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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
滅の章

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135/252

11

 そして一週間後、オーリは再び草原を進んでいた。

 風竜王の高位の巫子が旅をするにしては、質素なものだ。一週間程度の食料を積んだ、居室を兼ねている大型の馬車が一台。御者台には、むっつりとした顔でオーリが手綱を取っている。

 早朝にアーラ宮を出た時にはおとなしく馬車の中へ入っていた高位の巫子だが、一時間も経たないうちにひょい、と御者台へ通じる戸口から顔を出した。

「危ないですよ」

 ぶっきらぼうに、オーリが告げる。

「こんないい天気に、馬車の中に入っているなんて勿体ない」

 簡単にそう答えると、ディアクリシスは身軽に隣へ腰を下ろした。

 オーリが小さく溜め息をつく。

「ほら、口は空いているのだから、歌でも歌おうじゃないか。随分上達したのだろう?」

 上機嫌な高位の巫子のために、オーリはその日はずっと歌い通した。


 夕方近くになって、適当に平らな地面を選んで馬車を停める。車輪に輪留めをかまし、馬の世話をした。

 その後、地面に穴を掘って火を熾し、食事の準備をする。

 半年前までは日常的にやっていたことではある。だが、その時は家族が共に居た。一通り、一人でこなす、というのは中々大変なことだ。

 結局、食事ができたのはとっぷりと陽が暮れてからだった。ディアクリシスはそれをにこにこと待っていて、責められることは全くなかったのだが、少々反省する。

 食事も済んだ後に、独り焚火の傍に立って、夜空を見上げた。

 地図の見方は教えて貰っていたが、羊皮紙の上に描かれた線が世界の縮図だ、と言われても、どうにもぴんとこない。

 星の動きと地図を見比べて、何とか頭に入れようとする。

 ぐるりと周囲を見渡すと、遠くにアーラ宮の灯が見えた。あの畏敬すら覚える姿は、もうすっかり小さくなってしまっている。

 大きく、溜め息をつく。

「憂鬱かね?」

 突然声をかけられて、びくりと背中を震わせる。

 どうやら、馬車の窓が開いていたらしい。

「アーラ宮から離れてしまったので」

 ぽつり、と小さく返す。

「もうホームシックなのかね。そこまで竜王宮に慣れ親しんでいることを喜ぶべきかな」

 茶化すような言葉に、しかしオーリは首を振った。

「竜王様と離れてしまったことが辛いのです」

 僅かに沈黙が流れる。

「竜王は、世界中のどこにでもおられるのだよ」

 柔らかく、諭すように、宥めるように告げられる。

「ですが、竜王宮はやはり特別です」

 噛みしめるように返した言葉に、ディアクリシスは言葉を返してこなかった。



 そのまま二日経った日のことだ。朝からディアクリシスは馬車の行く先を指示していた。草原育ちのオーリでさえ、殆ど目印らしきものも見つけられない場所だというのに、その言葉には確信が満ちている。

 おとなしく馬車を引く馬の耳の向こうに、遊牧民の野営地が見えてきたのは、午後近くになってからだ。かなり大きい。少なくとも、十数家族はいるだろう。

 やがて、野営地から一頭の馬が走り出た。鮮やかな衣類をはためかせながらこちらを目指して駆けて来る。

 それは一人の少女だった。歳の頃はオーリとそう離れてはいないようだ。明るい茶色の髪は、陽の光に照らされてやや赤みがかって見えた。敵意はないようで、大きく開いた目は期待に満ちている。

 御者台の横まで来ると、彼女は器用に馬の向きを変えた。

「ディアクリシス様!」

「おお、ウィスタリア」

 嬉しげに声をかけてくる少女に、高位の巫子は柔らかく笑む。

「今年も来てくださらないのかと思っていましたよ」

「爺の我儘につき合わされずに済むと?」

「まさか。皆、お待ちしておりました」

 明るい笑い声を立てて、ウィスタリアと呼ばれた少女が返す。

 彼女を伴って野営地に近づくと、ざわざわと騒がしくなっている。

「巫子様だ!」

「ディアクリシス様、ようこそ!」

「三年ぶりですね」

「巫子様、子供が産まれたんです! どうか祝福を」

 口々に歓迎の言葉を述べながら、人々が馬車の周囲を取り囲む。とても進めなくなって、オーリは手綱を引いた。

 手を差しのべられたディアクリシスが御者台から降りた。そのまま、民に囲まれて野営地の中へと案内される。

 水が引くように周囲の民はそれに続く。肩を竦め、オーリはがらんとした周囲を見渡した。野営地の一角から家畜の声が聞こえてくる。

 そちらへ馬車を進めると、杭と縄とで囲まれた空間が幾つかあり、その中に家畜が放されていた。近くに泉も湧いている。

 空いた場所に適当に馬車を止め、馬を外した。泉へと先導し、水を飲ませる。

「オリヴィニス、さん?」

 蹄の様子を点検していたところに、声をかけられる。振り向くと、最初に駆け寄ってきた少女が立っていた。

 無言で見返す相手に戸惑ったように、ウィスタリアは言葉を続ける。

「あの、ディアクリシス様がお呼びなのだけど」

「今忙しい。後で行く」

 ぶっきらぼうに返したオーリに、唖然とする。

「高位の巫子様のご命令よ? 貴方、巫子なんでしょ?」

「じゃあお前が馬の世話を代わりにやってくれるのか? 人間の用事など、幾らでも後回しにできる」

「巫子様の警備も重要な仕事の筈でしょう」

 少女の声に、咎めるような響きが混じった。

「警護を俺一人しかつけない時点で、何かあったら竜王宮の責任だ」

 淡々と言うと、視線を手元に戻す。

「……何か怒ってるの?」

「いや」

 半分は嘘である。彼は、苛立っていた。

 竜王宮を、風竜王の傍を離れ、またも草原に戻ってきたことに。

 ここにいると、あの頃の飢え渇いたような気持ちを思い出して、嫌になる。

 唇を引き結び、嫌がる馬の脚を撫でてやっていると、ウィスタリアは隣の馬の傍にしゃがみこんだ。

「手伝うわ。そしたら、早く戻れるもの」

 オーリは驚いて少女を見たが、すぐに無言のまま作業に戻る。

 少女がこちらにちらちらと視線を送っているのを、何となく認識しながら。



 離れていたところでも少し聞こえてきてはいたが、野営地の中は既に大騒ぎだった。

 焚火では肉が焼かれ、酒を振舞われ、音楽が鳴り響き、人々は陽気に踊っている。

 その中で民に囲まれ、ディアクリシスは笑顔を湛えていた。周囲からひっきりなしに話しかけられ、祝福を求められて。

「……何の祭りだ?」

 呆れかけて呟く。

「元々は、交換するために集まったの。ほら、牛とか馬とか羊とか」

 ああ、と返して、後方にちらりと視線を向ける。

 遊牧民の中でも、家族単位で移動する者は多い。しかしそれでは、家畜の繁殖には血が濃くなりすぎてしまうため、定期的に他家族の家畜と交換を行うのが常だった。オーリも経験がある。

「うちは親戚で集まってたんだが、ここもか?」

「ううん。ディアクリシス様が来られるかもしれない、って、割とあちこちから集まるの。でも来られる日が判ってる訳じゃないし、この地方へ来られるとも限らない。タイミングよく今日会えて幸運だったわ」

 やや嬉しそうな響きを交えて、ウィスタリアが返す。

「どうして、そんなに有難いんだ?」

 つい零したオーリの疑問に、僅かに不快な表情で見上げられた。

 この少女は、感情を表に出すことに躊躇いがないらしい。しかし、この半年間である程度対人関係について鍛えられたこともあって、オーリはすぐに補足した。

「いや、アーラ宮からここまで来るのに、三日しかかからなかったんだ。ここに集まれるのなら、竜王宮に来ることだって簡単だろう」

「ああ、うん。そうなんだけど」

 あっさりとまた表情を変えて、ウィスタリアは頷いた。

「でも竜王宮に行っても、高位の巫子様と親しくお会いできる訳じゃないわ。祝福だって、わざわざ与えて下さることもないし。それに、やっぱり、高位の巫子様がここに足を運んでくださるのが嬉しいのよ」

 馬車を御して来たのは自分だが、と考えたが、口には出さない。

「そんなものかな……」

「だって、高位ではない巫子様も、草原の民をわざわざ訪ねてはくださらない。貴方も草原にいたのでしょう? その時、誰か来てくださった? 竜王宮で、そういうお仕事に誰か就いていらっしゃる?」

 尋ねられて、考えこむ。心当たりはない。

 返事はなくても、その様子に満足したか、ふいにウィスタリアはオーリの手を引いた。

「ほら、早く。待っていらっしゃるわ」

 ディアクリシスの元へ歩き出す。

 彼らの前方には、大人たちの間をよろよろと歩いている幼い少女がいた。足元がおぼつかないのは年齢のせいだけではなく、その両手に子山羊を抱えているからだ。

 脚が地面につきそうになるのを、精一杯持ち上げて歩いている。だが、少女はとうとう大きく後ろへのけぞってしまった。

 転ぶ、と思ったところで、とん、と背後から身体を支えられる。

 きょとん、として見上げた先には、オーリの姿があった。ゆっくりと体勢を戻してやる。

 見慣れない相手の服装が、巫子の聖服であることに気づいたか、少女の顔がぱっと明るくなる。

 ぎこちなく向き直って、腕を伸ばす。

「みこさま、このあいだうまれた子なの。しゅくふくして!」

 オーリが当惑して、少女を見下ろす。

 彼はまだ新米の巫子だ。仕事と言えば雑用ばかりで、そのような巫子としての本格的なものなど、したことはない。

 まして、相手は子山羊である。数秒どうしたものか、と考え、あっさりと高位の巫子へ押しつけようと決心したところで。

「やりなさい、オーリ」

 当の巫子から、声をかけられた。


 驚いて視線を向ける。

 確かに近くまで来てはいたが、彼の周囲は人が多く、歌も大きく響いている。こちらのことなど気づいていないと思っていたのに、老いた高位の巫子は笑みを浮かべたまま、歳若い巫子を見つめていた。

「しかし、ディアクリシス様……」

「巫子は、竜王と民とを繋ぐ役目の者だ。それは、竜王にお仕えする者の務めなのだよ。階位など、関係ない。それとも、お前はその務めは嫌だというのかね?」

 見透かされたような言葉に、胸を衝かれる。

 オーリを衝き動かす竜王への想いは、全て、自らと竜王の間のことだけだった。

 竜王と民を繋ぐことなど、殆ど考えたこともなかったのだ。

 幼い少女は、期待に瞳をきらめかせて立っている。

 意を決して、地面に跪く。片手を子山羊の、もう一方の手を少女の頭に乗せた。

「……我が竜王の名とその誇りにかけて、汝が生命、汝が魂に祝福をもたらさん。汝の魂が常に竜王と共にあらんことを」

 ふわり、と、掌が暖まる。

 それを感じ取ったか、恥ずかしそうに、しかし混じりけなしの喜びを浮かべて、少女が笑う。

「ありがとう、みこさま!」

 そして、再び子山羊を抱えたまま、放牧場の方向へと歩き出す。

 半ば呆然としてそれを見送る。ゆっくりと、自分の両掌を見つめた。

「オーリ。こちらへ」

 高位の巫子に静かに促されて、立ち上がる。未だ、何処か夢の中にいる心持ちでそれに従う。

 自分の言葉に、行動に、竜王が応えてくださった。

 その、腹の底が熱くなるような感慨が彼の全身を支配する。

 オーリが真に巫子として在るようになったのは、この瞬間からなのかもしれない。

 その歳若い巫子を、慈しむようにディアクリシスが見上げた。ぽん、と軽く自らの座る傍らを叩く。

 素直にすとん、とそこに座ったオーリに、小さく囁きかけた。

「さあ、我らの民が音楽を奏でる。それを全て記憶するのがお前の務めだよ」

「はぁ!?」

 一気に現実に引き戻され、素っ頓狂な声が漏れる。

「お前は、奉楽隊の会合で初めて聞いた歌でも、ほぼ一度で覚えてしまうだろう? 時々一人で歌っていたが、殆ど覚え間違いはなかったね。楽器での再現は少々おぼつかないところがあるが、それは多分技量の問題だろう。記憶だけに限れば、そちらもまず完璧な筈だ」

「まさかそれを目的に、俺を連れてきたんですか!?」

 反射的に問い質す。自分がこっそり歌っていたのをいつの間に聴かれていたのかと思うと、背筋が僅かに冷えた。

「当たり前だ。竜王のお授けくださった才能は活用するべきだよ。そうじゃないか?」

 敬虔そうな表情でそう断言する高位の巫子を、できることなら殴り倒したいという衝動をなんとか抑えこんだ。


 結局彼は、その後二日三晩に渡り、何十曲もの歌を覚えさせられることになる。



 オーリがアーラ宮に戻ってきたのは、出立してから一ヶ月ばかり経ってからのことだった。

「よぅ。無事だったな」

 数名で共有している自室によろめき入るような状態のオーリに、同室のノーティオが声をかける。

「無事じゃない……。死んだ」

 ばたり、と、自分の寝台に倒れ伏す。

 その固く、(かび)臭い寝台が、今はとても安心できた。

「そうでもないだろ。高位の巫子様は、普段お出かけになると、二ヶ月は戻らないぞ。お前は同行するのが初めてだから、一ヶ月で切り上げてくださったんだろう」

「あの方のご厚意みたいに言うな!」

 我慢できずに、言い返す。

 移動中はほぼ一人で全ての事柄をこなし、草原の民の野営地につけば高位の巫子への歓待につき合わされ、そして彼の道楽である、未だ知らぬ楽曲の収拾に駆り出される。

 正直、全てをこなすだけで精一杯だ。気を緩める余裕など全くなかった。

 いきいきとした様子で見るからに楽しんでいるディアクリシスに、苦々しい気持ちを持たずにはいられなかったのだ。

 ノーティオは肩を竦め、話題を変えた。

「にしても、部屋にくるのは遅すぎないか? 三時間ぐらい前には竜王宮に戻ってきてたろ」

 馬の世話や、諸々の後始末をしたとしても一時間、手間取っても精々二時間ぐらいだろう。どこで油を売っていたのか、と暗に尋ねてくる。

「……祭壇に参ってきた」

 勿論、アーラ宮の最上階にある祭壇ではない。一般の民も参詣できる、下層階にある祭壇だ。

 それでも、これほどの長期に渡って竜王宮から離れていたオーリには、竜王の存在に触れることが必要だった。

 その結果、これでもかなりささくれだった神経が治まった方なのだ。

 目を閉じて、できる限り何も考えないように努める。

 これからはまた、竜王にお仕えすることができるのだから。


 だが、勿論そんなことにはならなかった。




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