03
夕方近くになって、ようやく使者が砦へと馬を進め始めた。
この時間では、交渉や開戦は明日からかとも思えたのだが。
今日は、砦の正門を閉じている。正直、王国軍の動きが読めないのだ。
前回のように、使者が正門前で止まる。馬を降り、そして声を張り上げた。
「王国軍ヴイードラ隊アプロス、使者として参上した。通達をお聞き頂きたい」
ざわ、と周囲の空気が変わる。広場に設えられた天幕の中で、司令部の面々は顔を見合わせた。
声は更に響く。
「イグニシア王国軍は、悪辣なる反逆者に対し、ここに宣言する。我らは竜王に対し心より信仰を捧げる者である。しかし、竜王より与えられた権勢を思うままにし、その驕りから正当な王家に対して叛意を示した高位の巫子と、それに追従する愚かなる者どもに対し、竜王とイグニシア及びカタラクタ王家の名の下に、正義の鉄槌を下さんとする」
「……結局何が言いたいんだ?」
クセロが首を傾げながら呟く。
「とりあえず交渉するつもりは一切ない、ってことじゃないかな」
オーリが端的に纏めた。
「あいつ、途中で言ってることが判らなくなったりしないのかね」
軽口を叩くクセロを、グランがじろりと睨む。
使者の反乱軍に対する非難の言葉はその後も数分間、だらだらと続いた。
「しかし、我らが圧倒的な武力を以って反逆者を粉砕する前に、慈悲の心によって五日間の猶予を与える。五日のうちに、全面的に自らの非を認め、悔い改め、我らが許へ下るのであれば、寛大なる王国軍はそれを受け入れるであろう。よく考えることだ」
使者はようやく言葉を切り、手にした羊皮紙を手際よく丸めると、戸惑う門衛へと手渡した。そして馬へ向き直り、雪に濡れた鞍を不愉快そうに見つめるとそれに跨り、さっさと自軍の陣へと戻っていった。
「五日の猶予……?」
不審そうにモノマキア伯爵が呟く。
「時間を稼ぎたい、のか? しかし、そうならば別にここまで急ぎ足でやってくることはなかった筈だ」
この場には、指揮官しかいない。特に王国軍を裏切ったテナークスは、交渉の場に出ない方がいいだろうと判断したからだ。
だが、今はおそらく彼の意見が必要だ。
「時間稼ぎでしょうね」
城塞へ戻った一同の前で、呼び出されたテナークスは一言で断じた。
「しかし、今更か?」
「お言葉ですが、王国軍は今現在五万の兵全てがここに揃っている訳ではありません。当然、臨戦態勢にもない。五日の間に、遅れてくる兵士たちを編成し直し、砦の周囲に軍を配置し、塹壕を掘り、拠点を作り上げるつもりなのでしょう。開戦する頃には、万全の状態でこちらを待ち受けられる、という算段ですね」
アルマが眉を寄せる。カタラクタ侵攻では、そんなに悠長なことはしていなかった。
しかし、テナークスはその疑問に頷く。
「カタラクタへの侵攻は、武力で捩じ伏せなければ勝利を得られませんでした。ですが、今回はそうでもない。彼らは、無血での勝利を狙っている節すらあります」
「全面降伏しろ、との勧告か? しかし、それが可能だと?」
不審そうに、モノマキア伯爵が尋ねる。
「五日の間に、そうなると予測しているのでしょう。確かに、我々は身中に敵を飼っているも同様です」
龍神に心酔する手先が、現在どれほど砦内部にいるか、彼らは全く把握できていない。
「貴公はどう動くべきだと思われる?」
スクリロス伯爵の言葉に、テナークスは迷わず口を開いた。
「提言させて頂くならば、即座に開戦すべきです。敵は、自分たちが陣営を整える間、我らが黙って見ていると踏んでおります。舐められていることを利用しない手はありません。しかも、時間が経てば経つほど、我らは不利となる。今ならばまだ、砦内の積雪もさほどではなく、出陣には支障はない。敵の体勢が整う前に叩くのであれば、この戦力差でも充分可能です。更に言うのであれば、交渉は元から決裂しているのですから、使者の首をその場で刎ねるぐらいはするべきでしたな」
「テナークス!」
顔色も変えずに言い放った言葉に、流石にショックを受ける。卓についている他の者たちも、やや鼻白んでいた。
「我らは北方の野蛮人ですよ、アルマナセル殿。時々それを世界に思い出させてやるのが、勤めというものです」
クセロが、喉の奥で小さく笑う。
僅かに呆れたような視線で、グランがテナークスを見上げた。
「開戦の準備はできているのか?」
「いつでもご命令ください」
当たり前のことのように、テナークスは答える。
「よし。では、明日の夜明けと同時に討って出よう」
火竜王の高位の巫子の決断に、その場は緊張に包まれた。
ばたん、と扉の閉まる音が響いて、アルマは飛び起きた。
緊張でなかなか寝つけなかった矢先だ。どうやら、どこかの鎧戸が風に煽られているらしい。溜息をついて再び横になり、寝返りをうつ。
風が強くなっているようだ。例の鎧戸だけでなく、寝室の窓すらがたがたと揺れている。
十数分ほど、眠ろうと努力して、諦めた。冷たい靴に足を入れ、窓に近づく。
暖炉に火が入っているため、窓ガラスには露がついている。無造作にそれを拭って闇の中に目を凝らした。
兵士たちの宿舎では、夜遅くまで明日の準備に動き回っていた。今はその灯りも少なくなってはいるが。
アルマの部屋からは、王国軍の野営地は見えない。場所を移動しようか、と考えていた時に。
砦内の一角から、巨大な火柱が立ち上った。
反射的に廊下に飛び出す。
「起きろ、オーリ!」
強引に扉を開けると、すぐに青年は寝室から姿を見せた。
「どうした?」
「火事だ! 西地区だと思う。火の勢いが尋常じゃない。行ってくれ!」
反論の一つも口にしないで、オーリは踵を返した。途中、マントを手にして、バルコニーへの扉を押し開きながらそれを纏う。
外は、吹雪になっていた。
大粒の雪が、彼らに吹きつける。バルコニーの手摺には、十センチ近くも雪が積もっている。
オーリが小さく舌打ちした。
「行けるか?」
「当たり前だ。君はグランと、伯爵たちに知らせてこい」
闇の中に燃え上がる炎を目印に、青年は無造作に跳んだ。僅かにほっとした瞬間、最初の現場から数キロ離れたと思われる場所で、二つ目の炎が上がる。
息を飲んで、アルマは全力で駆け出した。
ぼんやりとした朝の光の中に、焼け焦げて崩れ落ちた建物の残骸が見える。煤で黒く染まっているであろうそれは、吹きつける雪に半ば白く覆われかけていた。
周辺で手持ち無沙汰に立っていた兵士が、吹雪の中、馬に乗って近づいてくる人影を見咎める。
「止まれ!」
警戒も露に怒鳴りつける。相手は大人しく手綱を引いた。マントのフードを無造作に外す。布地に付着して固まりかけていた雪がひび割れ、落ちた。
「あー。地竜王宮の、クセロだ。ちょっと見せて貰っていいか?」
金髪の男の顔を目にして、慌てて兵士は敬礼した。突然世界に現れた地竜王とその巫子は、ある意味有名人である。止めるのも面倒なのか、一つ頷いてクセロは建物に近づいた。下馬すると、手綱を兵士に放り投げる。
崩れた石を乗り越えて、建物の内部だった場所へ入る。床に積もった雪を、足で無造作に掻き分けた。中にあったものは、ほぼ完全に灰に変わってしまっている。それは水気を吸い、石の床に硬くこびりついていた。
「ここには、何があったんだ?」
「食料です。小麦や燻製肉などが備蓄されておりました」
ぐるりと周囲を見回した。燃え跡は、かなりの面積に渡っている。
「勿体ねぇな」
呟いて、足を進めた。定期的に足を止めると雪を掻き、時折蹲って何かを調べている。
クセロが奥まで行って戻ってくるのを、兵士はじっと待っていた。
「ご苦労さん。風邪引かねぇように気をつけろよ」
手綱を受けとると、クセロはマントの内側から取り出したものを、ぽん、と兵士の手に置いた。
首を傾げる兵士が目にしたのは、度数の強い酒の小瓶である。
呆れた視線の先で、地竜王の高位の巫子は吹雪の街路に消えていった。
会議室は、憔悴した空気に満ちていた。
深夜に発生した火事は、派手に燃え上がったものが三箇所。そして、ひっそりと燃えていたものは七箇所に上っている。
オーリや兵士たちが、規模の大きな火事に掛りきりになっていたせいで、建物の内部で燻るように燃えていたことに、かなりの時間が経つまで気づかなかったのだ。
被害にあった建物は全て倉庫として使われていたものだった。
無論、夜が明けたから開戦、というような状況ではない。
「まさかこんなことになろうとは……」
スクリロス伯爵が頭を抱えている。
「残りの備蓄で、何日保ちそうなのですか?」
聞き出しにくいところを、グランが問いかけた。
「食料だけなら、三ヶ月と言ったところです。だが、燃料が……」
「具体的には?」
言葉を濁すのを、追求する。
「元々、この先暖かくなることを考えて、多くはなかったのです。しかも、薪を積んでいた倉庫の大部分を焼かれました。おそらく、全体で数日保つかどうか」
「数日……」
グランとアルマが眉を寄せる。彼ら北方の住人は、冬の寒さで人が容易に死ぬことを知っている。
まだ、砦内の寒さは冬のイグニシアには及ばない。だが、このままどこまで寒さが酷くなっていくのか。
「しかし、今ならば敵を撃破することも可能だとテナークス殿が言われていたではないか。その数日で片づけてしまえばよい」
威勢良く、モノマキア伯爵が告げる。
「できなければ、どうするのだ? 彼の戦略は、安全に退却できる砦があってのことだ。ここに留まることは、既に安全とは言えなくなってきている」
スクリロス伯爵が反論する。
「かと言って、砦を放棄できるのか? 雪が降ろうが、この砦による護りは放棄するには惜しい。なに、少々の寒さなど耐えられないこともないだろう」
普段は殆ど意見の対立することのない二人の伯爵が議論を始める。
「放棄するとは言っていない。状況が変わったのだから、戦略の見直しをするべきだと言っているのだ」
「では有用な意見があるのかね? 先ほどから少々弱気になっているようだが」
彼らは少々感情的になりつつある。グランが口を開こうとしたところで。
ばん、と何の前触れもなく扉が開いた。
「あーもーやんなっちまうぜ。雪にゃ慣れてるけど、だからって好きな訳じゃねぇんだよ。しかも、使ってねぇ地区は積もりっ放しで馬の通れる道が少ねぇときた。カタラクタじゃ、雪って珍しいのか?」
愚痴を零しながら姿を見せたのは、クセロだった。濡れた金髪を掻き上げながら部屋に数歩入り、全員から視線を向けられているのに気づいて立ち止まる。
「……どうかしたのか?」
「部屋に入るなら取次ぎを入れろ。クセロ」
溜め息をついて、グランが咎める。
「別にいいだろ。知らない仲でもねぇんだし」
肩を竦め、男はグランの隣の席に座る。
毒気を抜かれたように、伯爵たちは顔を見合わせた。
この火事は、龍神の手下の手によるものの可能性が高い。現場を調べに行くのは、前回に引き続きクセロに任されていた。
「それで? どうだった?」
空気を変えるために、グランは問いかける。
「ああ。さほど火の勢いが強くなかった場所は、単純な付火だな。油を撒いた形跡もあった。結構部屋の奥の方にまで油がかかってたから、時間をかけて用意をしていた感じだ。小屋まで焼け落ちてた三棟は、明らかに龍神の気配があった。まあ、そもそもどれだけ油を使ったって、石造りの建物があれだけ焼けることはないから、判ってはいたけどな」
卓の上に広げられていた地図に、ざっと指を走らせながら報告する。
「奴らはまだここにいると見ておいた方がいいということか」
憮然として火竜王の高位の巫子は呟いた。
「人気がないところが多いからね。身を潜めるのは簡単だろう」
ペルルが誘拐された日以来、使われていない地区も定期的に巡回はしている。しかし、現在までに不審な人物は発見できていなかった。
「……で? こっちのお話し合いはどうなってたんだ?」
クセロの問いかけに、全員が無言で視線を交わした。




