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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
滅の章

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138/252

14

 不機嫌な顔で立っていたのは、ノーティオだ。

 鼻を鳴らし、アンセルと呼ばれた男は振り捨てるようにオーリから手を離す。僅かによろめいたものの、さほどの衝撃はない。

「ティオか。よくもまあ王都に顔を出せたものだな」

「竜王宮の命令には従わなくてはなりませんからね」

 改めて睨みあう二人にとっては、既にオーリは眼中にないようだ。

 他者を愛称で呼ぶ理由は、幾つかある。

 一つは、親しい間柄である場合。

 そしてもう一つは、逆に相手を見下している場合だ。

 竜王宮で、オーリが呼ばれるのは、ほぼ後者だ。彼はまだ下位の巫子の、更に新参者に近いのだから。

 そして、おそらくは、アンセルがノーティオを呼ぶ理由も。

 しかし、ノーティオは淡々と言葉を放つ。

「そもそも、巫子は入宮した時点で、元の身分は関係なくなるんです。どんな貴族だろうが、氏族だろうが何の意味もない」

 が、その言葉に、アンセルは嘲るようにノーティオを見下ろした。

「精々上手く立ちまわることだな。お前が次代の高位の巫子になったら、もう一度拾ってやってもいいぞ」

「酒を飲みすぎたんじゃないですか? そんなこと、人前で話さないでください。頭が悪いと思われますよ」

 辛辣に、少年は言い放った。

「お前……!」

「酒を飲むなら、屋敷でお飲みなさい。オーリ、行くぞ」

 踵を返し、廊下を戻っていく。少々戸惑ったものの、オーリはそれに従った。


「全くお前は一体どこに行っているかと思えば」

「ごめん。道に迷ったんだ」

「迷うような道かよ……」

 呆れた風に、ノーティオが溜め息をつく。彼と言えば迷う様子も見せず、次々に廊下と階段とを進んで言った。

「よく判るな」

 感心して告げた言葉に、じろりと睨め上げられる。

「……俺が、最初に竜王宮に入ったのは、ここだったんだよ。まあ、いたのは四年ぐらいだけど」

 ここは、王宮内の竜王宮だ。つまり、それは。

「ああ、だから、先刻(さっき)の貴族と顔見知りだったのか」

 さほど考えずに呟いた言葉に、凄まじい苛立ちの籠もった視線を向けられる。

「……ごめん?」

「訊き返すな」

 憮然として返された。しばらく無言で歩いていたが、やがて彼は小さく呟く。

「……まあ、俺より前にいた方たちはみんな知ってることだしな……」

 意味が判らずに首を傾げる。

先刻(さっき)の男。カルコニス公爵の嫡子で、亡くなられた王の甥に当たる。それなりに権力者だぞ、覚えておけ」

「判った」

「よし。で、俺の兄だ」

 さらりと告げられた言葉に、流石に足が止まる。

「ぐずぐずするな。……って言っても、腹違いだ。あいつには一応末席とはいえ、王位継承権もあるが、俺にはない。まあ、今は竜王宮に入ってるから当然だが、その前からもなかったぐらい、縁が薄いんだよ。王宮内の竜王宮に入れられたのだって、母親がしばらく会いたがったからだ。貴族の子供でそういう立場の者は結構いる。俺だけじゃないぞ」

 反論を許すつもりはないようで、きつく睨まれる。オーリは賢明にも無言で頷いた。

「まあ、兄は見ての通り莫迦だが、俺とはもう関係ない。莫迦で権力があるから、あまり近づくな。厄介だ。莫迦だからな」

「……そこまで連呼しなくてもいいんじゃないか」

 あの男とノーティオは、十歳ほどは離れているだろう。そんな弟からの言葉に、流石にちょっと気の毒になって、呟く。

「この話はこれで終わりだ。いいな?」

 元から、竜王宮に入る以前の生い立ちを他人が云々できるものではない。オーリに、異論があろう筈もなかった。



 翌日の戴冠式が執り行われたのは王宮だったこともあり、オーリとノーティオを始めとした下位の巫子たちの出席はなかった。

 その後数日してアーラ宮へと帰還する際には、少なからずほっとしたものだ。

 ディアクリシスは、その冬、やけに気が塞いでいるようだった。

 元々冬場に行幸には出ないが、昨年までであれば、早く春にならないか、とそわそわしていたのに。

 オーリはマグニフィクム師らと相談し、高位の巫子を慰めるため、演奏会を開いたりもした。

 そうして、老いたる巫子は徐々に元気を取り戻してはいたのだが。




 更に、二年が過ぎた。

「オーリ。今回は、少し遠くまで行こう」

 地図を前に、楽しげにディアクリシスは告げた。

「巫子様。まだお身体が本調子ではないのですし」

 呆れた顔で、オーリが諫める。

 ディアクリシスは、この冬に風邪をこじらせて寝こんでしまっていた。今ではもう回復しているものの、随分と長く苦しんでいたのだ。

「しかし、お前が来てからというもの、予想以上の速さで歌が集まってくるのだからな。フルトゥナの隅々まで探しに行くしかないではないか」

「俺のせいみたいな言い方をなさらないでください。もういいお歳なのだから、そろそろ腰を落ち着けられたらどうなんですか」

「旅の途上で死ぬのなら本望だよ」

 茶化すように、ディアクリシスは言う。

 それは、本当に、普段と同じやりとりであったのだ。



 アーラ宮を出発してすぐに、草原は酷く冷えこんだ。

 充分に暖かくなったことを確認してから出発したのだが、気候は思う通りに変化するものではない。

 そして、ディアクリシスは、やはりまた具合を悪くしてしまった。

 何度か、竜王宮に戻ろうか、と伺いを立ててはいたが、高位の巫子はそれを承諾しない。

 とりあえず野営地に着けば、少しは落ち着いて療養できる。オーリは頑として御者台にディアクリシスが出てくるのを許さず、ひたすら馬を急がせた。

 温かいスープを飲み、二人分の毛布に包まれたディアクリシスは、殆どの時間、馬車の中の寝台でうとうととまどろんでいる。

 草原の先に、野営地が見えてきた。色鮮やかな天幕が幾つも張ってあるのを目にして、オーリがほっとする。

 しかし、しばらくしてその目は訝しげに細められた。

 大抵の場合、野営地にいる誰かがすぐにこちらに気づいて騒ぎになるものだ。だが、野営地に動く人影はない。

 そして、幾つかの天幕が地面に倒れてしまっていることに気づいたところで、静かに手綱を引いた。

 しかし、遅かった。


 無事に建っている天幕の布が僅かに動いたかと思うと、矢が風を切る音が響く。

 殆ど反射的に身を伏せた。馬車の壁に矢が突き立ち、その震動が板を通して伝わる。

 恐慌に陥りかけた馬を、手綱を引いて強引に向きを変えさせた。荒地の中をひたすら走らせる。

 馬車の中で、がたん、と音がした。

「窓を開けないで!」

 短く、声を張り上げる。

「賊じゃ、オーリ。すまん」

「黙ってください。舌を噛む!」

 弱々しくかけてくる声に、苛立たしげに返す。

 高位の巫子が謝る意味が、その時の彼には判らなかった。

 馬車の車輪の、がらがらと響く音に紛れて、追っ手の蹄の音は聞き取れない。

 だが、視界の端で小さく動くものを認めて、振り向いた。

 馬に乗った男が、弓に番えた矢をこちらへ向けている。

 通常、馬を走らせたままで放った矢は、そうそう当たるものではない。が、万が一ということもある。オーリは馬の進路を大きく曲げた。

 放たれた矢は見当外れの方向へ飛び去った。

 だが、視界が変わると、そちらの方にも走り寄ってくる騎馬がいることが判る。

 両側から、挟み討ちにするつもりだったのだろう。

 舌打ちをして、滅多に使わない鞭を手に取った。

 馬車は二頭立てだ。しかし、当然馬には馬車の重量がかかっている。追ってくる騎馬をどれだけ引き離せるものか。

 鋭く尻を打たれて、馬は速度を上げた。遠くなる賊が、矢を放つ。

 馬車に突き立つ軌跡を描いていた矢が、その手前で突然弾かれた。何が起きたかを把握する間もなく、更に馬を急かせる。

 幾度か、そのようなことが繰り返されたところで、追っ手は弓を肩にかけた。ただ追いつくことを目的にしたらしい。

 馬車を引く馬が、口から泡を溢れさせる。

 ぎり、と奥歯を噛み締める。

 騎馬であれば、逃げ切れる可能性はある。せめてディアクリシスが元気であれば、馬を任せて矢を扱えるのに。

 いや、仮にも高位の巫子に、そのようなことをさせる訳にもいかない。

 左右から追い上げる騎馬に、少しずつ進路を狭められている。

 できる限り平坦な地面を走ろうとはしているが、それもできなくなっていく。

 そしてとうとう、馬車は大地から突き出た岩に車輪を乗り上げ、横転した。


 数秒、気を失っていたらしい。

 苦痛に目を開くと、空が見えた。背中がごつごつしたものにぶち当たったかのように、痛む。どうやら御者台から投げ出されたようだ。

「ディア……!」

 すぐに身を起こそうとするが、その鼻先に刃を突きつけられる。

「動くんじゃねぇぞ」

 ()れた声が警告して、片手で慣れたように身体を探る。帯に差しこんでいた短剣が取り上げられた。

 がん、と、木製の扉を叩き壊す音がする。何とか起き上がろうとしているのだろう、馬の(いなな)きが響く。

「中にいるのは病人なんだ。手荒なことは」

 思わず制止するが、傍に立つ男が無言で顔の前で切っ先を揺らす。

 二人は、金をあまり持っていない。行く先々の街で竜王宮に立ち寄れば、必要なものは融通してくれた。出会う遊牧民たちは、喜んで彼らの食料を分けてくれもした。

 この賊を満足させて立ち去らせる、のは難しい。

 がこん、と一際大きな音と共に、扉が外れた。

「爺さんが一人いるだけだ。金目のものはなさそうだぜ」

 馬車を覗きこんでいる男が声を上げる。隣に立つ男は舌打ちして、憎憎しげにオーリを軽く蹴った。

「お?」

 今は空に向けて開いている扉から中を見下ろしていた男が、小さく呟くと中へ飛び降りる。

「どうした?」

 苛々と、オーリの傍にいる男が尋ねた。

「いや、何でもねぇよ」

「ごまかそうとするんじゃねぇ。もしも俺に無断で何か懐に隠してやがったら、お前の(はらわた)をぶちまけてやるからな」

 仲間に対して露骨に脅しをかける。しばらく沈黙して、相手は返事を返してきた。

「はっきりしなかったから言わなかっただけじゃねぇか。この爺さん、宝石をつけてやがるぜ」

「ほぅ」

 興味を引かれたように、男が呟く。

「やめろ!」

 ディアクリシスが額に戴くエメラルドは、『竜王の瞳』と呼ばれ、高位の巫子の地位を示すものだ。

 反射的に駆け出そうとしたところを、蹴りつけられた。ごろごろと青草の上を転がり、距離を空ける。再び身を起こして、馬車へと向けて土を蹴った。

 どん、と背中から押されたような衝撃がして、たたらを踏む。

 衝撃を受けた部分が、一瞬で燃えるように熱くなった。

「ぁああああ!」

 激痛に、膝をつく。背を伸ばしていられなくて、そのまま身体を丸めるように地面に横倒しになった。

「手間かけさせるなよ」

 背後から近づいた賊が、無造作に背中から何かを引き抜く。

 ぼたぼたと、とその鋭い先端から赤い液体が落ちた。

 鼓動に合わせて、どくどくと何かが流れ出していく感覚がする。

「み、こ、さま、」

 掠れた声は、発せられていたかどうかも定かではない。

 目が霞む。

 だが、手を伸ばす。竜王の選び(たも)うた高位の巫子のために。


 馬車の中で、ごとん、と何か重いものが落ちる音がする。


 次の瞬間。

 世界を、黄金色の光が満たした。



 霞む視界の中で、しかしそれははっきりと確認できた。

 滑らかな曲線を描く、身体。鮮やかな新緑の鱗。純白の羽毛は春の穏やかな風にそよぎ、淡い緑、水色、黄色と白が混じった羽根で形作られた翼は、力強く広げられている。

 その、エメラルドのような瞳が、一点を見つめていた。

「……風竜王」

 小さく呟く。

 焦がれ続けた存在が、突然に目の前に現れて、身動き一つとれない。

「なんだ! なんだ、これは!」

 恐怖に駆られた声が、すぐ傍から放たれた。

 怖れに顔色を蒼白にして、賊はがたがたと身体を震わせて風竜王を見上げている。

 竜王が一瞥した瞬間、裏返った声を上げて、彼は闇雲に駆け出した。

 乗ってきた馬の存在すら忘れている。足を(もつ)れさせて転び、這いずりながらもこの場から逃げ出そうとする。

 その男のことなど意にも介さず、風竜王は哀しみに満ちた声を上げた。

「……そん、な」

 身を起こそうとして、腕に力を入れる。が、ずる、と土に滑った後は、もう指一本すら動かせはしなくなった。

 ああ。

 ここで、死ぬのか。

 悔しさと共にそう思った瞬間、風竜王の身が視界一杯に広がった。

 身体を竦めることもできず、ずるり、と額から体内へと潜りこまれる。

「……ッ!」

 身体中の体液が、一瞬沸騰するような感覚に、身を(よじ)る。

 だが、それは本当に一瞬でしかなく、数秒後にはオーリは荒い息をつき、身体を小さく震わせながら、それでも立ち上がった。

 血に濡れた足跡はほんの数歩のみで、それ以上は大地を潤すことはない。

 横倒しになった馬車に、這い上がる。

 中には、喉を掻き切られ、周囲が一面血に染まった中にディアクリシスが横たわっていた。無残な傷口だが、その表情は酷く穏やかだ。

 その横には、見知らぬ男が倒れている。恐怖と苦悶の表情を浮かべ、こちらも明らかに事切れていた。

 動かない手足を何とか操って、中に降り立った。

「……ディアクリシス、様」

 震える指が触れた肌は、まだ僅かに温かい。

 だが、その血管は、もう脈打ってはいなかった。

「どうして……」

 いつも民を慈しんで見つめていたその瞳は、もう開かない。

 オーリに無理難題を押しつけていた声は、もう響かない。

「どうしてだ! どうして、巫子様が死ななきゃいけない! どうして、貴方が救けてくれなかったのだ、風竜王!」

 頭上を見上げ、絶叫する。

「貴方が選んだ巫子だろう! 貴方が、慈しんだ、巫子だろう! どうして、こんなところで、こんなことで、この方が死ななくてはならないんだ! 貴方は一体何をしていた!」

 弾劾が響く中、静かに、彼の竜王はその姿を見下ろしていた。





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