08
イェティスの演説は、まず三百年前のフルトゥナ侵攻から始まった。
身に覚えのない非難を浴びせ、攻め入ってきたイグニシア王国軍。
迎え討つ騎馬の民の勇猛果敢な戦い。
[奇襲王]イーレクスの世界への冒涜とも言うべき〈魔王〉の召還と、それによる人知を超えた惨たらしき虐殺。
不干渉の名の下にイグニシア軍の通過を黙認したカタラクタ王国への弾劾。
時の王や族長は次々に斃れ、唯一人、竜王の御力によってのみ〈魔王〉に対抗できた風竜王の高位の巫子と、その親衛隊との抵抗戦。
そして、国土を余すところなく覆い尽くし、人間を全く区別なく絶命せしめた、〈魔王〉アルマナセルの呪い。
民と敵の兵士すら生き延びさせるために、一人呪いのただ中に残り、その侵食を遅らせた高位の巫子。
この三百年間に作り出されたどの戯曲よりも激しく、世界を糾弾する。
ロマたちの熱気は、否応なく高まった。
「……我々竜王兵の立場を考えてくれているのですかね」
皮肉げに、ドゥクスが小さく呟く。
「まあ心配しないで。これはまだ仕込みの部分だ。この先、一気に流れをひっくり返すだろう」
オーリは苦笑しながら返した。
竜王の高位の巫子の立場も、少しは考えて欲しい、と内心思いながら。
「だがしかし、聞くがいい我が兄弟たちよ! この我らの無残なる歴史、三百年の間続いた屈辱と無念は、全て、ただ一人の人間の思惑によるものであったのだ!
それは、この美しき我らが世界をおぞましき欲望の元に我が物にせんとする龍神ベラ・ラフマに手足として仕える人間だ。その者が美しき故郷フルトゥナを蹂躙し、我らを虐殺し、流浪の民となることを余儀なくさせた。〈魔王〉アルマナセルに、全ての汚名をおしつけたまま。
更に、そ奴は今、カタラクタを同様の憂き目に合わさんと、果ては全世界を地獄へ変貌させんとその手を伸ばしてきている!
現存する三竜王の高位の巫子は、その野望を挫かんがために手を取り合い、風竜王ニネミアを解放された。そして一万年前に、単身龍神と戦い、眠りについていた地竜王を目覚めさせたのだ。
兄弟よ、私は地竜王が顕現されるその場に居合わせた。いと古き竜王は、今もその残忍な牙を龍神の首筋に突き立てるために入念に研いでおいでだ。
そして今、四大竜王とその忠実なる高位の巫子が、龍神を滅するために戦いを挑もうとしておられる! 我らが竜王の名の下に、立ち上がれ誇り高きフルトゥナの民よ!」
ロマの、フルトゥナの民の雄叫びが、大地を揺らす。
満足そうにそれを見渡して、イェティスはオーリを振り返った。
「……壁がどんどん高くなっている気がするよ」
呟いて、高位の巫子は馬を進めた。眼下にいる、熱気に満ちたロマたちを見下ろして、軽く息を吸う。
「私が、風竜王ニネミアの巫子、オリヴィニスだ。今、この場に、皆がいてくれることを嬉しく思う」
イェティスの声が民を奮い立たせる雄雄しいものであるならば、オーリのそれはただ静かで、穏やかだった。
ロマたちは、しん、としてその声に聞き入った。
「三百年の昔、私が民を棄て、国土から放逐した時に命じたことは、絶対に生き延びろ、というただ一言だけだった。それを伝えるだけの時間しかなかった。今、この場に、生き延びて生命を繋いだ民がいてくれる。そのことだけで、この三百年が報われるような気がする」
半ば目を伏せ、静かに告げた。が、言葉が消えると同時、すっと視線を上げる。
「三百年前の戦いは、終わったことだと思っていた。どれほど苦難の結果を残そうと、もう既に終わってしまったことなのだと。だが、それは違った。少なくとも、この世界に一人、それを継続させ、世界を龍神の掌に差し出そうとしている者がいる。
もしもそれを許してしまえば、この先、人は生き延びるということもできなくなるだろう。今を生きる皆が、これから生まれるであろう子が、生命を繋いでいくことが。
私は、不甲斐ない私は、もう皆の巫子ではないかもしれない。だが、私は未だ風竜王ニネミアの巫子である。私は、世界に対して責を負う。他の三名の巫子と、〈魔王〉の裔と共に。
私を許せぬ者も多いだろう。だが、この戦いは、今後生きる者たちが苦難を負わぬためのものだ。フルトゥナの民が再び故郷を持ち、安全を得、誇りを認められるためのものである。
どうか、我々に力を貸してはもらえないだろうか」
周囲は、水を打ったように静まっている。
イェティスが奮い立たせた情熱が消えてしまったかもしれない。
だが、オーリには、ここで、それに便乗して無責任に民を煽り立てることはできなかったのだ。
やがて、ロマの中から、小さな歌声が発せられた。
それは次々に周囲へ伝播し、あちこちから楽器がかき鳴らされる。
民が声を合わせて歌い上げるものは、地竜王と龍神との戦いの歌だ。
かつて存在していた王国、フルトゥナに関するものではなく。
この先の未来に対決する龍神との、戦唄だ。
この中には、オーリを、ノウマードとして直接見知っている者もいただろう。
深い感慨を持って、オーリはその歌に浸った。
その、静かな、しかし確かな熱狂が静まった後、彼らは志願兵の選別作業に入った。
まず単純に、男性を年齢で選び出す。その後、体格や病歴などでさらに人数を振るい落とし、最後に戦いの技量が充分であれば兵士として採用される。
尤も、人数も必要であるから、最後の技量に関してはよほど才能がない、と判断されなければ落されはしない。
その辺りの按配は、竜王兵が判断できた。
もう夕方に近い。今日はとりあえず年齢で分けるのがせいぜいだろう。
親衛隊と竜王兵は数人ずつに別れ、作業を始めていく。
オーリは少し離れたところに立ち、その様子を見詰めている。周囲には数名の部下がいたものの、彼らも選別作業に気を取られていた。
そんな時に。
「ノウマード!」
突然、名前を叫ばれ、横合いから強く手を引かれかけた。
というのも、ほんの一瞬の後にはそれはオーリから引き剥がされ、イェティスが手荒に地面へとその身体を押し倒していたからだ。相手の首筋に、鋭い短剣が突きつけられている。
「ノウマー、ド」
掠れた声で、襲撃者と目された相手が呟く。長い、艶やかな黒髪が無残に地面に流れていた。
誰かに庇われるように半ば身体を拘束された状態で、オーリが声を上げる。
「離せ、イェティス」
「しかし」
戸惑ったように、親衛隊隊長が視線を向ける。
「手荒な真似をするな。相手は女性だろう」
「暗殺者に女がいないとでもお思いですか」
硬い声に、眉を寄せる。実際、彼はモノマキアの城内で女性の暗殺者を目にしていた。
しかし。
「彼女は知り合いだ。手を離せ」
「それは解放する理由には……」
「イェティス!」
鋭く名を呼ばれ、彼は見るからに不承不承手を離した。慎重に解放した相手は、力なく身体を起す。
あの一瞬で自分を庇っていたドゥクスの腕を振り払い、オーリは大地に膝をついた。
「怪我はないか? フラウラ」
「ノウマード……」
泣き出しそうな顔で、少女が青年を見上げた。
ゆっくりと、フラウラが立ち上がる。色鮮やかな服には、ところどころ泥がついてしまっていた。
「すまなかった、フラウラ。許して欲しい」
オーリが静かにそう告げると、慌てて少女は両手を振った。
「あの、そんな、私がいきなり来たせいなのよ。久しぶりに会えて嬉しかったから、その、ごめんなさい」
「それでも、君に怖い思いをさせたのは私の責任だ」
「オリヴィニス様!」
憮然として二人のやりとりを見守っていたイェティスが、堪りかねて口を挟む。
予想していたのだろう、苛立った様子も見せず、オーリが視線を向ける。
「お前は彼女に謝れるのか?」
その言葉に、親衛隊隊長は口を噤む。決して肯定しようとはしない。
「そうだ。お前は正しいし、謝罪する必要はない。だから、謝るのは私の役目だ」
しかしそのまま続けられた言葉に呆気に取られ、思わず隣にいるドゥクスと顔を見合わせた。
「あ、あのね、ノウマード。ちょっと、二人で話したいんだけど、いい?」
しかしそんな空気を気にも留めていないのか、フラウラは僅かに顔を伏せて尋ねた。
「あまり長くは無理だよ」
「危険です、我が巫子」
あからさまに立場を強調して、イェティスが止めた。
「お前はお前のなすべきことをしろ。見えるところにはいる」
が、今度は口論すらすることなく、オーリはそう返した。フラウラを促して、人気のない丘へと歩いていく。
「……風変わりな巫子でいらっしゃるな」
呆れたような、困ったような口調でドゥクスが呟く。彼らの巫子はそれぞれ現実主義ではあるのだろうが、徹底して無駄を嫌うグランとは、オーリはまた違うタイプなのだ。
「ああ」
短く答え、イェティスは素早く弓矢を手に取った。声は聞こえないが、矢は充分に届く距離を保って、数人の部下と共に主の後をつける。
「なるほど。国民性か」
何となくその場に残ったドゥクスは、小さく独りごちた。
夕陽が空を赤く染めながら、西の地平線へ沈んでいく。
「……先刻はびっくりしたわ。本当に、巫子様だったのね」
夕陽に照らされているせいか、頬を僅かに赤く染めて、フラウラが呟いた。
「知っていたのか?」
少しばかり驚いて、尋ねる。
が、少女は首を振った。
「ううん。先刻、私たちの前に出てきたときに初めて知ったの。でも、兄さんは知っていたのかも」
「アクレオが?」
オーリの問いに頷いて、思い出したように笑う。
「お前の手には負えない相手だから、諦めろって言われちゃった」
「……そうか」
表情に迷って、真っ直ぐ前を向いた。
そのまま、ゆっくりと歩いていたが、ふいにフラウラが足を止める。数歩行き過ぎて、オーリが振り向いた。
「……あのね」
意を決したように、少女は口を開く。両手が、きつく組み合わされていた。
「もしも、この先、あたしたちがフルトゥナへ戻れるようになったとして、なんだけど。風竜王宮に、巫女の空きはないかしら」
縋るような瞳が、見詰めてくる。
「いやそれはお勧めできないな」
が、オーリは考えるでもなく即答した。
自分が竜王と共にある時の仲間たちの揶揄を思えば、迷うことなどない。
ここにきて、未だ体面が大事な男でもあった。
「……そっかぁ」
彼のそんな思惑も知るはずもなく、フラウラはまた小さく笑った。
「振られちゃった、なぁ」
殆ど、口の中だけで、呟く。
くるり、と簡素なドレスの裾を翻らせて、少女は踵を返した。
「じゃあ、そろそろ戻りましょうか。お付きの人が心配しているわよ」
茶化すように言って、先に立って歩く。
数分間、二人は一度も口を開かなかった。
イェティスたちのところへ戻ると、その数メートル後ろに、一人の青年が立っていた。
「兄さん……」
「アクレオ」
二人の言葉に、無言で頷く。手を伸ばし、フラウラの身体を引き寄せた。
「迷惑をかけた。すまん」
兄は相変わらず言葉少なに、しかし嘘ではない強さで告げる。
そのまま、力なく肩を落す妹をぎこちなく庇いながら去っていこうとするが。
「アクレオ。ちょっと、いいか?」
オーリの言葉に、彼は足を止めた。返事を返さずに、じっと見返してくる。
「またですか」
溜め息混じりに、イェティスが呟いた。
苦言を呈されたからではないが、今回はさほど遠ざかりはしなかった。精々二メートルほど、部下や妹から離れただけだ。
アクレオは、憮然としたような顔でオーリの言葉を待っている。
変わらないな、と思って、青年は僅かに笑んだ。
「フラウラから、君が私のことを知っていたと聞いたんだけど」
「お前のことは知っている。ノウマード」
訝しげに言葉を返された。
「ああ、いや、そうじゃなくて。私が、その、巫子だったということを、ずっと以前から知っていたらしいと」
「まさか、そんなことはない。お前は額の宝石だって隠してたじゃないか」
あっさりと否定される。とはいえ、今でさえ理由がなければ、そうそうエメラルドを晒して歩けはしない。普通の街なら、一ブロックも行かないうちに最低一度は追い剥ぎに会うだろう。
「まあ、お前がただの密使だとは思っていなかったが」
しかし更にさらりとつけ加えられる。
「何故だ? 自分で言うのも何だけど、今まで疑われたことはないんだよ」
「何の拘りなんだ」
少しばかり呆れた口調で言ってきたが、特に返事が欲しいわけではなかったらしい。すぐに続ける。
「確信したのは、リュートだ。お前が持っていた」
「リュート?」
その理由が意外で、首を傾げる。あれは、そもそも自分の持ち物ではない。
「側面の、見え辛い場所だったが、刻印が押してあった。あれは火竜王宮の印章だ」
「……そんなものが?」
三ヶ月以上使っていた自分でさえ、知らなかった。それを目ざとく気づいたアクレオに驚愕する。
「見え辛い場所なんだよ。俺だって、お前にリュートを教えて貰ってなければ間近で見なかっただろうし、気づきもしなかっただろう。だから、風竜王宮の生き残りの密使、というお前の身分は疑っていた。まあ、この間の宣戦布告で風竜王宮が火竜王宮と組んでいた、ということが判ってやっと腑に落ちたんだが」
それでも、お前自身が巫子とは思わなかった、と言って、アクレオは珍しく笑った。
「そうか。ありがとう。今後は気をつけないと」
「今後また身分を偽ることがあるのか?」
面白げにそう尋ねてくる。が。
「世の中、何が起こるか判らない、ということだけはよく判っているよ」
オーリのその言葉に、ロマの青年は僅かに表情を引き締めた。




