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結局、彼らの判断はぎりぎり間に合ったようだった。
その日の午後に、火竜王宮の一団がニフテリザ砦に到着したのだ。
そして、彼らには、百人ほどのロマの男たちが同行していた。イグニシアで生活をしていたロマで、反乱軍に志願した者たちだ。
グランが二ヶ月前に発した、「ロマに対して最大限の協力をするように」との命令に則り、カタラクタへ同行させて欲しいと要請してきたのだ。
組織の最高権力者の命令を無視はできず、しかし、このようなことは想定していない。お伺いを立てるにも互いの距離は遠い。せめて、と、竜王兵たちは、ある程度兵士として通用しそうな男だけを選び、連れてきていた。
ドゥクスの指示で、ロマたちは風竜王宮親衛隊へと引き渡す。そこで更に選別を受け、訓練を受けることになるだろう。
その後、ドゥクスと、到着した竜王兵の隊長がグランに報告をしにやってくる。
夕方頃、雑務を終わらせたグランは、仲間たちのいる居間へと姿を見せた。
「なにか問題でも?」
渋い表情の幼い巫子を見たオーリの問いかけに、首を振る。
「順調だ。……僕らが予測した範囲では。予測以上の早さで事態が動いているが、だからと言って竜王兵の到着を早めることができる訳でもないしな」
そこで、ふいにアルマに視線を向ける。
「当主から手紙を預かってきていたぞ」
「親父から?」
訝しげに、アルマは問い返す。
「ああ。フルトゥナでエスタと会った直後辺り、奴は結局大公家に戻ったらしい。襲撃されたと書いてあった」
「ああ……」
色々と残念な気持ちで、小さく呟く。
「まあ、やはり当主を前にして、何もできないまま逃亡したようだが。それから、奴の出生に関して一通り書かれていた。大体は、奴から聞いたこととほぼ一緒だったな。どんな処罰も受ける、とは言っていたが、まあ当主にはさほど罪はない」
「さほどなのかよ」
小さく毒づく。が、腹違いの妹とその息子の存在を隠し続けていたということは、竜王宮に対する背信と取られて当然だ。
それでも、当事者である祖父のリアンステッドを責めこそすれ、グランはアルマの父親を責める言葉を発したことはない。内心では少しばかりほっとする。
「ああ、あともう一つ、お前に私信だ」
「俺に?」
私信というなら、別の手紙を書けばいいのに、とか、そもそも皆の前で話すことか、などと思いながら問い返す。
「お前の婚約者から、婚約破棄を言い渡されたそうだ」
「ああ、そうか。今回はどれぐらい保ったんだっけ?」
思ったほど重要でもない情報に、ぽろりとこぼす。
「自分の婚約期間ぐらい覚えておけ。一年と三ヶ月だ」
「ふぅん」
呆れたようなグランの言葉に、軽く返した。
「それに、今回の破棄理由は、お前が反乱軍に荷担したから、ということだった。どうやら、お前は大公家始まって以来の、慰謝料を請求される側に立ったようだぞ」
「……は?」
面白げに、にやりと笑う幼い巫子に、間抜けな声を上げた。
「いやそれ、請求理由になるのか?」
「当然だ。王家に対する反逆は大罪だぞ。そんな相手と婚約なんて、まともな神経の貴族なら充分破棄の理由になる」
「お前に連れられてここまで来ただけなのに!?」
人ごとのように告げる相手に反射的に怒鳴って、しかし何の感慨も与えられなかった様子に、溜め息をつく。
「ああもう……。どうせなら、王都を脱出した辺りで破棄してくれてたらよかったのに」
その頃なら、相手もまだここまで強気になっていなかっただろう。アルマは彼個人で収入がある訳ではない。慰謝料を払うなら、父親に出して貰うことになってしまう。
「だけど、どのみち婚約なんて家同士のことなんだし、親が経費を出すのは当たり前だろう?」
「でもなぁ……」
オーリの言葉に、何となく呻く。
と。
「……婚約者が、いらっしゃったのですか?」
細い、小さな声がかけられた。
視線を向けると、ペルルがこちらを見つめてきている。
「え、あ、はい」
何気なく答えると、少女の顔が見るからに青褪める。
「ペルル……」
「君、話していなかったのか?」
驚いたように、オーリがアルマの言葉を遮った。
「皆様、ご存じだったのですね?」
ぐるり、と室内の人間を見回して問いかける。
問いかけ、というには、あまりにも強い口調で。
「いや、おれは知らなかったぞ。今初めて聞いた」
あからさまに焦りを見せて、クセロが両手を振る。隣でプリムラも頷いていた。
そして、一同の視線がアルマに集中する。呆れたような、咎めるような、そんな視線が。
「あの、ペルル……」
「部屋に下がります」
静かに告げて、水竜王の姫巫女は立ち上がった。そのまま、もう一瞥も向けずに扉へと進む。
慌てて、プリムラがその後に続いた。戸口で一度立ち止まって、こちらを見据える。
「サイテー」
蔑むようにそう告げて、勢いよく扉が閉まる。
「……何だ?」
腑に落ちないアルマの言葉に、年長者たちは一斉に溜め息を漏らした。
「そりゃ怒ってるだろ。この状況で怒らない女なんていないぜ。旦那がいくら世間知らずだからって、まさか判ってない訳ないよな?」
「そこまで言われる筋合いがあるかどうかはともかく、よく判らないな」
「いやだからさ。そもそも、何だって君に婚約者がいるってことを今まで話していなかったんだ?」
「そりゃまあ、何となく、かな」
「……グラン」
「大将ぉ……」
「言うな。いやすまん。今回だけは、僕も少しばかりこいつの教育に不備があったことを反省している」
「何だよ、お前まで!」
何故か切々と責められている雰囲気に、とうとうアルマが怒声を上げる。
だが、全員にじろりと睨めつけられて、思わず怯んだ。
「いや、だってそりゃ、貴族なら婚約者の一人や二人いてもおかしくはないものだし」
「二人以上いたら問題だろ」
思わず口にした言い訳に、呆れた顔でクセロが珍しく常識的なことを言う。
「ペルルは貴族じゃないんだよ。いや、生まれがどうかは判らないけど、でも竜王宮に仕えた時点で身分は関係なくなる。彼女が竜王宮に入ったのは、かなり幼い時期だったそうじゃないか。貴族の常識が身についているとは思えないね」
オーリが忍耐強い表情を浮かべ、懇切丁寧に説明する。
「……わざわざ、改めて言う機会もなかったし」
「いや、そりゃ言いにくいのは判るけど。でも、黙ってたっていうのは、酷く不誠実だろう」
しかしその言葉に、アルマは眉を寄せた。
「ちょっと待て。俺は、ペルルに対して誠実でなければならないようなことはしてないぞ」
「……え?」
「いや悪い旦那、何が言いたいのかちょっと判らねぇ」
オーリとクセロが、揃って首を傾げる。
「だから。俺は、ペルルに対して一切不埒な真似なんてしていないんだよ。だから、不誠実であったとしても責められる理由はない。名誉にかけて誓ってもいい」
我ながらきっぱりと断言するが、二人の表情は更に胡乱なものになった。
「……旦那、一応忠告しとくが、それをあの二人には言わない方がいいぜ。多分、今後一切聞く耳を持たなくなっちまうから」
「とりあえず訊いておくけど、君は別に不誠実なことをしたとかしたいとかいう訳じゃないんだよね?」
「当たり前だ! 俺を何だと思ってる!」
流石に堪りかねて、卓を拳で叩く。
「君を何だと思えばいいのか、ちょっと計りかねているところだよ」
「いや単純に莫迦なんじゃねぇの?」
しかし、ほとほと呆れたように返されて、更に頭に血が昇る。
「お前ら……っ」
「落ち着け、アルマ。お前たちも、気持ちは判るが少し慎め」
そこで、グランが口を挟んだ。
「だけどな、大将。女ってのは、放っとけば放っとくほど、手がつけられなくなるもんだぜ。あまり時間を置くべきじゃないと思うね」
「でも、だからって何も理解しないで口先だけで謝るなんて、更に状況を悪化させるだけだろう。とりあえず、アルマにはしっかりと判って貰わないと」
「俺が一体何を判ってないって言うんだよ」
むっとしたまま言い返す。
だが、オーリは意外と真剣な表情で、告げた。
「親密な人間関係を円滑に進める考え方だよ」
その言葉に、一瞬口を噤む。
「……それは、俺が、親密な人間関係とやらを築けてない、と言いたいのか」
「うんまあ、端的に言えば」
あっさりと頷くオーリに、ぎり、と奥歯を軋ませる。
「そんなご高説を承る必要はない。俺とは無縁な関係なんだからな」
できる限り平坦な声で告げると、立ち上がった。そのまま、戸口へ大股で歩き出す。
「アルマ……」
グランの声が追ってくるが、黙殺する。
「……長引きそうだな」
扉を叩きつける直前に、クセロの疲れたような声が耳に入った。
翌日から、彼らは全員で行動することを控え始めた。
現在は戦争の準備段階である。実際に動く兵士たちの直接の上官の方が、事態を把握しやすい。そして、彼らから報告を受けて状況を把握し、分析し、命令するのは、最上位の者たちが全員揃っている必要は必ずしもない、と判断したのだ。
会議にはドゥクスやイェティス、テナークス、そして水竜王宮の竜王兵隊長であるカイノンが同席し、巫子たちは一度に二、三人いる程度となった。常に参加しているのはグランのみであり、それにクセロかオーリ、アルマが同席した。ペルルは、気分が優れないとの理由で自室に籠もっている。
それでも会食などでは、ペルルとアルマは顔を合わせることになる。
しかし互いに顔を逸らせ、黙りがちに食事を済ませては足早に去っていくばかりだ。
時折、ちらちらと視線を送ってはいたが。
そんな状態が続いて二日目、ペルルとアルマは、城塞の廊下でばったりと出会っていた。
双方、はっとした表情になったあと、気まずげにペルルは俯き、アルマは僅かに視線を逸らせ、行き違う。
どちらからともなく、溜め息が漏れかけた瞬間に。
「何か、言うことないの?」
硬い声が、その場に響いた。
ゆっくりと、アルマが振り返る。
「プリムラ……」
困ったような顔で、ペルルがつき従う侍女の腕に手を置いていた。幼い侍女は、きつい視線を少年に向けている。
「何を言うことがあるって?」
黒い前髪の間から覗く紫色の瞳が、冷たく見下ろしてくる。人間にはあり得ないその色が、初めて好意的な意識を持たずに彼女たちに向けられていた。
ぞくり、と背筋が冷えるのを押し殺す。
「い、色々あるでしょ! 説明するとか弁解するとか謝るとか」
「だから、何についてだ。そっちが一方的に気を悪くして話しもせずに逃げたのに、俺が何を謝る必要がある。原因と理由を説明するのは、そっちからじゃないのか。それがはっきりすれば、俺だって言うべきことが判るんだからな」
強く、そう主張する。
状況が違えば、もっと早くアルマは折れていたかもしれない。
彼の血筋が、そして環境が、他者との関係を歪ませている。それに気づいたのはほんの数ヶ月前で、アルマはどうにかしてそれを正そうと密かにもがいていたところだったのだ。
しかし、正解というものも見つけられないまま、突然ペルルからの拒絶を衝きつけられた。
そして仲間たちからも責められ、人間関係に上手く対応できていない、という評価を受けて、彼も依怙地になってしまっている。
「説明をしなければ、何も心当たりがないとおっしゃるのですか?」
ペルルが、静かに問いかける。
「ああ」
アルマが、短く断言する。
水竜王の姫巫女は、顔を上げ、毅然として告げた。
「そうですか。ならば、結構です。貴方にとっての私というものが、その程度でしかなかったのなら、もっと早くお知らせ頂ければよかったのですが」
「だから、何がその程度だって」
眉を寄せて問い返そうとするが、ペルルは踵を返し、そのまま廊下を歩み去っていく。
声をかけようとしかけて、自制した。
流石に、これ以上は感情的になりすぎる。
おろおろとペルルの後姿をみつめていたプリムラが、決意したように小走りに近づくと、思いっきりアルマの臑を蹴りつけた。
「……っ!」
「莫迦!」
反射的に蹲ったところに罵って、プリムラはペルルの後を追って走っていく。
「……何、だよ、もう……」
弱弱しく呟くと、アルマはそのまま廊下に座りこんだ。




