17
「だからどうしてそう君は意地っぱりなんだよ!」
「意地とかそういう問題じゃない。筋が通らないと言ってるんだ!」
その部屋の中は、怒号で満ちていた。
アルマは、親しい人間に対しては割と気が短い。忍耐強く接するのは大概が友好的でない相手だ。
大抵の場合はそれを楽しんでいたオーリだが、しかし彼としても楽しめない状況というものはある。
「大体、君はペルルの為だったらそんな筋、一本や二本や十本や二十本、捻じ曲げてきたじゃないか。どうして今回に限ってそう我を通そうとするんだ」
オーリの言葉に、思わず詰まる。
当のペルルに拒絶されたからだ、とは言えなかった。
元より報いを求めていた訳ではない。だが、話し合いすら拒まれた、と思っているアルマには、こちらから折れるということはできなかった。
理不尽さに対する怒りだけではない。拒絶されることに対する恐怖もあったが、それはまだ彼は自覚できていない。
「……どうでも、いいだろ。何だって、お前はそうお節介を焼こうとするんだよ。関係ないくせに」
「関係ない? 君は、まだそんなことを言うのか? 君は私の大事な友人だって、何度も言っているじゃないか」
捨て鉢に言った台詞に、オーリは眉を寄せ、強く主張する。再び詰まったアルマが、小さく息を吐いて口を開いた。
「お前、そう言っておけば俺が折れると思ってるだろう」
「私が? まさか。それとも君は折れるつもりだったとでも?」
「……いや」
が、口調を変えずに言い募られて、怯みながらも小さく返す。
「だろう。全く、三ヶ月前ならこれで簡単にごまかされてくれたっていうのに、君も随分図太くなったものだよね、アルマナセル」
「お前も手のこんだ嫌味を言うようになったよなぁ!?」
両手をわななかせて怒鳴る。いい加減、強引にでも追い出そうかと思ったところで、ふとオーリが声を落した。
「君が、それで後悔しない、と言い切れるなら、私もお節介は焼かないことにするよ」
「え?」
突然の言葉に、肩透かしを食らう。
だが、オーリの表情は真面目だ。
「君が、そうして意地を張っていて、もしも、この瞬間にペルルが死んでしまっていても、絶対に後悔しない、って言い切れるなら、ね」
「……何、言ってんだよ。言っていいことと悪いことが」
流石にその仮定は、気分が悪い。
「君こそ何を言っている? ここは戦場だ。少なくとも、早ければ一週間ほどで戦いが始まる可能性がある。ペルルは前線に出ないから安全だと思ってるのか? そんな予測に何の保障がある」
「オーリ……」
「戦場では誰が生きて誰が死ぬかなんて、運次第でしかないんだ。彼女と最後に何を話した? 彼女と一緒に何を見た? 彼女の笑顔を思い出せるのか?」
「オリヴィニス」
「君は後悔するな。したくなくたって、どうせしなきゃならなくなる。だけど、しなくていい後悔は、早いうちに回避しろ。君には、まだそれができる」
「ノウマード!」
堪りかねて、名を叫ぶ。最も馴染み深い名を。
その選択に驚いたか、ようやく青年は畳み掛けるような言葉を止めた。
「……お前は、ずるい。お前の一番大切なものは、お前を置いていったりしないじゃないか」
拗ねたような、咎めるような言葉に、オーリは一度目を瞬かせて、そして苦笑した。
「そうだな。ほぼ確実に、私は置いていかれることはないだろう。不公平だったね、アルマ。……でも、一度、私はそれを失いそうになったことはあるんだ。その経験に免じて許してくれないか」
「仕方がないな。許してやるよ」
言い争ううちにいつの間にか立ち上がっていた二人は、そこで再び腰を下ろした。天井を見上げ、溜め息をつく。
「……なぁ、ノウマード。謝るかどうかの見極めって、どこで決めてるんだ?」
「ん? まあ、私の場合は優先順位だね。その相手と、プライドのどちらが優先されるかを考えてみればいい。大事なものから目を離さなければ、大抵の場合は上手くいく」
「大事なもの、か」
小さく呟く。
「私が君の事をどれほど大事な友人だと思っているか、少しは判って貰えるかな?」
「そこら辺の判断はまだ保留だ」
にやにやと笑いながらの軽口をばっさりと切り捨てる。
ぼんやりと考えているうちに、オーリが身を起こした。不審そうな顔で、廊下の方へ顔を向ける。
「どうした?」
「いや、プリムラとケルコスが帰ってきたみたいなんだけど」
「あいつらが?」
オーリはもう廊下に出ようとしている。
「何かあったのか?」
「いや、何も話してないから。ただ、階段を駆け登ってる」
「四階だぞ!?」
呆れて、アルマも立ち上がった。足早に廊下を進むオーリの後を歩いていく。
やがて、彼の耳にもばたばたと騒がしい足音が聞こえ始めた。数メートル向こうの角を勢いよく曲がり、子供たちが姿を見せる。
「……オ、リ」
こちらの姿を認め、止まる。息が上がっていて、切れ切れに名前を呼んだ。疲れを一気に感じたのだろう、二人ともがぺたん、と床に膝をつく。
「おい、どうした?」
慌てて駆け寄る。プリムラは頭から土に汚れているし、ケルコスは更に腕や頬に擦り傷があった。
「怪我をしたのか?」
オーリは傷は癒せるが、ペルルのように外傷を感知できる訳ではない。心配そうに、背中を撫でてやる。
「ペルル、様、が」
呼吸がままならないのか、もどかしげに大きく喘ぐ。
「ペルル様が連れていかれちゃったよ!」
そして、泣き出しそうな声で叫んだ。
一瞬言葉に詰まって、その後アルマはゆっくりと視線を横へ向ける。
「……お前の仕込みか?」
「何でだよ!」
呆然としていたオーリが反射的に怒鳴り返した。
「ペルル? いますか?」
オーリが、ペルルの部屋の扉を叩く。
「いないって! 馬車に乗せられて行っちゃったんだから」
頬を膨らませて、プリムラが後ろから言う。
「まあ待てよ。人違いだったら、それでいいだろ」
アルマが宥める。
が、室内からは返事がない。
「入りますよ」
一言告げて、すぐに青年は扉を押し開いた。
居心地のいい居間には、誰の姿もない。
床のあちこちに、幾つものクッションが散らばっているのが、異様だ。
「プリムラ。これは、君が出かける前から?」
「……ううん」
顔を青褪めさせて、プリムラが首を振る。
大股で中に入りこんだアルマが、他の扉を開く。
城塞では使える部屋はそう多くない。寝室と衣装室、浴室のどこにも、ペルルはいなかった。それらの部屋は、きちんと整頓されている。
「居間にいたところを、無理矢理連れ出されたか……?」
「いやでも、悲鳴の一つも聞こえなかったよ」
アルマと怒鳴りあっていた時なら、普通の会話は聞き逃した可能性はある。だが、異常な声が上がれば、オーリにはすぐにそれと気づかれた筈だ。
「声を出さないように脅されたのかもしれない」
それは重要なことではない。そもそも、ペルルはここにいないのだ。
視線をプリムラたちに向ける。
「どこで馬車に乗せてたって?」
「城塞の、南側。階段の外らへん」
だが、階段など幾つもある。
「地図が要るな。談話室に戻ろう」
オーリの言葉に、アルマがすぐに踵を返す。
「ねえ、そんなことしてる場合じゃないでしょ! 早く追いかけてよ」
「俺たちは今、ペルルを人質に取られてるようなものだ。騒ぎ立てるのは得策じゃない」
平坦な声で、アルマが告げる。
「だって、ペルル様が今どうしてらっしゃるか」
「危害を加えるのが目的なら、ここで実行できただろう。それをわざわざ連れ出したんだから、大丈夫だ」
一応慰めるつもりの言葉に、プリムラは鋭く息を飲んだ。
「何でそんなこと言えるの! 幾らペルル様のことがどうでもいいからって、あんまりよ!」
ぴたり、と足を止める。後ろから小走りについてきていた少女が、びくりと立ち止まった。
「誰がどうでもいいだと?」
彼に冷たく見下ろされるのは、先日経験した。
だがしかし、今回のアルマはその時よりも怒りと苛立ちが増大している。
それを向けられたことと、不安とが相まって、プリムラは今にも泣き出しそうだ。
「落ち着くんだ、プリムラ」
いつまでも子供たちがやってこないことに気づいて、先に進んでいたオーリが戻ってくる。ぽん、と片手を少女の赤銅色の髪に乗せた。
アルマは無言で踵を返すと、足音高く歩き出す。
「だって……」
アルマの視線からは解放されたが、諫められたのが自分の方だったことにプリムラはむくれる。
「彼が、本当はペルルのことを心底案じているんだってことぐらい、判ってるだろう。八つ当たりはよくない。特に、こんな状況で。判るね?」
だがそう続けられて、プリムラは不承不承頷いた。土に汚れた髪を何度か撫でて、オーリも歩き始める。
ぎゅ、と唇を噛むプリムラの手を、そっとケルコスが取った。
部屋に入ると、アルマは既に地図を広げていた。城塞内部ではない。砦全体の地図だ。
「どの辺りだって?」
プリムラとケルコスが、同時に一点を示す。
「今、兵士の居住区は北西から北東にかけて埋まっていっている。人気がない方へ行くとすると、南だな」
それは、北側が王都に続く街道へと向いていて、敵はそちらからやってくると思われているからだ。
「うん、馬車は南の方に走っていったよ」
「それに、馬車の屋根にスカーフを結びつけておいたわ」
口々にケルコスとプリムラが告げる。
唖然として、アルマとオーリは少女を見つめた。
「……お前、どうやってそんなことを?」
「屋根に飛び移ったのよ」
「プリムラ!」
何となく予想はついていたが、問いかける。あっさりと答えられて、オーリが声を荒げた。
「もう、終わったことをごちゃごちゃ言わないでよ。あれぐらい、クセロと仕事をしてた時にやったことがあるもの。怪我もしてないんだし、いいじゃない」
「それは結果として無事だったに過ぎない。そこまで無茶をしなくても」
「でも、ペルル様を連れて行った馬車に目印をつけられたのよ。そうでなかったら、どうやって馬車を見つけられるの?」
自信たっぷりに言うプリムラに、青年は更に何か言いかける。が、アルマがそれを遮った。
「よくやってくれた。ありがとう。オーリ、この件について責めるのは後だ。少なくともペルルを救け出して、グランに報告してからだな」
グラン、という名前に、プリムラが少し複雑な表情になる。叱られるかどうか、判断がつかないのだろう。
「……判ったよ。じゃあ、どうする? 南、と言っても広い」
「そもそも、グランたちに連絡をつけるのか?」
アルマの問いかけに、二人は揃って眉を寄せた。
正直、大事にはしたくない。追い詰められた誘拐犯がペルルを傷つけることは充分考えられる。
グランらは、今日は閲兵式に向かっている。モノマキア軍、スクリロス軍、火竜王宮竜王兵、水竜王宮竜王兵が対象だ。アルマの代理として、テナークスも同行していた。
閲兵式はただでさえ時間がかかる。全部の兵士を対象とするなら、数日費やされると見ていいだろう。勿論、その只中にこんな知らせが届けばどれほどの騒ぎになることか。
しかし、この四人だけで砦の南半分を捜索することは、どう考えても無理だ。
「……人手が要るな。口が固くて、目端が利いて、隠密活動に長けた集団が」
ここが普通の街なら、クセロから地元の犯罪組織に口を利いて貰えただろう。
だが、ここは砦だ。一般人などいない。
「……あの。ロマは、どうかな」
おずおずと、ケルコスが口を挟む。
アルマとオーリが顔を見合わせた。
風竜王宮親衛隊は、今日の閲兵式の予定に入っていない。カタラクタの伯爵たちが微妙に乗り気でなかったからだ。
だからこそ、オーリが城塞に残っていられた訳でもあるが。
「イェティスがいるから、命令系統は問題ない。問題は、龍神に与する者が混じっている場合だ」
「単独行動を禁じて、複数人で組んだグループで探索させれば、何とかならないか? それより人数だ。今、どれぐらいいる?」
「百二十程度だ。そもそもの人数が多くないし、志願兵もそれほど大量じゃない」
「四人ずつとして、三十組か。ある程度組織的に割り振れば何とか」
「その辺りは、イェティスと話した方がいい。出よう」
頷いて、地図を丸めようとする。が、その端を小さな手が押さえていた。
「どうした、ケルコス?」
苛立ちを押し殺して、尋ねる。
「あの、ごめん。やっぱり、無理かもしれない」
困ったように、少年が呟く。
「何故だ?」
「……ロマは、まだ、貴方のことを恨んでいるから。アルマナセル」




