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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
滅の章

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134/252

10

 手に取ったのは、よく弾いていたリュートだ。だが、一度弦を弾いてみて、その澄んだ音色に驚く。

 表情に喜色が混じったのを察してか、高位の巫子が薄く笑う。

 とりあえず、巫子の前で思いつくままに歌を歌っていく。最初のうちは緊張もしていたが、そのうちに歌声ものびのびと広がった。

 楽しげに聞いていた高位の巫子は、四曲目が終わったところで口を挟む。

「今の歌は、初めて聴いた。どういった時に歌われるものだね?」

「確か……、死者を送るものでした。一昨年、祖母が亡くなって、珍しく親戚が集まった時に」

 きらり、と高位の巫子の目が光ったような気がする。身を乗り出すようにして、更に口を開いた。

「親戚が集まったということは、複数で演奏したのかね? 楽器は一つではないだろう? 他の楽器の演奏も覚えているのか? いや、とりあえずはリュートだ。もう一度、弾いてみてくれたまえ」

 慌てた様子で、傍らから羊皮紙とペンを取り上げる。呆れた気持ちで、オーリは再びその曲を鳴らし始めた。

 高位の巫子がとりあえず納得するまで、何度も繰り返し。


 オーリが解放されたのは、もう陽が沈んだ後だった。

「明日から、奉楽隊への務めも始めなさい。そちらには、わたしが話を通しておくから」

 奉楽隊、とは、儀式の際に竜王へ楽を奉じる巫子たちだ。幼い日の経験を思いだし、少年の顔が明るくなる。

 暗がりの中、注意して階段を下りていく。長引くことが判っていたのだろう、部屋に戻っても、こんな時間まで不在だったことに、ノーティオは何も言わなかった。

 翌日、午後になってから奉楽隊の練習している部屋へと向かう。部屋は、岩山を掘り抜いて作り上げたアーラ宮の中でも、格段に広かった。百人は超えそうな巫子たちが集っており、ニ、三層分はありそうな高さの天井に、雑多な楽器の音が反響している。

 流石に途方に暮れて、周囲を眺め渡す。と、入口に気を配っていたのか、ノーティオが近づいてきた。

「オーリ。お前の指導をするのは、マグニフィクム師だ。失礼のないようにしろよ」

 その名前を耳にして、周囲の巫子たちがざわりと騒ぐ。不審に思いながらも、無言で頷いた。ノーティオは、いつにも増して不愉快そうな顔をすると、着いてこい、と告げて踵を返す。

 少年の歩幅についていくのは、簡単だ。だが、周囲で見たこともない楽器が、聴いたことのない音色を発しているのに、ついつい気を取られてしまう。

 きょろきょろするな、と、前方からうんざりしたように声をかけられる。

 見ると、ノーティオは既に足を止めていた。慌てて、小走りになって追いつく。

 そこには、椅子に座った、年老いた巫子がいた。彼の周囲には、五名ほどの巫子が輪を描くように座っている。年齢はばらばらだが、最も若い者でも三十は越えているだろう。そのうちの一人がリュートを弾いており、皆がそれに真剣に聞き入っている。

 その曲が終わり、年老いた巫子が一言、二言演奏者へ言葉をかける。周囲の者はそれを聞き逃すまいと身を乗り出した。

 巫子の言葉が終わると、ノーティオが一歩前に踏み出す。

「マグニフィクム師。オリヴィニスを連れて参りました」

 老人の視線がゆっくりと向けられる。はっきりと緊張したノーティオの背中越しに、オーリも相手を見つめる。

「挨拶ぐらいしろ!」

 班長に小声できつく促され、慌てて一礼する。周囲の巫子たちが驚いたようにざわめいていた。

「そなたの順番は最後だ。座って聞いているといい」

 ただそれだけを告げて、マグニフィクムは他の弟子へと向き直った。相手は緊張した面持ちで、リュートを構える。

 周囲に空いている椅子はない。無造作に、オーリは冷たい床に座りこんだ。流れ出す旋律に、たちまち気を引かれる。

 呆れた顔で、しかし何も言わずにノーティオは立ち去った。



 翌日、再びマグニフィクムを訪ねた時には、やはり他の弟子たちは全て揃っていた。じろり、と睨みつけられるが、下位の巫子は雑用が多い。しかもここにきてまだ十日も経っていないオーリは、どうしても作業が遅くなった。特に悪びれもせず、輪の外側に加わる。

 と、マグニフィクムは弟子への指導が一区切りしたところで、不思議そうにオーリへ視線を向けた。

「ディアクリシス様のお言葉では、一昨日よりも昨日の方が上達していたようだが。どうかしたのかね?」

「ディアクリシス様?」

 聞いたことのない名前に、首を傾げる。

「高位の巫子様のお名前だ」

 ひそ、と前に座っていた巫子が囁く。

 昨日、どこかで聴いていたのだろうか。得心して、オーリは質問に答えた。

「それは、マグニフィクム師のご指導のおかげかと思いますが」

 世辞だと思われたのか、弟子たちの中から失笑する声が漏れる。おべんちゃらが嫌いなのだろう、マグニフィクムはむっとしてこちらを見つめてきた。

「だが、最初に弾いた時には、まだそなたに指導はしておらなんだ」

「はい。ですが、皆様にはご指導されていました。皆様が弾かれていたのも聞いておりましたし」

 その返答に、兄弟子たちがざわめく。

「三人が奏でた曲を聴いて、わしの言葉を聞いて、それで上達したのだと?」

「俺……、私は、まだまだ未熟者ですので」

 その言葉は、嘘ではない。おそらくはこの部屋にいる者全てが、オーリの遥か高みにいた。

 オーリは遊牧民の出だ。音楽の技術的な指導など、殆どされたことはない。子供の頃、歌い始め、弾き始めた頃には家族も教えてくれはしたが、成長するにつれて彼には労働力としての期待がかけられた。のんびりと音楽に興じている暇はない。

 よって、彼は他者の技量を読み取り、自らのものとしてきた。遊牧民として成長した者は、大抵そうだ。それ自体は、さほど驚くことではない。

 だが、オーリは前日に他者の演奏を見てから、自ら弾き始めるまでに一度たりとも練習を挟んではいない。

 見て、聴くことのみで、ある程度技量を身につけられる。これは、そうそうできることではない。

 そして更に的を射た指導を受けることで、オーリの能力はぐん、と伸びた。

 高位の巫子の口添えもあったのか、マグニフィクムはややこの若者に目をかけるようになってくる。

 ただ竜王に仕え、音楽を学ぶだけだったこの時期が、彼にとっては最も幸福だったのかもしれない。

 しかし半月も経った頃には、それは少しずつ歪みとなって現れ始めた。



 ある日、アーラ宮の裏で、食料を倉庫へ運び入れていた時だ。

 倉庫前までは幾人かで運んできていたが、中は通路が狭いこともあり、残りの作業はオーリ一人に任された。まあ、配置を覚えるいい機会でもある、と、彼はそれを大人しく了承した。

 倉庫の中では火に気をつけなくてはならない。油などの燃えやすい物も保存されており、万が一火が点けば、このアーラ宮に住む人々の食料が燃え尽きることになる。

 尤も、アーラ宮の周辺には広い街が形成されており、即座に飢えることはないが。

 それでも、余計に購入費がかかることになるのだ。オーリには思い至らないことではあったが、それでも説明されて理解できないほど頭の回転は悪くない。

 そこで、彼は燭台ではなく、炎の周囲を銅の板で囲んだカンテラを持って倉庫の中を動いていた。灯りは小さく、倉庫の中に人がいることなどすぐには判らない。

 扉が開き、数人の足音が響いた。料理人が何かを取りにきたのか、と、オーリはあまり気にしていなかったのだが。

 ぼそぼそと声を潜めて話す声が聞こえてくる。

「……お前は平気だっていうのか?」

 鋭く非難するような声に、苛立ちを押し殺し、平静を保とうとする声が返される。

「俺だって、あいつをよく思ってる訳じゃない。だけど、高位の巫子様が新入りを試されるのは皆同じだ。俺も、貴方たちも。その後、誰の指導を受けられるかも、ディアクリシス様の意見が通る。マグニフィクム師のご指導を受けたいと、竜王宮にいる者は誰もが願っている。奉楽隊に入れなかった者を含めて、だ。だけど、オーリが羨ましくて気に食わなかろうが、それを決めたのがディアクリシス様だということを、俺たちは忘れるべきじゃない」

「だから、お前が何とかすればいいんだよ。班長なんだからな」

 蔑むような言葉に、小さく溜め息が落ちる。

 手にした最後の包みを棚に置いたオーリは、入口近くに積んである次の荷物を取りにそちらへ足を向けた。

 ゆらゆらと揺れながら近づくカンテラの灯りに気づき、侵入者たちが口を噤む。

 やがて、それを持っているのがオーリだと見て取って、彼らは息を飲んだ。

 が、まだ灯りはこちらを照らしてはいない。自分たちの正体を把握されてはいないだろう、と判断し、男たちが扉を開けた。

「……いい気になるなよ!」

 低く、捨て台詞を残し、ばたばたと去っていく。

 後には無表情で佇むオーリと、気まずげに視線を逸らせるノーティオが残された。

「……ノーティオ」

 小さく、名前を呼ぶ。

「何だ」

 僅かに挑むような響きを滲ませて、歳若い班長は答える。

「こういうことは、よくあることなのか?」

 が、尋ねられた内容に、ノーティオは唖然とする。

「それを俺に訊くのか?」

 問い返されて、首を傾げた。

「ノーティオは、俺が今までに会った中で、一番公正な人間だ。お前に訊けないなら、誰からも答えは返ってこないだろう」

「あー、いや、そういうことじゃなくてさ」

 眉間を押さえるその姿は、どうみても十四歳の少年の仕草ではない。

 だが、オーリがじっと返答を待っているのに気づき、相手を見上げた。

「そうだな。よくあることだ。ここは本宮で、風竜王宮の権力が国全体から集まってる。誰もが上へ行きたいと望んでいるし、行けないのならせめて他人を蹴落とそうとしているんだ」

 オーリは、更に不思議そうな顔をした。

「でも、高位の巫子は竜王様に選ばれるんだろう? そんなことをしたって、意味があるのか?」

「高位の巫子は無理でも、その下で権力を掴みたいんだろう。お前は高位の巫子様からも、マグニフィクム師からも目をかけられている。……俺だって、お前と代われるものなら代わりたいよ」

 自嘲気味に、ノーティオがつけ加えた。

「厄介だな。俺は、ただ、竜王にお仕えしたいだけだったのに」

「なら、もっと小さな竜王宮に行くべきだったな。まあ、そこでも似たようなことはあるだろうけど」

 この地に来たのは、ただ近かっただけだからなのだ。とはいえ、本宮ということは最も竜王に近い気もしたので、ここで巫子となれたのは運がよかったとも言えた。今までは。

「俺は、どうすればいいんだろうな」

「……だから、俺に訊くなよ。お前はもう少し上手く人とつき合え。結局、遊牧民(あが)りだって貶められるのは、他の巫子と上手くやっていけない奴だ。友人を作って、味方を増やせ。そうしたら、お前を嫌いな奴でもお前を侮ることはなくなる」

 味方、と小さく呟く。

 遥か遠い未来、同じようなことを何度も言われるようになるとは思わずに。

 そのままじっと見つめられて、ノーティオは眉を寄せた。

「俺は嫌だぞ。言っただろ。俺はお前を妬んでる」

「妬んでる相手とは友人になれないものなのか?」

「なれないよ」

 苦笑してそう告げると、少年は踵を返して倉庫を出て行った。



 結局、その問題は時間がある程度解決した。

 その後しばらく、高位の巫子がオーリと関わることはなかったし、最初の頃の珍しさから目を引いたマグニフィクム師との師弟関係も、そのうち慣れたのか、大した興味も持たれなくなっていく。

 オーリのリュートの腕が停滞したのも一因だろう。上達するには多くの時間を練習に費やす必要があるが、彼はそれだけの時間を取れなかったのだ。

 未だ、嘲りの言葉を囁かれたりはするが、さほど実害はない。

 だが、友人、と言える相手は作れなかった。見知った相手は増えたし、敵意を向けられる人間は減った。だが、それでは友人とは言えないのではないか、とオーリは時折悩んでいた。

 そして、オーリが竜王宮に入って半年ほど経った頃のことである。

 アーラ宮裏の広場で、雑用をこなしているところに、ノーティオがやってきた。

「オーリ!」

 顔を上げ、何となくにやにやしている少年に向き直る。

「おめでとう。一週間後、お前は高位の巫子様のお供で旅に出ることになったぞ」

 その言葉に、周囲で同様に作業に励んでいた下位の巫子たちが静まり返る。

「……え?」

 意味が判らず問い返したと同時、彼らはわっと歓声を上げた。

「やー、よかったー」

「俺が指名されるんじゃないかと、はらはらしてたんだ」

「頑張れよ、新入り!」

「おめでとう、新入り!」

「ありがとう、新入り!」

 口々に好き勝手なことを言い、乱暴に肩や背中を叩かれる。当惑して、オーリは目の前に立つノーティオを見つめた。

「だからさ。高位の巫子様が旅に出られるから、そのお付きだ。お前は身の回りのお世話と警護を任されたんだよ。名誉なことだぜ」

「え?」

 呆然として、オーリは再び呟いた。



「理由としては、色々あるんだよ。普段竜王宮へ来られない、草原で生活する遊牧民を訪ねて、竜王の祝福を与えるとか。けど、まあ、突き詰めて言えば、ディアクリシス様の道楽なんだけどな」

「警備って言うなら、親衛隊がついていけばいいじゃないか……」

「あー、試したことはあったみたいだけど、結局都市の中の竜王宮を警備する奴らは、草原じゃ役に立たなかったみたいでさ。遊牧民出身者が選ばれることになってるんだよ」

「それにしたって、何で俺一人だけなんだ……」

「うちの国は基本的に平和だからな。警護、ってものも要らないぐらいだろ、本当は。ディアクリシス様は立場もあるし、お歳でいらっしゃるから、お一人で旅はできないだけで」

「……他の竜王宮に異動できないかな……」

「言っとくが、異動を最終的に決めるのはディアクリシス様だぞ」

「……ううううう」

「巫子を辞めても、一文無しだもんな。まさか、親の所に帰ってもう一度独立するために財産分けしてくれ、なんて言えないだろうし」

「ううううううう」

 夕食後、食堂の大テーブルに突っ伏して呻くオーリの周囲は、いつになく人が多かった。

 口々に、彼の新しい任務について情報を与えてくる。

 それは全くオーリの気を楽にしてはくれなかったが。

「……ノーティオ」

「代わらないぞ」

 素知らぬ顔で、少年が機先を制する。

「お前班長だろ!」

「関係ない。俺は草原育ちじゃないし、そもそもお前より年下だ。押しつけるな」

 思わず噛みついたオーリに対し、ここぞとばかりにノーティオは若さを強調する。

「まあ、諦めろ。せめて、ちゃんと引継ぎはしてやるからさ」

 陽気にそう声をかけたのは、昨年まで高位の巫子の行幸(ぎょうこう)について行っていたという男だ。

 明らかに肩の荷が降りた、という風な男に、オーリは溜め息をつきつつ頭を下げた。




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