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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
乱の章

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113/252

10

 開戦前の交渉と、終戦後の交渉は、まるで意味が違う。

 終戦後は互いの要求を纏めるための交渉だが、開戦前は決裂するための交渉だ。

 反乱軍の主張は、既にある程度宣戦布告書において明らかにしている。

 その一つ一つに、テナークスは王国軍側の主張を返してきた。

 曰く、イグニシア王室並びに王国軍に、龍神とその下僕とやらの干渉は認められない。

 故に、このイグニシアとカタラクタとの間の会戦は、龍神とその下僕の意図に従ったものではない。

 結論として、イグニシア王国軍の即時撤退には応じられない。

 何より、龍神とその下僕の身柄を差し出すことなど、不可能である。

「……とまあ、このようなところですね」

 淡々と読み上げた文書の向きを変え、テナークスはそれを卓の向かい側にいる反乱軍司令部へと差し出した。

 まあ予期していたことだ。むしろ、これらをいきなり受け入れられる方がおかしい。

 頷いて、グランはそれを手元に置いた。

「さて、こちらからお伺いしたいことも少々ございます。宜しいですか?」

「ああ」

 テナークスが、真っ直ぐに彼らを見詰めてくる。

「もしも、万が一そちらの軍が勝利された場合、イグニシア王家をどうなさるおつもりですか?」

 質問の意図が判らなくて、戸惑う。

「どう、とは?」

 グランは含みがあるように、問い返した。

「王国軍に叛旗を翻す以上、王家に敵対するということですね。少なくとも、龍神の影響は王家にも及んでいる、と貴方がたは明言しておいでだ。そして、グラナティス様。貴方は、イグニシア王家の直系であらせられる。現王家を取り潰し、自ら王位に就くおつもりですか?」

 もしも不老不死の巫子が王位に就くならば、それは凄まじい脅威だ。

 警戒した顔で、今は同盟を組むカタラクタの貴族たちが注視してくる。

 が、グランは鼻で笑った。

「莫迦げたことを。僕は竜王宮に入った時点で、世俗の権利を全て棄てている。頼まれたところで王位に就くなどごめんだ」

 その答えは予測していたように、テナークスは頷いた。

「ならば、アルマナセル殿はいかがですか?」

 突然名前を呼ばれて、内心びくりとする。

「アルマナセル殿は王家の血を引き、レヴァンダル大公家の嫡子です。そして、この叛乱の立役者の一人でもある。彼を王位に就けるということは?」

 テナークスの疑いに、唖然とする。

「これがそんな野望に見合うような器なら、僕の苦労はもっと軽減されている」

 しかし、グランはその意見を歯牙にもかけずに断言した。

「それについては同意致します」

 さらりとテナークスが返す。

 ひょっとして侮辱されたのかと首を傾げるが、同意されない場合の方が酷い状況である気がして、アルマは沈黙を守った。

 その後も、双方幾つか疑問を出し、答え、又は一時保留としていく。

 そして、テナークスはとうとう手にした羊皮紙を纏めた。そのついで、というように口を開く。

「それでは、最後に一つ、お訊きしたい。貴軍は、転向者の存在をどう扱われますか?」


「……転向者?」

 訝しげに、誰かが呟いた。

「単純に言えば、裏切り者ですね。王国軍を離れ、貴方がたの軍勢に加わろうとした場合、受け入れていただけるものでしょうか?」

「具体的な例があるのか?」

 グランが、用心深く答える。

「具体的といえば、まあ、私です。それから、マノリア伯爵家の七千名の兵が」

 淡々と、少佐は告げた。

「テナークス!」

 アルマが立ち上がりかける。が、その腕に、隣からそっと手がかけられた。

 オーリが、ほんの微かな笑みを浮かべて見詰めてきている。

 一瞬で矛先をそちらへ向けたい衝動に駆られたが、しかし色々な言葉を飲みこんで、アルマは腰を下ろした。

「もう少し事情を聞かねば答えられないな」

 慎重に、グランは告げる。

「流石に対応を決定していただく前に、情報はお渡しできませんよ。ですが、まあ、私を受け入れていただければ、まず単純に貴方がたの持つ時間が増えますね。私が寝返った旨をカルタスまで通達して、王国軍がその後の対応を決め、新たに軍勢が送られてくるまで、早くて二十日。おそらくはそれ以上、時間が稼げます。どうです? 必要ではありませんか?」

 彼らが時間を稼ぎたいということを、見抜かれている。

「なるほど。目端の利く男だな」

 苦々しくグランが呟いた。

「違います、幼い巫子。戦争というものは、いかに相手の時間を削り、自分の時間を増やすことができるかにかかっています。私はその手段を一つ提供できるかもしれない、と申し出たに過ぎません」

 テナークスはさらりと返す。

「ともあれ、即答は無理でしょう。後日、回答をお願いします。それでは、私は本日はこれにて。何かありましたら、いつでもお呼び出しください」

 立ち上がり、几帳面に椅子を戻して一礼する。

 様々な感情と共に、反乱軍司令部は彼を凝視していた。



「彼は、どういう人物なのですか?」

 眉を寄せ、モノマキア伯爵が尋ねてくる。

「最初にお話ししたように、謹厳実直な男ですよ。真面目で職務に忠実で、慣例に精通している。少々頭が固いところもありましたが、思えばそれも礼儀や習慣に対してだけでした。実務において厄介ごとが起きた場合には、相応に対処できるだけの柔軟さもあります。私のような若輩者に就くには、これ以上ない副官でした」

 アルマが、疲れの滲む口調で応えた。

 彼らは一旦城塞へ戻り、その足で会議室に直行している。

 最後の最後に巨大な問題を残していったテナークスについて話し合うために。

「そのような男が、王家を裏切って反乱軍へつくと?」

 明らかに信用できない、と言いたげに、スクリロス伯爵が問いかける。

「確かに、考えにくいことではあります。しかし充分な理由があれば、彼はそれを躊躇わないかもしれない」

「充分な理由?」

 眉を寄せて、考えながら告げた言葉に、更に疑問が投げかけられる。

「例えば、王家や王国軍への、失望」

 テナークスは、アルマが王都より姿を消した折、王室審議会が開いた欠席裁判に証人として召喚されている。あの愚劣な貴族たちに関わって、彼がどのような感想を持つかは想像がつく。

 そして、カタラクタでは、休戦協定を横に追いやって王国軍は利権を手にすることに汲々としている、と、彼自身が告げたばかりではないか。

「彼は高潔が服を着て歩いているような方でしたからね」

 一人だけ、僅かに楽しげな表情でオーリが評する。

「単純に、密偵として送りこまれたということは?」

 スクリロス伯爵が更に問うが、アルマは首を振った。

「それは無理です。彼は、そんなことができる男じゃない」

「ですが……」

「私もそう思います」

 反論しかけるが、ペルルがアルマに同意したため、伯爵は一度口を閉じた。

「その、真面目で謹厳実直な男が反乱軍に寝返る、ということの宣伝効果は大きいな。あのテナークスがこちらについた、ということで、王国軍を更に揺さぶることも可能だろう」

 グランは、しかしかみ合わない発言を放った。

 彼は、テナークス自身の思惑など、正直気にはしていない。

 彼が戦うのは軍事戦だけではない。情報戦もだ。

 状況から導き出される感情を操れれば、それが最善だった。

 一同が幼い巫子に、呆れたような、感心したような視線を向ける。

「……どちらにせよ、今の情報量では判断ができませんね」

 滑らかにモノマキア伯爵は流れを戻した。

「明日にでも、私が問い質してみましょう。これでも十六年、王宮で生きてきたんです。彼から詳細を聞き出す程度、造作もない」

 アルマが自信に満ちて申し出る。現状、彼が一番テナークスと親しい。少々不安ではあるようだが、カタラクタの貴族たちはそれを了承した。



 彼らの居間に戻ってきた途端、アルマは乱暴にオーリの胸倉を掴んでいた。

「お前は、最初から全部知ってたんだろう! 何故言わなかった!」

 怒声を上げるその姿は久しぶりで、オーリが僅かに目を見開く。

「……アルマ、君、背が伸びた?」

「そういうことを訊きたいんじゃねぇよ!」

 苛立ちのままに突き放す。一歩よろめいて、皺になった胸元の布を延ばしながら、オーリが苦笑した。

「何の話だ?」

 眉を寄せて、グランが尋ねる。

「こいつ、テナークスが来る前から、あいつが寝返ろうとしてるって知ってたんだよ」

「本当か、オーリ」

 厳しい顔で問いかけられて、青年は肩を竦める。

「うん、まあ。テナークスは道々部下と話をしていたからね。おおまかなところは知っていたよ」

「ならば何故、事前に僕らに話さなかった?」

 続けての問いに、少し考えこむ。

「……驚かせたかったから?」

「理由が変わってねぇ!」

 アルマの罵声に、困ったように笑う。

「と言われてもねぇ。寝返ることを話すなら、来るのがテナークスだってことがばれるじゃないか」

「問題になっているのは、そこじゃない」

 呆れたように呟いて、グランは椅子に腰を下ろした。

「むしろ私としては、問題になることが意外だったよ。テナークスがこちらに来てくれるのなら、諸手を挙げて歓迎すると思っていた」

 オーリは彼なりに不満そうだ。

「お前は彼を個人的に知っているから、そう思うのだろう。だが、伯爵たちは初対面だ。信頼する理由がない。少なくとも、僕たちにだけは事前に話しておくべきだった」

 そうすれば、もう少し穏便に誘導できた、と火竜王の高位の巫子が更に主張する。

「用心深いんだな」

「当然だ。相手は龍神だろう」

 更に続けようとする相手を、軽く片手を上げてオーリは止めた。

「私も皆も、龍神の凄まじさをある程度実感している。イフテカールにも直接会っているしね。でも、モノマキア伯爵もスクリロス伯爵も、その辺りを我々からの話でしか聞いていない。それにしては、用心深すぎると思っただけだよ」

「そこは気にするところか? 今は戦時下だ。それに則って用心しているだけだろう。彼らが用心しすぎているという気はしないな」

 さらりと返されて、オーリは考えこむ。

「それより、アルマ。本当にテナークスから更に情報を引き出せるのか?」

 グランが矛先を変えた。

「ああ。テナークスは多少なりと、俺に好意を持っている筈だし、俺から好意を持たれてるとも思ってる。でなきゃ、こんな時期にいきなり王国軍を裏切るとか言い出さないだろう。こっちに気を許している相手をいいようにするなんて、簡単だ」

 仲間たちが少しばかり驚いたように見返してきたのを、見渡す。

「どうした?」

「いや……。今まで、気を許した相手にいいようにされてきた君が言う台詞なのかな、と」

「うるせぇよ!」

 オーリの感想に、言葉を叩きつける。

「いいか、テナークスは貴族だ。どんなに人がよくたって、貴族の考え方は特殊だし、俺はそれを反吐が出るほどよく知ってる。もしもフルトゥナ人の考え方とかを熟知してたら、お前にいいようにあしらわれたりしねぇんだからな」

「それはどうかなぁ」

 呑気にそう呟いて、オーリが笑った。




 翌朝、陽が昇った直後、アルマは砦を出た。馬に軽く駆けさせて、王国軍の野営地へと向かう。

 歩哨に立っていた兵士が、槍を手に緊張した面持ちでこちらを注視してきている。

「おはよう。私はレヴァンダル大公子アルマナセルだ。テナークス少佐にお会いしたい」

「承りました、閣下!」

 びしり、と敬礼して、驚愕と緊張と怯えを滲ませた表情で走り出していく。

 もう一人の歩哨が警戒したような視線を向けるのを受け流し、アルマは軽く汗ばんだ馬の首を叩いてやった。


 予想した通り、指揮官は既に軍服に着替えて実務に就いていた。

「アルマナセル殿?」

 驚いた顔でアルマを出迎える。

「朝早くからお邪魔してすまない。しかし、相変わらず貴公は真面目なんだな」

「こんなところにまでご足労頂き、恐縮です。お呼び頂ければこちらから参りましたものを」

 おそらく、アルマが接触してくる、という予想は立てていたのだろう。しかし、この地に到着した翌朝のこんなに早い時間に、しかも自分からやってくる、とは思っていない。

 爵位を持たないのはお互い様だが、貴族の階位としては、それでもアルマの方が高いのだから。

「気にするな。ちょっと、息抜きがしたかったんだ」

 そう返して、意味ありげに笑ってみせる。

「お変わりありませんな」

 困ったように、テナークスは苦笑した。

 半年前と変わらず、少し軽率な貴族の子弟。そう思い続けていて貰えれば、こちらへの態度に緩みも出てくる。

「朝食をご一緒にいかがですか? 用意させますが」

「ありがとう。だが、それは貴公の軍の食料だろう。自分の分ぐらいは持参した」

 手にした革袋を、軽く持ち上げて示す。思案するように数秒それを見つめて、テナークスが決断する。

「でしたら、お茶と、温かいスープぐらいでしたらどうです? これなら、誰か兵士一人が食べはぐれることにはなりません。暖かくなってきたとはいえ、この時間に馬に乗っていては冷えたでしょう」

 そつなく、男はそう申し出た。


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