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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
滅の章

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136/252

12

「……ディアクリシス様?」

 翌朝、通常行う務めをこなす前に強引に呼び出されて、オーリは高位の巫子の執務室にいた。

「何かね?」

 飄々と、老いた巫子は問い返す。

「俺の役目は一旦終わったのではないのですか?」

 完全に、絶対的に終わった、と断言できないところが悲しいが。

 卓を前にし、ペンとインクと多くの羊皮紙を準備したディアクリシスは、あっさりと言葉を返す。

「お前が覚えた曲を、書き記さなければならないのだよ」

「……ああもうそんなことだろうと思いましたけど……」

 がっくりと肩を落として呟く。

 ある意味不敬と断じられても仕方がないその態度を、しかしディアクリシスが咎めることはない。

「さあさあ、先は長いのだよ。歌はともかくとして、楽器も一種類ずつ再現して貰わなくてはならないからね」

「一種類ずつ!?」

 焦って、顔を起こす。高位の巫子は威厳を持って頷いた。

「わたしの知らない全ての曲で、だ」

「無理ですよ、無理! 俺、リュートを弾くのでもやっとなんですよ、ご存じでしょう!?」

 自分の練習の成果を、この老人が熟知していない筈がない。薄気味の悪いその確信を抑えつけて、主張する。

 だが、ディアクリシスは軽くそれに答えた。

「本当に無理ならば、色々と考えるとも。お前が指導して、他の者に演奏してもらってもよい」

「……俺が、指導……?」

 予想して、顔から血の気が引くのを自覚する。

 オーリは、ディアクリシスの行幸に随行することが決まってから、周囲の者たちからは生温かく接されていた。それが半ば以上、同情からくるものだったとしても、以前まで向けられていた敵意や嫉妬は薄れてきていたのだ。

 しかし、ここで彼よりも遙かに腕前が上の者を指導する、などという状況になれば。

 彼の置かれる立場は、以前よりも遙かに悪くなることは、感単に予想がついた。

 ……それを、ほんの少し恐ろしい、と思ってしまうことが、彼がこの地に馴染んできたという証なのかもしれないが。

 何とかしてそれを回避する策を、高位の巫子の為に歌いながらオーリは必死に巡らせていた。


 歌はかなり細切れに歌わされた。

 それを聞き取りながら、ディアクリシスは一心に羊皮紙へと何かを書きつけている。

「……なんですか、それ」

 初めて彼に呼ばれた時も、同じようなことをされた。その時には高位の巫子へ問いかけることすらできなかったが、一ヶ月ほど共に旅をして、それなりに気を許されてきている。オーリの、ある種礼儀がなっていない部分も、彼は大目にみてくれていた。

「楽譜、というものだよ。楽曲の音階などを、書き止める方法だ」

「これが、今俺が歌っていた歌なんですか?」

 卓に(にじ)り寄って、覗きこむ。規則性があるようなないような線が、多数引かれていた。

 フルトゥナの伝統的な歌は、大抵が口伝だ。書き留められることはまずない。オーリが楽譜を目にするのも初めてだった。

「イグニシアで広まっている手法だ。これを見れば、一度も聞いたことがない人間でも、曲を再現できるのだよ」

 楽しそうに、ディアクリシスは説明する。

 イグニシアとは、大陸の北方にある国だ。民は酷く几帳面で、何から何まで記録しなければ気が済まない、奇妙な者たちだ、と伝えられていた。

 なるほど、曲を記録する、というのも、彼らならやりそうなことである。

「俺でも、ですか? つまりその、俺の知らない曲の、楽譜、があったとして、それを見れば演奏できる?」

 オーリがそれに食いついた。彼とて、フルトゥナの民だ。知らぬ曲を我がものにしたい、という衝動は、ディアクリシスほどではないにしろ、強い。

「読み方さえ判るようになればな」

「教えてください」

 即座に、オーリは頼みこんだ。面白そうに、高位の巫子はそれを見つめる。

先刻(さっき)言っていた、他の方にお願いして、曲で使われた楽器一つ一つできちんと再現するよりも、俺の記憶にある曲を書き留める方が、絶対に早いし、正確です。そりゃ、間違うことがない、とは言いませんが……」

「二人で見れば、間違いも少なくなるだろう。ふむ、いい考えかもしれないな」

 隣に来なさい、と告げて、ディアクリシスは少し場所を空けた。今、オーリが歌っていた曲の譜面をざっと示す。

「最初から、もう一度歌ってみなさい」

 声にあわせて、ディアクリシスが羊皮紙に書かれた記号に指を走らせる。懸命に、オーリは視線をそれについていかせた。

 元々、オーリは物覚えがいい。楽曲に対して、聞くだけで記憶するという特性はずば抜けているが、それ以外の事柄に対しても、教えられれば布が水を吸うように吸収していった。

 数時間後には、大体の要領を覚えて、簡単な曲の譜面を作り始める。

 一旦書いた後でディアクリシスに渡し、もう一度歌ってみて、間違いを正していった。

「やっていけそうだな。慣れていけばもっと早く、正確にできるだろう」

 幾つか間違っていた場所を訂正しながら、しかし満足そうにディアクリシスが判断した。

 ほっとして、肩の力を抜く。

「本当に、お前が来てくれてよかったよ」

 ぽつりと告げられて、戸惑う。

「今までは、民が演奏する傍らでわたしが書き留めなくてはならなくてね。先ほどまでお前がしてくれたようなことを、ずっと繰り返していたのだ。長ければ、一つの曲の楽譜を完成させるのにも数日かかる有様だった。二ヶ月ほどかけた旅で、一体幾つの曲を保存できたかといえば、それは本当に少なかったのだよ。オーリ。お前のおかげで、本当に捗りそうだ」

 しみじみと評される言葉が、しかしオーリには微妙に嬉しくなかったりするのであった。



 その後、オーリが高位の巫子に拘束される時間は、かなり減った。

 通常の務めをこなしてから楽譜を作成するのでも、とりあえずディアクリシスが満足できる速さで済ませられたからだ。

 後日、楽譜が読める奏者に頼み、曲を再演してもらう時も、高位の巫子が表に立ち、オーリ自身は傍に控えていることで乗り切った。時折ディアクリシスが彼に意見を訊くが、オーリが旅に同行したという事実から、それはさほど不自然だとも思われていない。

 出来る限り波風を立てずに、日々を暮らしていくこと。

 それは竜王宮に入った直後の彼からは思いもしない望みだった。

 余計な厄介ごとに巻きこまれれば、竜王へお仕えする時間が減るのだ。それに、自分を統率するノーティオにあまり心配をかけたくはない。穏やかな日々の方が、物事は上手く進む。何より、竜王宮で竜王に仕える者たちが争うことを、竜王は望みはしないだろう。

 何ヶ月か毎に、高位の巫子の道楽につき合って旅をするのも、徐々に慣れてきた。

 草原の民にとっては、下位の巫子ですら、竜王に仕える巫子には変わりがない。彼らの望むように、民と竜王との仲立ちをするべきなのだ。

 オーリは、旅の間、ディアクリシスに巫子としての様々なことを教わるようになった。もう、御者台の上で無聊を慰めるために歌を歌うだけ、という時間は殆どない。

 竜王宮に居る間は、他の巫子にも教えを請う。

 謙虚に、熱心に務めに向かうオーリを、周囲は少しずつ受け入れていく。

 ゆっくりと、彼はこの社会に馴染んでいった。



「あれ? オーリ?」

 西方の、小さな井戸を中心にした野営地に滞在していた時、彼は突然声をかけられた。

 その時は、馬車の窓枠が割れてしまったのを修理していた。振り向くと、馬を二頭引いて一人の少女が立っている。馬の鞍には、中身の少ない革袋が幾つか下げられていた。

「やあ。タリア」

 小さく笑んで、向き直った。訝しげに、ウィスタリアはこちらを見つめている。

「何でここにいるの? ひょっとして、ディアクリシス様と一緒?」

「ああ。高位の巫子様は、奥の天幕でちょっとお休みだ。ほら、昨夜の宴会が盛大だったからね」

 今は、まだ午前中である。そちらに視線を流して、苦笑した。

「でも、どうして? 前にこっちに来られたのって、ええと」

「八ヶ月ぐらい前だな」

「その前は三年ぐらい空いたのに」

 不思議そうに呟かれる。

 それは、ディアクリシスの目的である楽曲の蒐集(しゅうしゅう)が、オーリの働きによって格段に時間の短縮ができたからだ。だが、それを口にはしないで、彼は肩を竦める。

「巫子には巫子のお考えがあるんだろう」

 その言葉に、また少女は首を傾げた。

「どうした?」

「ううん。何か、感じが変わったなと思って」

 相変わらず、彼女は率直だ。

「そうかな」

「そうよ。……何か、あった?」

 しかし自分では特に思い当たらずに、黙って考えこむ。

「あ。そういうところは変わらない」

 ふいにくすりと笑って、ウィスタリアはとん、と彼の腕を叩いた。

「何やってるの? 修理? 手伝おうか?」

「いいよ。今着いたところなんだろ。馬に水をやらないと」

 そう返して、オーリは馬の鼻面から手綱を手に取り、彼女の手から一頭引き受けた。

 奇妙な顔で見上げてくるのに気づいて、問いかける。

「どうかしたのか?」

「……別に」

 彼女には珍しく言葉を濁すと、先に立って歩き始めた。

「ねぇ。背、伸びた?」

「これ以上伸びたら困る」

「何で?」

「聖服のサイズが合わなくなるんだ。また仕立て直しになったら、文句を言われる」

 憮然として答えたオーリに、少女は楽しげな笑い声を上げた。


 二人が向かう先で、ざわめきが起きる。男たちがばたばたと天幕から走り出てきた。

「何かあったのか?」

 オーリが声を張り上げると、一人が足を止めた。

「巫子様が、野犬の群れが来ると。南だ!」

「野犬?」

 何故そんなことが判るのか。単に変な夢でも見たんじゃないのか、と思いかけたところで、ウィスタリアが迷いもせずに自分の引いていた馬に跨る。

「おい?」

「そっちに家族がいるのよ!」

 言い置いて、走り出す。舌打ちをして、オーリも馬に(またが)った。強引に馬首を反転させる。

 一度、馬車の傍で手綱を引いた。御者台の傍らにかけておいた弓と矢筒を手に取る。革袋が邪魔をするが、殆ど膝の力だけで強引に馬を走らせ、矢筒を背に負った。

 先行していたウィスタリアに追いつき始める。遠くに、羊の群れと数頭の馬に乗った人影が見えた。

 そして、それを追い回そうと走り寄る、十数匹の野犬も。

 ウィスタリアは、真っ直ぐに家族に向けて駆けていく。その少し後ろで、オーリは大きく弧を描いて馬を駆った。

 ぎり、と引き絞った弓から矢が放たれ、野犬の鼻先の地面へと突き立つ。

 驚いたような鳴き声を上げて、その野犬は跳ね退いた。

 続けざまに放った矢は、ことごとく野犬の身体を掠めていく。

 群れが、警戒するようにこちらへ注意を向ける。

 だが、一際大きな、灰色の毛並みをした野犬が一頭の羊へ向けて飛び掛った。眉を寄せ、しかしオーリは一切躊躇わずに矢を放つ。

 どっ、と重い音を立てて、矢尻が野犬の耳から体内へ突き立つ。宙を舞っていたその身体が、僅かに横にずれた軌跡で落下した。まだ温かい肉体が上から降ってきて、狙われていた羊が狂ったような勢いで走る。

 低い唸り声を上げる野犬まで、十数メートルというところで馬を止めた。次に動く相手へ向けるつもりの矢は既に番えられ、弦がぎりぎりと引き絞られている。

 見ると、周囲には他にもニ、三頭の野犬が転がっていた。数本の矢が身体に射ちこまれている。

 ウィスタリアの家族なのだろう、三人の男が羊を護るような位置で、こちらも弓を手にしていた。

 十数秒、そのまま動かなかった野犬が、突然悲鳴を上げる。

 誰も、矢を放ってはいない。

 忙しく耳をぴくぴくと動かし、野営地の方向を警戒していたが、そのうち、とうとう野犬の群れは逃げ出した。

 不審に思いながらも、溜め息をつき、弓を下ろす。

 見ると、野営地から馬に乗った男たちが駆けてきていた。彼らに怯えたのだろうか。

「ありがとう、タリア」

 背後の声に視線を向ける。おそらくは父親だろう男が、ウィスタリアへ話しかけていた。

「あ、あたしは何も」

 慌てて、少女が手を振る。不思議そうに、父親は彼女とオーリを見た。

「野営地で救けを求めてくれたのではないのか?」

「ああ、それは高位の巫子さまがいらっしゃったのよ。それで、皆に知らせてくださったの」

 ウィスタリアの、飛躍した説明に、しかし父親は得心したように頷いた。

「巫子様も、ご助力ありがとうございます」

 うやうやしく頭を下げられるのに、頷く。

「被害はありましたか?」

「羊を二頭、やられました」

 悔しそうに、そう答えてきた。

「とにかく、早く野営地へ向かった方がいい。血の臭いにつられて他の群れもやってくるかもしれないから。野犬の死体は、俺が始末しましょう」

「巫子様、そのようなことは」

 焦ったように、男が遠慮する。

「俺は今、特に仕事がないから構いませんよ。この馬と、縄を貸して貰えますか」

 戸惑ったまま、父親は視線を横へ向けた。傍らにいた、オリヴィニスより少々年上らしき青年が、鞍に吊った一巻きの縄を外して差し出してきた。

「オーリ、あたしも手伝う」

 ウィスタリアがそう言って降りようとするのを、片手で制した。

「女の子がするようなことじゃない。それより、羊を護るんだ」

 遊牧民にとっては、それが何より大事なことだ。少しむっとした顔で見返す少女を気にもせず、地面に降り立った。宥めるように馬の首を撫でて、手に持った縄を解く。

 野犬の死体を集める。まだほのかに温かく、だらんと垂れるその身体を無造作に並べ、脚に縄を結わい、数珠繋ぎにする。そしてその反対側の先を、馬の鞍に結んだ。

 地面を引き摺っていくことになるが、仕方がない。縄の長さは五メートル近くあるのに、それでも馬は神経質に背後の臭いを気にしている。

 その頃には、もうウィスタリアの一家は野営地へ向かっていた。野営地から加勢に来た者たちと途中で合流していっている。

 野営地には井戸がある。水源からできるだけ離れた場所に死体を捨てなくてはならない。

 オリヴィニスは馬に跨り、踵で軽くその脇腹を叩いた。




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