、彼が不満を漏らしたのは一度きり、その一言だけだ。驚異的な自制心と言っていい。

 一体誰がそれをオーリに知らせたのか、と、勘繰らなかった訳がない。

 だが、公正なるノーティオは、小さく吐息を漏らした。

「それは、悔しい。当たり前じゃないか。もっと、経験を積んでいて人徳のある巫子が選ばれたとかなら、当然だとも思えたさ。けど、お前だ。何故、お前なんだ? 入宮して五年しか経っていない。なら、俺が選ばれてもよかったじゃないか。お前はディアクリシス様の覚えはめでたかったかもしれないが、高位の巫子は別に指名制じゃない。それとも、実はそうだとでも言うのか?」

 自棄気味に、ぞんざいに言葉を吐き出してくる。オーリは小さく肩を竦めた。

「違う、と思う。少なくとも、竜王はそうは言っていなかった」

 簡単に返された言葉の意味に、水を向けていながらノーティオは怯む。だが、無造作にオーリは続けた。

「多分、俺が一番その理由を知りたいと思っているだろうな。今までにも、何度か訊いてみた。信仰心か? 忠誠心か? 勇敢さか? 狡猾さか? 慈愛深さか? 決断力か? どれも、俺より優れている人間は山ほどいる。だが、竜王はどれでもない、と決めつけた」

「どういう、ことだ?」

 眉を寄せ、ノーティオは尋ねる。

「判らないよ。風竜王は、これに関しては歯切れが悪い。……ああ、いや、ある意味歯切れはいいのかな……」

 ふと、尋ねるたびに率直に返ってくる、毎回違う答えの中身を幾つか思い出して、オーリは視線を逸らせた。暗がりの中でも、その頬がやや紅潮しているのが見て取れる。

「オーリ? やっぱり、具合が悪いんじゃないか?」

 気遣うような言葉に、手を振る。

「いや、大丈夫。大丈夫だ。……だから、まあ、本当に竜王の意思以外の何でもないんだろうな、とは思うよ」

 明らかに切り上げるような口調に、胡乱な視線を向けられる。

 風竜王と、長時間、腹を割って話している、ということ。

 自分の理解を深めるために行うそれは、そのうち互いの理解の深さとなり、やがて心を許し始め、そして親愛の情が混じってくるようになる。

 時間が経つほどに、強く。

 とはいえ、そもそもの最初から、オーリのことなど全て竜王は把握しているのだろうが。

「……まあ、今更何を言っても仕方ないところではあるしな……」

 ノーティオが後ろ向きに諦めて、二人の若者は共に溜め息をついた。

「とりあえず、そういうことだ。大事なことなんだろうが、風竜王を召喚するのは少し間を空けつつやってくれないか」

「善処するよ」

 オーリの返事に頷いて、ノーティオは踵を返しかけた。

「ああ、ノーティオ。俺が今言ったことは、他の皆に話してくれていいからな」

 しかし、そう声をかけられて、険しい顔で振り返る。

「俺が、他人にぺらぺら喋るとでも思っているのか?」

 変わらない彼に、オーリは苦笑した。

「聞きたい奴がいれば、だ。お前なら、いいように捻じ曲げて伝えないだろう」

 そう伝えられて、複雑な表情で頷く。

「何か、あれ以来、誰も俺に文句を言ってこない。余計に鬱屈させてしまったかな」

 軽く腕組みし、オーリが半ば独りごちる。が、ノーティオは軽く首を振った。

「そうじゃない。……お前を見直したんだよ」

「は?」

 思いもしなかった言葉に、瞬く。

「あの日、俺たちはお前の横暴さを罵って、リームスの悲運を慰めていた。それだけだ。だが、お前は、まずあいつの処分を軽くするために動いただろう。中傷されて、殴りあった当人なのに」

「それは……、立場から言って、今の俺なら横車も押せるからだろ」

 下位の巫子や、親衛隊員では、親衛隊の総隊長の決断を覆すだけの力はない。

 だが、ノーティオはそれを更に否定する。

「皆で頼めば、上が一考する可能性はあった。可能性がどれだけ少なくとも、自分たちが正しいと思うなら、行動を起こすべきだったんだ。結局、皆、安全なところで言いたいことだけ言っていたに過ぎない。それに気づき始めた者たちが増えている」

 本当はお前にここまで言うつもりはなかったんだがな、とノーティオは呟いた。

 公正だが、意地の悪い青年でもあった。

 オーリは対処と表情に迷い、数秒してから口を開く。

「……じゃあ、俺ももう一つ忠告をしておく。あと三日で、王室からの特使が王都に帰ることになる。その前に、カルコニス子爵がお前を呼び出してくるだろう。多分、楽しい話じゃないから、断った方がいいぞ」

「……オーリ……?」

 何か問い質したそうに視線を向けてくるが、オーリはそれ以上は口を開かない。

 風竜王からの恩寵で、高位の巫子の聴力が異常に高くなるということは、公表していない。ディアクリシスもそうだったし、マグニフィクムもそれを支持した。

 自分たちの言動が上に知れてしまう、というのは、オーリに対する評価がただでさえ不安定なところで、全く好転材料になりそうもなかったからだ。

 政敵に対して、その力が有利だということは言うまでもなく。

 訝しげにしばらく待っていたが、ノーティオはとりあえず聞き流すことにしたらしい。そのまま、彼は下階へ続く階段に向かった。

 ノーティオの居住区は、随分と下層にある。

 自分がそこにいた頃のことを、小さな懐かしさと共に思い返す。

 額が重くて、軽く目を閉じる。そして、僅かに上を向いた。

 もう、戻れないのだ。そこには。



「……ニス! オリヴィニス、起きろ!」

 その朝、彼は懐かしい怒声で叩き起こされた。

 霞む目を開くと、陽はもう随分高い。空がぐるりと見渡せるここは、アーラ宮の最上階だ。

「ああ……。寝てたのか」

 周囲に散乱する羊皮紙を適当に纏めて、ふらふらと階段へ向かう。

 ノーティオは見慣れた不機嫌な顔で、階段の下からこちらを見上げてきていた。その背後に、遠巻きにするように高位の巫子の世話をする巫子たち十数人固まっている。彼らは祭壇の間に立ち入れないのだから、仕方がない。

「午後から王室の使節団が挨拶に来るんだろうが。ちゃんと起きてこい。いつまでも俺に手間をかけさせるな」

 苛立つノーティオの、不敬とも言える言葉に、巫子たちがざわめく。

 しかし、全く気にしない風にオーリは片手を上げた。

「悪かったよ。昨夜は風竜王に直接訊けなかったから、調べものに手間取って」

「嫌味か」

 オーリの言い訳に、更にノーティオは眉を寄せる。正面から、感心してそれを見詰めた。

「ノーティオ。お前、俺の秘書官にならないか?」

「毎朝お前を起こしに来るためにか? やめろ。俺はこれ以上、お前と関わり合いたくない」

 憮然として言うと、彼は踵を返した。務めがあるのだろう、早足で下階に降りる階段へと向かう。

 溜め息をついて、オーリも自室へ足を向けた。

「遅れてすまない。急ごうか」

 はい、と彼の後に付き従いながら、巫子たちは返した。



 使節団が帰郷する知らせは、オーリがノーティオに告げた翌日に竜王宮にもたらされた。

 そして帰郷前日に、貴族たち全員が竜王宮へ挨拶へと来たのだ。

 竜王宮側は、高位の巫子に加え、マグニフィクムを始めとした重鎮たちが揃っていた。

 あの乱闘から一週間以上が経ち、流石にオーリの怪我も自然治癒している。

 おそらく、彼らに王都へ戻ることを決心させたのが、その乱闘だ。新たな高位の巫子を、血の気の多い、取るに足らない若造なのだと判断したのだろう。

 勿論、そんなことをあからさまに態度に出す者は殆どいない。

 嘲るような顔で見つめてきている、カルコニス子爵以外は。

 滔々と流れるような口調で、使節団の長が挨拶を述べている。

 竜王宮長がそれに応じ、同じように流れるように挨拶を返した。

 そして、オーリが口を開く。

「皆様のような高貴な方々に、このように長期間ご滞在頂けるとは想像だにしませんでした。田舎のこと故、充分なおもてなしもできずに心苦しく思っております」

 にこやかに、若き高位の巫子が告げる。

 ほんの僅か、居心地が悪そうな雰囲気を醸し出した貴族が数人いた。が、流石に殆どは全く友好的な表情を崩さない。

 その後数分、当たり障りのない言葉を並べ続ける。

「我ら風竜王宮は、いつでも皆様を歓迎致します。しかし、入宮した者は、俗世との縁を切るのが定めでございますので、いくら懐かしい顔があろうとも、再び縁を結ぼうとされるのはご遠慮願いたい。我らはただ、竜王のみに仕える者でございますので」

 最後の辺りで、そう釘を刺しておくと、あきらかに憎悪の籠もった目つきでカルコニス子爵が睨みつけてきた。



「……オーリ……」

 こってりとマグニフィクムたちに絞られた後、自室に戻る途中でノーティオに出会う。

 酷く疲れた表情の彼に、首を傾げる。

「どうかしたのか?」

「誰のせいだ!」

 おそらく、オーリの話の内容を誰かからか告げられたのだろう。反射的に怒鳴られて、困ったように口を開く。

「使節団とのことなら、別にお前だけのせいじゃない。奴ら、竜王宮に密偵を潜りこませようとしている」

「……密偵?」

 さっと顔色を変えて、ノーティオが繰り返した。

 オーリは岩壁に身体をもたせかけ、頷いた。半ば引きずっていた長衣の裾が、だらりと階段から垂れる。

「できるだけ入宮は阻止するつもりだが、竜王宮は基本的に来る者は拒まないからな。それに、侵入されるのが本宮でなければ、俺にはどうにもできない。先に一言釘を刺しておいて、警戒して人数が減るならそれに越したことはないんだ」

「お前は、何を……」

 呆然とした表情で尋ねられ、数度瞬いた。

「民を護らねばならないだろう? お前たち巫子と親衛隊を、無駄な政治抗争に巻きこむ意味はない。それに何より、俺はとりあえず竜王を護るべきだ」

 まるで初めて見る相手でもあるかのように、ノーティオはまじまじと青年を見つめた。


 この時期の、王家や貴族と、そして各地の竜王宮との間に水面下で続く紛争が、オリヴィニスを決定的に形作っていったと言ってもいい。

 無口で純朴な青年だった彼は、より狡猾に、そして何よりもより意地悪く、その手腕と性格を研ぎ澄ませていったのだ。

 ただひたすらに、民と竜王のために。




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