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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
滅の章

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13

 小一時間ほど経った頃にオーリが戻ってきた時には、既に殺された羊は(さば)かれ、女たちによってせっせと料理されていた。中には肉を保存用に加工できるだけの器具を持っている家族もいて、野営地近くで被害にあったのがせめて幸運だったと言える。

 草原の民は、血の一滴も零さずに家畜の処理を行うことができる。こちらは水源を汚すことはないだろう。

 蹄の音に気づいた一同が、わっと歓声を上げる。

「おぅ、英雄のご帰還だ!」

「大活躍だったそうじゃないか、巫子様!」

 何故か既に酒の器を手にした男たちが口々に囃し立てた。昨夜、浴びるほど飲んでいたのに、飽きないらしい。

「活躍?」

 心当たりがなくて、首を傾げる。

「襲ってきた野犬を、何十匹も射殺したんだろう?」

「いや、俺が死なせたのは一匹だけだが」

「それも全部、頭を一撃で射抜いたって聞いたぜ!」

「いや、運がよかったんだよ。丁度いい角度だった。あまり血を流させると、生きている羊の毛にも血がついてしまうからな」

「もういっそ、あの娘っ子を嫁に貰ったらどうだ?」

「いやだから、俺は風竜王に一生を捧げるつもりだし」

 色々と誇張されて話が伝わっているらしい。とりあえず流れで全て適当に説明すると、周囲の男たちは更に盛り上がった。

 酔っ払いはこれだから困る、と辟易したところに、ウィスタリアの兄弟が近づいてくるのに気づいて、馬を下りる。手綱を渡すと、更に礼を言われそうになるのをいなしてその場を離れた。

 広場に、高位の巫子が笑顔で鎮座している。

 大股に近づいていくと、嬉しそうに見上げてきた。

「おお、よくやったオーリ。さあ座って飲むといい」

 新しいグラスが置かれ、ワインが注がれる。それを無視して、ディアクリシスの隣に座ると、低く声を出した。

「どうして、野犬がやってくるのが判ったのですか?」

 はぐらかすように少し目を見開いて、ディアクリシスはこちらを見返してくる。

「巫子様?」

「風竜王の恩寵には色々あるのだよ」

 さらりと告げて、老いた巫子は自らのグラスを取り上げた。

「じゃあ、野犬が突然逃げて行ったのも、竜王様の御力なのですか?」

 笑みを保ったまま、ディアクリシスはそれに答えようとしなかった。


 オーリが、犬が嫌がって逃げ出してしまう音を出す笛、というものの存在を知るのは、それから二日経って野営地を出発した後のことになる。




 そんな風に日々を過ごして、三年が経った。

 オーリは、竜王宮内で既に新入り扱いはされていない。

 ある晴れた秋のある日、竜王宮はにわかに騒がしくなった。

「どうしたんだ?」

 ノーティオに呼び出されて、オーリが尋ねる。

「国王陛下が崩御された。竜王宮からも葬儀と戴冠式に出なくちゃいけないんだよ」

 少年が答える。彼は、少人数の巫子を束ねる班長から、若手の巫子を束ねる立場になっていた。

「お前も王都に行く人数に入ってる。仕事にかかれ」

「何で俺が?」

 意外に思って、尋ねる。

「下っ端の一人も連れない人間が偉く見える訳がないだろう。お前はディアクリシス様のご指名だ。逃げられると思うなよ」

「こんなときぐらいは竜王宮にいたいんだけどな」

 相変わらず、高位の巫子の道楽である行幸(ぎょうこう)にはつき合わされているオーリが嘆息する。

「俺だって行かなきゃいけないんだから、お前を解放する訳にはいかないんだよ」

 意地の悪そうな顔で、ノーティオが断言した。



 ディアクリシスは、どうにも気が乗らない風情で馬車に乗っている。

 その馬車も、贅の限りを尽くした、風竜王宮でも最上のものだ。普段使っている、薄い板で箱状に形成した荷車、という態の馬車よりは格段に乗り心地はいい筈だが。

 気が乗らない、という表情と言えば、ノーティオもだった。普段から別ににこやかな方ではないが、それでもずっとむっつりとした顔を崩さない。

 他の巫子たち、といえば様子は様々だ。王都へ行くのを楽しみにしている者、竜王宮から離れたくない者、どちらとも判断できない者。

 だから、彼らの態度も、さほど珍しくはないとも言えた。


 一行は、王都の竜王宮へと滞在することになった。

 本宮であるアーラ宮は、巨大な岩山を掘り抜いて作り上げた竜王宮だ。各所に様々な彫刻が施され、漆喰で壁に優雅な架梁(かりょう)が作られているし、調度だって高級なものを使っている。

 だがしかし、それでも王都の竜王宮ともなると、その豪華さは並外れていた。

 主に使われる建物は三階建。無論、アーラ宮とは比べられないが、しかし王都では高い方だ。しかも、敷地の広さはちょっとした街程度もある。更に幾つもの礼拝堂や離宮が建てられ、その全てが豪奢に飾り立てられていた。

 ぽかんとした表情で立ち尽くすオーリの足を、ノーティオが思い切り踏みつけて、それでようやく我に返る。

 高位の巫子の行列の先頭では、王都の竜王宮を預かる巫子が長々と挨拶を述べていた。

「……凄いな」

 小さく呟く。

「王都だからな。お前、三年前にアーラ宮に来たときみたいな顔をしていたぞ」

 ノーティオの言葉が、暗に田舎者だと揶揄しているようで、むっとする。流石に今では当時ほどでもない。高位の巫子について、各地の都市にも立ち寄った経験がある。

 しかし、そう言えば、王都の方向へ向かっていても、内部へ入ったことはなかったな、と思い至る。

 ディアクリシスが避けていたのだろうか。

 まあ、彼の目的は草原の民の歌を蒐集することだから、王都に用事はないのかもしれないが。

 既に儀式と言ってもいいような挨拶を交わす上位巫子たちに、オーリはやがて何度か欠伸を噛み殺した。



 その日のうちに、王宮へ行かねばならない、ということで、彼らは大急ぎで支度にとりかかった。

 珍しく純白の聖服に身を包んだディアクリシスは、浮かない顔をしたままだ。

 王都の竜王宮に用意されていた馬車は、今まで乗ってきたものよりも更に豪奢だった。

 オーリは、何というか、もう、他と比べるのは諦めることに決めた。切りがないような気がしたからだが、それは確かに正解だった。

 王宮の敷地の中を、馬車とそれに随行する騎馬が進む。随員の中には、ノーティオの姿はなかった。

 やがて辿り着いたのは、また竜王宮だ。

 王都には、大きいものでも二つ、竜王宮が存在するらしい。

 その、内部に巨大な空間を構築する礼拝堂へ足を踏み入れる。

 最奥の祭壇に、純白に塗られ、金で飾られた棺が安置されていた。

 その周囲には、十人に満たない着飾った人々が立っている。

「よく来てくださいました、高位の巫子」

 三十代半ばほどの男が、固い表情で挨拶を口にする。

「しっかりするのだよ、トゥルドゥス」

 男の肩に手を置き、ディアクリシスが慰めの言葉を告げた。

 その後、数人の貴族や貴婦人と言葉を交わした後で、静かに棺に近づく。

 オーリの控えている位置からは、棺の中は見えない。

「……私は、陛下を子供の頃から存じ上げていた」

 ぽつり、とディアクリシスは呟いた。

 確か、国王は五十代に差し掛かった年齢の筈だ。見るからに、ディアクリシスの方が年上である。

 その後二時間ほど、遺族たちと話し合ってから王宮を辞する。

 葬儀は明日執り行われる。真夏ほどではないが、まだ気温はそこそこ高く、竜王宮の一行を待つ間にも腐敗は進んでしまっているのだろう。できるだけ早く済ませてしまいたい筈だ。

 その夜、オーリが一通りの雑用を終え、控えの部屋に引き取る前に、ディアクリシスは小さく言葉を漏らした。

「若者が早くに死んでしまう、というのは、本当にやりきれない。代わりにわたしが死んだ方が気が楽というものだ」

「巫子様は大切なお身体なのですから、そのようなことをおっしゃらないでください」

 だが、ディアクリシスは首を振る。

「地位だの、身分だの、そんなものよりも大切なものがある。可能性だ。オーリ。お前は、わたしよりも先に死ぬのではないよ」

 どう返していいか判らず、オーリはただ頭を下げた。

 無論、死にたい訳ではない。

 だが、もしも生命(いのち)の危機が迫った場合、自らの生命を賭しても高位の巫子を護らねばならない立場であることぐらい、彼はこれでも充分判っていたのだ。

 ディアクリシスのこの言葉をオーリが痛感するのは、あと数年後のことになる。



 壮麗な音楽が響いてきて、葬儀が始まったのだ、と判る。

 竜王宮の参列者は、高位の巫子に次いで、王都に在籍する巫子が殆どを占めた。

 王室との関係を保っていたのは、主に王都の竜王宮なのだから、特に問題はないと思われるが、この旅に同行した下位の巫子たちは内心の不満を零していた。

 しかし、仕事に差し障りがなければ、礼拝所の隅にいることを認められたため、彼らは大急ぎで作業を終わらせようとしている。

 特に興味もなかったオーリは、自然、一番最後になった。

 冷たい水でも用意しておこうか、と水差しを手に取る。

 礼拝堂の奥に続く廊下を進み始めて、十分も経っただろうか。

 オーリは、見事に道に迷っていた。


 方向感覚には、自信があった。(しるし)の少ない草原を進むこともできたし、アーラ宮の、曲がりくねって掘り進められた通路にも慣れた。それに比べれば、人の手で造られた建物の中など、楽なものだと思っていたのだが。

 王宮内の竜王宮は、中途半端な長さの階段を幾つも昇り降りする構造になっていて、今どの階にいるのかが掴みにくいのだった。

 音楽が鳴っている方が礼拝堂だ、とは思うが、その音すらも聞こえにくくなってきている。

 途方に暮れかけて、一度できるだけ戻ってみようか、と思った時に。

「おい、そこの巫子」

 横合いから、声をかけられた。


 それは、数歩行き過ぎたところの扉の中から放たれたようだ。

 一瞬、聞こえなかったふりで行ってしまおうかと思わなくもなかった。が、いかに不慣れな場所であっても、ここは竜王宮で自分は竜王の巫子である。民には、巫子として接しなくてはならない。

 何より、今日この建物にいるのは、竜王宮の関係者以外は殆どが貴族だ。失礼な真似をする訳にもいかなかった。

 内心溜め息をつきながら、引き返す。

「何か御用でしょうか」

 軽く会釈する。顔を上げたオーリの前にいたのは、だらしなくソファに半ば寝そべった男だった。

 歳の頃は二十代半ば程度か。淡い金髪が、巻き毛となってそのふてくされたような顔を縁取っている。毛足の長い絨毯の上には、幾本ものワインの瓶が転がっていた。紛うことなき酔っ払いだ。

 三年間竜王宮に仕えた、と言っても、オリヴィニスはまだ重要な位置にいるわけではない。自然、日常で酒を飲める立場ではなかった。何となく、酔っ払いに対する評価は辛くなってしまう。

「全く、何度呼んでも誰も来ないなど、人を莫迦にしているのか?」

 貴族の男は、座った目でこちらを睨みつけてくる。

「申し訳ございません。葬儀の関係で、皆出払っておりまして」

 巫子の返事に、男は大きく鼻を鳴らした。

「カルコニス公子の俺に、口答えだと? 貴様、何様だ!」

 酔いに曇った目を(すが)める。ふいに考えこんだような表情が、すぐに嘲りとなった。

「そうか、貴様、ディアクリシスの秘蔵っ子だな? 昨日も礼拝堂に来ていただろう」

 意味が判らず、無言で通す。

 しかし、自分は酷く平凡な容姿だと思っていたが、あの時随行した十数人の中にいたことをよく覚えていたものだ。特徴と言えば、精々背が高い程度だというのに。おそらく、この貴族は前日に礼拝堂に集っていた中にいたのだろうが、オーリはさっぱり覚えていない。

 他人に関心がない、というのもあまりよくないな、と少しばかり自省する。

 その様子をどう判断したか、男は更に不機嫌になったようだ。

「ふん。あの老いぼれ、次の高位の巫子も遊牧民にするつもりだとはな。色々手を回しているようだが、そうは行くか」

「あの」

 男が一人でぶつぶつ言っていることだ、無視するべきだった。

 しかし、反射的にオーリは声を上げた。

「高位の巫子、という地位は、人の身が決めることができるものではありません。竜王様がお選びになるもので」

 顔のすぐ傍で破壊音がして、びくりと身体が震える。

 男が、手元にあった酒瓶を投げつけたのだ。

 とろり、と、赤い液体が壁を伝い落ちていく。

「莫迦を言え。あの老いぼれが即位して、何十年経ったと思う。選ばれたところを覚えているものすら少ない筈だ。そんなものは言い伝えにすぎん。自分の息のかかった者を、次の権力の座につけるのは当然だろうが」

「しかし」

 更に言い募ろうとしたところで、男が身を起こした。ふらふらと身体を揺らしながら、こっちへと向かってくる。

「稚児風情が、いい気になるなよ。貴様、どこの氏族の出だ?」

 延ばされてくる掌が、不吉な気配を放つ。そのまま、乱暴に顎を掴まれた。オーリが彼よりもやや長身だ、ということが判ってか、更に眉を寄せる。

「稚児というには、そいつは(とう)が立ちすぎていますよ。アンセル」

 背後から声が放たれて、二人は同時に視線を向けた。


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