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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
滅の章

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139/252

15

 風竜王宮親衛隊がその馬車に行き会ったのは、アーラ宮を出発して二日目のことだった。

 晴れ渡った空の下を、不吉な軋みを立てながら向かってくる。

 馬を御している青年は、酷い有様だった。

 頬はこけ、目は落ち窪み、衣服は血と泥に塗れている。暗い瞳は、こちらを認めているにも関わらず何の感情も動いていない。

 十数メートル手前で、馬車を停止させた。駆足で近づいてきた親衛隊が、すぐ隣まで来て馬を止める。

「オリヴィニスか?」

 名前を問われて、青年は小さく頷いた。

「……ディアクリシス様が……」

「判っている。よくここまで戻ってきた」

 隊長の言葉にも、救われた様子は見せない。

 フルトゥナには都市が少なく、自然、それを繋ぐ街道も本数が限られている。

 遊牧民は街道など気にせずに放浪し、彼らを追う高位の巫子も、気紛れに草原に乗り出して行っていたのだ。

 事実、同行した巫子までも死んでいた、又は動けない状況にいれば、この広い草原の中、彼らを見つけ出すのは至難の業だった。

 それでも、こうして偶然出会うことすら、奇跡に近いが。

「アーラ宮に戻ろう。御者を変えるから、お前は休むといい」

 隊長の、気遣いに満ちた言葉に、しかしオーリは首を振った。

「俺の役目です。……俺の、罪です。俺が運びます」

 言葉を失って、隊長は頷いた。軽く、ぽん、とその腕を叩くと、部下たちに命令を放つ。

 一行は、遠く草原に(そび)えるアーラ宮へと戻っていった。



 アーラ宮に着いたのは、翌日になった。

 周囲に作られた街は静まり返り、竜王宮へ続く道は中央が大きく開けられている。道の端に身を竦めるように、人々が帰還する高位の巫子の馬車を見つめていた。

 アーラ宮の巨大な正門が開かれ、白と緑を基調とした聖服を身に纏った巫子たちが、彼らの到着を待っている。

 陽の光に映える、汚れひとつないその聖服が、どうにも非現実的だ。

 前庭に到着して、馬車を停めた。

 馬車の横手の扉は大穴が開けられ、ぎいぎいと蝶番が軋んでいる。

「開けても……?」

 躊躇うような副竜王宮長の言葉に、オーリは無言で頷いた。

 ゆっくりと扉が開かれた馬車の内部は、暗い。

 扉の前で目を凝らしていた数名が、悲鳴を堪えるように息を飲んだ。

 扉の正面の壁には、べったりと赤黒い染みが、一面についている。横倒しになった際に、高位の巫子が倒れていた場所だ。

「これは……、何が、あった!」

 叫びに、首を傾げる。

「……それは、ご存知ではなかったのですか?」

「我らは、どこかで竜王が顕現されたことを感じとったのだ。大抵の場合、それは高位の巫子が生命(いのち)を落された時か、新たな高位の巫子が即位される儀式の時だ。だから、ディアクリシス様が崩御されたのだろう、とは思っていたが」

 横合いから、まだ落ち着いた声で誰かが説明する。

「そうですか。……賊に、襲われたのです」

「お前は警護の者だろう! 一体何をしていた!」

 簡潔に報告したオーリに、再び罵声が浴びせられる。

 青年は、無表情でそれを聞いていた。

「よせ。ともかく、巫子様をお運びしなくては」

 その言葉に、数名がそろそろと中へ入り、ディアクリシスが横たえられた寝台ごと運び出す。

 肌に流れ出した血液は綺麗に拭われ、無残な首の傷口には布が巻かれていた。

 さほど気温が高くはなく、日数も経っていないせいか、腐敗の兆候も見られない。

 穏やかな表情と相まって、彼はまるで眠っているかのようだ。

 啜り泣きがあちこちから聞こえる中、高位の巫子の遺体はアーラ宮へと戻っていった。

 御者台から降りて、オーリはぼんやりとそれを見送る。

「……よく無事で戻ってきた」

 穏やかな声をかけてきたのは、マグニフィクムだ。

 先ほどから、オーリを庇うような言葉を発していたのも、彼だろう。

 無言で、オーリは深く頭を下げた。

「怪我はないのか? 医者に診て貰うといい」

「いえ、俺は……。掠り傷、です。もう、治りました」

 その言葉に、周囲の人垣から囁きが起きる。

 オーリが、苦痛に耐えるような表情になった。

「そうか。ならば、休むといい。しばらくは務めにも出なくていいように取り計らおう」

「いえ。……あの、マグニフィクム師」

 青年は、真っ直ぐに老いた師を見つめる。

「お(いとま)を、頂きたいのです」


 戸惑ったように、マグニフィクムはオーリを見上げた。

「竜王宮から出ると?」

「はい」

 オーリは賊に襲われている。恐ろしい思いをしたことだろうし、目の前でディアクリシスを亡くして、もうここにはいたくない、と思うのも理解はできる。

 だが。

「悪いが、そうはいかないのだ。高位の巫子が崩御されて、新たな高位の巫子が選ばれた筈だ。その知らせがアーラ宮に届くまでの間、竜王宮の巫子の離籍は認められていないのだよ」

 無言で、オーリは師から視線を離さない。

「まあ、焦ることはない。この知らせは最も急を要するものだ。どれほど離れた場所の竜王宮から選ばれたとしても、船を使えば十日もかかるまいよ。それまで、ここにいて貰うことになる」

「どうしても、ですか」

 小さく食い下がるオーリに、マグニフィクムは頷いた。


 オーリに与えられたのは、小さな、誰も使っていない部屋だった。旅に出る前までいた、数人の巫子と使っていたものとは違う。

 おそらくは気を遣ってくれたのだろう。

 硬い寝台に、どさり、と横たわる。

 そして、泥のような眠りについた。

 もう、彼の安らぎはその中にしかなかったのだ。



 高位の巫子の葬儀が行われるのは、更に数日経ってからになった。

 それまでの間、オーリはただ部屋に籠もっていた。

 食事も摂っておらず、苛立たしげにノーティオが大食堂に引き摺り出したほどだ。

 竜王宮の中は、まさに針の(むしろ)だった。

 耳に届かないような囁きで、またはあからさまに聞こえよがしに、オーリを非難する。

 ノーティオですら、オーリと関わるのは命令に従っただけらしく、その態度は酷く冷淡だった。

 オーリは誰とも話さず、蒼白になった顔から表情を消して、ただその日々をやり過ごした。


 葬儀に向けて、王都から王室の代理人として貴族の一団が、そして各地の竜王宮より代表者がやってくる。

 彼らが集まったところで葬儀、ということだったのだが、しかし次代の高位の巫子に関する情報は一向に届かない。

 通常、葬儀のすぐ後に即位の式、となるのだが、仕方なくそれも延期とされた。

 オーリは、葬儀は礼拝堂の片隅に参列するに留めた。

 ディアクリシスの死に顔なら、もう充分に見ている。

 だが、それすらも巫子たちからの非難の対象となったようで、こちらをちらちらと見ながら囁き合う者たちは少なからずいた。

 棺の傍へ行ったところで、どの面下げて、と言われるのも確実だったが。

 巫女たちの啜り泣く声を耳にしながら、ぼんやりとそう考える。

 棺は、アーラ宮から少し離れた場所にある墓地へと埋葬された。

 正門から担ぎ出されていく棺を、じっと見送る。

 風が、空の高いところを鳴っていく。

 オーリは、溜め息をついて空を見上げた。



 高位の巫子が、決まらない。

 先代が没してから、十日が経ち、二週間が経っても、どこからも連絡は入らない。

 そもそも各地の竜王宮から代表者が来た時点で、彼らの管轄には御力を授かった者はいなかったという報告がきている。

 それでも、丁度その時に竜王宮に不在だった者が選ばれた可能性はある。

 だから、彼らは辛抱強く待っていた。

「いつまでこんな田舎に滞在せねばならんのだ!」

 王室からの使者には、何故かカルコニス公子アンセルが混じっていたりして、その風聞を聞く度にノーティオは苛立っていたが。



 そして、とうとう二十日目が目前になったある日、オーリはマグニフィクムに呼び出された。

「身体の調子はどうだね?」

 彼の私室に通され、気遣うように尋ねられた言葉に、オーリは困ったような顔で返事をしない。

 マグニフィクムは青年をじっと観察した。

 この数日で、更に痩せている。背の高さと相まってそう見えるのかもしれないが、手首などは強く握ったら折れそうなほどだ。

 顔色は、帰還した頃よりも、悪い。

「食事や睡眠は摂っているのかね?」

 咎めるような声をかけられて、やっと、オーリは口を開く。

「眠っては、います。それぐらいしかできないから……」

 辞意を表していることから、オーリには巫子の務めが課されていない。無為にここにいるだけ、というのは、彼にとっても辛いだろう。

 だが、毅然としてマグニフィクムは続けた。

「そなたも知っているだろうが、次代の高位の巫子はまだ決まっていない」

「……私は、まだここから出て行けないのですか?」

 憔悴した雰囲気のままの声で、聞き返す。

「まだ駄目だ」

 その返答に、青年は溜め息を零した。

 だが、続けられた言葉に、身を硬くする。

「単刀直入に訊こう。そなたが、あの日、竜王より高位の巫子に選ばれたのではないか?」


「いいえ」

 しかし、即座にそう返す。

「もう、そなたしかいないと言ってもいいのだ。連絡の取れない巫子は、今では殆どいない。以前も言ったように、高位の巫子が決まるということは、通常なら最も重要度の高い事項だ。よほどのことがなければ、すぐに近くの竜王宮へ連絡が行く筈だ。それに、そなた、ディアクリシスが死んだ時に、本当は怪我をしておっただろう。服の背中に大穴が開いていて、血塗れだった、と聞いたぞ。だが、もう治ったと申していたな。それは、竜王の御力を使ったのではないのか?」

 老いたる巫子は、淡々と問い詰めてくる。

「それでも、私ではありません。……私は、竜王への信仰を失いました」

 僅かに俯き、声を振り絞るように告げる。

 マグニフィクムは小さく呻いて、片手で顎を撫でた。

「……オーリ。高位の巫子には、必ずしも信仰の深さは必要、という訳ではないのだ」

「え?」

 思わずまじまじと顔を見つめる。言い辛そうにマグニフィクムは視線を逸らせていた。

「私はディアクリシスとはほぼ同じ頃に竜王宮に入った。あれが高位の巫子になったのは、四十七年前だ。もう落ち着いてもいい年齢になっていたが、あれはその頃でもかなりの放蕩者でなぁ」

「……え?」

 しみじみと師が思い出話を始めるのに、更に混乱してオーリはただ呟いた。

「あやつがいつ生命(いのち)を刈り取られるかと、我々は随分心配していたものだ。それが五十年近くも勤め上げたのだから、風竜王は本当に懐が深い」

「刈り、とる……?」

 青年が繰り返した言葉に、マグニフィクムはやや我に返って頷く。

「うむ。高位の巫子が、本当にその地位にふさわしい者ではなかった場合、風竜王は巫子の生命(いのち)を奪ってしまわれる。その前例は、今までにも幾つかあるのだ」

「まさか、ディアクリシス様は……」

 オーリの顔色が変わる。

「いや、風竜王が賊を使って巫子を死なせる、などというような回りくどいことはせんよ。あれは偶発的な事件だ」

「ですが、俺がしっかりしていれば、防げた事件でした」

 唇を引き結び、呟く。

「むしろ、それを防ぐのはディアクリシスの役目だった筈だがな。あいつ、眠ってでもいたのかね?」

「あ、はい。あの、風邪をぶり返してしまわれて、馬車の中で休んでいて頂きました」

 何故判るのだろう、と思いつつ、肯定する。そうか、とマグニフィクムは溜め息を漏らした。

「風竜王からの恩寵の一つに、周囲の音を聞き取る能力が上がる、というものがあった。あれの意識がはっきりしていれば、賊の存在など、数キロ前から判っておっただろうよ。そなたにも、無駄な怪我を負わせずに済んだものを」

 悔やむように、老人は告げた。

「……そんな、ことが」

 オーリの顔色が青褪める。

「……そなたも、聞こえるのか?」

 その言葉が何を意味するのかも判らず、ただ頷いた。

「俺は……、俺は、気が狂ってしまったのかと。あの、盗賊が竜王を目にした時のように。ここにいない人間の声が、四六時中聞こえてきて、それで」

 伝えるつもりのなかったことまで、口から漏れていく。

 がくがくと震えだした身体を、止めることすらできない。

「今も、かね?」

 ただ、頷く。

 ここにいない巫子たちが、自分を罵っている言葉が耳から離れない。

 せめて人のいない場所に行きたかった。当人と、どんな顔で会えばいいのか判らずに、ひたすら部屋に閉じ籠もった。

 彼の耳が静寂を取り戻すのは、眠っている間だけだったのだ。

 宥めるように、ゆっくりとマグニフィクムはオーリの丸めた背を撫でた。

「気の毒に。ディアクリシスがそなたを護ってやれなかったこと、代わって詫びよう。すまなかったな」

「いい、え。巫子様をお護りできなかったのは、俺の落ち度です。俺の役目だったのに」

 それでも、そこは譲れなくて、反論する。

 頭上で溜め息が落ちた。

「オーリ。高位の巫子は、竜王と民のためにある。巫子とて、民の一員だ。ならば、ディアクリシスはそなたを護らねばならなかったのだ。あやつも、それはよく判っておった。そもそも、旅をするにあたって警護を殆どつけなかったのは、護る人数を少なくしたい、というずぼら根性からなのだしな」

 何だか色々な意味で衝撃で、オーリは腕を掴む手に力を籠めた。

 ゆっくりと、背を撫で続けられる。

「我ら民には、竜王と繋がる者が必要だ。そなたの生命(いのち)を奪っておられぬ以上、風竜王はそなたの地位を認めているのだよ。我らの為に、高位の巫子として在ってはくれまいか」

 声が、音が周囲で渦巻く中、ようやく、力なくオーリは頷いた。





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