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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
滅の章

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133/252

09

 翌朝は綺麗に晴れ、気温がぐんぐんと上昇した。

 自然、ニフテリザ砦に積もった雪は溶け、街路の排水溝を溢れさせている。砦の外壁から排出される雪解け水は、川のようにいつまでも途切れず、周囲の草原を潤わせた。

 軍が移動するための準備は、さほどかからなかった。

 ニフテリザ砦から持ち出す物資は少なく、援軍としてきた者たちはいつでも出発できるように備えている。

 殆ど、兵士の準備だけで済むこともあり、更に翌日には彼らは草原に立っていた。


 馬に揺られながら、アルマは背後を振り返る。

 出発からさほど時間が経っていないためか、砦は未だに視界の中で威容を誇っていた。ゆらゆらと陽炎を立ち昇らせたあの中には、妻と子を護り続ける男が残っている。

 サピエンティア辺境伯らには、スクリロス伯爵は持病が悪化したためにここで離脱する、と知らされた。それを素直に納得したかは判らないが、老辺境伯は疑問を差し挟もうとはしていない。

 吐息を落して、前に向き直った。

 今、アルマはマノリア隊と行動を共にしている。指揮官としては、当然だ。

 仲間たちもそれに準じ、ばらばらに進軍することになった。例外としては、民を持たないクセロぐらいだろう。彼はグランの傍にいる筈だ。

 物事が、大きく変わってしまっていた。

 一ヶ月前には、自分は軍を率いてなどいなかった。

 二ヶ月前には、そもそも軍と共にいなかった。

 一年前には、ただの大公子として、学生として王都で気楽に生きていたのだ。

 晴れた空が、果てしなく広がっている。何とはなしに、北西へと視線を向けた。

 だが、その向こうに戻ったとしても、もうあの頃の自分ではいられない。

 アルマは、この日幾度目かの吐息を落す。

 柔らかな風が、彼の髪と角を撫でていった。



 午後を過ぎて、野営の準備に入る。

 一ヶ月前よりも人数が段違いに増え、一つ一つの作業に時間がかかるようになってきた。

 アルマが所在なさげにぼんやりしていると、野営地を抜けていく騎影が見えた。

 殆ど衝動的に、兵士たちが忙しげに立ち働く野営地を抜け、後を追う。

 相手はすぐにこちらに気づいて振り返ってきた。が、それ以上は特になんの反応も見せずにただ馬を駆る。

 十数分ほど走ったか、丘をやや下ったところで相手は手綱を引いた。アルマも、その手前で止まる。

「よう。オーリ」

 青年は、薄く笑みを浮かべてこちらを見ていた。


「気詰まりなんだよね。周りがずっとこっちを伺ってる感じがして」

「するよなぁ」

「悪意はない、って判ってても、落ち着かないんだよ」

「そうそう」

「ただでさえ気が滅入ってるのにさ」

「お前もか?」

「当たり前だろう。ある意味、私が彼に絶望を突きつけたようなものだ」

「原因はイフテカールだろうが」

「それでも、後悔はするよ。仕方がない」

「……そうか」

「そもそも、私は軍を率いるのには向いていないんだよなぁ」

「え?」

 二人の将は、無人の丘で実に後ろ向きな愚痴を零しあっていたが、そのうちの一つにアルマはきょとんとして相手を見た。

「お前、三百年前のフルトゥナ侵攻で、王国軍と戦ってたんじゃないのか?」

「あー。うん。それはそうなんだけど」

 ちょっと困ったように、オーリが言葉を濁す。

「あの頃は、竜王宮には兵士がいなかったんだ。うちだけじゃなくて、他の竜王宮も。多分、フルトゥナ侵攻があった後で『竜王兵』、って組織に変わったんじゃないかな。だから、ほら、イェティスたちは『親衛隊』って名乗ってるだろう。あれは、当時の組織の名前だよ」

「イェティスは充分に戦ってたぜ。『親衛隊』と『竜王兵』の、何が違うんだ?」

 アルマが更に訊く。

「当時の親衛隊と、今の親衛隊も厳密には違う。当時の親衛隊は、戦いに敗北し、逃亡した。まあ、私が命じたんだけど。精々が竜王宮の警備程度のことしかしていなかった彼らに、イグニシア王国軍との戦闘は荷が重すぎたんだ。だから、それを継いだ者たちは、目的をひたすら戦闘に特化していった。現在、理念としては竜王兵とさほど変わらないんだろう。ただ、『親衛隊』という名を継いでいる」

 ふぅん、と少年は判ったような判らないような声を上げた。

 思えば、オーリの経験した事柄は、歴史書の中ではよく知っている。

 だから彼のことも、何となく知っているような気がしていたのだけれど。

「……なぁ。三百年前に何があったのか、ちゃんと聞いてもいいか?」

 高位の巫子が、驚いたような視線を向ける。

「お前、〈魔王〉アルマナセルと会ってるんだろ。何か、時々お前が話す〈魔王〉って、憎い仇だったり、親しそうな相手だったり、ばらばらな印象があってさ。本当のところ、どうなんだろうって思ってたんだよ」

「私の見た〈魔王〉だって、結局のところ彼の一面でしかないよ」

 穏やかに笑んで、オーリが返す。そう、ごまかすように。

「そりゃそうなんだろうけど。俺は、今までみたいに漠然とじゃなくて、〈魔王〉の(すえ)として義務を果たさなくちゃいけないんだから、聞いておくべきだと思うんだよ」

 更に一押しすると、オーリが溜め息をついた。

「長い話になるよ」

「いいさ。どうせ、次の砦に着くまで、三、四日はかかるんだろう?」

「ひょっとして暇つぶしなのか?」

 呆れた顔で、青年はアルマを見つめた。





 オリヴィニス──オーリが生まれたのは、今はなきフルトゥナ王国の、南西部の草原でのことだった。

 彼の家族は、その国ではありふれた遊牧民だった。馬に乗り、羊を飼って草原を渡っていたのだ。

 オーリもありふれた子供だった。歩けるようになるが早いか、走り出すよりも一人で馬に乗りたがった。言葉の語彙よりも、覚えている歌の数の方が多かった。子羊を狙う狐を、次々に弓矢で威嚇した。

 彼の運命を決定的に方向づけたのは、七歳の春だ。

 刈り取った羊の毛を売るために、ある都市に滞在した。都市、と言っても、フルトゥナの都市は他国と比べてさほど大きくはない。定住する人間が少ないからだ。

 しかし、オーリにとっては初めての都市である。

 今までは精々、草原で親戚と交流する程度でしかなく、家族以外の人間は十数人ほどしか知らない。

 多くの人々が街路に溢れ、市場で取引をし、楽しげに笑いさざめいている様子は、オーリの世界を急激に広げた。

 物珍しげに周囲を見渡しながら、彼は家族に連れられて、その街の風竜王宮へ竜王の加護を祈りに行った。

 そして丁度その時に、偶然、年に一度行われる儀式に居合わせたのだ。

 石畳の敷かれた、円形の広場の中央に立てられた旗竿の先端には、色とりどりの吹流しが楽しげに風に舞っている。

 街の各所に綿密な計算の上で設けられた尖塔の鐘が、近く遠く、その音を響かせる。

 そして、大勢の巫子たちが風竜王へ捧げる楽を奏でる。

 それらは、今まで耳にした、家族で歌い、幾つかの楽器で演奏された素朴な楽曲とは、全く違う音楽だった。

 痛いほどに空気を震わせ、息が詰まるほどに心を揺さぶり続ける。

 目を見開いて、オーリは全身でその空間の全てを感じ取ろうとした。

 これほど多くの人々の風竜王に対する思いが、感謝が、敬愛が、こんなにも圧倒的なものを作り上げている。

 だが、それだけではない。

 その場に、彼は、確かに風竜王の加護を感じたのである。

 未だに言葉では上手く表せない、何か巨大な意思が満ちていることを。

 彼は、この場に、その存在に、文字通り魂を奪われたのだ。

 オーリはその街にいる間、ずっと竜王宮へと通い詰めた。父親は彼の将来を考えて、取引の場にいさせたがっていたが。

 そして羊毛もまずまずの値で売れ、彼ら一家が街を出るというその日に。

 オーリはこのまま竜王宮に留まりたい、と両親に告げた。


 当然ながら、両親はいい顔をしなかった。

 彼らは家族単位で暮らしており、子供が一人でもいなくなれば、それは即座に労働力が減ることを意味する。

 両親は息子を宥めすかし、最終的にはその頑なさを怒鳴りつけながら、街を後にした。

 オーリは、年齢にしては思慮深い子供であった。両親の許しもなく、家を離れることはまず不可能だ。

 少年は、じっと時を待った。

 馬に乗り、羊を追いながら、ただ竜王を慕う歌を歌い続けた。

 彼は、まだ他に何も手にしてはいなかったから。

 空と草原の間にいるのが、ただ自分一人であったとしても、それはきっと竜王に届くのだと信じて。


 時は流れ、彼は十七歳の誕生日を迎えた。

 フルトゥナの遊牧民は、十七になると、一応の独立が許される。

 このまま家族の元に留まる者もあり、家族から離れる者もいる。離れる者は、大抵所帯を持つことが決まっている場合が多く、家族の所有する家畜を祝いとしてある程度分けられるのが通例となっていた。

 その日に、オーリは家族に対してただ一言、告げた。

「巫子として、竜王宮へ入る」と。

 家族は困惑した。オーリは七歳の時以来、その願いを口にしたことがなく、彼らにしてみれば殆ど寝耳に水だったのである。

 だが、基本的に独立する者の希望は尊重される。それに、巫子となるのであれば、財産である家畜も分ける必要はなくなる。彼の家族は、決して非人情ではなかったが、しかしそれはありがたいことであった。

 オーリは、一頭の馬だけを財産として分け与えられた。

 その馬に乗って、彼はその時いた場所から最も近い竜王宮、当時の名前で言うところのアーラ宮へと向かったのだ。




「新入り。高位の巫子様がお呼びだ」

 オーリがそう告げられたのは、竜王宮に入って五日目のことである。

 アーラ宮は、所謂竜王宮の本宮である。竜王に仕える人間を全て束ねる役割を持つものだ。

 本来、巫子となりたい、と、どこの馬の骨とも知れぬ者がやってきてすぐに務められるものではない。

 しかし、偶然にも、その頃はアーラ宮は人手不足であった。下位の巫子たちに、怪我や病気、他の竜王宮への異動などが相次いでいたのである。

 勿論、オーリはそれを知らなかった。

 仕事と言えば下働きのようなものであったが、それでも彼は満足だった。

 風竜王にお仕えすることができるのだから。

 知らせを持ってきたのは、彼が所属する班の長だ。名前はノーティオ。五歳で竜王宮に入ったという彼は、今は十四歳。オーリよりも歳下ではあったが、経験は長い。

「何の用事かな」

「新入りは一度は呼ばれるんだよ。心配しなくていい。あと、少し言葉遣いに気をつけろ」

 僅かにじろり、と睨まれて、肩を竦める。

 この頃のオーリは、むしろ寡黙で他者を気遣うことがなかった。人間と関わりあったことは、ほぼ家族だけだったからだ。

 しかし、フルトゥナではそういう人間は少なくない。少々気を悪くはされるが、最初のうちは仕方がないことだと思われていた。


 五日前、想像もできないほどの高さを誇るアーラ宮を目にした時に、オーリは畏怖と共にその地に竜王がいることを確信した。

 下位の巫子の行動範囲は、アーラ宮の下層だ。上層で過ごすほど、巫子の位は高くなる。

 アーラ宮の中央を縦に貫く空洞に、階段が設えられている。これを登り切った先、最上階には、祭壇の間があるという。下位の巫子では、立ち入ることすらできない。

 高位の巫子に呼ばれたのは、それより数層下の部屋だった。それでも、竜王に近づけると思えば、数十メートルを登る階段もさほど苦ではない。

 上層へ登るにつれて、周囲から光が差しこんでくるようになった。この辺りの風は、草の匂いがあまりしない。

 指定された部屋へ入る。相手は、既に待っていた。

 高位の巫子は、かなりの老人だった。皺だらけの顔は、常に笑みを浮かべているようだ。巫子の聖服ではなく、フルトゥナの伝統的な文様を染め抜いた布で作られた長衣を纏っている。すっかり白くなった髪は、ふわふわと微かな風にそよいでいた。

「お呼びでしょうか」

 流石に緊張して、オーリは口を開く。

「うむ。とりあえずそこに座りなさい」

 華やかな色合いの絨毯が敷かれた床には、そこここにクッションが置かれている。その山の一つに身体をもたせかけた巫子は、そう促した。無言で、オーリは手近なクッションに腰を下ろす。

「ここはどうかね。そろそろ慣れたかね?」

「はい、おかげさまで」

「以前は遊牧民だったそうだが、どの辺りの出身だね?」

 続いて問われた言葉に、戸惑う。

「竜王宮に入る際に、それ以前のことは無関係になると聞いたのですが」

 出身地も、身分も、全てを捨てて竜王のみに仕える存在になると。

 だが、面白そうに笑うと、高位の巫子は口を開く。

「まあ、固いことはいいではないか。どこかね?」

「……草原の、中央から南西地域にかけてを移動しておりました。割と海に近い辺りまでです」

 ややむっとして、オーリが返す。

 ふむ、と口の中で呟いて、巫子は更に告げた。

「お前さんが覚えている限りの歌を、歌っては貰えないかね。楽器が要るなら、必要なものを使うといい」

 指さした先を見ると、壁際に幾つもの(ひつ)が置かれている。

「これは、何の務めなのですか?」

 僅かに苛立って、尋ねる。

「不満なのかね」

「私は竜王にお仕えするためにここへ来ております。風竜王のお喜びになること以外に費やす時間など、ない」

 ぶっきらぼうに言って、腰を浮かせかける。

「なるほど。しかし、巫子は竜王のお選びになられた高位の巫子へ仕えることも、仕事のうちであるのだよ。わたしの為に働くことは、即ち竜王がお喜びになることだ」

 その言葉に、ますますオーリは眉を寄せる。何となく、おかしなことを言われているような気がしたのだ。

 だが、何と言っても彼は人づきあいの経験が少ない。口先で人を言いくるめるような者とは今まで逢ったことはなかった。

「わたしに対して仕えることが嫌だというのであれば、これ以上竜王宮に居続けることはできないがね」

 更に言い募られて、やむなくオーリの動きは楽器を選ぶ方向へと変わった。



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