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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
乱の章

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124/252

21

 エスタの立つ周辺の床、壁、屋根が、ゆっくりと建物から剥がれ、外へと倒れていきつつあった。エスタはこの間に袖からナイフを外してはいたが、オーリらのいる室内へと移ることは躊躇したようだ。

 轟音と共に落下物が地面へと激突し、土埃がもうもうと立ち上がる。

「……無茶苦茶するな……」

 呆れて呟くが、オーリはこちらを一顧だにしなかった。床が抉られたところまで進み、思案するように崩れた屋根を見上げる。

 次の瞬間、簡単に床を蹴ると、彼は屋根に手をかけた。よ、と小さく呟いて、くるん、と身体を回転させ、屋上へと移動する。

 ペルルをその場に残して、アルマはそろそろと破壊現場へと近づいた。盛大に崩れた端から見回すと、周辺に配置していたロマたちが、塀の上や周囲の建物から顔を出しているのが伺える。アルマと同じ角を生やした、しかし明らかな別人の存在に戸惑っていた。

 エスタは、崩壊した建材の山の上に立っている。黒髪から爪先まで土埃に塗れているが、見たところ大きな怪我は負っていないようだ。

 オーリが豊かな声を響かせる。

「残念だ、エスタ。残念だよ。君は今、〈魔王〉アルマナセルの全てを受け継ぐと言った。故に、君は、この瞬間から私と我が竜王の三百年の恨みを引き受けることになる」

 息を飲んで、頭上を見上げた。地上の〈魔王〉から視線を外さない風竜王の高位の巫子は、隠し切れない笑みを浮かべている。

 嫌な予感に、背筋が冷えた。慌てて、魔術を浸透させる。ここを中心に、最低でも五百メートルほどの範囲に。

「全員、退避! 急げ! 巻きこまれるぞ!」

 アルマの叫びが、周辺一帯に轟く。

 オーリが何と言ったのかは、その声にかき消されて誰にも届かなかった。

 だが、突然天が眩く光を放ったかと思うと、次の瞬間には幾つもの光条が地を貫く。

 破壊音は、一切聞こえなかった。

 目を眇め、その強い光を見透かそうとする。ようやく見えた時には、先ほどまで山を成していた瓦礫は、細かな欠片となって周辺に散っていた。その中央で、エスタが膝をついている。衣類は、丁度光に向いていた面を中心に、幾箇所も切り裂かれていた。それは肌も例外ではなかったらしく、頬から血を流してもいる。

「どうした、〈魔王〉アルマナセルの後継者。彼は、この程度で膝を折ったりはしなかったよ」

 嘲るように、オーリが声をかける。

 きっ、とエスタがそれを見上げた。

「思い上がるな」

 よろり、と立ち上がる。視線はオーリから外さないままだ。

 瞬間、炎の壁が立ち上った。エスタの足元から、一気に舐めるように建物の屋上まで伸び上がる。

「我が竜王の名とその誇りにかけて!」

「潰れろ」

 二つの声が響いて、炎の壁は一気に収束した。

 ペルルが水竜王の、オーリが風竜王の加護で火を押し留めたのだ。

「ペルル、もう少し下がって」

 振り向いて、そう告げる。彼女は裸足のまま、材木の破片が散乱する部屋の中をこちらに近づこうとしてきていた。

「ですがアルマ……」

 心配そうに、ペルルが口を開く。

 その間にも、炎は小さな塊に押し潰されていく。

「貫け!」

 声が響くと同時、オーリの足元から、巨大な円錐型の棘のようなものが幾つも突き出てきた。素早く飛びのくが、それは幾つも連なって鞭のように彼を追う。

 勢いあまって屋根から下の部屋へと突き出る棘もある。

「うわ!」

 鼻先を掠めた棘に、反射的に後ろに下がろうとした。が、すぐ背後からは床が崩れ落ちてしまっている。強引にその衝動を押し留めた。

「アルマ!」

「大丈夫。少し、身体を低くして」

 気遣わしげなペルルに、指示を出す。

 エスタが地上にいる今、ペルルを安全なところへ移動させるのは難しい。

 天井を見上げつつ、どうしたものかと悩んでいると、どん、と鈍い音がした。

「無事か、オーリ!」

「……ああ、すぐに治るよ」

 問いかけに返ってきたのは、さほど安心できる答えではない。

「なるほど。足りないか」

 〈魔王〉の(すえ)が呟いた直後、建物が大きく揺れた。

 アルマが壁に手をかけ、身を乗り出して屋上を見上げる。

 無数の巨大な棘が、屋上の床から天を向いてみっしりと生えていた。

 が、オーリは、とん、とその一本の先端へ降り立ったところである。

 マントを脱いでいるその身体は、上半身の右側が真っ赤に染まっていた。

 しかし、既に何の支障もないように、彼はその指先を軽くエスタへ突きつける。

「一の鳥」

 エスタのすぐ正面、足元に、小さな光が点った。

 陽の光の中では見えづらいが、空気が揺らめいていることから、熱を発しているようだ。

 眉を寄せ、エスタが数歩分飛びのく。

「二の花」

 次の言葉に、エスタのすぐ背後に二つ目の光が出現した。

「三の虫、四の獣」

 次は最初の二つと同距離で、エスタの左右に。

「結ぶ八の方位、繋ぐ十六の風」

 青年の周囲を、次々にぐるりと円を描いて光る。

 エスタは、慎重にオーリの動きを見ているようだ。

「奏でよ、数多の歌を、叶えよ、幾多の望みを。翔けよ、我が竜王の元へ」

 すぅ、っと、空気が冷える。

「ニネミア!」

 オーリが名を呼んだ瞬間に、空気が果てしない重量をもって彼らにのしかかった。

「……っ!」

 この存在感は、覚えがある。

「……顕現、したのか……?」

 呼吸すらままならない重さに、アルマが呻く。

「いいえ。風竜王様ご自身はここに顕現されてはおりません」

 ペルルが、冷静に告げた。

「単純に、気配を圧縮したんだよ。元々、竜王の加護は、世界全体に溢れているんだから。……まあ、竜王の加護を受けない〈魔王〉の(すえ)には、かなりきつい状況だろうけどね」

「とばっちりかよ!」

 オーリの説明に怒声を上げる。

「君は、結界からちょっと漏れた気配に当てられているだけだろう。彼はもっと辛いんだから、弱音を吐くなよ」

 その反論に更に怒鳴りつけたい気もするが、それを堪えてアルマは視線を眼下へと向けた。

 エスタは光で形作られた円の中で、(うずくま)っている。

 苦痛からか、指が石畳を引っ掻くように立てられる。

 ぼこり、とその指が石畳の中に沈んだように、見えた。

 いや。

 影が、地面から沸き立つように、溢れ出してきているのだ。

 黒々とした影は、エスタを囲むように広がり、光の円と触れて焼け焦げるような音と嫌な臭いを残した。

 しかしほんの数秒で、影が光を飲みこみ、竜王の存在感はみるみる薄れていく。

 ゆらり、とエスタが立ち上がる。

「……全く、どいつもこいつも本当に押しつけがましい。王も神も、世界には必要ないというのに」

 青年の目の下には、この数分でくっきりと隈が生じてしまっている。

「これで判ったろう。竜王の加護など、私一人でも打ち消すことができる程度のものだと」

 真っ直ぐにこちらを見上げ、声を上げる。

「私が全力を出していると、どうして君は判断できるんだ?」

「全力を出す前に、私がお前を殺せばいいだけだ」

 揶揄するようなオーリの言葉に、吐き捨てるように返す。

「なるほど。道理ではあるね」

 妙に納得したような言葉に、眉を寄せる。再びエスタが口を開こうとした瞬間。

 その身体が、背後から突き飛ばされたように、揺れた。


「……っ」

 ぐらりと揺らぐその背には、二本の矢が突き立っている。

「エスタ!」

 視線を向けると、塀の上に数名の風竜王宮親衛隊が立っていた。既に次の矢を番えている。

 その中には、当然と言うべきか、イェティスの姿があった。

「何をしてる! 逃げろ、と言っただろう!」

 苛立ち紛れに、怒声を上げる。

 が、親衛隊隊長は凛として声を上げた。

「奴が風竜王の敵だと言うのであれば、即ち我らが敵。貴方の命令は聞き入れられません、アルマナセル様」

 彼らには聞こえないように、毒づく。

 今、この場には〈魔王〉の(すえ)が二人と竜王の高位の巫子が二人いる。正直、普通の民が周囲にいて、被害が出ないとは思えなかった。

 むしろそこはオーリが配慮すべきなのだが、青年は彼らを制止しようとしていない。

 周囲の建物の上階に、人影が動くのが見える。

 他の風竜王宮の兵士は、逃げ出したのではなく、少し離れて、しかもエスタを狙える場所へ移動したのだろう。

 じわじわと、エスタへ向けられる殺気が増していく。

 ……まずい。

 別の方向の懸念が発生して、アルマが唇を噛む。

 アルマは、生まれた時から〈魔王〉の(すえ)である。

 フルトゥナの民から、憎まれ、疎まれ、蔑まれ、殺意を向けられることは充分に知らされており、そのための心構えもできている。

 それでも、初めて直接それを向けられた時は酷くダメージを負ったものではあるが。

 しかし、エスタはそのどれも経験していない。

 どこにでもいる、多くの民からの敵意など、普通に生きてきた人間が一身に受けて平静でいられる訳がないのだ。

 しかも、彼は今、普通の人間ではない。僅かとはいえ、手負いの〈魔王〉である。

「……人間如きが……!」

 エスタが、最大の脅威である筈のオーリに背を向け、ざっと周囲を一瞥した。

「割れろ」

 青年の声が響いた瞬間、既に半壊した建物がぐらりと揺れた。

「きゃ……」

 よろめいたペルルを、慌てて半ば立ち上がって支える。

 小さな悲鳴が、各所で聞こえる。何人か、塀から落ちたらしい。

 揺れは、ゆっくりと、ゆっくりと続く。

「……何をした、エスタ!」

 嫌な感覚に、声を上げた。

 ゆるり、とエスタが顔を上げる。

「砦の基盤をなす大岩を割った。流石に少々時間がかかるようだが。しかしまあ、もう数十分でこの砦全体が崩れ落ちるだろうな。どれほどの人間が死ぬか、考えてみるといい」

 ペルルが小さく息を飲む。

「どうする。他の地区にいる仲間たちを救けに走るか? 私の、殺戮の手を逃れられればだが」

 ざわり、とエスタの周囲を取り囲む影が蠢く。

 アルマが魔術で音を広められる範囲は、さほど広くない。警告しようにも、南地区を越えることはできないだろう。

「オーリ、跳べ!」

 アルマの声に、相手は驚いたように見下ろしてくる。

「お前が、一番短時間で距離を稼げる。エスタは何とか俺が抑えておく。だから、行け!」

「いやでもそれはかなり私は不本意だというか、正直つまらないんだけど」

「そんなことを言っている場合かよ!」

 不満そうに答えられるのに、怒声を上げる。

 ぐらり、と更に建物が揺れる。

 この場所は危険だ。どちらにせよ、何とか地上に移動するべきだろう。

 色々な危険を覚悟で、ペルルを抱えて飛び降りることを決意しかけたとき。


「困ったことになっていますね」

 エスタのすぐ隣に、金髪の青年が立っていた。


 周囲から、驚愕の叫びが上がる。

 絹のように細い金髪。陽に当たったことがないような白い肌。上品に仕立てられた衣服は地味だと言えるほど飾り気がないが、しかし見るからに上等だ。手に持った純白の手袋には染み一つない。

 この場にはふさわしくないほど、あからさまに貴族階級に属する男だ。

「……イフテカール……!」

 敵に周囲を囲まれている状況で、悠然と彼は辺りを見回した。小さく溜め息をつく。

「全く、現状維持すらできないとか、どれだけ使えない方なんですか」

「それは私の仕事じゃないと言っている」

 憮然として、エスタは応えた。

 が、じろり、とイフテカールは〈魔王〉の(すえ)を睨め上げる。

「だからってこんな事態に陥っているとはどういうことです。そりゃまあ貴方が楽しんでいるのは、私としても微笑ましいとは思いますが。それでも、世の中にはやっちゃいけないことと、やらなくていいことがあるんですよ」

「……何で君たちはこんな状況で楽しそうなんだよ」

 呆れた風に、オーリが呟く。

 微笑を浮かべ、イフテカールは彼を見上げた。

「これは風竜王の巫子。ご無沙汰しておりましたね。長々と礼儀に適ったご挨拶を交わしたいところですが、とりあえず少々お待ちを」

 軽く会釈して、どん、と彼はエスタが周囲に溢れさせている影を、無造作に踏み(にじ)った。

「……っ!」

 エスタが、苦痛すら滲ませて息を飲む。影は、まるでイフテカールの靴底に吸いこまれるように、姿を消した。

 同時に、周囲の気温が僅かに下がったように、冷気が吹きつける。

「何を、した……?」

 警戒を解くことなく呟く。

「先ほど、彼が割った岩を修復したのですよ。ここを失うことは私にとっても不本意です。可愛い部下たちをみすみす死なせる訳にもいきませんからね」

 ペルルを誘拐した者たちがいたことからも察してはいたが、やはりこの砦内に相当数の手先が侵入しているのか。

 苛立ちに、唇を噛む。

「さて、それではここでの用事も終わったことですし、失礼致します。今回、この方が引き起こした、私にとって実に不愉快な事態については、ちゃんと叱っておきますのでどうぞご容赦ください」

「イフテカール!」

 慇懃に一礼する金髪の青年に、エスタが抗議の声を上げた。

「待て……!」

 声を上げるが、しかし一瞬で彼らの姿は掻き消えた。

 親衛隊たちが再び驚愕にざわめく。

「全く、好き勝手なことを」

 オーリが、鼻先から仇を掻っ攫われて、不機嫌そうに呟いた。

 周辺の揺れは、もう全く感じない。

 寄り添うペルルの身体が、いつからか小さく震えている。

 破壊された建物の上に、最初の雪片が舞い降りてきた。



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