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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
乱の章

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115/252

12

 砦の正門から、その正面に展開するマノリア隊までを一望できる丘に、早朝から多くの見物人が集っていた。

 周辺に街がある訳でもない。それらは、志願してきたロマたちだ。

 未だ兵士として選別される前の者、既に選別に漏れた、または家族が選別されたがまだここから立ち去っていなかった者たちである。

 一応、場を抑えるために、風竜王宮親衛隊と火竜王宮竜王兵が周囲に散開している。

 しかし、せいぜいが百数十人程度の、ほぼ全てが非戦闘員であるロマは、特に気にするほどの勢力でもないのだろう。マノリア隊は野営地の撤収作業を黙々と続けている。

 やがて、彼らが整列し終わるのを待っていたように、砦の正門が大きく開く。

 現れたのは、反乱軍を構成する各組織の旗を掲げた一団だ。

 そしてその先頭に立つのは、頭に異形の角を戴いた、まだ若い少年だった。

「アルマナセル……?」

「……アルマナセル」

「アルマナセルだ」

 ロマの一団がどよめく。

 流石に警戒の色を濃くして、二つの竜王宮に仕える者たちがロマを牽制する。

 三日前、レヴァンダル大公子アルマナセルが、単身ニフテリザ砦を出て野営地を訪れた、というのは即座に彼らに知れた。再び出てくる姿を見られるかもしれない、というのが、ここに集った者たちの大きな理由ではあるのだろう。

 その人混みの中を、何とか前へ進もうとしている人影があった。

 歳の頃は十歳になるかならないかの少年だ。色鮮やかな衣服は、同じような格好のロマたちの中では特に目立つことはない。

 大人たちの足の間を抜けようとしては、押し退けられて尻餅をついている。

 アルマは、遠目にも頑なにこちらへ視線を向けようとはしていない。

 アルマ率いる一団が、野営地の手前で足を止めた。野営地から、指揮官らしき数名が出迎えるように姿を見せた。

 何やら儀式的なやりとりをしているらしい。

 それが終われば、また彼は砦に戻ってしまうのだろう。そして、次に外へ出てくることは殆ど期待できなくなる。

「アルマナセル!」

 少年が声を張り上げた。

 だが、それは周囲のざわめきに紛れてしまい、判別できない。

「アルマナセル! おい!」

 指揮官からアルマに、大きな旗が手渡される。

 くそ、と小さく罵声をあげて、ロマの少年は大きく息を吸いこんだ。

「出世払いって言ったろうが! 踏み倒す気か、アルマナセル!」

 ふいに、初めて〈魔王〉の(すえ)の顔がロマたちへ向けられた。しかし傍らから何か話しかけられて、すぐにその視線が外される。

 そして、まもなく彼らは向きを変え、野営していた一軍を従えて砦へと向かい始めた。

「おい、ちょっと待て……!」

 慌てて追いかけようとするが、やはり小さな少年ではこの雑踏を抜けられない。たまに最前列へ出ても、それ以上は竜王兵たちに阻まれた。

 焦る少年をよそに、ゆっくりと進むアルマたちは、やがて正門をくぐり、少年の視界から姿を消した。


 柔らかな風の吹く丘に、少年は一人立ち尽くしている。

 ロマたちは、あのあとすぐに三々五々、彼らの野営地へと戻っていった。ぞろぞろと続く軍の移動を見守る者は殆どいない。

 そして、最後に一人残った彼の様子を気にしつつも、竜王兵たちも砦へと引き上げた。

「どうしよう……」

 途方に暮れて、呟く。

 もう二度と、アルマに近づく機会などない。唯一のチャンスだったのだ。

「ごめん、ばあちゃん……」

 家族の元へも帰る気持ちになれず、ただざわざわと風が渡る大地に立つ。

 どれほどの時間が経過したのだろうか。

 ニフテリザ砦の方から、一頭の馬が走り寄って来るのが見えた。

 ここにいると、正門が開けばすぐに判る。おそらく、他の通用門らから出てきたのだろう。

 反射的に警戒し、逃げ出そうかと思うが、やがてそれが馬ではなく騾馬であり、乗っているのもまだ幼い少女であることが判って、様子を見ることにする。

 彼女はまっすぐに少年へ向けて走り寄り、目の前で手綱を引いた。

「アルマナセルに用があるのって、あなた?」

 そして赤銅色の髪の少女は、少年を見下ろしながら尋ねた。


 少女の言葉に、少年はただ頷いた。

「会いたいのなら、あたしが連れて行けるわ。ただ、アルマナセルは今日ちょっと忙しいの。会えたとしても、早くて夕方か、ひょっとすると夜まで待たせてしまうかも。あなた、家族に言ってこなくても平気? 遅くなるのが無理なら、明日か明後日なら、もう少し早い時間に会えるかもしれないわよ」

 余計なことは全く口にせず、相手はてきぱきと告げた。

「今日、会いたい。家族の許可なんか、別に要らないし」

 ほぼ同じような年齢の少女に子供扱いされて、挑むように返す。

 だが、それに対して特に感銘を受けたようでもなく、少女は騾馬の後ろに乗るようにと促した。

 騾馬程度に乗ったことは幾らでもあるが、人が御している後ろ、というと鞍にもう一人が座る余裕はない。当然(あぶみ)に足も入れられず、いつ落ちるか判らないほど不安定だ。

「ちゃんと捕まって」

 無造作に告げる少女の腰に、おずおずと手を回す。

 一応気遣ったのか、彼女はゆっくりと騾馬を歩ませた。砦まで、さほど遠い距離でもない。

 正門の前を通過し、横手に回りこむと、いくらか小さな門がある。そこを護る門衛は、彼女が出てきた時に事情を聞いているのか、物珍しそうな視線は向けられたが、誰何されることなく通り抜けることができた。

 石畳の上を、蹄の音を立てながら進む。

 意外と砦の中は緊張感がなかった。行きかう人々は全て軍服を着た男たちなのが異質だが、それ以外は普通の街と変わらない。

 しかし、よく観察すると、広場や公園の代わりにある広い空間では兵士が訓練を行っていたり、店舗らしきものは全くなかったりしている。

 ここは、戦争に備えた場所だ。

 きょろきょろと周囲を見回す少年に、肩越しに少女が笑いかける。

「変なところでしょ」

「うん。何か、落ち着かないね」

 彼を莫迦にしたような言葉ではなかったせいか、するりと素直に返す。

「ロマは基本的に自由に動くことに慣れてるものね。志願兵も、その辺りに苦労してるみたい」

「ロマのこと……」

 知っているの、と訊こうとしたところで、少女が思いついたように声を上げる。

「そうだ。アルマが来るところで待っててもらうように、って言われてたんだけど、ひょっとして、風竜王宮の隊の方がいい? あそこにいるのはロマばかりだし、知り合いもいるんじゃないかしら」

 少女の言葉に、表情を硬くする。

「いや。アルマナセルが来るところで待ってるよ」

「そう?」

 気を悪くすることもなく、軽く少女は頷く。

 やがて、彼らは一棟の立派な建物へと近づいた。周囲には高い塀が巡らされ、門の横には色鮮やかな旗が翻っている。

 その旗の模様が、今朝アルマに手渡されたものと同じだと少年が気づく。

 門を護る兵士たちの手前で、少女は手綱を引いた。

「火竜王宮所属のプリムラです。アルマナセル様のお客人をお連れしました」

 兵士が、尋ねるように背後を見る。門の周囲で大きな羊皮紙を広げ、何やら兵士たちと話していた赤い制服の男が顔を上げた。プリムラと名乗った少女を認め、頷く。

「どうぞ。厩は右手に回りこんだところです」

「ありがとうございます」

 道を示した兵士に礼儀正しく告げて、プリムラは驢馬を再び歩ませた。好奇心に満ちた視線が、そこここから向けられる。

「プリムラ……は、火竜王宮の人なの?」

 巫女なのだろうか。それにしては、服装が普通の街娘のようなのだが。

「うん。ちょっと事情があって、今は侍女みたいなことをしてる」

 今は、ということは、元々は違う仕事をしていたのだろう。自分と変わらないぐらい小さいのに、色々経験しているのか、と思うと複雑だ。

 ロマは、ロマでしかいられない。

 プリムラがふいに振り向いた。

「そう言えば、名前訊いてなかったね。アルマも教えてくれなかったし。訊いてもいい?」

「ケルコスだよ」

「よろしく、ケルコス」

 短く名前を告げると、プリムラは明るく笑いかけた。


 厩に簡単に騾馬を繋ぐと、プリムラは裏口から屋敷へと入った。

「ごめんね。ただ、こっちから入る方が近いだけなのよ」

 正面から招き入れなかったことを詫びられる。特になんとも思っていなかったので、気にしないで、と返した。

 階段を上がり、通された部屋は酷く豪華だった。

 壁に設えられた暖炉は細かな装飾が施され、その上には大きな油彩画がかけられている。窓には重厚なヴェルヴェットのカーテンが下げられており、歪みのないガラスが嵌めこまれていた。床には毛足の長い、柔らかな絨毯が敷かれ、幾つか配置されたティーテーブルと椅子は華奢で優美だ。

 実際のところ、所詮は辺境の砦にあるものだ。平時に貴族が使うものと比べれば、実はどれもかなり見劣りする。それでも、流浪の民として生きていた少年には、想像もできないほど豪奢な部屋だった。

 思わず尻込みしかけるケルコスを、強引にプリムラが部屋へ押しこむ。

「あたし、仕事があるから戻らなくちゃいけないの。アルマが来るまで待てる? 一応、マノリア隊の人がお昼ご飯とか出してくれる筈だから、心配しないで。夕方よりも遅くなりそうだったら、連絡を入れさせるから」

 プリムラが、ケルコスの不安をできるだけ消そうとしてくれているのはありがたい。

 少年は、怯む心を気づかれまいと、できる限り真面目な顔で頷いた。

「じゃあ、ケルコス。また後でね」

 後で、ということは、彼女も戻ってきてくれるのだ。

 少しだけ心強さが増して、ケルコスは所在なげに部屋で立ち竦んだ。

 昼ごろに温かな食事を持ってきた若い兵士に、驚いたように椅子に座って待つようにと言われるまで。

 今まで経験したことのないふかふかの椅子は、酷く居心地が悪い。

 彼は、世間でのロマの評判というものを知っている。

 できる限りその場を動かず、時々窓から外を覗く程度に行動を控えた。

 前庭で忙しく立ち働く兵士たちや、街路を行きかう荷馬車などしか見えないが、それでも多少は気が紛れる。

 緊張が続くせいか、午後を回ると椅子に座っている時に、うとうとし始めるようになってしまった。

 部屋の中を歩き回ったりして眠気を散らそうとするが、どうしても睡魔は襲ってくる。

 やがて、ティーテーブルにもたれ、完全に寝入ってしまう。

 どれほどの時間が経ったものか、ばたん、と扉が開かれて、慌てて身体を起した。

 戸口に、見覚えのある少年が立っている。

「よぅ、久しぶりだな。元気だったか?」

 〈魔王〉の(すえ)、レヴァンダル大公子アルマナセルは、屈託なくそう言って、笑った。


 窓の外は、夕暮れに染まっていて、部屋の中は既に薄暗い。

 少年のこめかみから生える一対の薄灰色の角は、その暗さの中でもぼんやりと浮かび上がって見える。

「……アルマナセル」

 ケルコスが呟く名前に、小さく首を傾げて見返してきた。

 少なくとも、表立って恨まれているようには見えなくて、ほっとする。

 だが。

「本当に君は人が良すぎるよ」

 眉を寄せ、苦言を漏らしながら、一人の青年がアルマの後ろから室内へと入ってきた。手に持った燭台に揺れる三つの炎が、その額のエメラルドを光らせている。

「……オリヴィニス、様」

 小さく、怯えが滲む声で彼の名前を口にする。

 その声に応じるように、じろりと睨みつけられて、身を竦めた。

「お前は厳しすぎるんだよ。何を子供脅してんだ」

「角を折られかけたりとか殺されかけたりした相手に、よくもまあそれほど気が許せるものだね。コツを教えて欲しいよ」

 憮然として返すと、オーリは無造作にティーテーブルの上に燭台を置いた。

「……別に、本当に折られたり殺されたりしてねぇんだからいいだろ」

 流石にそれを言われると立場が弱いのか、アルマはそっぽを向いて告げた。

 ケルコスは、三ヶ月ほど前、イグニシアの王都の路地裏へアルマをおびき出し、他のロマたちに捕らえさせたという経緯がある。

 角を傷つけられたところへ駆けつけたオーリの仲裁で、何とかその場は治まったのだ。

 椅子に座ったままなのに気づき、慌てて立ち上がる。

「あの、あの時は本当にごめんなさい!」

 勢いで謝ると、大きく頭を下げた。

「いいって。もうしないだろ、あんなこと」

「勿論だよ」

「ほら」

 アルマの言葉に、見えない場所で溜め息を漏らす音が聞こえた。

「もういいから座れよ。ええと、ケルコス、だっけ?」

 前に会った時は、アルマに名乗っていない。おそらく、プリムラから聞いたのだろう。顔を上げて、頷く。

 ケルコスがおずおずと腰を下ろすと、二人も手近な椅子に座った。

「で、出世払いの請求に来たのか?」

 肘掛に頬杖をついて、面白そうに尋ねるアルマに、慌てて首を振る。

「いや、違う、あの、違います。ああ言ったら、思い出してくれるかな、って思って」

「流石に忘れられはしないからなぁ」

 楽しげな表情を消さないアルマは、三ヶ月前とは、全く印象が違う。

 それは、記憶にあるよりも角が長く伸びたから、だろうか。

「あの、アルマナセル、様。オリヴィニス様にも、お願いがあるんです」

「お願い?」

 怪訝そうに、アルマが問い返す。オーリは、変わらずに警戒を含んだ視線を向けてきていた。

「おれのばあちゃんに、会ってください」



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