10
ざざ、と土埃を立てて、斜面を数メートル下る。
寒さなのか恐怖なのか、がちがちと歯の根の合わない男の傍らにアルマは立った。
眉を寄せて、体格のいい男を見つめる。
「……悪い、ノウマード」
「全く、もう少し物事を考えてから行動しなよ。君の身長とか」
「うるせぇ!」
軽口を叩きながら、ノウマードが近づいた。彼が手を延ばせば、麻袋には届く。だが吟遊詩人の腕の細さがやや不安で、はらはらしながらアルマは傍で身構えていた。
少しよろめいたものの、無事に麻袋を支え、そのままそっと地面に横たえる。きつく口を結んだ縄を、無造作にナイフで切った。
慎重に広げた袋の口から、見覚えのある亜麻色の髪が見える。安堵の息を漏らすアルマの視線の先に、目を閉じた少女の顔が現れた。
「ペルル……!?」
アルマが名前を呼ぶが、反応しない。ノウマードが、指先を首筋に這わせた。
「……脈はある。安定してるね。眠ってるだけならいいんだけど……」
意味ありげに、氷漬けにされている男たちを見上げる。がたがたと震えながら、一人が首を振った。
「ね、眠らせてるだけだ! 腹に当て身を……」
「腹だぁ?」
低い声音で繰り返すと、ゆらりとアルマが立ち上がった。逆光であまり見えていないはずだが、その気配に、男たちが幾度目かの悲鳴を上げる。
「救けてくれ! 頼む、何でもする!」
必死に、拝むように懇願するが、アルマは鼻を鳴らした。
「じゃあ、何で俺たちを襲った。何故、彼女を連れ去ろうとした。一体誰の差し金だ?」
ぐ、と男たちが怯む。
「話せねぇだろ。知らないからだ。当たり前だ、俺だって実際動く人間に逐一詳しいことなんて話すもんか。どうせ、名前も知らない誰かからたんまりと金を貰ったんだろう」
「おお。子供だと思ってたけど、流石は貴族の端くれだね。腹黒い」
感心したようにノウマードが呟いたのを、じろりと睨みつけた。
「うるせぇって言ってんだろ。……手伝え。彼女をそこから出す」
まあ、運んで行くには手足が揺れない分、袋に入れた方が楽なのは確かだが、だからといって心理的にペルルをそんな目に遭わせたくはない。
ノウマードもそれに異議は唱えなかった。
「どうする? 袋を破るか?」
「ナイフだろ? 怪我したりしないか」
「うーん。肩の辺りまで破いて、口を広げてから引っ張り出せばいいかな」
軽く手順を相談して、慎重に行動する。ペルルが薄手の寝間着を着ているだけなのに気づき、アルマは手早くマントを脱いだ。少女の身体をそれでくるむ。
ノウマードは何か言いたげにそれを見たが、とりあえず黙っていることに決めたらしい。アルマがペルルを抱き上げるのを見守っている。
二人が揃って踵を返すのに、焦った男たちが声を上げた。
「おい! ここに放っておくのか!」
「あ? 何にも出来ねぇのに、救ける筋合いもねぇだろ」
肩越しに振り返った少年が、半眼になって見据える。
「まあ気をつけた方がいいよ。先刻追い出した犬が、森の中をうろついているんだ。ちょっと動転してたみたいだから、何をしでかすか判らないしね」
ノウマードが、にこやかに告げた。
顔色を今まで以上に悪くして、更に喚き出す男たちに、アルマはうんざりしたように告げた。
「判ったよ。野営地に戻ったら、兵士を寄越してやる。まあ、それでどんな目に遭うかは保証しないけどな」
野営地を襲った張本人である。まあ、親切に迎え入れられるとは思えまい。
「アルマ。この光、もう一つ出せるかい? これから夜道を行くんだから、足元が明るいと助かるんだけど」
「要求が多いなお前……」
それきり二度と振り向くこともなく、軽口を叩きながら彼らは山道を登っていった。
アルマは、歳の割には力がある方だ。小柄な少女を腕に抱えて歩くことは、さほど苦でもない。
だが、意識のない人間の身体はバランスが悪く、何より地面が見えない。しかも、夜の山道だ。灯りは数歩前方、地面に近い辺りを浮遊させているが、それでも時折足元がおぼつかなくてふらついた。
自然、ノウマードがアルマの後ろを歩き、何かあった時のフォローをするようになった。実際、二度ほど、酷くバランスを崩した時に背中を支えて貰っている。
落ち着いて考えると、ロマに背後を任せる状況っていうのはどうなんだ、と内心苦く考えていた頃、腕の中のペルルが小さく身じろぎした。
「あ」
「ん?」
小さく零した声に、ノウマードが覗きこんでくる。
「きゃぁっ!」
次の瞬間、ペルルが叫び声を上げて、二人は揃って肩を震わせた。
「ペルル様? 大丈夫ですか?」
焦って声をかけると、ぼんやりとした眼で見上げられた。
「アルマナセル……様? 私、一体……」
視線が周囲を巡り、小さな呻き声と共に身を竦める。
「どうされました? どこか、痛むところが?」
冷たい汗が、背に流れる。立て続けにペルルに尋ねた。
「すこ、し」
苦痛を堪えるような笑みを浮かべる。くるまれたマントの下で、ペルルの腕がそっと腹部を庇った。
冷や汗をかいたばかりの身体が、かっと熱くなる。先ほど、氷漬けにして放置してきた者たちへの怒りが再び沸いた。
しかし、心配そうな表情と声は崩さず、ペルルに語りかける。
「野営地に戻れば、軍医がおります。もう少し我慢してください」
「はい。……あの、ここは?」
視界に入ってくるのは、暗い空に半ば葉の落ちた木々の梢だ。不思議そうに、少女は問いかけた。
一瞬ためらったが、それでも話さない訳にはいかない。
「夜になって、野営地が襲撃されました。狼が入りこみ、火をかけられ、馬が暴れ出して混乱していたため、ペルル様をみすみす賊の手に渡してしまいました。誠に、申し訳ありません」
アルマの言葉の途中から、気絶する前の記憶が蘇ったか、ペルルの顔色が悪くなっていく。
「あの、侍女たちは無事でしょうか? 先ほど、私を庇って」
「気絶しておりましたが、おそらくは。ペルル様を捜しに、すぐその場を離れてしまったもので」
少女は安堵しきれていない表情で、俯く。
「……申し訳ございません」
アルマとペルルの言葉が、被った。きょとん、と二人で見つめ合う。
「ペルル様は、何も悪くなど」
「いいえ!」
とりあえずアルマがとりなそうとするが、ペルルは鋭くそれを否定した。
「私のせいなのです。以前、リートゥスが私を連れ出そうとしたように、私がイグニシアへ行くことを快く思っていない者がこの国にはまだいるようです。私が、もっとしっかりと自分の意思を周知させていれば、こんなことには」
「いやそれは関係ないんじゃないかなぁ」
思っていたことをそのまま口に出していたのかと一瞬ひやりとしたが、呆れたように口を挟んだのは背後に立つ吟遊詩人の青年だった。
「ノウマード……。でも」
今にも泣き出しそうな表情のペルルが、呟く。
「社会に、ましてや支配者にいい感情をもたない人間なんて、どこにでも掃いて捨てるほどいるものですよ。ただでさえ、今、この国は混乱している。貴女に責任なんてない」
「そうですとも、ペルル様。そもそも、一日でも早くおいで頂きたいというのはイグニシアの方からの申し出です。その間、貴女の安全を保証するのは我々の仕事です。それを保てなかったのは、ひとえに私の力不足で」
ノウマードに次いで、アルマが言い募る。何とか安心して貰いたいだけなのに、ペルルは頑なに首を振った。僅かに、瞳が潤んできている。
「私……、私は、アルマナセル様にも酷いことを」
「え?」
全く心当たりがなくて、戸惑う。
「初めてお会いした頃に、ご先祖についてお伺いしたことを覚えていらっしゃいますか。あの時、貴方は〈魔王〉アルマナセルも本当のところ、魔王なのかどうかは判らない、とお話しされました」
「……何をいい加減なこと言ってるんだ、君は……」
小声で、ノウマードが囁いてくる。とりあえずそっちはさっぱり重要ではないので、アルマはきっぱりと無視した。
「ですが先日、オスフールでリートゥスを捕らえた時、アルマナセル様が使われたあれは、魔法なのでしょう?」
「え、あ、あれは、その」
アルマが〈魔王〉の血を引いていることは、全く隠されてはいない。
しかし、彼が魔術を扱える存在である、ということは、公言されている訳ではなかった。
基本的に、人間には魔術を扱えない。竜王の高位の巫子だけが、その寵愛に於いて、ある程度の超自然的能力を持つが、それは一世代に各々一人だけである。
〈魔王〉の血を引いているという事実だけが、この世界に魔術を発現させる。しかし、それでも扱えない人間はいる。事実、アルマの父親は魔術を使えなかった。
公式に扱える、という理由は、歴史上この世界に顕現した魔王が、〈魔王〉アルマナセルただ一人であるからだ。もしも、人に知られずに他の魔王が現れ、極秘のままに子を成していれば話は別だが、まあそんなことはほぼあり得ないらしい。
現存する〈魔王〉の子孫が魔術を扱えるというのは、それなりの機密事項だった。と言っても貴族は殆どが知っているし、カタラクタへ侵攻する際、アルマが軍に加わるという発表と同時に軍には知らされた。
しかし、アルマが幼い頃から、いや産まれた時から、家族と火竜王宮以外の殆ど全てに排斥され続けてきたのは、ただ〈魔王〉の血が発現したという、その一点だ。
出会ったばかりの頃、ペルルにそれを知られることが恐ろしく、巧みにごまかした。
オスフールで魔術を行使した後、ペルルと親しく時間を過ごせなくなったことは彼に寂しさをもたらしたが、しかし、顔を合わせた時、露骨に蔑まれずに済んでほっとしてもいたのだ。
だが、ある意味もう逃げ場はない。アルマは、即座に腹を括った。決断の早さは、彼の長所でもある。
「正直にお話しできず、申し訳ありません。姫巫女をあれ以上不安にしてはならないと、その」
「私に」
静かに、ペルルは言葉を継いだ。哀しげな瞳が一心に見上げてくる。
「私に、知られたくはなかったのでしょう? なのに、私を救けるために、魔法を使って下さいました。今も」
白い、細い腕がマントから出て、アルマの頬に触れた。
「ありがとうございます」
「姫巫女……」
何か、名状し難い物が胸を熱くする。鼻の奥がつん、と冷えた。
「あの」
「そろそろ先に進んでもいいかな?」
が、ノウマードがあっさりと言葉を遮った。
「……お前はなぁ!」
肩越しに振り向いて、睨め上げる。ノウマードは斜面の下方向に立っているにも関わらず。
だが、意外に青年は真面目な顔で続けた。
「急いだ方がいい、アルマ。……雪の匂いがする」
その言葉に、さっと少年の顔色が変わった。
その後、ペルルは自分で歩くと言い張ったが、アルマとノウマードは揃ってそれを却下した。
道もない山の中であることも勿論だが、そもそもペルルは裸足だったのだから賛成できる訳がない。
心持ち急いで進んでいくと、前方からちらちらと松明の光が動いているのが見えた。
「……アルマナセル様?」
やや警戒していたが、こちらの足元の灯りに気づいたのか、声をかけられる。
その声の主に気づいてアルマが渋い顔になる。だが、逃げられる訳もない。
「ああ」
短く返事をすると、勢いよく一人が斜面を降りてきた。藪を分けて現れたのは、予想はしていたがエスタである。
「……よかっ、た……!」
怒ったような、安堵したような表情を浮かべる顔には、煤と泥と小さな切り傷が見て取れた。一瞬窘めようとしたアルマが、思わず言葉を飲みこむ。
がさがさと音を立て、エスタに続いて十数人の兵士が姿を見せた。
「アルマナセル様、姫巫女もご無事でしたか」
「ああ。ちょうどいい、ここを少し下っていった辺りに、賊を三名確保してある。動けるようになったら、野営地まで連れてきてくれ。その辺りがちょっと明るくなっているから、判る筈だ」
アルマの足元に浮遊する、小さな灯りを目にして、兵士がごくりと喉を鳴らす。ぎこちなく頷くと、十人ばかりがそのまま降りていった。
「マントを着ていないではないですか! お寒いでしょうに」
「お前だって着てないだろ」
過保護な腹心を一蹴して、足を踏み出した。そのマントにくるまれているペルルが少し申し訳なさそうな顔になっていて、彼の無神経さが僅かに腹立たしい。
「誰か、マントを貸してはくれないか」
「いいって。もうすぐ野営地に着くだろ。それぐらい平気だ」
青年が兵士に要請するのを、ばっさりと拒否する。
兵士たちに囲まれたアルマとペルルからノウマードは離れてしまっていたが、そのにやにやと笑う顔が目に浮かぶようで、少年は小さく溜め息をついた。




