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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
滅の章

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129/252

05

 手の空いたマノリア隊は、そのまま正門前広場とその周辺の街路の除雪を始めた。

 兵士たちは面白くなったのか、次々に雪を丸めては転がしてきて、クセロが投げる度に歓声を上げている。

 テナークスは特にそれを咎めない。まあ、気分が変わるのはいいことだろう、とアルマもそれを眺めていた。

 やがて、街路を一頭の馬がやってきた。

「グラン」

 アルマの呼びかけに、クセロが振り返る。

 幼い巫子は、竜王兵隊長が御する馬の、鞍の前部に座っていた。防寒と落下防止を兼ねているのだろう、ドゥクスのマントに一緒に包まっている。

「大将。あんたは家に入ってろよ」

 呆れた口調でクセロが告げる。吹雪、とまではいかないが、雪は未だしんしんと降りしきっているのだ。

「お前たちが外で働いているのに、僕だけぬくぬくしてはいられないだろう。ペルルでさえ、雪の中にいるんだ」

「ペルルが?」

 驚いて訊き返す。

「姫巫女にいいところを見せようと、水竜王宮の竜王兵はいい働きをしているようですよ」

 苦笑しながら、ドゥクスが報告した。

「心配は要らん。雪は、水の一形態だ。ペルルは雪には害されん。今のところ、寒風はさほど酷くないしな」

 簡潔にグランが補足した。

「それにしたって、こんなとこまで出てくるこたぁねぇだろ。あんたも止めなよ、ドゥクス」

「お前が大道芸をやっていると聞いたんだ。ほら、続けろ」

 クセロからドゥクスへの非難を、グランは遮る。肩を竦め、男は次の雪玉に手をかけた。

 軽々とそれを持ち上げた時には、流石にドゥクスが目を丸くする。

 次いで外壁を越えると同時、周囲から大きな歓声が上がる。

 僅かに考えこんで、グランが口を開いた。

「よし。火竜王宮の集めた雪もお前が投げろ」

「投石器の使用許可は出てる筈だろ?」

 不思議に思ってアルマが尋ねる。

「外から今の様子を見たとしてみろ。砦の中から雪球が放り投げられ、その度に雄叫びが上がる。王国軍を動揺させるにはいい手だ」

「どれだけ数があると思ってるんだよ」

 クセロがうんざりした顔で反論する。最初は全て自分で処理するつもりだったのだが、一旦その数が軽減された後では不平が出るらしい。元々、彼は勤勉な質ではない。

「全部とは言わん。一つの隊につき、最初の十数個も投げれば充分だろう。残りは投石器を使えばいい。しばらく借りるぞ」

 最後にアルマたちに断ると、グランの乗る馬は向きを変えた。これ以上抗議しても無駄だと思ったか、クセロは近くの建物へ向かう。庇の下に、馬を繋いでいたのだ。

 マノリア隊の兵士たちはやや不満げな空気になったが、テナークスは彼らを一瞥してそれを抑えた。



 陽が暮れかけた頃に、ようやく城塞へ戻った一行はぐったりと椅子に身をもたせかけていた。

 多少なりと元気に見えるのはグランとペルルぐらいである。

 皆に暖かい紅茶を配るプリムラに、クセロが力なく片手を挙げた。

「酒くれ、酒。強いやつ」

「駄目に決まってるでしょ」

 呆れた顔で拒絶する少女に、大きく溜め息をつきながらオーリが口を挟む。

「私も欲しい。……流石にちょっと冷えすぎた」

 南国生まれの青年は、暖炉の傍へ椅子を引き寄せて座っている。

「ああ、もう決めた。この一切が片づいたら、アーラ砦から一歩も出ないで余生を過ごす。クレプスクルム山脈越えだけでもきつかったのに、こんな寒い土地とかもう勘弁してくれ」

「ここは、冬でも普段はこれほど寒くはないのですよ」

 ぐだぐだと泣き言を零すオーリに、困ったような顔でペルルが返す。

「お前、これから冬になろうって時にイグニシアに行こうとしてたのにな……」

 呆れ顔でアルマが呟いた。

「あの時はどうかしてたんだよ。ていうか、あの日君がタイミングよく私の前に出てきたのが悪い」

「何だその八つ当たりは」

 オーリの反論に、溜め息混じりに返す。

 久しぶりにのんびりとした空気になっていた時に。

 轟音と共に、城塞が揺れた。


「……っ!」

 息を飲んで、窓へと視線を向ける。

 飛礫が当たるような音を立てて、雪が窓ガラスにぶつかっていた。厚い雲と吹雪とで既に外の様子は伺えない。

「どこまで……っ!」

 怒りを滲ませて、オーリが立ち上がる。

 この数日、嘲うように風雪を操られ、オーリの忍耐は尽きかけていた。そこに、この嵐だ。彼が自己を制することができなくなっても、無理はない。

「よせ」

 だが、短くグランが咎めた。

「だけど」

「お前の気持ちは判る。だが、これを止められるのか?」

 真っ直ぐに向けられた言葉に、怯む。

「……、クセロ!」

 視線を転じて、名前を呼ぶ。こちらも顔を強張らせた男が立ち上がろうとするが。

「駄目だ。あれを今使っては、敵をびっくりさせられないだろう」

「けど、大将!」

「そんなことに拘っている場合じゃ……」

「三時間だ」

 更に言い募ろうとした二人を、一言で黙らせた。

「僕がこれから、伯爵たちと話してくる。丁度いい。いい加減、あの小僧たちの尻を引っ叩いてやりたかったんだ」

 こと、と、卓の上に飲み干したカップを置く。そして、グランは唖然とした一同をゆっくり眺め渡した。

「三時間後にまだ疲れただ何だと言っていたら、お前たちの尻も引っ叩くからな。ちゃんと回復しておけよ」



 結局、グランが帰ってきたのは二時間後だった。

 二人の伯爵は、その後どれほど時間が経っても、この時何が話し合われたのかを頑として明かそうとはしなかった。




 すっかり夜が更けている。

 吹雪は治まる気配も見せず、未だ荒れ狂っている。雲の中から月が顔を出していないこともあって、数メートル先の様子すら見えない有様だ。

 彼ら、司令部の一同が集っているのは、城門の横に作られた尖塔の最上階。物見の間だ。

 屋根と壁があるために、外にいるよりはまだましだが、窓にはガラスはおろか、窓枠すら嵌められていないために、吹雪はそこそこ吹きこんでくる。

「大丈夫。彼らは自分の野営地から一歩も出てはいない」

 オーリが小さく囁く。

 昼間に見た、王国軍の陣形を思い出す。

 ニフテリザ砦の北西側から北東側まで、大きく三つに分けてぐるりと包囲するような形で陣営を築いていた。

 おそらくは、五万の兵全てが揃ってしまっただろうが、最後に配置された北西側はまだきちんとした防御手段は確立できていない筈だ。

「よし。じゃあ、いくか。おやっさん」

 クセロが小さく呟く。どこからか、囁くように、応、という声が聞こえた。

 緊張した面持ちで、地竜王の高位の巫子が口を開く。

「我が竜王の名とその誇りにかけて」

 窓から下を覗く。昼間、クセロが放り投げた雪玉は、城壁の根元に数メートルの高さの塊となって広範囲に広がっていた。落下の衝撃で崩れ、更に雪が積もり、今では殆ど原型を留めてはいない。

 数分は、何の変化も見えなかった。

 やがて、雪山の一部が、ぐずり、とへこむ。その動きは次々に周囲に波及した。

「いいぞ。上手くいっている」

 アルマの声に、目に見えてクセロは肩から力を抜いた。この気温だと言うのに、額に脂汗を滲ませている。

 地竜王は、熱も司る。城壁のすぐ外側は吹雪の範囲内であり、今まではそこに積もった雪は溶けることはなかった。だが、地竜王の御力でその下の大地の温度を急激に上げ、砦の中から排出した大量の雪を溶かしたのだ。

 そして、雪山の下から流れ始めていた水が、一気に量を増した。

 ニフテリザ砦は丘の上に建てられている。自然、周囲の地形は砦から離れるほど斜面の下方になっていた。

 その斜面を、深さ数十センチほどにもなろうという雪解け水が勢いよく下っていく。

 それはやすやすと王国軍の塹壕(ざんごう)を満たし、そして勢いを殺さぬままに野営地を襲った。

 驚愕の叫びが、あちこちから上がる。

「……あの水、殆ど地面に吸われてないんじゃないか?」

 意味ありげに、オーリがクセロに視線を向けた。

「おやっさんはあれで結構慎重なんだよ」

 自分は素知らぬ顔で、金髪の巫子が返す。

「そろそろいいだろう、アルマ。派手にやれ」

 グランが、迷いを微塵も見せずに命令した。

「お前は結構派手なことが好きだよなぁ」

 呆れて呟く。

 そして、意識を集中した。創造するために。

 闇の中の砦を、草原を、敵を全て照らし出す、強大な光を。

「放逐せよ、光明。輝き、揺らめき、世界を我が前に照らし出せ!」

 辺り一帯に響き渡った呪が終わると同時、上空に巨大な光球が出現した。

 放たれる乳白色の光は、砦の内部では雪に反射して人々の目を眇めさせる。

 だが、その城壁の外側から、驚愕と恐れの叫びが空気をどよめかせた。

「開門!」

 スクリロス伯爵の命令に、即座に鎖が騒々しい音を立てる。

 開かれた正門の内側には、馬に乗った戦士たちが整然と陣形を組んでいた。

 ペルルが、アルマの腕を掴む。小さく震える指先をそっと離し、アルマはその腕で彼女の肩を護るように抱いた。

「我らが四大竜王の御名とその誇りにかけて! 全軍突撃!」

 グランの声が、きんと冷えた空気を貫いた。


 最初に城門から走り出たのは、カタラクタの貴族の兵だ。

 最も数の多い彼らは、蹄の音を轟かせながら、陣の厚い正面へと突撃した。

 そのすぐ後ろにぴったりとついて出た、風竜王宮親衛隊が、敵陣と砦の丁度中央辺りで止まる。先行する兵士たちの頭上を越え、無数の矢が王国軍の野営地に降り注いだ。

 王国軍は、数少ない歩哨を立てただけで、殆どの兵士たちは眠りについていた。突然、身体の芯まで冷える水に襲われ、慌てて天幕を出たところで空からは昼とも見まごう光が降り注ぎ、そしてこの矢の雨である。

 酷く狼狽し、防御体勢も取れないまま、彼らは塹壕を飛び越えた兵士たちに思うさま蹂躙された。

 数百メートルほどの幅がある野営地を、カタラクタ同盟軍は一息に駆け抜ける。通り抜けた後もしばらく進んだところで、左右に二つの隊に別れ、ぐるりと反転すると分断された敵に再び突撃した。


 その間に、風竜王宮親衛隊は北東の陣営へと向かっていた。乱戦になった場所に矢を射かけても、むしろ味方を傷つける羽目になりかねない。

 彼らの横を、流れる水を撥ね上げながら、火竜王宮と水竜王宮の竜王兵たちが駆け抜ける。先頭を進んでいた、赤い制服の男が、ちらりと風竜王宮の親衛隊長に視線を向けた。

 鼻を鳴らし、イェティスは馬を駆ったまま弓を引き絞る。

 甲高い音を立てて、矢が天空へと放たれた。

 北東の野営地で、敵襲を知らせる喇叭(ラッパ)を吹いていた歩哨の喉笛に、どっ、という鈍い音と共に矢が突き立つ。弱弱しい音色を残して、その喇叭は大地に落ちた。

 それを正面に捉えたドゥクスが、僅かに目を見開く。彼の頭上を、更なる矢が飛び越えていった。

 にやり、と笑んで、火竜王宮竜王兵隊長は段平をすらりと引き抜く。

「我が火竜王のために!」

 そして、その切っ先を真っ直ぐに敵兵へと向けた。


 北西の野営地は、混乱しきっていた。

 彼らはこの地に派遣された王国軍の最後尾にいた者たちだ。行軍の速度についていけなかった兵士や、補給部隊の一部である。

 今日の午後に到着したまま、とりあえずここへ配置されただけで、実際のところは指揮系統がばらばらな兵士の寄せ集めなのだ。一応、補給部隊は予定通りの速度でもあり、隊が乱れてもいなかったので、その隊長が指揮をとることになっている。

 だが、明日にでも正規の隊へ移動し、編成を済ませるつもりだったのだ。

 このような状態で、包囲した砦の正門から溢れ出た騎兵がこちらへ向かってくるのを、疲弊しきった兵士たちが迎え討てる筈もない。

 慌てて天幕から飛び出してきた指揮官が、空から降り注ぐ光に照らされた、見慣れた紋章を染め抜いた旗を見つける。

「……マノリア隊か……!」


 悠然と、反乱軍の仕官は野営地の手前で手綱を引いた。

 こちらの陣は、塹壕も掘られていない。

「指揮官をお呼び頂きたい」

 恐怖に身を震わせながら、それでも剣に手をかけていた歩哨に告げる。予想もしなかった言葉に、若き兵士は言葉もなく相手を見返した。

「事態は切羽詰まっている。あまり先立って血を流したくはないが……」

 テナークスが鞘鳴りを立てながら剣を引き抜きかける。慌てて、歩哨は野営地内へ走りこんでいった。

「何のつもりだ、テナークス少佐!」

 憤慨しながら、指揮官が姿を見せる。かろうじてマントを纏い、馬に乗ってはいたが、身支度はできていなかったのだろう。剣は腰に()かず、手に鞘ごと掴んでいる。

「これはご無沙汰しておりました。テロス中佐」

 馬上でできうる限り優雅に、テナークスが一礼する。

「裏切り者が、何の用がある」

「勿論、降伏を勧めに参ったのですよ。早々に諦められれば、お互い痛手もないでしょう。我らとしても、同胞と戦うのは胸が痛む」

「この戦力差を知って、そのような戯言を申すのか!」

 罵声を浴びせられて、テナークスは戦闘が続く東側を一瞥した。

「なるほど、兵力差はありましょう。ですが、貴公の陣は我らの攻撃に持ち堪えられますまい。一万そこそこの兵が、しかも万全の体勢でもないようですね」

 だが、テロスはそれを認めようとはしない。

「我らは王に忠誠を尽くすのみ! 貴様のような変節者に声をかけられるとは、甘く見られたものだ!」

「テロス中佐。あの砦を、どうご覧になりますか」

 突然、テナークスは話題を変えた。

「……どう、とは」

 マノリア隊の背後に(そび)える城塞は、未だ白く舞う雪にすっぽりと囲まれている。

「この春の只中に、あれほどの雪が降るなど、尋常ではない。しかも、砦からほんの僅か離れただけのこの場では雪どころか雨すら降ってはおらぬのに。あれは、少なくとも竜王の御力でも、〈魔王〉の血を引く大公子アルマナセルの技でもない。王国軍には、それ以外の、常ならざる力を行使する者がいる証拠ではないですか」

 テナークスの言葉に、相手は咄嗟に反論できない。

「それ、は」

「そして、その者はこの世界を破滅に導こうとしており、その片棒を我が王家が担いでいるとするならば。貴公の忠誠は、果たして大義となるものですか!」

 王国軍を裏切った男の声が、まるで鞭打つように響く。

 二人の指揮官の遣り取りを見つめていた王国軍の兵士たちが、ざわめく。

 ぎり、とテロスは奥歯を軋ませた。

「御託を並べるでないわ! 我ら王国軍の名の下に、裏切り者を決して許しはせん!」

 テナークスが小さく吐息を漏らした。安堵したように。

「そうですか。では」

 次いで躊躇いなく剣を抜き、相手に突きつける。

「参りましょうか」

 その言葉が消えるよりも早く、三度、夜空を無数の矢が覆う。

 それは、王国軍の背後から放たれた。


 風竜王宮親衛隊は、北東の陣を攻撃した後に、北西へと向かわなかった。

 それは敵からも充分に予想できる動きであり、方向を変える間に背後から攻撃されかねない。

 更に、雪解け水の中にもう数十分も立っている。動かない間に馬の足が冷え切って、倒れてしまう可能性もあった。

 そこで、彼らはそのまま東へと疾駆した。ぐるりと砦の周囲を巡り、南へ、そして西へ。

 北西に展開された敵陣の、真後ろへ回りこむように。

 そして、配置に着いたが同時、夜空へ一本の火矢を放った。

 彼らが移動するだけの時間を、マノリア隊は稼がなくてはならなかったのだ。しかし下手に放置して、中央の陣へ加勢されても困る。テナークスが交渉することで、相手を惹きつけられるかどうかはかなりの賭けではあった。



 賭けには勝っている。

 王国軍は未だ混乱の渦中にあった。


 組み上げた戦術通りに動いている。

 今は。





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