11
入口部の布を開けた天幕に入る。重厚な机と二脚の椅子が設えられていた。
「懐かしいな」
小さく笑って、それを見渡す。
半年前、テナークスの部隊と共にカタラクタを旅したのは秋の終わり頃だった。気温としては、今と大差ない。
テナークスも微笑して席につく。
スープと焼きたてのパン、卵料理などが運ばれる。それは半年前と同じように贅沢なものだった。
アルマが、革袋から布の包みを取り出した。その中身は冷たくなったパンに乾きかけた肉や野菜を挟んだものだ。
同席者が僅かに眉を寄せた。
「アルマナセル殿、宜しければ……」
「気にするな。王都を出た後は、大体こんな食事だった」
ひらりと片手を振って、素手でパンを掴む。
「人目を忍ぶ旅だったからな。貴公だって、状況によってはこれぐらい平気だろう」
かつて、軍人は飢えを凌ぐためならば犬の肉でも食べる、と断言した男だ。
その当人は何か言いたげだったが、そのまま食事を始めた。
「王都を出られたのは、全て、こうして王国へ叛旗を翻すためだったのですか?」
「らしいな。まあ、俺がその辺りを聞いたのは、ざっと二ヶ月前だが」
「あの時、貴方とグラナティス様とペルル様だけが行方をくらませたのならば、まだ色々と推測もできたのですが。ノウマードの存在が、腑に落ちませんでした。まさか、彼が風竜王の高位の巫子だったとは」
呆れたような、してやられたような顔でテナークスが呟く。
「上手くごまかしてたよな、実際」
アルマが同意する。
「しかし、当時そう打ち明けられたとしても、到底信じられなかったとは思いますが」
「違いない」
小さく笑って、話題を変えた。
「あの後、王室審議会に呼びつけられたって? 迷惑をかけたな」
「アルマナセル殿」
軽い謝罪に、また咎めるように声をかける。
「審議会に関しては、迷惑をかけたのは本当だ。これぐらいはいいだろう」
が、少年の言葉に苦笑してそれを受け入れた。
「酷いもんだったろ」
「ええ」
ぽつり、と言葉を零す。
「ああ、そう言えば、審議会で大公閣下とお会いしましたよ」
「父と?」
そういえば、グランが父親も召喚されたと言っていたか。
しかし、二人が顔を会わせていたとは知らなかった。
「なんと言いますか、強靭なお方でしたね。あれだけの敵に囲まれていながら、一切物怖じしていない。あのような方になるように育てられているのであれば、貴方も侮れない訳ですよ」
テナークスの口調は、今までと全く変わっていない。
だが。
……まずい。
アルマが、内心眉を寄せる。
テナークスは、彼に対して気を許しているかもしれないが、一切気を緩めてはいないのだ。
迂闊に彼と関わった父親に対して苛立ちを感じるものの、まあそれは今考えても仕方がないことではある。
アルマは、前日にカタラクタの伯爵たちや仲間たちに大見得を切ったように、テナークスをいいように操ろう、などとは実は思っていない。
ただああ言っておけば、彼の対処を自分に一任して貰いやすくなるからだ。
それでも、思うように話を引き出すためには、テナークスが自分を軽く見ている状態が最善であったのだが。
「……テナークス。本当のところ、貴公はどうしてここへ来たんだ?」
小細工が通用しないのならば、正面から行くだけだ。
幸い、テナークスは誠実さが武器として通用する男である。
「経緯は昨日お話し致しましたが」
「そうじゃない。王国軍に宣戦布告が届いたのは、どんなに早くても十五日前だろ。それから、イグニシアに使者を向かわせたとして、湖を全速力で渡ってもこっちに戻ってこれるかどうかだ。マノリア伯爵領は内陸の土地だし、この軍がカルタスからここまでやってくるのに必要な日程も考えると、絶対に無理がある。つまり、貴公はマノリア伯爵に同意を得ることなく、我々に寝返ることを申し出たということだ。貴公は、そんな筋の通らないことをする人間ではないと思っていた」
僅かに表情を曇らせて、告げる。
善良な人間には、自分のことを思っていてくれる、と感じる発言が何より有効だ。
「許可は取ってあるのですよ」
しかしそう言葉が返ってきて、訝しく相手を見つめる。
「先ほどお話ししていた、審議会の後のことです。私は兄に手紙を出していました。つまり、『今後、王室とレヴァンダル大公家の間に諍いが生じた時、マノリア伯爵家は大公家に付くように進言する』と」
その言葉の意味を理解するにつれ、呆然とする。
「……いや、テナークス、それは……」
「兄はそれに対して是との返事をしてきました。王都からカタラクタへ戻るようにと指示が出たのは、その後です。返事が間に合って、本当に助かりましたよ」
「いやいやいや、それはここまで大規模に叛乱を起すとか考慮してないだろ!」
思わず反論するが、相手は悠然と見返してきた。
「だとすると、それは兄の思慮が足りなかったということですね」
「……うわぁ」
さらりと実の兄に責任を押しつけるのを目の当たりにして呻く。
「そもそも、この程度の事態を上手く捌けないような当主ではありませんので。ご心配はありがたくお受けします」
侮っていた訳ではない。
領主の弟というだけで王国軍へ派遣される隊の指揮官を任せられたのだ、などと思っていた訳では毛頭ない。
だがしかし、貴族の兄弟関係というものは意外と殺伐としているのだなぁと奇妙な感慨を持ってしまう一幕ではあった。
「それに、事は単純に王室と大公家の間の諍いである、とは言い難い要因があります。そもそも、それだけのことでしたら私も反逆の汚名を着てまで寝返ろうとは思いません」
「というと?」
促すと、少しばかり躊躇うように口を噤む。が、それは数秒ほどのことだった。
「まあ、そちらでも把握していらっしゃる情報のようですし、いいでしょう。貴方がたの宣戦布告がカルタスの王国軍司令部にて発表されたのは十五日前。布告書の日付の、翌日です。どう考えてもまともじゃない。違いますか?」
アルマが頷く。
「しかし、上層部はそれを偽物の宣戦布告だとは判断しませんでした。ならば、何者かが超常的な手段で以ってそれをもたらした、としか思えません」
「例えば、龍神の下僕とか?」
少年が声を潜めて差し出した名前に、軍人は重々しく頷いた。
「それでいて、彼らは龍神とその配下とが王室や王国軍に関わっているということは認めていません。貴方ならば、そのような組織を信用できますか?」
「……だが、それにしても決断が早すぎないか?」
そう尋ねたのは、テナークスの立場を思ってのことだ。正直、王室への反逆は重罪である。簡単に実行できることではない。
「そこはまあ、先に申し上げた通り、既にどちらにつくかを決断していたからですね。そして、私の行動で動きが加速すれば、と思ったからでもあります」
「加速?」
その言葉は意図が読めなくて、問い返す。
テナークスは滅多に見せない、満足そうな笑みを浮かべた。
「王室と王国軍を不審に思っているのは私だけではない、ということです」
「と、いう訳だ」
室内に入ってきたと同時、それだけを告げたアルマに、呆れた視線が集中する。
「お前、もう少しきちんと報告しろ」
「どうせオーリが逐一全部話していたんじゃないのか?」
グランから苦言を呈されるが、精一杯の皮肉で答える。
「そんな失礼なことをする訳ないだろう。盗み聞きをするような人間だと思われてたなんて、心外だな」
「どの口がそんなことを言うんだよ!」
しかし、オーリに毅然として反論されて怒鳴り返す。
「まあ一応、これでも昨日君に怒られて反省したんだよ。むやみやたらと聞き耳を立てるのはやめようと決意したんだから、少しは評価して欲しいなぁ」
「いや問題にしていたのは聞いた内容を一人で抱えこむなということだったんだが」
少しばかり疲れたように、幼い巫子が口を挟んだ。しかし堪えた様子もないオーリに、追求するのは止めたらしい。
「それで、どうだった」
改めて尋ねられて、アルマはざっと会談の内容を説明する。
「……他にもこちらに寝返りそうな輩がいるのか」
呟いたグランは少しばかり満足そうだ。
アルマが続ける。
「俺は竜王宮と王家が対立してて、貴族は大体が王家についてるもんだと思ってたけどさ。王都に滅多に来ないような地方貴族の間では、竜王信仰が結構根強いみたいだ。で、王家への忠誠と竜王への信仰の間で揺れてるらしい。これで非が完全に王家にあるとなると、かなりの貴族がこちらへつくようになるかもな。まあ、決定権がある領主が直接参戦していないところだと、領主の判断がカタラクタへ届くまでまだ時間はかかるだろう」
そう、通常ならばテナークスもマノリア伯爵からの命令を受けなくてはならない。アルマが疑問に思っていたのも当然だった。
「そして、王国軍内部は誰が次に裏切るか、疑心暗鬼に陥る」
幼い少年は、その外見に似合わない悪辣な笑みを浮かべた。
「とすると、テナークスを無下に扱う訳にはいかなくなるね。それなりに優遇しないと、彼も他の人もこっちに来てくれないかもしれないし」
軽く、オーリが感想を述べた。
「……こういう話を聞いていると頭痛がしてくるんだ」
クセロが、既に理解を諦めたような顔で呟いた。
アルマの報告と説得の末、カタラクタの貴族たちはテナークスの帰属を何とか認めることとなった。
それでも、ロマの時と同様にある程度の監視をすることを主張し、巫子側はそれを飲んだ。
アルマなどは、この先カタラクタの兵は身内の監視だけで兵士が足りなくなるんじゃないかなぁと内心思ってはいたが。
「さて、それでは今後の統率をよろしくお願いしますよ。アルマナセル殿」
「え?」
うっかりしていて話を聞いていなかったか、とアルマが焦る。
すると、仲間たちも当然といった顔でこちらを見ていた。
「何をとぼけている。イグニシアの貴族の軍隊だぞ。この中で、指揮官として妥当なのはお前だけだろう」
「……え?」
情け容赦ないグランの言葉に、ただアルマは小さく呟いた。
翌日、砦に呼ばれたテナークスは、以前に会談を行った広場近くの建物に通された。
そこで反乱軍への参加を歓迎する、と告げられ、にこりともせずに手を差しのべた。代表者として、グランがその手を握る。
「反乱軍へようこそ、テナークス少佐」
微笑を浮かべてオリヴィニスが告げるのに、ほんの少し表情を緩めた。
「少佐、というのも王国軍の階位ではあるしな。変えた方がいいのか?」
軍務には疎いグランが問いかける。
「その辺りはおいおいで宜しいでしょう。少なくとも、私の離反が王国軍に漏れた後でも充分です。それよりも、まずは情報を共有するべきかと」
一応充分に利があるとは踏んでいたのだろうが、受け入れられたことに一切感情を動かさず、テナークスはきびきびと事を進め始める。
「これは、確かに頼もしい方ですな」
モノマキア伯爵が、アルマに囁いた。
「上官としては気楽ですよ」
その言葉とは裏腹に、やや疲れを滲ませてアルマは返した。
マノリア隊は、ニフテリザ砦の内部に居住区を用意されることになった。
以前から、軍隊が砦のどこに配置されてもいいように準備はされている。しかし、七千名は流石に一度に集うには数が多い。
大隊長や中隊長が現地を視察し、居住区内の振り分けを検討し終わるまで、二日かかった。
そしてその翌日。正式に、反乱軍はマノリア隊を受け入れることになる。




