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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
乱の章

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107/252

04

 反射的に、背後の地面にしゃがみこんでいるパッセルの肩口を掴み、引き寄せる。同時に強引に身体を捻り、彼の頭上に覆いかぶさった。

「アル……!?」

 驚愕の声は、鈍い打撃音に途切れる。

 矢が突き立ったままの肩から、強い血の臭いが鼻を突く。ぐらり、と揺れかけて、しかし頑健に倒れなかった身体に、強く力が入っていることがパッセルにも察せられた。

「アルマナセル様!」

 躊躇なく振り下ろされた麻袋には、種が詰められていると言ったか。

 額にぬるり、とした感触が流れ落ちてくる。それに抗うように、アルマは顔を上げた。

 顔を引き()らせ、農夫が再び麻袋を持ち上げる。

 左手で、無理矢理に剣を抜いた。振り下ろされた麻袋を、それで受け止める。剣が折れるか、と思えるほどの衝撃に、しかし〈竜王殺し〉は耐えた。

 しがみつくパッセルを押し剥がし、立ち上がる。ぶん、と横薙ぎに振り回された麻袋は軽く避けた。

 左手に握った剣に、傷ついた右手を添える。

 そして、滑らかに剣先が突き出された。

 滑らかに、まるで農夫の胸に吸いこまれるように。

 刃から、奇妙な感触がそのまま掌に伝わる。

 皮膚を破り、肉と、筋と、血管を突き抜け、骨を掠めて、また皮膚を破る。

 小さく手を捻ると、びくん、と一度痙攣し、農夫の身体から力が抜けた。

 心臓が止まっていなければ、剣を抜いたら血が吹き出るだろう。

 奇妙に冷静に、そう考える。

 ……そうだ。今は、〈魔王〉の血にうかされている訳ではない。

 ぼとり、と農夫の手から麻袋が落ちた。剣に重みがかかり、負傷した肩に痛みが走る。この腕では剣を引き抜くことができなくて、ゆっくりと相手の身体を地面に横たわらせた。

「アルマナセル様!」

 隊長と兵士が二名ほど、驚愕した顔でこちらへ走り寄る。

「……ああ。すまない、死なせてしまった」

 額から瞼に達していた血を、無造作に拭う。革の手袋が、血に擦れた。

 奇妙に冷静に、周囲の様子を受け止める。

 兵士たちからは、襲撃者への怒りと、驚きと、戸惑いが。パッセルからは、怯えと、興奮と、熱狂が。そして農夫からは、……いや、死体は、何も発しない。

 そうだ。

 人を、殺してしまった。



 隊長は熟考の末、このままモノマキアへ進むことを断念した。

 この先、更に罠が仕掛けられているかもしれず、その中へ突き進むのは無謀というものだ。

 幸い、街道からさほど離れていない。行軍する隊列に追いつくのは、それほど時間はかからないと思われた。

 主を失った荷馬車は徴用し、負傷者を乗せていくことにする。

 今回荷馬車を道路へ戻すのには、彼らは頑としてアルマの手を借りようとはしなかったが。

 アルマが最初に負傷したのは、荷馬車を戻すことに彼の手を借りたせいだ、と隊長は謝罪した。

 特にそれを恨むつもりなどなかったのだが。

 矢を引き抜いては、出血が酷くなる。ここには清潔な布もないし、治療は軍へ合流してからとなった。右腕をできる限り動かさないよう、外したベルトで首から吊るして固定させる。

 捕らえた襲撃者はそこへ残し、見張りに三名の兵士を置くことにした。派手に落雷させたこともあり、軍からは既にこちらの異常が確認できていても不思議はない。事実、途中で斥候に行き会った。捕虜を捕らえたことについて軍への連絡を頼み、無理のない速さで進む。

 奇妙に、無感動だ。

 興奮したパッセルが、拾った木の枝で馬上から道の脇の草を()ぎ払うのを見ながら、アルマはそう自覚した。


 街道の軍に合流した時点で、負傷した兵士の為に軍医を呼んで貰う。

 隊長とアルマとパッセルは、そのまま前方へと進んだ。

 隊長はモノマキア伯爵へ報告するために、アルマは巫子と合流し、治療を受けるために。

 進軍方向へ向けて馬を進めるにつれ、軍は徐々に野営の準備をし始めていた。

 荷馬車に乗り、肩に矢を突き立てたままのアルマに、ぎょっとした視線が向けられる。

 司令部のある場所に着いて、とりあえず隊長とは別れた。

 巫子の為に建てられた天幕の一つに足を踏み入れる。

「アルマ!」

 既に連絡は来ていたのか、視線が一点に集中する。その場にいた全員の視線は険しい。ペルルは不安そうな目で見つめてきた。

「……よぅ」

 どう反応していいか判らず、とりあえず小さく返した。

 グランが溜め息を漏らす。

「そこに座れ」

 天幕の中に、一脚の椅子があった。傍らの卓には水の入った器や清潔な布、火の点った蝋燭、大仰な鋏などが置かれていた。少し離れた場所に陶製ストーブが置かれ、薬缶が湯気を立てている。

 傷に響かないように、ゆっくりと腰を下ろした。すぐに、ペルルとグラン、オーリに取り囲まれる。クセロはその外側から見下ろしてきた。プリムラがおろおろと隙間から覗きこむ。

「矢尻が全部中に入ってしまっているな」

「引き抜けるか? 一度切開した方が楽かもしれない」

「ペルル、動脈は?」

 問いかけられて、ペルルが指先だけを肩の傷口から離れた場所にそっと当てる。

「動脈からは外れています。けれど、少し近いですね。矢尻を抉りだそうとすると、傷つくかもしれません」

「矢尻の手前まで切り開けば、あとは楽に抜ける筈だ。動脈に達するほど深く切開する必要はないだろう」

 酷い苦痛が予想できる会話に、傍らに立つパッセルがやや青褪めていた。

「このまま癒すとかはできねぇのか?」

 面白そうにクセロが尋ねた。

「肉が盛り上がって、矢が落ちる、とかか? 無茶を言うな」

 素っ気なくグランが否定した。

「ふぅん。じゃ、とっとと切り裂くか」

 無造作に、鋏を手に取る。オーリがアルマの肩と、突き出た矢を掴み、力を籠めて固定した。

 クセロが、マントから突き出た矢を二センチばかり残して鋏を当てる。

「余り乱暴にするなよ」

 気遣わしげにオーリが言うが、眉一つ動かさず、クセロは一息に矢を切断した。

「……っ!」

 反動で傷が抉られて、アルマが息を飲む。

 呆れたような溜め息を漏らして、オーリは手に残った矢を卓に置いた。

 グランが身を引いた場所にプリムラが入ってきた。マントのバックルを外し、短くなった矢から器用に布地を引き抜く。

「自分で脱げるよ」

「いや無理だろ」

 アルマの言葉に、クセロが横から口を挟む。

「マントはともかく、服がね。いっそ破ってしまおうか。どうせ穴が空いて血が染みてしまっているんだし、もう使い物にはならないだろう」

「お前ら他人事だと思ってなぁ」

 オーリの解決策に、呻く。

「他人事だと思ってたら放っておくよ」

 しかしさらりと言い返されて、僅かに恥じ入った。

「……悪ぃ」

 そんなことを言っている間に、プリムラがさっさと服をはだけている。流石にマントに比べると布の余裕がないので少し矢に引っかかるが、我慢できないほどではない。

 傷口から矢を抜いていないために、今のところ出血はさほどでもなかった。滲み出た血液は生乾きの状態で肌に貼りついている。

 白い肌から突き出た矢に、ようやくアルマが負傷しているという実感が湧いたのか、パッセルが視線を逸らせた。

 淡々と、オーリが手持ちのナイフを蝋燭の炎で炙っている。

「切開したら、誰か布で押さえていってくれ。矢を抜いたところで、そのまま治癒をかければさほど痛みも長引かないだろう」

 ならば、その役目は巫子の誰かである方がいい。グランは最初に身を引いてから、不機嫌な顔で少し離れた椅子に座っている。

「私がいたしましょう」

 ペルルが白い布を手に取り、天幕内部に敷かれた絨毯の上に跪いた。まずは矢傷の下部分にあてがう。

 ナイフを数回振って粗熱を取ると、オーリはそれを矢の根元へと触れさせた。

「……いくよ」

 小さく告げられた次の瞬間、鋭い痛みが肌を裂く。

 皮膚を破り。

 肉と筋と血管とを突き抜けて。

 くらりと眩暈がして、きつく目を閉じた。左手が、膝の上で拳を握る。

 とろり、と流れた血液を、ペルルが痛ましげな目をしてそっと押さえる。

 やがて傷口は充分広がったらしく、ゆっくりと、肉に刺さっていた矢が引き抜かれた。

 すぐに布が傷を全て覆う。

「我が竜王の名とその誇りにかけて」

 短くペルルが請願を口にし、そして、すぅ、と痛みが引いた。

 知らず、詰めていた息を吐きだす。

「ありがとう」

 見詰める先で、安心したように水竜王の姫巫女は笑った。

「全く。単純な矢傷だったからすぐに癒せたが、これが毒でも使われていたら、下手をするとここへ戻る前に死んでいたぞ」

 グランが、嘆息しつつ苦情を述べる。

「悪かったよ。油断した」

 素直にアルマが謝罪する。

 兆候は確かにあったのだ。

 荷馬車が嵌りこんだ道路の縁は水に濡れ、滑りやすく、崩れやすくなっていた。

 だが、ここ数日は雨も降っていない。溝を流れていた水は雪解け水で、近辺に泉が湧いている訳でもない。

 荷馬車に積んでいた水を撒いて、踏み外しやすいように見せかけたのだろう。

 そして、あの農夫。彼は、最初にアルマの姿を見た時に、驚きも怯えもしていなかった。

 この異形の角を晒しているにも関わらず。

 つまりそれは、アルマの存在を事前に認識していた、ということだ。

 それだけでも、おかしいと思うべきだったのに。

「少しは反省しろ。最近、お前は危機感が低すぎる」

 更にグランが小言を続けようとしたところで。

「アルマナセル様は、何も悪くありません!」

 天幕に、怒りに満ちた声が響いた。


 少年は手を握り、大人たちを強く睨め上げて、その幼い身体全てで怒りを表していた。

「パッセル殿。おやめください」

 とりあえず(いさ)めてみるが、きっ、と強く見返された。

「いいえ! 皆様、あの場におられなかったから、お判りにならないのです。アルマナセル様は、卑劣な不意打ちで最初に傷を受けても、僕たちに警告をしてくださいました。その強大な魔法で、僕たちを護ってくださいました。自分の治療よりも、護衛の救助を優先してくださいました。卑怯者が僕の背後より襲い掛かってきたのを、倒してくださいました!」

 巫子たちの顔が、特にオーリのものが酷く険しくなる。

「アルマナセル様は何一つ非難されることはなさっておりません。お謝りください」

 それに気づいていないのだろう、衝動のままに言い放つ。

 まあ、この少年はグランのことを知らないのだから、仕方がない。溜め息をつきたい衝動を押し殺し、再び声を出そうとしたところで。

 からん、と矢尻が卓の上に放り出された。

 付着していた血液が卓の上で小さな飛沫になって飛び散る。その丸みが、蝋燭の光をぬらりと反射した。

 オーリが、貴族の少年に酷く冷たい視線を向けている。

「その全ての原因が、一体誰にあるのか君は判っているのか?」

 訝しげに、パッセルは眉を寄せた。

「おい、オーリ……」

「アルマが負傷しなければならなかった原因が。魔術を使わなくてはならなかった原因が。身を呈して君を護らなくてはならなかった原因が、誰にあるか、君は判って話しているのか?」

「オリヴィニス。俺が決めて、俺が動いたことだ。覚悟はあった。彼のせいじゃない」

 更に言い募る青年の言葉に、何とか口を挟む。

 しかし、そのアルマの言葉に、パッセルがはっと息を飲んだ。

「僕の、せい……?」

 怯えたように、アルマを見詰めてくる。

「あ、いえ、ですからそうではなく」

 慌ててとりなそうとするが、パッセルの表情は変わらない。

「責任なら、僕にある」

 そこで、静かに声が割りこんだ。

「僕が決定して、僕が命令した。アルマが傷ついたのは、僕の責任だ。すまなかったな」

 その割には憮然とした顔を崩さずに、グランが告げる。

「あのね、グラン」

 風竜王の高位の巫子が矛先を変えようとしたところで、幼い巫子は身軽に椅子から下りた。

「アルマのことを頼む、ペルル。我々はモノマキア伯爵と話してこなくてはならない」

 じろり、と周囲を一瞥して、反対意見を黙らせた。パッセルさえ、おとなしく口を(つぐ)んでいる。

 そして、彼は全てを従えて天幕を後にした。


 天幕の外は、もう夕闇が下りてきていた。

 グランが、後ろを歩いていたオーリを見上げる。

「あまり遅くなるな」

 きょとんとして青年がそれを見返した。数秒でその意図を理解をしたか、困ったように笑う。

 返事を待つこともなく、グランは金髪の男と赤銅色の髪の少女と共に歩き出す。その後を追おうとしたパッセルの肩を、軽く掴んでオーリは止めた。

「君に、話があるんだよ」



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