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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
水の章

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13/252

12

 翌日は、一日を荷馬車の修理や馬の解体に費やすこととなった。

 士官たちの使う家具は野営地へ置いていく。

 行軍できない兵士と、捕らえた賊はその後もここに留まり、看護と警護を兼ねて一小隊を配備する。

 同時に使者を麓へ向け、家具や怪我人たちを運ぶための人員を手配してもらうことにした。運がよければ、ここまで雪が降りてくる前に下山できるだろう。

 何とか予定を立てたところで、アルマはしばらく休むように促された。だが、天幕へ戻ったところでそんな気分にはなれない。

 服を着替え、きちんと頭に布を巻き直し、彼は再び野営地を歩きだした。

 野営地の一角に、十数人が固まっている。

「閣下」

 一人が気づいて声をかける。全員が慌てたようにこちらを向いて敬礼した。

「どんな様子だ?」

 彼らの傍には、壊された荷馬車が並んでいる。被害は荷台が焼け焦げていたり、車輪が打ち壊されていたりと様々だ。積まれていた物資を下ろし、そちらも使える物と使えない物とを選別しなくてはならない。

「無事な部品を持ち寄って、補修を試みております。軸棒が歪んでいたりしますので、上手くいくかどうかは判りません」

「そうか」

 雰囲気から困難さが窺えて、僅かに気落ちする。頼む、と告げて、さりげなく周囲を見回した。

 荷馬車が並んでいるのは、厩の近くだ。長年山越えのための野営地として使われていたここは、飼い葉桶がついた簡易な厩や井戸が設けられている。だが、その中にいる馬たちは明らかに数が少ない。

「その……、残りの馬たちはどこだ?」

 アルマの問いかけに、兵士達は僅かに戸惑った。

「野営地の森の際まで運んでおります。元々、死骸を放ってはおけませんので、森に埋めるつもりでありました」

 指さした先に、幾つか焚き火が燃えている。その周囲に人影が動いているのを確認して、アルマはそちらへ足を向けた。

「アルマ様、何もご自身で向かわれずとも」

 背後にぴたりとついてくるエスタが気遣わしげに声をかける。

「お飾りでも、俺の仕事なんだよ。従軍することを承諾した時に、覚悟を決めておくべきだったんだ」

 低い、憂いを帯びた声で返す。唇を引き結んだ世話役には視線を向けず、アルマは真っ直ぐに歩いている。

 兵士達がこちらに気づいたか、僅かにざわめきが起きた。それに混じって、何頭かの馬の嘶きが聞こえてくる。

「ああ、アルマ。いいところに来てくれた」

 ノウマードが小走りにやってきた。

「何か問題か?」

 ほんの僅か、希望を持ちながら尋ねる。が、青年はあっさりと言葉を返してきた。

「いや、大したことじゃないんだけど。これから馬を解体するとなると、血脂で服が汚れることになる。正直、私は着替えをもっていないから、ちょっとこの先困るんだ。古着でもいいから、汚してもいい服が物資にないかな。手伝ってくれる兵隊さんたちの分も」

 微かに、少年が青褪める。

「ああ、勿論構わない。今、物資を分類しているから、そこで訊いてみればいい。俺が許可を出したって言えば大丈夫だろう」

 ありがとう、と告げて、ノウマードは周囲に立つ兵士に視線を向けた。数人が頷いて、野営地へと戻っていく。

「……始めるのか」

 唇が乾いて、上手く言葉が出ない。

「うん。早く処置をしないと、肉に血生臭さが残るし、無駄に長引かせるのも可哀想だからね」

「ノウマード!」

 苛立ったようにエスタから呼ばれて、青年はきょとんとした視線を向けてきた。

「顔色が悪いな、アルマ。戻って休んだ方がいい」

 が、違うことに気づいたのか、珍しく気遣わしげな声をかける。

「俺は大丈夫だ」

 片手を振って受け流そうとするが、青年はそれに乗らなかった。

「駄目だよ。ほんの何時間かで、最低四回は魔術を使ったじゃないか。疲れてるんだろう」

「四回!? お前、アルマ様に何を」

「エスタ」

 うんざりしたように少年が名前を呼ぶ。

 確かに疲労感が無いとは言えない。だが、魔術を使ったこと以外の心当たりが多すぎる。

「これが終わったら、歩いて山を登るんだ。体力を回復させておかないと、みんなが困る」

 素っ気なく言って、ノウマードは踵を返した。そのとりつく島もない態度に溜め息を落とす。

「お休みください、アルマ様。何事かがあれば、テナークス様が対処します」

 きっぱりと断言するエスタに、また違う疲労感を覚えたりもしたが。



 出発の朝は、酷く冷えこんだ。

 火を消した跡に残るぬかるみに、薄く氷が張っている。体重をかけると、それは靴の下であっさりと割れ、じわりと水が滲みだした。

 マントを身体に巻きつけ、歩き出す。兵士たちが隊列を作り始めている傍らを抜けて、先頭へと向かった。

「テナークス」

 呼びかけに、副官が振り向いた。普段なら、出発前には自分がアルマの元へ報告に行く。その前に訪ねて来られて、男はかなり驚いたような表情を浮かべた。

「アルマナセル殿? どうかなさいましたか」

「いや。……問題は、ないか?」

「はい。予定通りに進んでいます」

 羨ましく思えるほどに不安そうな気配を見せず、テナークスは答えてきた。

 視線を空へと向ける。どんよりと暗い雲が、クレプスクルム山脈の上半分を覆っていた。

「降りそうだな」

「順調に行けば明日には峠を抜けられるでしょう。しかし、まあ国境を越えた後の方が厳しいですな」

 普段から、山脈のイグニシア側の方が天候は荒れがちだ。峠を越えても、二、三日は気が抜けまい。

「宜しく頼む」

「はい。アルマナセル殿も、姫巫女をお願いします」

 頷いて、少年は踵を返した。



 山道は、想像した以上に険しかった。

 最初の数時間は大して疲労は感じなかったものの、午後を回る頃には太腿の痛みに足を上げることすら辛くなる。

 地面も轍によって段差ができており、それに足を取られて挫きそうになったことも幾度かあった。

 足を進める毎に、腰に佩いた剣がまとわりつき、転びそうになることも。

 空気は冷えているのに、全身が汗にまみれていた。布が巻かれた頭が蒸れて、酷く不快だ。

「結構きついものだねぇ」

 近くを歩くノウマードが幾度となく零す。

 山は見慣れない、と言っていたぐらいだから、山道を行くことは今まで殆どなかったのだろう。まして、徒歩で登ることなど。

 彼は鞍袋こそ荷馬車に預けていたが、矢と矢筒、リュートは手放していない。

「お前が言い出したことだろ」

 素っ気なく、アルマが突き放す。

「まあそうなんだけど。やっぱり馬、返して貰っていい?」

 にやにやと笑みを浮かべて要求するのは、本気ではない証拠だ。

「ああ乗ってけ。一人でどんどん先に進んで、雪溜まりで遭難してこいよ」

 アルマの憎まれ口に、ノウマードは楽しげに笑い声を零した。



 次の野営地に到着したのは、普段よりもやや遅い時間になっていた。

 設営ができるまで、馬車の傍らでペルルと会話して彼女の気を紛らわせる。

 遠慮なく地面に座りこみ、靴を脱いで足をくつろがせているノウマードに少しばかり憎悪を感じながら。


「………………しぬ……」

 自分の天幕に入りこんですぐ、呻きながらアルマは膝をついた。

 慌ててエスタが傍に跪く。

「夕食までの間、お休みになられますか?」

「そうだな……」

 また歩くことを考えると、ぞっとする。少しでも疲労を取った方がいいだろう。

 天幕を仕切る布を開けて、エスタは息を飲んだ。

 その奥には数枚の毛布と幾つかのクッションが並べられていた。

「……あー。寝台置いてきたんだっけか」

 無感動にアルマが呟く。正直、足のだるさに比べればその辺はもうどうでもいい。

「次期大公たるお方に、なんという……!」

 しかしエスタは屈辱に身を震わせている。

「抗議なら俺にしろよ」

 その脇をすり抜けて、クッションの上に勢いよく腰を下ろした。投げ出した靴をエスタが脱がせるに任せ、頭に巻いた布を手荒くほどく。指を髪に突っこみ、ばさばさと振り乱した。



 その日の夕食に焼いた肉が供されて、アルマは少しばかり怯む。

 旅程を考えると、先日捌いたばかりの馬の肉を優先的に使用することは充分あり得ることだったからだ。

 が、意を決して一口食べてみると、燻製特有の匂いが口の中に広がってくる。

 気が抜けて、問いかけるように、視線をテナークスへ向けた。

「……姫巫女がいらっしゃいますので」

 小さく、囁くように言葉が返ってくる。

 おそらく、兵士たちには馬の肉が料理されているのだろう。

 この山を越えるために、士官の、貴族の特権を一時的に撤廃することを決断したアルマナセルにとっては、それは少々気にかかることではあった。だが、だからと言ってあの肉をペルルにまで食べさせたい訳ではないので、かなり悩ましいところである。

 きょとん、とした風に見つめてくる水竜王の巫女に、アルマは曖昧な笑みを向けた。




「ぐおあぁあああああああ……」

 翌朝、毛布の中でアルマは呻き声を上げた。

 身体の各所が、びしびしと痛む。太腿が痛むのは前日に山道を歩いたからだろうが、背中が一面痛むのは想定外だった。

 起き上がろうと身動きしてはその度に痛みに負けていると、声を聞きつけたのか、エスタが慌てて入りこんできた。

「アルマ様! いかがなさいました?」

「なん……でも、ねぇよ……」

 切れ切れに答えられて、青年は眉を寄せた。

「筋肉痛ですか」

「……う……」

 ばつが悪くて、ますます毛布から出られない。

「だから貴方は馬に乗るようにと申し上げたじゃないですか」

「馬が足りてなかったんだから、仕方ないだろ」

 顔を出さずに返す少年に、エスタは呆れたように溜め息をついた。

「何か温かいものでも持ってきましょう。出立までに少しは身体をほぐしておいてください」

 世話役が天幕から出て行く気配に、アルマは肩を竦めかけて、背中に走った痛みに悶絶した。



 天幕を出て、鼻の頭に皺を寄せた。

 ちらちらと、灰色の空から雪片が降り注いで来ている。

 幸い、さほどぎこちない動きでもなく馬車の前まで歩いてきて、アルマは小首を傾げた。

 テナークスとノウマードが、穏やかに談笑していたのだ。

「……珍しいな」

 呟きに、二人が振り向いた。

「あ、おはよう、アルマ」

「おはようございます、アルマナセル殿」

「おはよう」

 テナークスが空を振り仰いだ。

「降ってきましたな」

「ああ、気がつくべきだったよ」

 アルマの軽口を受け流して、朝の連絡を済ませる。

 では、と言い置いて、テナークスが隊列の先頭へと歩き去った。

「……全然ダメージなさそうだな……」

「流石は軍人さんだねぇ」

 男の後ろ姿を見送りながら、二人が呟く。アルマがノウマードを見上げた。

「お前は平気か?」

「んー。まあちょっと足が張ってるかな。山を登るのって、馬に乗るのとは違う筋肉を使うんだね」

 小さく苦笑しながら返される。

「俺はどっちかっていうと背中が痛ぇよ」

 ぼやいて、肩を回す。きょとん、とそれを見ていたノウマードが、得心したように頷いた。

「ああ、それきっと山道を登ったせいじゃないよ」

「は?」

「昨日、寝台なしで寝ただろう? 天幕の中で、毛布を何枚も使ってても、地面の上に寝るのは慣れていない間は辛いさ。特に、こんな凍りつきそうな場所で」

 ノウマードの言葉を理解して、頭を振る。

 全く、苦難が重なる時は重なるものだ。

 ペルルの寝台だけは無理にでも運んでいてよかった、と無理に気持ちを上向かせる。

「まあ今夜、寝る前までに焚き火で石を焼いておけばいい。少し冷ましてから、布にくるんで毛布の中に入れておくことだ。温まるし、背中に寄せておけば痛みも少し和らぐだろう。火傷には気をつけないといけないけど」

「昨日言ってくれ」

 生活の知恵を伝授されても、あまりアルマは嬉しそうではなかった。



 その日の行軍は、過酷だった。


 山道に入ってから、馬車の揺れは段違いに酷くなっていた。

 今まではまがりなりにも石畳で舗装された街道を進んでいたため、揺れるといってもさほど大したことはなかった。

 しかし、山道の路面は土のままだ。轍に車輪を取られ、岩や段差を乗り越えるたびに、馬車は酷く跳ねる。ペルルは泣き言の一つも言わなかったが、侍女たちは時折涙ぐんでいた。

 だが、それでも今日の行軍よりはましだったのだ。


 朝はちらついていた程度だった雪は、数時間で牡丹雪となった。水気の多い雪は、山道に触れるとじきに融ける。兵士や荷馬車が進むうちに、そこはたちまちぬかるみに変わった。

 馬が脚を滑らせることも多くなる。足場が悪く、踏ん張れないために斜面をずり落ちていきそうになる荷馬車を、数名の兵士が後ろから支えた。

 ペルルの乗る馬車も例外ではなく、背後から断続的に兵士たちの掛け声が漏れ聞こえてくる。

 やがて、それでさえ支えられなくなったか、馬車がずるずると滑っていく。

「きゃ……!」

 このまま谷底へ落ちこんでいくような感覚に背筋がざわめき、思わず悲鳴が漏れる。

 兵士たちの罵声が飛ぶが、止まらない。

「花開け、氷柱!」

 聞き慣れた声と共に、馬車に衝撃が走る。不吉な軋みを上げて、何とか滑落は止まった。

 ペルルが思わず窓に身を寄せ、外の様子を伺う。

 山道が崖になって切り立っているきわに、二メートルほどの高さで氷柱が林立していた。滑り落ちかけていた馬車はこれにぶつかるようにして止まったらしい。

「気をつけろ! 馬車とそれの間に挟まったら死ぬぞ!」

 アルマが怒声を上げ、安堵していた兵士たちは、知らず身震いした。

「できるだけ道の山側を進め。車輪が動かないなら、一旦止まってから下に板でも噛ませて乗り越えろ。怪我人が出てからじゃ遅いんだ」

 少年は頬を紅潮させ、吐息を白く変えながら指示を出している。金茶色のマントの肩に、うっすらと雪が積もりかけていた。

「アルマナセル様!」

 前方から切羽詰まった声が飛んで、アルマは即座に山道を駆け上がっていった。

 その背中が、降りしきる雪に紛れていく。

 何とか車輪が動き出した馬車の中で、ペルルはそっとはりついていた窓から離れた。


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