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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
滅の章

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132/252

08

 深夜間近になった頃。

 城塞の一角を、数人が歩いていた。

 グランにオーリ、ペルル、クセロ、アルマ、そしてモノマキア伯爵だ。

 伯爵は、どことなく困惑したような顔をしている。

 やがて歩哨に立っていた兵士が、誰何の声をかけてきた。

「モノマキア伯爵のアルデアだ。アグノスに会いたいのだが」

 普段なら取り次がないように、と命じられているのかもしれない。だが、昨夜は戦闘があったばかりだ。非常事態か、と判断したのか、歩哨は直ちに奥の間へと姿を消した。

 やがて、彼らはある部屋へと通される。

「一体何があったのかね」

 スクリロス伯爵は、訝しそうに、やや苛立ったように問いかけた。

 ここは、伯爵の私的な居間である。他の部屋に、と言われたのを、強固にここに、と主張したのだ。彼が不機嫌であっても、無理はないと思われた。椅子を勧めさえしないのが、その最たる証拠だ。

「夜遅くに申し訳ない、アグノス。だが、大事な話があるのだ」

「それは、君が話したい訳ではないのだろう」

 ちらり、と竜王の高位の巫子たちを見ながら言う。

「ご慧眼恐れ入ります」

 いけしゃあしゃあと軽く一礼して、オーリが返した。

「話があるのなら、早くして貰いたい。オリヴィニス殿」

 つっけんどんな言葉に、青年が大人しく頷く。

「奇妙に思ったのは、この雪です。我らが竜王は自然と四季を司る。当然、気候を人の手で動かすことの困難さや後々の影響を、私たちはよく知っている。ごく短時間ならともかく、五日間にも渡って雪を降らし続けるならば、龍神の使徒、イフテカールはこの砦の中に居続けなくては無理なのです」

「それは、しかし、一応予測できていたことでは?」

 首を傾げて、スクリロス伯爵は尋ねた。

「はい。ですが、どこに、ということはまだ判っていません。雪が降る前、彼らの拠点は砦の南地区にありました。ですが、おそらく今はそこにはいないでしょう。いるのなら、この寒さの中、薪を燃やす煙が立ち上っていなくてはおかしい」

 しかし、兵士の巡回や外壁での歩哨からそのような報告は入らない。彼らが目にしたこともなかった。

「ならば、北側か、とも思いますが、そちらは軍隊で満ちています。不審な建物があれば、どこからか報告が上がってこない訳がない」

「そうとは言い切れまい。見逃したということは充分あり得ることだ。何より、これほどの雪を降らせるようなことができる相手なら、身を隠すことぐらい簡単だろう」

 スクリロス伯爵の反論に、オーリは一度同意した。

「それは確かにその通りです。が、そこまで気を配らなくてもよい場所があるのですよ」

「というと?」

 グランは口を挟まない。これは、オーリの考えだ。

 ただ、後ろ盾となるかのように傍に立つ。

 そして、オーリはそれに答えた。

「この城塞の中です」


「会議の内容が王国軍に筒抜けになっていたかもしれないことも、ペルルをあっさりと攫うことができたのも、物資を倉庫ごと燃やし尽くすことも、全て、外部からこっそり行おうとすれば酷く困難だ。だが、この内部に協力者がいれば、それは考えるまでもなく、容易い」

「いや、ちょっと待ってくれ、オリヴィニス殿」

 口を挟んだのは、モノマキア伯爵だ。困惑した顔で青年を見つめている。

「貴公の言われることは、その、つまり」

 しかし、彼はその続きを口にできない。

 反して、オーリはきっぱりとそれを引き取った。

「はい。私は、スクリロス伯爵が龍神の使徒、イフテカールと通じているのではないかと思っています」


 スクリロス伯爵は、無言で立ち尽くしている。

「貴方が信頼のおける部下に命じれば、可能だった。サピエンティア辺境伯へ送られた使者も、全てが貴方の兵だ。彼らは一人残らず道中で襲われ、殺され、成り代わられた訳ではない。ただ、辺境伯を足止めするように、と指示しておけば、それで足りた。幾ら送り出しても帰ってこないのだって、そう命じておけばそれでいい。使者に龍神の烙印がなかったのも、不思議ではない。使者その人が龍神に帰依していなくてもよいのだから」

 ほの暗い室内では、伯爵は酷く老けて見えた。黒髪に混じった白髪も、この一ヶ月で随分増えたようだ。

「この五日間、風竜王の恩寵が(かげ)りを見せていました。イフテカールが風雪を操り、妨害をしていたのでしょう。でなければ、サピエンティア辺境伯の到着を、私はもっと早く知ることができた筈だ。伯爵、だとすれば昨夜、人は死なずに済んだのですよ!」

 オーリの声が、苦渋に満ちる。

 援軍が来ていると知っていれば。

 例え吹雪が続こうとも、彼らは、無理に砦から討って出る必要はなかったのだ。

「アグノス、何か……」

 縋るように、モノマキア伯爵は妻の兄を促した。

 だが、男は口を引き結んでいる。

「間違いであれば、そうおっしゃってください。私だとて、嬉しくて貴方を告発している訳ではない。……ですが、伯爵」

 風竜王の高位の巫子は、小さくつけ加える。

「貴方の背後の壁の向こう側に、少なくとも二人の人間がいらっしゃいますね」


 長く、息を吸いこむ。そして同じぐらいの時間をかけて、長く吐き出した。

「……初めてその男と会ったのは、モノマキアから居城に帰ってきた時だ」

 掠れた声で、スクリロス伯爵が話し始める。

「金髪に青い眼の、まだ若い男だった。彼は堂々とイフテカールと名乗り、自分に手を貸してくれ、と要請してきた。私は断固として断った。信じて欲しい、私も最初から裏切り者だった訳ではない」

「勿論だ、アグノス」

 衝撃を受けながらも、それでもモノマキア伯爵が頷く。

 薄く、息を震わせるようにしてスクリロス伯爵は笑った。

「そうしたら、彼はただ、一度腕を振った。我が竜王にかけて、確かにそれだけだったのだ。だが、その瞬間、彼の傍らには、私の妻と娘が座っていた」

「莫迦な!」

 モノマキア伯爵が、今度こそ驚愕に叫ぶ。

「妻と娘?」

 グランが小さく呟いた。

「……昔、流行(はやり)(やまい)で死んだと聞いた。確か、ええと八年前、だったとか」

 オーリが記憶を探りながら答える。

「その八年前から、全く変わっていない姿だった。勿論、生きていた訳ではない。奇跡でさえない。何か、恐ろしい(わざ)によって帰ってきたのだと、判ってはいた。……だが、私は屈した。二度と、二度も、彼女たちを失いたくなかったのだ」

 顔を伏せて、呻くように男が告白する。

「八年前、というのは確かなのだな?」

 突然、グランが割りこんだ。

「あ、ああ。私は葬儀に参加できなかったから、覚えている。その頃は、疫病のせいで街を封鎖していたのだ。どうしようもなかったのだが、妻はそのことをずっと気に病んでいた」

 モノマキア伯爵が戸惑いながら返す。その返事に、幼い巫子が舌打ちをした。

「何の因果もなく亡くなって、八年後にその者たちを生き返らせるなどと、龍神の下僕ですらできる訳がない。八年前の、その流行病すら、奴の関与を疑うべきだ」

 鋭く、男は顔を上げる。

「なに、を」

「八年だ。普通に埋葬しても、もう骨しか残っているまい。流行病、と言うなら、死体を焼いた可能性もある。死者を生き返らせるならば、その肉体と精神と魂の情報が不可欠だ。死後すぐ、というのならともかく、今から画策しようとしても果たせない。奴が病を蔓延させ、先立って二人の情報を得ていたと見るのが妥当だ」

「まさか、そんな、八年も前からそんなことを企んでいたなんてあるわけがない!」

 半ば錯乱したように、スクリロス伯爵が叫ぶ。

「この事態を予測はしていなかっただろう。だが、将来の駒を得るために、奴は幾らでも策を練る。今の怠慢が、十年後の敗北に繋がることを奴はよく知っている。実を結ばなかった策謀は、この十年で百やそこらで済むとは思えないな」

 グランの言葉に、男はよろめいた。どん、と壁に背をつけてようやく立っている。

「伯爵。奥方と娘御に会わせて頂きたい。至急、確かめなくてはならないことがある」

 しかし、その様子に頓着(とんちゃく)することなく、強く、グランは主張した。

「……二人は、領地に置いてきた」

「嘘をつかないで頂きたい。二人を失うのが恐ろしい、というのなら、目を離すことなどできない筈だ。ここに連れてきているのではないですか」

「それで、二人を殺すのかね。自然の摂理に反した生を持つ二人を、竜王が許す筈がない!」

 ばっ、と腕を振って、男が怒鳴る。

 うんざりしたような顔でグランが口を開いた。

「そんなことはない。どのような経緯だろうが、今存在する生を、竜王が奪うことなどあり得ない。我らが四竜王の名とその誇りにかけて、彼女たちに危害を加えることなどしない、と誓う」

 それは、この世界において最上級の誓いである。

 迷ったようなスクリロス伯爵の肩に、そっとモノマキア伯爵が手を置いた。確かな慰めと、励ましを籠めて。



 伯爵が彼らを案内したのは、先ほどオーリが少なくとも二人の人間がいる、と言った、壁の裏側の部屋だった。

 扉を叩くのに応じて、静かに内側から開かれる。

「あなた、一体どうなさったの? 大声でエリヤが起きてしまって」

 心配そうに顔を出した女性が、スクリロス伯爵の後ろに立つ人影に気づく。

「……クラニア……?」

 呆然とした顔で、モノマキア伯爵が呟いた。

「まあアルデア、お久しぶりね」

 嬉しそうに笑う女性は、鮮やかな金髪に緑色の瞳を持った、三十代にさしかかったばかりと見えた。死の面影など、微塵もない。

「お前たちに会いたいというお方が来ているのだ。よいかね?」

 瞳に沈痛さを滲ませながら、スクリロス伯爵が尋ねた。戸惑ったような顔で、それでもクラニアは頷く。

「お父さま! おじさまも!」

 はしゃいだ声を上げて、幼い少女が走り寄る。だが、二人の背後に数名の人影を見つけて、慌てて母親の影に隠れた。

「申し訳ありません、人見知りで」

 恥ずかしそうに、少女はそろりと顔を覗かせる。

「それにしても、どうなさいましたの? このような夜中に。しかも、お若いお嬢さんまでご一緒ではないですか」

 クラニアの言葉に、ペルルが優雅に一礼した。

「初めまして、奥方様。私、水竜王の高位の巫女、ペルルと申します」

「まあ。このようなところにようこそ、姫巫女様」

 軽く膝を曲げて挨拶する。が、顔を上げたクラニアは少し不思議そうに呟いた。

「あら、でも、高位の巫子様は確かもっとご高齢ではなかったかしら?」

「お前たちが病に臥せっている間に、色々あったのだよ」

 そっと、スクリロス伯爵が妻の肩に手を乗せる。無言で、縋るように彼は一行を顧みた。

「申し訳ございません。私と娘は、三ヶ月前まで病で療養しておりましたの。それもほんの一、二ヶ月の間ですのに、そんな大変なことがありましたのね。お悔やみとお祝いをお受けくださいますか、ペルル様」

「勿論ですとも」

 穏やかに笑んで、ペルルが頷く。

 無造作にグランが一歩前に出た。

「火竜王の高位の巫子、グラナティスと申します。このような夜中にご訪問したご無礼をお許し頂きたい。実は、お二人が(かか)られた病について少々研究をしておりまして。お二人に、お尋ねしたいことがあったのです」

「何なりと、グラナティス様」

 高位の巫子が、同じ場所に二人以上居合わせることなど、まずはない。この砦に来るに当たって、ある程度の説明は受けていたのだろうが、少し驚いた顔でクラニアは答えた。

「指を、見せて頂きたいのです」

 が、その申し出に、興味津々で顔を覗かせていたエリヤが、ぱっと母親のスカートの影に身を隠した。

「これ、エリヤ」

 小さく声をかけるが、首を振ってしがみついている。

「申し訳ありません。実は、お恥ずかしい話なのですが、私たちは少々指先が荒れてしまっていて。エリヤは恥ずかしがっているのです」

「若きレディに、このようなことをお聞きするのは無礼だと存じております。が、それは病の症例の一つなのです。拝見できれば、今後の治療に大きく貢献できるのですが」

 すらすらとグランが答える。夫人は、困った顔で娘を振り返った。

「私の手だけでは、いけませんか?」

 僅かに、グランは考えこんだ。

「ご令嬢の状態についても、私の質問に答えてくださるのであれば」

「構いませんとも」

 頷いて、グランは後ろを振り向いた。

「スクリロス伯爵と、ペルルは一緒にご覧頂けますか。他の者は後ろを向いていろ。ご婦人の慎みの問題だ」

 顔を見合わせて、アルマたちは大人しく背を向けた。僅かに含み笑いを浮かべながら、モノマキア伯爵もそれに倣う。

 小声でグランが幾つか質問し、夫人がそれに答えていた。ペルルの言葉も時折混じる。

「……?」

 くい、と背後からマントを引かれた。

 肩越しに視線を落すと、いつの間にかエリヤが背後に立っていた。じっと、アルマの顔を見上げている。

「具合、よくなったの?」

「え?」

 突然の問いかけに、戸惑う。

「おとなしくしていなさい、エリヤ」

 スクリロス伯爵の慌てた声に、しかし少女は黙らない。

「ご病気だったの、よくなったの? 向こうのお部屋で、ずっと休んでたのでしょ? 私も、この間まで何日もベッドから出られなかったのよ」

「エリヤ!」

 鋭く制する声に、娘はびくりと身体を震わせた。

「失礼」

 小さく呟いて、オーリが大股に部屋を横切る。

「オリヴィニス殿……!」

 スクリロス伯爵に視線も向けず、さきほど少女が指さした先の、壁に下げられたタペストリーを剥ぐ。その裏の壁には、飾り気のない扉があった。

 それを強引に押し開いて、青年は一歩足を踏み入れた。


 簡素な部屋だった。酷く狭く、寝台が二つ、壁際に押しつけられている。その間にある小さな卓には、炎を揺らめかせている燭台と、黒い汚れのついた錫製の洗面器が置かれている。

 寝台は使用した形跡があった。特に、一方はまるで人が入っているかのように、マットレスと毛布の間に空間が形成されている。

「どうした?」

 背後からアルマが問いかけた。

「ここに、エスタがいたんだ。おそらく、イフテカールも」

 言い置くと、彼は寝台に近寄った。毛布の中へと片手を差しこむ。

「……まだ温かいな」

 小さく呟いて、オーリは踵を返した。戸口にいたアルマを押し退ける勢いで隠し部屋を出る。

 そのまま、夫人の部屋すら出ようとする青年に、グランが声をかける。

「落ち着け、オーリ。奴はもういなくなったのだろう。今、王都に戻ったかもしれないのに、一体どこを探すつもりだ」

「だけど……」

 言い返そうとしたオーリが、唐突に口を噤んだ。

「……あ。雪が、止みましたね」

 ペルルが小さく呟く。

 この数日間でようやく訪れた静寂は、耳に痛いほどだった。



 夫人と令嬢に(いとま)を告げて、居間へと戻る。疲れたように、スクリロス伯爵は皆に椅子を勧め、自らも深く身を沈めた。

「伯爵。他はさておき、奥方と娘御について少々お話しすることがある」

 真面目な顔で、グランが告げる。

「お聞きしましょう、幼き巫子」

 気力を振り絞るように、伯爵は背を伸ばした。

「死者の身体を再び作り上げ、魂を定着させることは、そう長時間続くものではない。崩壊は、末端から始まるものだ。奥方の指を見るに、爪が少々割れ始めていた。おそらくは、あと二年ほどで身体の自由は利かなくなるだろう」

 鋭く、息を飲む。

「そんな、ことが……」

「お待ちください、グラン様。私には、あの方たちが死に瀕しているようには見えませんでした」

 ペルルが、口を挟む。希望を籠めて、伯爵は彼女を見つめた。

 だが、グランは譲らない。

「これは、人が自然に死へと向かうようなものだ。病や外傷ではない。老いによる身体の衰えが、貴女に感知できないのと同じだろう」

 そう説明されれば、ペルルは強く反論できない。苦しげに、グランを見つめている。

「ですが、何か……」

「あの下僕が手厚く保護をしてくれるのなら、もう数年は延びるかもしれない。だが、それは僕が保障できることではないのでな」

 冷酷に聞こえるほどにあっさりと、グランは続けた。がくり、とスクリロス伯爵は肩を落す。

「加えて、進んでであろうとなかろうと、龍神の下僕に協力していた以上、我らはこれ以上貴方を信用するわけにはいかない。ここで同盟から離脱して貰いたい。負傷者の手当てと、捕虜の監視をしつつ、ご家族で静かに暮らされるがよかろう」

 伯爵は、しばらくの間、声を上げなかった。




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