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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
水の章

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11

 アルマの天幕前には、多くの人間が集まっていた。その中心に焚かれた火の傍で地面に座りこみ、眉間に皺を寄せて仕官たちと話し合っていたテナークスが、彼らの帰還に気づいて顔を上げる。疲れているのだろう、ややゆっくりと立ち上がった。

「お二人とも、ご無事で?」

「ああ。姫巫女を軍医に診て貰いたいんだが」

「すぐに呼びにやりましょう」

 手近な兵士に視線を向け、一言告げる。その兵士は駆け足で野営地を横断していった。

「ロマは? ご一緒だったのでは」

 周囲を見回しながら、テナークスが尋ねる。一行の後ろに立っていたノウマードが、皮肉げな笑みを浮かべて数歩前に出た。

 テナークスが、真っ直ぐにその前に立つ。

「ノウマード殿。先ほど、猟犬を追い払っていただけたこと、姫巫女の救出にご尽力頂いたことに、イグニシア王国軍テナークス少佐の名に於いて、心から感謝を申し上げる。おかげで、被害の拡大は食い止められた」

 張りのある声で告げて、少しばかり白髪の混じった頭を、固い意志によって下げる。野営地が、ざわりとどよめいた。

 貴族でもあるテナークスは、今までほんの僅かでもこの吟遊詩人に対して好意的であったことなどなかったのに。

 ノウマードが露骨に狼狽えた。頭を下げたままのテナークスを前に、救けを求めるような視線をアルマに向ける。

 しかし、彼も同じ程度に唖然としているのを見て取って、諦めたように副官へと向き直った。

「お止め下さい。私もこちらの軍にはお世話になっているのだし、頭を下げられるようなことではありません」

 そこで、ようやくテナークスが顔を上げる。怯むことなく向けた視線に、侮りは見られなかった。

「……お前、俺の時とまるっきり態度が違うよな……」

 アルマが小さくぼやいた。

「君は全然感謝してくれないじゃないか」

 ノウマードが半眼になって告げる。

「そうだったか?」

 小首を傾げて問い返すが、憮然としたままの青年に肩を竦める。

「ああ、悪かったよ。助かった、ありがとう」

 おざなりな言葉に、ノウマードがわざとらしく片方の眉を上げる。アルマの腕の中で、くすくすとペルルが笑い声を漏らした。


 アルマ達の捜索隊は、当然エスタのいる一隊だけではなかった。他の方向を探していた者たちを招集するために、喇叭が高らかに鳴り響く。

 夜空に木霊が響く傍らで、促され、彼らは焚き火の傍に座りこむ。ペルルには天幕から椅子を運ばせた。

「さて現状ですが、猟犬は野営地に一頭も残っておりません」

「猟犬なのか? 狼と聞いていたが」

 訝しく思い、問いかける。

「最初は野犬か狼だと思っておりましたが、殺した中の一頭に首輪の跡が見受けられました。賊が押し入ったということから見ても、そ奴らに故意に放たれたのでしょう」

 アルマが頷くのを確認して、テナークスが報告を続ける。

「こちらの被害は、兵士の負傷が二十二名。行軍に支障が出そうな者は十四名で、うち二名は暴れる馬に蹴られて昏倒しています。軍医の見立てでは生命(いのち)に別状はないようですが。猟犬に襲われて死亡、又は処分をしなくてはならない馬が十七頭。油をかけられて火を点けられたために、荷馬車が六台と相当数の食料を含む荷物が焼失しています」

「かなり酷いな……」

 眉を寄せて、呟く。ペルルが沈痛な表情を浮かべていた。

「麓の物資をこちらに届けるよう、朝に使者を送るつもりです。我々の任務は最優先事項ですから、認められないことはないでしょう。三日ほどここに滞在することになりますが、その程度ならば残った物資で何とかなりますし」

 だが、アルマはその言葉に首を振った。テナークスは軍事においてはベテランだ。訝しげに、提案を否定する少年を見つめてくる。

「そうのんびりしてはいられない。……雪が降りそうだ」

 その声に、聴きいっていた全員が顔色を変える。

 イグニシアは北方の国だ。彼らは、雪山の厄介さをよく知っている。

「確かなのですか?」

 テナークスが硬い声で尋ねた。

「ノウマードがそう言っている。確かにここ数日、雲が低くて山頂が見えない。朝晩は冷えこみ始めているし、予想よりは早いが、いつ雪が降り始めても不思議はないと思う」

 名前を出したことで、視線がノウマードに集まる。だが、それは数時間前までのように不審感を伴ったものではなかった。

「何日猶予があるか、推測できるのか?」

 副官に尋ねられて、青年は軽く目を閉じた。耳を澄ませるように、匂いを嗅ぎ分けるように、数秒沈黙する。

「この高さなら、早ければ、四日。登っていけば、二日程度かと」

「殆ど猶予はないか……」

 腕組みをしてアルマが呟く。

「荷を待っていたら、雪に追いつかれそうですね」

「下山するか?」

 こちらも渋い表情のテナークスが呟く。が、アルマの言葉には首を振った。

「下山した場合、おそらく春まで山は越えられません。王都への帰還は一日も早く、と命じられています」

 顔を突き合わせて考えこんでいる軍人たちに、ひょい、と軽くノウマードは片手を上げた。

「一旦降りて、湖に出たらどうなんだ? 結構距離はあっただろうけど、冬を越すほどかかりはしないだろう」

 この山脈は、内陸湖まで険しさを失わずに続いている。湖上から眺めると、山がざっくりと何かで抉られたかのような断面を露わにし、自然の脅威を人々に見せつけてくる。

 おそらく、ここを発って一週間から十日ほどで湖には着くだろう。が、テナークスが丁重にそれに答える。

「確かに、湖を行けば歩くよりも速い。しかし、現在、これだけの人数を運ぶ船は大きさにしても数にしてもないのだ。何十回も往復して兵士を移動させ、その間他の兵士を待機させるのは非効率であるばかりでなく安全性にも欠ける。……何より、船主は馬を船で運ぶことを良しとしない。軍の命令を出し、金を払ったところで、承諾する者は少ないだろう」

 ノウマードは、何となく悟ったような顔で頷いた。

「となると、山を越えるしかないだろうね」

 あっさりと告げられて、アルマが溜め息をついた。

「人数を減らすことはできるだろう。麓の集積所に戻って、将軍からの命令を待たせておけばいい。テナークス、何人いれば山を越えられそうだ?」

「姫巫女の誘拐があったところで、これ以上兵が減るのは避けたいところですが……、荷馬車も馬も物資も足りないですからな。致し方ない」

 ペルルが、きゅ、とマントを合わせる手に力を籠めた。

「不要でもないのに、減らす必要があるのかい?」

 きょとん、とノウマードが尋ねた。

先刻(さっき)言っただろ。荷馬車も馬も物資も足りないんだって」

 苛々と、少年が返した。

「うん。荷馬車が六台壊れたんだよね? なら、まず残りの荷馬車に乗る分の荷物だけを選んで運んでいけばいい」

「物資もないんだよ! これ以上減らせる訳がないだろう」

 アルマの声が、やや大きくなった。

「減らせるだろ。君たちが使ってる、寝台だとか机だとか椅子だとかさ。どうせ布団だって嵩張る羽毛とか使ってるんじゃないか?」

 だが、あっさりと告げられた言葉に、士官達は一様に絶句した。


「そもそも、前から不思議だったんだよね。戦争に来てるんだろ? 机や椅子は多少必要かもしれないけど、個人用は別になくても大丈夫じゃないか。まして、寝台とか」

 言葉もない士官たちに、更にノウマードは言い放った。

 周囲に集まっていた兵士たちが、ざわめいている。

 彼らはロマと違い、階級社会で生きている。士官たちが彼らに比べて贅沢かつ快適な生活をしていることは、普段から多少揶揄してはいても、否定はしない。

 だが、今は非常時だ。ここでその快適さに拘っていられる場合ではない。

 アルマが、物資の担当者に視線を向けた。

「それを荷物から除けたら、どれほどの荷馬車が空く?」

「アルマナセル殿?」

 周囲からの驚愕の声に戸惑いながら、担当者は眉を寄せた。

「四台から五台、といったところかと」

「物資も減っているし、それで足りるかもしれない」

 できるだけ楽観的に見てみるが、テナークスが異議を唱えた。

「いや、しかし、荷馬が足りません。荷馬車には一台当たり二頭は必要ですが、使えない分の六台を抜いてもあと最低五頭、できれば替えの馬も必要だ」

 ノウマードが小首を傾げる。

「そんなの、騎乗用の馬を荷馬車に繋げればいいんじゃないかな。何人が乗っているかはよく知らないけど、多分足りるだろう。あ、勿論、私の馬も徴用して貰っていいよ。一時的なら」

 吟遊詩人の言葉に、周囲は更に顔色を失う。

「山道を歩けと?」

「他の兵隊さんたちは歩く予定なんだよね。歩けないほど険しいわけじゃない」

「それで行こう」

 指揮官が、口論を圧して結論づけた。

「アルマナセル殿!」

「そうすれば替えの馬を用意しても足りる筈だ。俺も歩く。勿論無理ができない者もいるだろうから、そういう場合は騎乗してくれて構わない」

「私が歩きますから、貴方は騎乗してください!」

 慌てて、エスタが口を挟む。

「歩けるって言ってるだろ。お前より若いんだよ」

 その過保護っぷりに反発して、少年が言い返す。

 と、疲労と狼狽に肩を落としていたテナークスが背筋を伸ばした。

「私だとて歩けます。まだまだ若いですからな」

 その言葉に、アルマが苦笑する。

「あ、あの、私も歩きます!」

 が、傍らからペルルに宣言されて、流石に一同が唖然とした。

「いや姫巫女それは」

「貴女に歩かせる訳にはいきませんよ」

「気持ちは買うけど、無理はしない方が」

 口々に周囲から制止されて、しょんぼりと俯いた。

「ですが、皆様が大変ですのに……」

 小さく呟く。アルマが同席者たちに目を向けるが、一様に視線を逸らされる。内心その薄情さに毒づきながら、まっすぐペルルに向き直った。

「姫巫女、どちらにせよ馬車は置いていかないのですから、貴女が歩く必要はありません。ですが、もし宜しければ、馬車の空いている座席に少々荷物を置かせて頂いても構いませんか? 狭くなってしまいますし、ご不便をおかけしますが」

 できるだけ柔らかく声をかける。

 目に見えて、ぱっと少女は表情を明るくした。



 やがて軍医と侍女たちがやってきた。主に取り縋り涙を流す侍女たちを、ペルルが困ったように宥める。

 軍医の診察もあるということで、ここで彼女たちは天幕へと引き取っていった。勿論、警備は数を増している。

「さて、後は食料か」

 溜息をついて、アルマが呟く。

 荷馬車の問題も荷馬の問題も、食料が足りないということに比べれば些細なことだ。

 行軍できない兵士を残すと言っても、彼らの分の食料を置いていかない訳にはいかない。山を越える兵士を含めて、全員を飢えさせることはできない。

「残った分で何日ぐらい保ちそうだ?」

 問いかけに、担当者は悲痛な表情を浮かべた。

「……二日、といった辺りかと」

 その言葉に、士官たちが唸る。

 山を越えるまで、最低でもあと四日はかかる。二日間も食料がない状態で行軍などできない。

 まして、これから雪が降るかもしれないという状況で。

「山の向こう側にも集積所がある筈だよな? その先についてはそこで補給できるとして、その間か……」

 沈黙が続く中、アルマは彼らを不思議そうに見つめていたノウマードに気づく。

「何か提案があるのか?」

 かなり強引ではあるが、彼は今までの問題を解決する策をだしていた。藁にも縋るつもりで尋ねる。

「いや……。むしろ、どうして悩んでるのか判らないんだけど。食料が足りないんだよね?」

「ああ」

先刻(さっき)、馬が十七頭死ぬって言ってなかったっけ?」

「言ってたけど、それが何か」

 問い返しかけて、言葉を途切れさせる。

 不思議そうな表情を崩さない青年を、凝視した。

「……まさか、お前」

「馬の肉を食料に回せばいいじゃないか。十七頭なら、随分な量が穫れると思うけど」

 さらりと言い放たれた言葉に、今度こそイグニシア人たちは戦慄した。


 まじまじと見つめてくる一同に、ノウマードが小首を傾げる。

 寝台を置いていけ、士官も歩けと言い出した時には小気味よさそうだった一般兵士たちも、僅かに身を引いていた。

「お前……」

 アルマが掠れた声を出したところで、ようやくノウマードは気づいたようだった。

「ひょっとして、君たちは馬を食べないのか?」

「当たり前だろうが! 何を言い出すんだお前は!」

 動揺したまま、怒鳴りつける。

 彼らにとって馬というのは、確かに家畜である。騎乗し、荷物を運び、畑を耕す為の動物だ。

 だが、それだけに馬との信頼感を大事にする。死んでしまったからといって、その肉を食べるなど、考えもしなかった。

「非合理的だなぁ。雪山で飢えながら行軍しようって時でも受け入れられないものなのか?」

「……お前らは普段から食べてるのかよ。フルトゥナは騎馬の民なんじゃなかったのか」

 元々、草原で遊牧する民だったフルトゥナ国民は、イグニシアよりも馬との関わりが強いはずだ。

 ノウマードがあっさりと頷く。

「確かに我々は騎馬の(すえ)だ。人生の八割を馬に乗って過ごす、とまで言われていた。子供が生まれてすぐに飲むのは、馬の乳だったぐらいにね。馬と生きて、馬を育てて、馬の革を加工して、馬の肉を食べる。全部、当たり前のことだよ」

「革……は、別だろう」

 弱々しく反論する。ノウマードが一蹴するように鼻を鳴らした。

「都合がいいね。今、死んだ、若しくは立てなくなった馬がここにいる。馬は、歩けなくなったらもう生きていけない。比喩ではなく、そういう体のつくりをしているんだ。兵隊さんの中には、農場にいた人もいるだろう。訊いてみればいい」

 視線を、周囲を取り囲む兵士たちへ向ける。戸惑いがちに頷く者が数名いた。

「その体を無駄にするつもりかい? 食料に回せば、一人も飢えずに山を越えられるだろうに」

 大きく呼吸をする。非人道的な行為だ、という気持ちが、どうしても抜けない。

「……解体はできるのか」

 低く、副官が尋ねた。

「テナークス!」

「せめて、調理用の大きなナイフがあれば。私は小さいものしか持っていないから」

 淡々と、ノウマードが答える。

「しかし数が多いだろう。農場出身や猟師だった者で、手伝える者を集めてくれ」

 下級士官たちに、指示を出す。信じられないように見つめてくるアルマに、視線を向けた。

「兵士を飢えさせることも、春まで足止めされることもできません。必要とあれば、泥水をすすり、犬の肉さえも食べるのが軍人です。許可を頂きたい、指揮官」

 唇を引き結ぶ。手が震えるのは、肌寒いからではない。

「……やってくれ」

 ノウマードが軽く立ち上がった。

「馬の状況を見てきましょう。早く処理をしないと、食用にできないこともありますから」

 テナークスに告げて、俯いているアルマをちらりと見下ろす。

「まあ気にすることはない。鹿と、そう味は変わらないと思うよ」

 軽く言って、青年はふらりと足を進めた。 


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