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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
乱の章

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108/252

05

 二人は天幕の裏へと回りこんだ。確かに、兵士たちが行きかう正面側よりは人目につかないが、いつ誰が来てもおかしくはない。まして、この天幕の中にはアルマとペルルがいて、防水布の防音性は酷く低い。

「我が竜王の御名とその誇りにかけて」

 小さくオーリが呟く。すぅ、と周囲の風が止まった。微妙な違和感に、パッセルが落ちつかなげに周囲を見回す。

 改めて青年に見下ろされて、パッセルは強気に見返した。

「貴方は、アルマナセル様のお怪我の原因が、僕にあると思っているのですか」

「思っている、んじゃない。事実その通りだ。そもそも君がこっそりと軍に潜りこもうなどと企まなければ、そしてアルマと一緒に帰りたいとごねなければ、彼はあんな目には遭わなかった」

 しかしきっぱりと断言されて、意思が挫かれそうになる。

「ですが、僕は」

「まあ、それは仕方がない」

 小さく口ごもるが、風竜王の高位の巫子はさらりとそれを流した。彼の意図が判らなくて、戸惑う。

「問題は、だ。襲撃されている間、君は一体何をしていたか、ってことだよ」

 びく、と身体を震わせる。

 それは、考えないようにしていたことで。

「聞いた話では、君は伯爵の前で、一人前に戦える、と啖呵を切ったそうじゃないか。なのに、君は一体何をしていたんだ?」

「それは……、でも、敵は溝の向こうから矢を射掛けてきたのです。僕が戦える距離では」

「だけど、アルマは戦って、負傷した」

 淡々と、オーリは事実を指摘する。

「君は、まだ判っていないんだな。もしも君が一人前であるのなら、君はむしろアルマを護る立場にあったんだ」


 想像もしなかった非難に、目を見開く。

「……僕が、アルマナセル様を……?」

「アルマは他国の大公家の嫡子で、しかもその当主の名代という立場にある。階位としては、君の家よりも遙かに上だ。そして、名目上、彼はモノマキア伯爵に招かれている。ならば、危機に陥った時に、その対処に当たるのは伯爵家だ。つまりあの場にいた、伯爵家の嫡子である君に警備上の責任が生じる」

 パッセルの顔が、ゆっくりと青褪める。

 彼らの窮地を一人で救ったアルマを、自分が護るべきだった?

 つまりそれは、アルマを上回るだけの実力が必要だったということだ。

「君が〈魔王〉に憧れるのは、判るよ。彼はなんと言うか、酷く桁外れだったからね。しかも、この三百年に流布した伝説で、更に磨き上げられている。だけど、それとこれとは別だ。アルマは、〈魔王〉その人じゃない。君の身勝手な情熱で、彼を苦しめないでくれ」

 言い終わると、投げやりに、オーリは片手を振った。

 それは、この場にややふさわしくないような動作で。

 ざぁ、と突然流れた風が、パッセルの柔らかな髪を揺らす。

 意識の片隅を、小さな声が掠めていった。



 ペルルが湯気の立つ薬缶を持ち、水を張った器へと注ぐ。温度を指先で確かめ、布を沈めた。アルマの黒髪をそっと分けて、硬く絞った布で拭く。

「こちらも単なる裂傷で幸いでした」

 頭を殴られたときの傷は、矢傷を治す時に一緒に治った。が、どちらの傷痕の周辺も、流血の痕が生々しい。自分でできる、と言い張ったが、ペルルはグランに頼まれたのだから、と譲ろうとはしなかったのだ。

 血の臭いが、他の何もかもを圧倒する。

「……人を、死なせました」

 ぽつり、と言葉を漏らす。

 ペルルの手が一瞬止まったが、それはすぐに乾きかけた血を再びゆっくりと拭いだした。

「貴女や、グランを護るためなら、それぐらいの覚悟をしていたつもりです。だけど、あの時、俺が考えていたのは、そんなことじゃない」

 身を呈してパッセルを護り通したのは。

「あの時は、ただ、伯爵の息子を死なせてしまったらまずい、という、ただそれだけを考えていた。……俺は、打算で、人が殺せる人間だ……!」

 やや俯き、搾り出すように言葉を紡ぐ。

 皮膚を破り、肉と筋と血管を突き抜け、骨を掠めて。

 掌から、あの感触が消えない。

 人の身体の脆さが、消えない。

 傷一つ、染み一つない掌を見ていられなくて、きつく握り締める。

 ふわり、とペルルが柔らかくアルマの頭を腕に抱いた。

 周囲に纏わりつく血の臭い以外の香りが漂ってきて、ふ、と肩の力が抜ける。

「アルマ。貴方がたが襲われた、と最初に聞いた時の私たちが、どんな状況だったかお判りですか?」

 思いもしなかったことを問われて、戸惑う。

 返事がないことを気にした様子もなく、ペルルは静かに言葉を継いだ。

「オーリやクセロはすぐに馬に乗って貴方のところへ行こうとしたんです。グラン様はそれを止めはしましたが、ずっとご機嫌が悪くて。貴方にあんなことを命令したからだ、とご自分を責めてらっしゃいました」

 例えそうだとしても、あの幼い巫子は言葉にするまい。

 つまり、そこはきっとペルルの推量でしかないのだろう。

 残念ながら、アルマはグランをよく知っている。

「……貴女は?」

「私は……。その、軍医の方にお尋ねして、処置のための道具を揃えて頂いていました。竜王の御力で治癒ができるとはいえ、まだまだ知識が足りませんね」

 恥ずかしそうに、そう答えてくる。

 衝動的に、ペルルの身体に腕を回した。アルマは椅子に座っているため、二人の身体の間には空間ができていて、それが少しもどかしい。

「アルマ。貴方が、大切なのです。貴方が人を死なせてしまっても、貴方が誰を護りきれなくても、私たちは、私は、貴方のことが大切なのですよ」

 竜王の高位の巫女として、まず民へ加護を与えることを考えなくてはならない立場から思えば、これは、期待しうる以上の言葉だった。

「ありがとう、ペルル。……本当に」

 低く、囁くように、思いを伝える。

 それでも充分に届く、距離だった。




 天幕へ入った時には、既に全員が揃っていた。

 モノマキア伯爵。護衛隊の隊長。火竜王の高位の巫子グラナティス。地竜王の高位の巫子クセロ。

 風竜王の高位の巫子オリヴィニスは、モノマキア伯爵の息子パッセルの肩をそっと押しやる。少年は無言で父親の前に立った。

「パッセル……」

「ご迷惑をおかけしました。父上」

 溜め息の混じった声をかけられたところで、静かに頭を下げる。

 少しばかり驚いたように沈黙して、伯爵は口を開く。

「いや。お前が無事で何よりだ」

 そして身振りで促すと、隣の椅子に座らせる。父親は、その姿をじっと眺めると、自分の椅子を動かした。正面から、息子の顔を見詰める。

「パッセル。お前たちを襲撃した者たちは、明らかにあらかじめ罠を張っていたようだ」

「はい」

「だが、私たちはこれから戦場へ向かうところで、普段ならあのような脇道を通ることはない。勿論、罠はあそこ以外にも複数仕掛けてはいただろうが、襲撃者たちは、本隊から離れて少人数の部隊がモノマキアへ戻ってくることを予測していた節がある」

 しかし、そもそもパッセルを送り届けることは、彼ら反乱軍にとって不測の事態であったのだ。

 モノマキア伯爵が、真剣に息子に問いかける。

「パッセル。お前は、どうやって軍隊に潜りこんだのだ?」

 戸惑ったように、パッセルは首を傾げた。

「それは昼間もお話ししましたように、荷馬車に乗りこんだのですが」

「しかし、それだとてお前があっさりと潜りこめるほど警備は緩くはない筈だ。食物に毒でも仕込まれては一大事なのだからな。お前は、誰の手引きであの荷馬車に乗ったのだ?」

「誰、と……」

 困った顔で、言葉を途切れさせる。伯爵は力づけるように、幼い手を上から握り締めた。

「相手を庇う必要はない。そ奴は、私たちを危険に晒したのだ」

 しかしその言葉に、慌ててパッセルは首を振った。

「いえ、違います。僕は、本当に一人であの荷馬車に乗ったので」

 沈黙が下りた。

 パッセルが相手を庇ってそう言っている、と断言するには、彼は少々直情的すぎる。

「では、誰から話を聞いてこられた?」

 静かに、グランが口を開いた。

 パッセルが、僅かに肩を強張らせる。彼は、幼い外見に似合わず周囲を尊大に従えているこの高位の巫子が少々苦手だった。

「パッセル殿のお立場では、そもそもどこで荷を積んでいるか、ということも判りますまい。貴方は殆ど城塞から出てはいなかった。ここしばらくは物騒だったことですし。我々が出発した朝まで城塞にいらしたのを見ています。どうやって、あの短時間で荷馬車に乗りこめたのですか?」

「話……を、聞いたのは、コルウス先生です」

「コルウス?」

 聞き覚えのない名前に、グランは眉を寄せた。

「あの、僕の家庭教師で。二、三日前、授業の合間に少し雑談をしていた時に、昔話で荷馬車に乗って遠くへ連れて行かれてしまった子供の話を聞いたのです。僕はうっかりしたところがあるから、気をつけるようにと。その時に、軍の荷物を積むための場所も聞きました」

「何故、そんな話に?」

 伯爵が努めて穏やかに問いかける。

「市街計画の勉強だったのです。モノマキア市街の地図が広げてあって、その、授業の一環で」

 そうは言うが、パッセルの表情は次第に不安げなものになってきている。

「そうか。他の誰かから聞いたことは何か思い出せないか?」

 力なく、少年は首を振った。

 もう一度、そうか、と呟いて、伯爵は軽く一度息子の手の甲を叩いた。

「早馬を出しましょう。襲撃が失敗したことは、既に知られていてもおかしくない。逃亡を阻止しなければ」

「よろしくお願いする。伯爵」

 グランが、賛同のしるしに頷いた。


 天幕には、親子二人だけが残っていた。

 昼間よりももっと厳しく叱責するつもりでいたのだが、パッセルは珍しく殊勝に聞いていた。自分のわがままで護衛やアルマを負傷させて、流石に反省したようだ。

 予定よりも早く切り上げたところで、パッセルが口を開く。

「あの、父上。お願いがあるのです」

「今のお前が、何か頼める立場だと思うのかね」

 また少し気持ちを硬化させかけた父親を、真っ直ぐにパッセルは見上げた。

「今、とは言いません。コルウス先生がもしも、その、父上に害をなそうとしていたとしたら、僕の教師はいなくなってしまいます」

「そうだな。まあ、また新しく雇えばいい」

 が、パッセルは更に続けた。

「僕を、他の都市の学園で勉強させては貰えませんか」

 その頼みは、アルデアの意表を衝いた。

「何故、そんなことを?」

 少しばかり口調を和らげて、訊く。

 貴族の子弟を受け入れて教育する学園は、国内でもさほど多くはない。まずは王都や宗教都市フリーギドゥムに、そして他に数箇所ある程度だろう。勿論、モノマキアには存在しない。

「僕は、伯爵家の嫡男として生きてきました。大切にされていた、と思います。ですが、このままでは、嫡男としての責務が実感として身につかないと思うのです」

 たった一人の子供として、周囲からただ大切にされているままでは。

 せめて、数ある貴族の子弟の一人として扱われれば、そして同じような境遇の者たちと共にいれば、逆に自覚も持てるかもしれない。

 学園へ通う、というのは、以前の茶会でアルマの話を聞いたことを覚えていたからでもある。

「すぐに、ということは無理だと思います。この戦争が終わって、その時に可能であれば、お願いしたいのです」

 ほんの半日ほどで、驚くほどに変わったわが子を、父親はまじまじと見つめていた。



 空には星が瞬いていた。

 陽が落ちると、流石にまだ冷える。

「君が譲ってくれたのが意外だったよ」

 オーリがぽつりと漏らした。クセロは軽く手を振る。

「おれが相手してたんじゃ、最低でも一発殴ってるからな。流石に貴族の坊ちゃんにそれはまずいだろ」

「一回ぐらい殴ってあげた方が、彼のためでもあるかもしれないけどね。でもまあそれほどの義理もないし」

 さらりとオーリが酷いことを言う。

「旦那のことは姫さんに任せちまったしなぁ」

 なんもしてねぇ、と、苦笑しながら金髪の男が呟いた。

「仕方ないよ。私は、人の死を見すぎてる」

「まあなぁ。おれは人を殺しすぎてるし」

 夜空を見上げながら、軽く、二人は言葉を交わす。

 それはもう大したことではない、というように。

 二人とも何だかおじさんくさいなぁ、と彼らの前を行くグランの隣でカンテラを掲げながら、プリムラが溜め息をついていた。




 翌朝早く、彼らは再び集まっていた。

 パッセルがこれからモノマキアに帰るのだ。前日に襲われたということもあり、護衛の兵士たちの雰囲気は物々しい。

「本当に、私がついていかなくて大丈夫ですか?」

 アルマが心配そうに尋ねる。

 一晩経って、そこそこ気持ちは落ち着いた。そうすると、彼らの道程が酷く心配になる。

「アルマナセル様や巫子様がたには、今までご迷惑をおかけしました。これ以上のことは、とても。兵士たちが共に行ってくれますし、大丈夫です」

 しかし、明るく笑って、少年が返す。

 昨日までの彼とは全く印象が違って、思わず隣に立つモノマキア伯爵に視線を向けた。何やら意味ありげに見返される。流石に父親は、あの状況を作り出した息子を放置はしなかったのか。

 その後、伯爵と隊長が短く話し合ったり、伯爵と息子が別れを惜しんだりした後、パッセルは再びアルマに向き直った。

「僕は、諦めていませんよ、アルマナセル様」

 突然の言葉に、心当たりがなくて戸惑う。

「今は無理ですけど、でも、いつかきっと、僕は貴方の隣で戦うのにふさわしい人間になりますから」

 希望に満ちた、晴れやかな笑みを向けられて、思わずアルマも微笑む。

「お待ちしていますよ」

 そして、パッセルはモノマキアへと戻っていった。

 決して、一度も振り返らないままに。



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