16
即位の式は、三日後に行われた。
アーラ宮の大礼拝堂は、正門から真っ直ぐ入ったところにある。岩山を大きく抉り出した空間には、高い天井から巨大なシャンデリアを幾つも吊り下げ、そこに蝋燭を大量に灯している。
そして、その中には多数の人間が参列していた。
巫子や風竜王宮親衛隊は勿論、王家からの使者、そして一般の信徒たちである。
奉楽隊が荘厳な楽を奏でる中、新たなる竜王の高位の巫子が姿を見せた。
それは、二十歳を幾らも過ぎていない青年だ。純白の聖服に、緑地に金糸で複雑な模様を織りこんだ帯を締めている。帯の端は細く窄められ、金色の房が揺れていた。頭からは薄いヴェールを被っており、顔には影が落ちていて表情は見えない。
「ふん、田舎者が」
王室からの使者としてやってきたアンセルが小さく毒づいた。その声は、隣にいる者に届くかどうかという大きさだったのだが、壇上の高位の巫子はあからさまにじろりと視線を送ってきた。
八つ当たりである。
しかしぎょっとして、貴族の青年は少しばかり後ろめたそうに顔を逸らせる。
オーリの視線を辿って、異母兄の姿を見て取ったノーティオが、小さく溜め息をついた。
壇の正面で待ち構えていた竜王宮長が、身振りで跪くようにと示す。
従順に、オーリは祭壇の前で膝をついた。
これは、彼の魂を贄に捧げる儀式だ。
いや、もう捧げられてはいる。先代の高位の巫子が亡くなった、その瞬間に。
ただそれを、追認するだけの、儀式だ。
誰にも見られぬ場所で、オーリは眉を寄せた。肌が、小さく引き攣れる。
楽が音量を低くしながら響く中、竜王宮長は長々と風竜王を讃える言葉を話し続けた。
それに纏わりつくように、参列者の囁きが耳に入る。
「幸運なる風竜王の巫子、オリヴィニスよ。我らが民と風竜王との間に立ち、その加護と繁栄を与えたまえ」
やがて、竜王宮長がそう言葉を締めくくる。
幸運?
オーリは予定通りに立ち上がり、眼下の民たちを一瞥した。片手を、挑むように前に突き出す。聖服の袖は手の甲を覆うように延び、先端は金の輪に繋がって中指に通されている。しゃらん、と小さな鈴の音がした。
「我らが竜王に帰依する者たちよ、己が身をひたすら慎むがいい。私は罪深き者たちが、風竜王の御姿を目にした瞬間に生命を落とした現場に立ち会っている」
高位の巫子の第一声に、その場にいた者たちが怯む。
半ば自暴自棄の笑みを浮かべると、オリヴィニスは乱暴にヴェールを引き剥がした。
明るい栗色の前髪の下から、鮮やかなエメラルドが覗く。
「我が風竜王ニネミアの御名とその荒れ狂う誇りにかけて、我が肉体と魂を捧げることを、誓う。永遠に」
轟くような声が響くと同時、礼拝堂の内部を突風が吹き抜け、シャンデリアに灯された蝋燭を全て吹き消した。
しかし、灯りがある時でさえ闇に隠れるほど高かった天井は、今やそのごつごつとした岩肌を黄金色の光に煌めかせている。
新たなる高位の巫子を護るかのように、その背後に[緑なす平原の守護者]、風竜王ニネミアが顕現していた。
オリヴィニスの額の宝玉と同じ色の瞳が、無感動に光る。
人々が息を飲む音に、悲鳴が混じっていたのは、おそらく気のせいではない。
そして、次々に、その視線を避けるかのように床に身を伏せる。
彼らの頭上に、アーラ宮の鐘楼から響く鐘の音が降り注いだ。
「……もう少し、穏便にはできなかったのですか?」
その夜、二人きりになったところで、溜め息混じりにマグニフィクムが尋ねる。
「すみません。苛々していました」
素直に、オーリが頭を下げる。老いた巫子は、困ったように手を振った。
「私などに頭を下げるものではありませんよ」
「私は、三日前と何も変わっていません」
むっとして、オーリが返す。
「だが、二十日前からは変わっておられる。判っていらっしゃる筈だ」
しかし痛いところを衝かれて、口を噤んだ。
動作に迷って、手にした羊皮紙から埃を払う。
オーリは、アーラ宮の最上階に近い場所、ディアクリシスの使っていた部屋に住むことになった。
元住人の私物は全て処分されるところだったが、マグニフィクムの口添えもあって、ある程度は残されている。
「あれは、何でも記録することが好きだったのでね。我々は彼がイグニシアの血でも引いているのではないかとよくからかっていたものです」
懐かしそうに、マグニフィクムは呟いていた。
ディアクリシスが高位の巫子となってから、四十七年。当時のことを知る者は、もう少ない。
高位の巫子の特性や、竜王との関わり合い、竜王宮の統治について。
先代の高位の巫子が、どうやってその立場と折り合いをつけていたのか、も。
しかし、彼ならばそれを記録しているのではないか、と、マグニフィクムは提案してきたのだ。
オーリは、一つの部屋を占領している羊皮紙の束に、少々気が遠くなりそうだったが。
「オリヴィニス様。明日からは、竜王宮の実務に関する務めが始まります。あまり遅くならぬ内に休まれるがよいかと」
マグニフィクムが忠告する。
「貴方がそうおっしゃるのでしたら、師よ」
おそらくは拒絶されないであろう敬称で相手を呼んで、オーリは頷いた。
オリヴィニスに対する非難は、やがて中傷へと変わった。
高位の巫子の務めとしては、まず、王室からの使者たち、そして各地の竜王宮長との謁見がある。竜王宮自体は、他国に比べて街の数が少ないためにさほどの人数はいなかったが、それでも五十組ほどは会っただろうか。
彼らの言動は、ほぼ同一だった。
祝賀を述べ、祝いの品を献上し、自らの竜王宮への便宜の要求を臭わせ、そして僅かに即位が遅くなったことへの皮肉を混ぜる。
オリヴィニスは当初げんなりし、そして呆れ、やや感心し、最後にはうんざりした。
最後の謁見者が退出するまで、三日はそれにかかりきりだった。
王室の使者たちは、それが終わっても、意外なことに王都には戻らなかった。
おそらく、新たな高位の巫子の手腕を計っておこう、との意図であろう。
続いて、オーリは高位の巫子の責務について指導を受ける。
ディアクリシスは五十年近くに渡ってその高き座についていた。既に数々の責務については慣れており、あるものは形式化し、あるものは他に担当する者を設けていた。
しかしオーリが即位したことで、それらを改めて一通り彼に説明することになる。
「……『毎朝、日の出と共に山羊の血を絞り、竜王に捧げる』?」
唖然として、オーリは一つの項目を読み上げた。
「ええと、それは、もう随分前に変更されておりますね。山羊の乳を搾り、捧げるように、と」
説明しているのは儀式を司る部署の責任者で、オーリよりも十歳以上年上だ。
今、彼らは儀礼集の原本を見ているため、よくこのような現状との齟齬がある。
「竜王宮で山羊など飼っていたのですか?」
不審を覚えて尋ねた。下位の巫子だった頃、少なくとも馬の世話はしていたが、山羊など見たことはない。
彼は困ったような顔で、続ける。
「いえ、ここ数十年は、街より購った乳を使っていたようで」
「なるほど。それでは、それが毎日、ですか」
頷いて確認する。が、更に責任者は首を振った。
「高位の巫子様の役目からは今は外れ、我が部下が執り行っております。決められた日に」
「毎日ではなく?」
「はい」
「その、日にちの根拠はなんですか?」
つい好奇心で尋ねたのだが、更に困ったように、彼は幾枚もの羊皮紙をひっくり返し始めた。
「……その儀式、意味があるんですか?」
呆れて呟いた言葉には、じろりと非難するような視線を返されたのだが。
「何も知らぬ若僧が」
「運がいいだけだ」
「先代に目をかけて貰っておいて」
「たった五年、竜王宮に仕えただけのくせに」
「しかもふらふらと外に出て行って、碌に竜王にお仕えもしていない奴が」
「いきなり思い上がって、何様なんだ」
漏れ聞こえる言葉に、それでもオーリは耐えた。
彼がとうとう忍耐を振り捨てたのは、即位して十二日が過ぎた日のことだった。
突如、執務室から足音も荒く出て行く高位の巫子に、その扉の前で警備に立っていた親衛隊員は、驚いて後を追った。
「巫子様、どちらへ」
しかし、彼は怒りに目を吊り上げて、返事をしようとしない。
すぐに彼らは、竜王宮の中心を貫くように作られた空洞へ辿りつく。
オーリは、長衣の裾を踏むこともなく、滑らかにその周囲に巡らされた胸壁に足を乗せ、そして虚無へと踏み出した。
「……オリヴィニス様!?」
上階から聞こえた、驚愕の叫びに、丁度最下階にいた者が頭上を見上げる。
すたん、とその目前に人影が着地して、彼らは息を飲んだ。
「……オリ……、ヴィニス様」
そこにいたのは、まだ二十代後半、といった風の二人の親衛隊員だった。屋内の警備に当たっているために、武器は腰に短い剣を佩いているだけだ。
「言いたいことがあるのなら、面と向かって言ったらどうだ」
低く、オーリは言い放つ。
「何も、言ってなど」
弱い返答に、高位の巫子はあからさまに眉を上げた。
「ほう? 『行幸の最中に、オリヴィニスが自らディアクリシス様の喉を掻き切ったんじゃないか』、と、言っていただろう? それともその口は、お前の意思とは別に声を出すのか?」
ほんの一、二分前、こそこそと漏らした言葉が知られていることに、相手は動揺する。
ただでさえ長身の彼は、今もあまり顔色がよくなってはおらず、怒りに任せて凄む様子は、かなりの威圧感を与えてくる。
が、一人の男が、自棄になったように吐き捨てた。
「ああ、言ったさ。都合よく賊が襲ってきただと? そんなことよりも、お前が殺した方が納得いくだろう」
「何の為だ」
本気で判らなくて、尋ねる。
「知るか。色々と恨みがあったのかもしれない。お前は、ディアクリシス様の警護に出ることを、酷く嫌がっていたんだしな」
「それは最初の頃の話だ。もう、五年も経っている」
「だとしたら、高位の巫子の地位を狙っていたのか?」
嘲るような表情は、次の瞬間、歪んだ。オーリが、力任せにその頬を殴りつけたのだ。
「何をする……!」
もう一人の親衛隊員が、反射的にオーリの腕を掴む。
ざわざわと、周辺から人々が顔を覗かせ始めた。
「俺がこんな地位を望んでいたとでも言いたいのか! その為に、よりによってあの方を殺しただと? だったら、帰ってきたその日に地位を継いだと知らせている!」
確かに、彼が即位するまでの空白期間は酷く不自然なものだった。
熱く痛みを発する頬に軽く触れ、親衛隊員が更に罵る。
「それなら、何故お前だ! 二人きりの旅で、ディアクリシス様が死んで、どうしてお前がその地位を継ぐ!」
「俺の知ったことか! 文句があるなら、竜王に言え!」
オーリが言い放った言葉に、流石に周囲の者たちがざわめく。
竜王と直接言葉を交わせるのは高位の巫子だけなのだから、その言い分は少々不公平である。
「……思い上がるな、新参者の分際で!」
怒りと苛立ちに、親衛隊員がオーリに殴りかかる。もう一人に抑えられていたこともあって、結果的に青年はそれを避けられない。
「リームス、お前、何を……!」
まだ冷静な方の隊員が、叫ぶ。
「それが何だ! 親衛隊に、そんなことが関係あるか!」
怯んだ抑え役を振り払い、オーリがもう一度相手を殴る。
「あるに決まっている! お前みたいな、頼りない、若僧に任せておいたりしたから!」
殴り返そうとして、相手はよろめいた。岩壁に背を預け、体勢を立て直し、そしてオーリの胸倉を掴む。
「俺たちが、何人かでも同行していたら、ディアクリシス様を死なせずに済んだかもしれなかったのに」
低く、呻くように、恨むように、言葉を漏らす。
「お前……」
オーリがつい小さく呟いたところで、至近距離から力を籠めて拳が放たれた。
親衛隊の、小隊長レベルまで報せが行って、強引に彼らが引き離されたのは十分は後のことになる。




