09
作業は以前にも増して急いで進められつつあった。
イグニシア王国軍の動きが、予測よりも半月は早まったという予測故だ。
物資の搬入や兵士の訓練で、城塞の中は活気に溢れている。
しかし、司令部は焦燥感に満ちていた。
合流が遅れているサピエンティア辺境伯へ早馬を出したものの、返答が返ってこないのだ。
「サピエンティアは、以前、特使が殺された前例がある。今回の使者が無事に辿り着けたと思うのは、少々楽観的だ」
グランは一度、そう零していた。
ほんの数日で帰ってこなかったからと言ってそう思いこむのもそれはそれで早計ではあるが。しかし、戦争において楽観性はあまり褒められた傾向ではない。
他の藩へ向かわせた同盟の申し入れへの返事も、捗々しくはない。おそらく、最初の一戦の結果が出るまではのらりくらりと逃げられるのだろう。
じりじりと焦りのみが募る日々が過ぎて。
事態が大きく動いたのは、宣戦布告して丁度十五日目のことだった。
偵察に出ていた隊が、馬を駆って戻ってくる。
城壁で見張りに立っていた兵士が、その尋常でない速度を気にかけて連絡していたため、偵察隊が城塞へと辿り着いた時には、司令部に属する者たちは全員広間に顔を出していた。
「イグニシア王国軍がこちらへ向かってきております!」
敬礼もそこそこに、隊長が報告する。
「距離は約十キロ、人数は約七千」
ざわ、と一同がざわめく。
「交渉に来るにしては、少々多いな」
「だが、砦を攻めるためには、まるで足りないぞ」
伯爵たちが小声で囁きあう。
「その人数は、大体、一つの藩が出した兵の数と同じぐらいですね」
アルマが眉間に皺を刻んで呟いた。偵察隊へ視線を向ける。
「どこの貴族が来たのかは判ったか?」
「いえ、旗はイグニシア王国軍のものばかりで、貴族の紋章は確認できませんでした。装備についているものが目視できるほど近づかなかったもので……」
申し訳なさそうに返答してくる。
通常、行軍中は王国軍旗と共に、各領主の旗も掲げているものだ。アルマがますます不審感を募らせる。
「十キロ、ということなら午後にはここに着くでしょう。軍隊は野営の準備もありますから、初日は顔合わせに来る程度ですかな」
スクリロス伯爵がアルマに問いかける。イグニシアとカタラクタでは、少々流儀が違うかもしれない、と思っているのだろう。
「王国軍では、そのような流れになっていました」
記憶を探りながら答える。
両軍が戦闘前に顔を合わせ、数日をかけて互いに要求を述べ、条件の擦りあわせを行う。
……いや、条件の合わない部分を抜き出しあう、という方が正しい。
あの、殺伐とした空気を思い返してアルマは少々気が滅入った。
予測した通り、午後を回った頃に、王国軍は砦の傍に姿を見せた。
一キロほど離れた丘で止まったと連絡があった直後、オーリがアルマを尋ねてきた。
「まだ出る用意をしてないのか?」
自室で寛いでいた少年に、呆れた顔を向ける。
「どうせ、部隊の編成だとかで数時間は手が離せない。急いで出たって、待たされるだけだ」
ひらりと片手を振って促すが、オーリは帰らない。
「それが、再編成は部下に任せるつもりらしい。もうじき、少人数でこちらにやってくるようだよ。出迎えに遅れるなんて間抜けな目にあいたくないだろう?」
じろり、と青年を睨め上げる。別に、彼は悪くないのだが。
「気が重いのは判るけど、こうなることはもう何ヶ月も前から判ってたことじゃないか」
「三百年経ってもロマに会いたくなかったお前に言われたくねぇよ」
遠慮なく嫌味を告げる。
王国軍の一体誰がやってきたところで、酷く顔を合わせづらいということは確かだ。そして、火竜王宮に対して以前から好意的だった貴族が派遣されるとは思いにくい。
おそらく、会談の間に一度ならず罵倒されることだろう。
それでも、暴力に訴えられる可能性が低いだけ、まだましだが。
そこで、つまりはここ数ヶ月、礼儀正しく遇されることに慣れすぎてしまったのだ、と思い至り、溜め息をつく。
アルマの様子を気に留めた風もなく、オーリは口を開く。
「そんな私だから言うんじゃないか。案ずるより生むが易し、ってね。早くしないと、驚くタイミングを逃してしまうよ」
「……お前、何を聞いてるんだ?」
胡散臭い視線を向けるが、風竜王の高位の巫子はただ楽しげに笑っていた。
砦の正門の内側は、ちょっとした広場になっている。
その中央に広めの天幕を立て、その中に反乱軍司令部の面々は座っていた。
敵が砦の外に展開している以上、そちらで会うことは危険が大きい。
勿論、砦の内部へ入れてしまうことの危険性もある。
しかしどちらも、伝統的に使者は少人数であること、この段階での戦闘は不躾であるとされていることなどで相殺される。
勿論、広場の周囲は自軍の兵で囲ませ、建物の上階へ弓兵を潜ませてもいる。
城門は大きく開かれていた。これは少しばかり異例なことだ。
馬に乗って、城門から突撃されては大きな被害を受けるだろう。大抵、城門を通る前に下馬させてから中へと招き入れるものだ。
しかし、今回、ここには四大竜王の高位の巫子と、〈魔王〉の裔がいる。多少の無茶をされても防げると判断し、パフォーマンスを優先させたのだ。
広場は砦の外の地面より高い場所にある。坂道を登ってこなければ、使者の姿を見ることはできない。
オーリは、未だ何かを企んでいるかのような笑みを崩していなかった。
「そろそろ教えてくれたっていいだろ」
小声で、アルマがせっつく。
「お楽しみを邪魔するのは無作法だ。君のお楽しみも、彼らのお楽しみもね」
「彼ら?」
意味が判らずに首を傾げた。
「グランとかクセロとかか? みんな知ってることなのか?」
自分だけ知らされていない、ということはあり得ることだ。
が、オーリは首を振る。
「あの二人を驚かせる機会を逃すなんて勿体ないだろう」
「そういうところ、お前は本当に変わらないよな」
呆れて、アルマは呟いた。
坂道の下から、王国軍旗が姿を見せる。
やがて、騎乗した人物の姿も露になった。開け放たれた城門前、門衛の手前で礼儀正しく停止する。
そして、使者は声を張り上げた。
「王国軍マノリア隊テナークス少佐、王国軍よりの使者として参上致した。入城の許可を頂きたい」
「……っ!」
鋭く息を飲んで、アルマが立ち上がる。
周囲から驚いたような視線が向けられるが、それどころではなかった。
形式的に、門衛の一人が天幕へと走り寄る。そしてスクリロス伯爵とやりとりし、再び城門まで戻っていった。
「我が主、スクリロス伯爵より、喜んでお招きいたしますとのことです」
「感謝します。皆様に天の竜王の加護と地上の王の庇護があらんことを」
儀礼が終わり、使者は下馬して城門を抜け、広場へと進み出てきた。
天幕から出てそれを出迎える伯爵たちを抜き、アルマが数歩前に出る。
「……テナークス……?」
「ご無沙汰しておりました、アルマナセル殿。逞しくおなりですな」
力なく名前を呼ぶ少年に、かつての部下は懐かしげに返した。
「いや、でもどうして? 確か、王都にいた筈じゃ」
「王都に到着してからもう四ヶ月ですよ。充分戦場に戻れる期間です。まあ、戦場ではなくなっておりますが。途中、船も使いましたしね」
真冬にクレプスクルム山脈を越えるのは、流石に無理だろう。
「ご存知の方でしたか?」
未だに衝撃から立ち直れていないアルマに、背後から声がかけられた。
慌てて振り向くと、その場の全員が二人に注目している。
「ああ、失礼致しました。こちらはマノリア伯爵家のテナークス少佐。以前、一時期私の副官を勤めてくれました。謹厳実直な男です」
「褒めすぎですよ」
父親ほども年上の男を部下というアルマに、当人は冷静に口を挟む。
成り行き上、アルマが彼らを紹介しあう形になっている。
「こちらがスクリロス伯爵。この地の領主でいらっしゃる」
「よろしく、テナークス少佐」
「入城の許可を賜り、感謝します。伯爵」
軽く手を握りあう。
「そして、モノマキア伯爵。カタラクタで、我々を最初に受け入れてくれた方だ」
「これは、わが国の大公子がお世話になりました。王家に代わり、礼を申し上げます」
その当人はイグニシア王家に対して叛旗を翻しているのだが。モノマキア伯爵が苦笑して手を握った。
「大したことではありませんよ、少佐」
そして、二人は視線を横へ向ける。
「彼がグラナティス。火竜王の高位の巫子だ」
「お初にお目にかかります、幼い巫子」
「ああ。その折は、アルマが世話になったようだな」
テナークスの言葉に、鷹揚にグランが返す。
「アルマナセル殿は、立派な指揮官であらせられました。王国軍では他人の下へつくことがままありますが、それが彼であって、私は幸運でしたよ」
「ほぅ?」
意味ありげに眉を動かして、グランはアルマを見上げる。少々いたたまれなくて、隣に立つ相手に向いた。
「ペルルは覚えているな?」
「勿論ですとも。お久しぶりでございます。姫巫女」
流石は貴族の生まれと言おうか、テナークスが驚くほど優雅に一礼する。
「まあごきげんよう、テナークス。また会えて本当に嬉しいわ」
真実そう思っているように、ペルルが笑みを浮かべて相手を歓迎した。
「それで、彼がクセロ。地竜王の高位の巫子だ」
金髪の男は、やはりこういう衆目に晒される場は苦手なのか、やや目を逸らせ気味だ。
「初めまして、クセロ殿。貴殿らは実に世界を驚愕させましたな」
「多分、一番驚いたのはおれだと思うぜ」
短く、皮肉げに呟いて、軽く手を触れ合わせる。そしてクセロはすぐに一歩下がった。
必然的に、その隣に立っていた青年が目に入る。
「……あー……。つまり、これが、風竜王の高位の巫子、オリヴィニスだ」
やや申し訳ない気分で、テナークスに紹介する。当のテナークスは、流石に顔を強張らせていた。
「お久しぶり、少佐。少し痩せましたか?」
こちらはにこやかに、オーリは手を差し出している。
「いや、これは、まさか、……そういうこととは」
小さく独りごちて、ぎこちなく手を握る。そして、じろりとアルマに視線を向けた。
「いつからご存知でした?」
「王都を脱出した後だ」
溜め息をついて、弁明する。かつての部下はそれを疑う様子はなく、なるほど、とだけ呟いた。
そしてぐるりと全員を見渡して、口を開く。
「サピエンティア辺境伯がいらっしゃらないようですな。宣戦布告書には、名前を連ねておいででしたが」
「辺境伯は、少々都合が悪いのだよ。出迎えることができずに申し訳ないと言っていた」
さらりとスクリロス伯爵が答える。
思いがけず和やかな雰囲気になってしまっていたが、それでもテナークスは敵軍の使者である。サピエンティア軍の合流が遅れているということを知られる訳にはいかない。
それについて、テナークスは深く探ろうとはせずに、頷いた。そして、びしりと伸びた背中のままで口を開く。
「それでは皆様、条件の話し合いに入らせて頂いて宜しいでしょうか」
申し出に、ざわ、と空気がざわめく。
もう、午後も遅い。今日、それだけの時間が取れるような余裕はない。慣例では、少なくとも明日また仕切り直すことになる筈だ。
「しかし、テナークス殿……」
「無作法は重々承知です。ですが、時間がないのです。本格的に、とは申しません。ある程度のところまで、本日中に進めさせて頂けないでしょうか」
時間がない、という言葉にひっかかる。
どちらかと言えば、反乱軍は時間が欲しい。ここで、やはり明日からにしてくれ、と突っぱねることは簡単だ。
しかし、交渉を長引かせる手管は幾らでもある。テナークスの頼みを受け入れておいて、引き伸ばすことだってできるのだ。
「宜しいでしょう。ならば、こちらへ」
スクリロス伯爵が、広場の片隅にある建物を示す。その内部の会議室で交渉を始めよう、というのだ。
先に立つ二人の伯爵の後ろに、テナークスが着く。勿論、それぞれの部下が護衛として周囲を固めている。
さり気なく、アルマはテナークスの隣に並ぶことができた。
「どうして貴公がここへ来たんだ?」
ざっくばらんな問いかけに、軍人は苦笑した。
「往復でざっと半年、現場から離れておりましたのでね。カタラクタへ戻っても、正直仕事がなかったのです。とっくに皆、好き勝手に利権に手をかけておりましたから。そんな折、あの宣戦布告書が届きました。なんと言っても、反乱軍の中に名を連ねていたのがグラナティス様とアルマナセル殿だ。先陣を切りたがる者など、誰もいなかったのですよ。そこで、まあアルマナセル殿とは知らぬ仲でもないし、私が志願したのです」
「そうか。その……、すまない」
僅かに視線を落とし、謝罪する。
「胸を張ることです、アルマナセル殿。少なくとも敵方に所属する人間に、そんなに簡単に頭を下げるのはおやめなさい」
小さく、何とか聞きとれるような声で囁かれる。
複雑な心境で、相手を見詰め直した。懐かしさと、寂しさと、不安が入り混じった心境で。




