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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
乱の章

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106/252

03

「モノマキアまで送っていけと? お前に?」

 一部始終を聞いた後で、呆れた声でグランが問い返した。僅かに渋い顔で、アルマは頷く。

 パッセルは、物資を載せていた荷車の一つに隠れて、ここまでやってきていた。食料や水はどうするか考えていたようではなく、まして居心地の悪い荷馬車で、城塞に辿りつくまでの数日を彼が耐えられるとも思えなかった。

 一日目で発見されたのは、幸運だったとも言える。

「まだモノマキアを出て数時間だろ。十人ほど護衛をつけてくれるとは言うし、その少人数で街道を進めば、午後の遅くならないうちに充分モノマキアに着ける。そのまま取って返しても、日暮れまでには隊列の最後尾には追いつけるだろう。万が一、引き止められたとしても、明日の朝に街を発てば、その日のうちにはお前たちのところに戻れるさ」

 時間的には、特に不都合はない。

「それで、お前はそれを受けてきたのか?」

 グランの問いに、肩を竦める。

「俺の管理をしているのはお前だろ。上の承諾を得ないと返事はできない、って帰ってきたよ」

 ここぞとばかりに責任を押しつける。

 その場にいた他の巫子たちは、困ったような、面白がっているような顔をしていた。

「貴族のガキってのは、本当に甘やかされてんなぁ」

 終始にやにやと笑っていたクセロが、簡単に感想を述べる。

「今までお会いしていた限りは、素直な方だと思っていましたが。これが反抗期というものなのでしょうか」

 不思議そうに、ペルルが尋ねた。

「大人と同列に扱われたくて、背伸びをしたがる時期ではあるね。それはそれで大事な過程だけど、とはいえ、戦場に出る、というのは、その域を越えている。早く帰した方がいいんじゃないか、グラン」

 オーリが意見を述べた。幼い巫子は小さく呻く。

「確かに、彼はモノマキア伯の一粒種だ。万が一にも彼を失っては、伯爵は我々に援助ができる状態ではなくなるだろう。それに比べれば、アルマが一日二日使えなくなるぐらいは支障はないか」

 まあ論理的に考えれば、そうなるだろう。

 予想はできていたので、さほど動揺しない。

「判った。じゃあ、午後からちょっと行ってくる」

 軽く、アルマはそう告げた。




 午後になって、野営地を出発する。

 が、彼らはすぐに思った通りには進めないことを悟った。

 まず、延々と続く隊列は、街道の道幅の半分以上を占めている。開いている部分を通ればいい、と思っていたが、そこには農夫や商人が通っている。

 ただでさえ狭い場所を、彼らを押し退けて通る、というのは気が引けた。荷馬車は一度街道から外れては再び戻るのに労力を要するものだ。

 そして何より、モノマキアへと戻る一行は、自然、進軍する兵士たちと対面して進むことになる。

 アルマは今は堂々と角を晒している。一応、情報として軍司令部の中に〈魔王〉の(すえ)がいることは知っているのだろうが、殆どの兵士は彼を見るのは初めてだ。通り過ぎる兵士が、遠慮なく、じろじろと視線を向けてくるのは、覚悟はしていたとはいえ神経が磨り減るものだった。

 また、パッセルも領主の息子として少しは顔が知られているのだろう。アルマほどではないが、彼にも視線が向けられ、ひそひそとした囁きが聞こえてきていた。

 出発した当初は不満が先立っていたパッセルも、そのうち否応なくそれに気づかされる。更なる不満と羞恥に、俯きがちに馬を進めている。

 幾度目か、のろのろと荷馬車を引く驢馬に追いついたところで、アルマは近くにいる護衛を呼んだ。

「モノマキアまで通じている道は他にないか? このままでは、時間ばかりかかってしまう」

 まだ若い護衛役の兵士は、大雑把に西側へと手を向けた。

「少し離れたところに、農道がモノマキアまで通っております。舗装はされておりませんし、農夫が使ってはおりますが、行き会ったとしても脇を通れる程度の広さはあります」

「危険はあるか?」

「いえ、特には。殆ど街道と並行に通っておりますし、見晴らしも悪くはありません。時折藪や溝があったりはしますが、道自体はそれらを迂回しています」

 彼は近隣に詳しいのか、すらすらと答えてくる。

「隊長に、支障がなければそっちを通れないか、尋ねてきてくれないか」

 アルマは基本的に、要請されて同行しているだけだ。決定権は何一つない。

 心得たように敬礼すると、彼は馬の腹を蹴って隊列の前方へと向かった。

 こちらは心得ていないのか、怪訝そうにパッセルが見詰めてきている。

 アルマが全てを取り仕切り、命令していないのが不思議だと言わんばかりに。


 幸い隊長は快諾してくれ、彼らはすぐに街道から横道へ逸れた。モノマキアまで通っている農道は、確かに舗装はされていなかったが、よく踏み固められ、馬が歩くのに支障はない。

 地形はなだらかな丘が連なっている。彼らが通り過ぎると、こんもりと茂る藪からは鳥が飛び立ったり、栗鼠や野鼠が急いで走り去ったりしていた。遠目に、農夫があちこちで大地を耕している姿も見える。

 穏やかな空気を、しかしパッセルは共有してはいないようだった。

「……アルマナセル様。僕は、いつになったら一人前として扱われるんでしょうか」

 暗い声でそう尋ねてくる。

「まあ、早くて十八。伯爵がご健在でも戦場へ出るとなると、二十歳は越えなくてはいけないでしょうね」

 自国の貴族社会の慣例を思い返しながら、そう答える。少年は、絶望したような顔で見上げてきた。

「アルマナセル様は許されているのにですか?」

「先ほど、伯爵閣下もおっしゃられましたが、事情が違います。私が王国軍の一員として従軍したのは、一年近く前。その頃は十五歳でした」

「なら……」

 更に声を上げかけるのを、口調を変えずに遮る。

「私が従軍した理由は、王国軍に箔をつけるために、〈魔王〉アルマナセルの血を引く当主が必要だったからです。順当にいけば、レヴァンダル大公である父が参加して、私が王都で留守を預かる立場だったでしょう。今、貴方が置かれているような。ですが、直前になって父が怪我をしてしまい、動くことができなくなってしまいました。それで、私が名代として王国軍に加わることになったのです。私の立場は精々がお飾りであって、誰一人として私が軍功を挙げることなど考えていなかったでしょうよ。だからこそ、休戦と同時に帰国も許されたのですが」

 アルマのあけすけな説明に、パッセルが覚束なげな表情になる。

 そういえば、公式にカタラクタへ上陸してから、アルマはなし崩しに再び大公子としての立場に置かれていた。

 三ヶ月前、グランによってその立場から一旦解放されたことを、思い返すまで忘れていたのだ。おそらくは、当のグランも忘れているに違いない。

 結局、それほど、彼にとってその地位とそれに付随するものは当然のように身に染みついていた、ということなのだろう。……貴族たちと関わりあう状況になれば、尚更。

 それでも、まあ、あれは気分転換にはなったな、と皮肉げに考える。以前ほど思い悩むこともなくなった。

「最低でも、五年ですか……」

 ようやくアルマの事情は理解できたか、溜め息混じりにパッセルが呟く。

「学ぶことは色々ありますからね。ただ歳を取っただけで、一人前になれる訳ではないのですよ」

 正直、自分が十三の頃と比べても、この少年は少しばかり幼いような気がする。

 だが、ついこの間、自分の置かれた環境が他の貴族とは異なっていたらしいということに気づいたところなので、それを基準とするのは疑わしいが。

「五年後に、貴方はまだここにいて、戦っておられるのでしょうか」

 ぽつりと告げられた言葉に、不審を覚える。

「戦争はこちらの思惑だけで終わらせられるものではないので、確かなことは言えませんが、あり得なくはないでしょう」

 実際、イグニシア内部で貴族同士が争った戦などは、五年どころか十年を越えて続いた例もある。

 しかし正直なところ、この緊張状態が何年も続くというのは勘弁して欲しいのだが。

「私が戦っていることが、大事なのですか?」

 引っかかったところを尋ねてみる。伯爵令息は、はっとしたような顔になって、露骨にうろたえた。

「あ、いえ、その、何でもありません」

 そうですか、と返して、口を(つぐ)む。

 しばらくの間、周囲には蹄が土を踏む柔らかな音だけが響いた。

 ここで促してやらない辺り、自分もまだまだ人間ができていないのか、と考える。

 しかし、今自分の周りにいる大人たちの対処を予測すると、そんな優しさは絶対に発揮しないか、促したところで他によからぬ意図を持っているかのどちらかでしかない気がする。

 歳下の少年に対する態度の参考にはなりえない。

 自分の置かれた環境に何となく落ちこんでいると、あの、とパッセルが小さく言葉を漏らす。

「これは、本当に、夢、というか、その、そうだったらいいな、ということなんですが」

「はい」

「……貴方の隣で、戦いたかったのです。英雄である貴方と共にあって、敵を倒し、勝利を共に祝いたいと。貴方に頼りにされるような自分でありたかった」

 視線をこちらへと向けず、俯き気味に告白する。

 やはり幼い、と思わざるを得ない。

 彼の意識にある戦争とは、至極漠然としたものでしかなく、広く知られた英雄譚に影響されているものだろう。

 アルマは王国軍では司令部内にいた。前線に立ったことなど、一度もない。

 それでも、戦場において一体何が為されていたか、ということを全く知らない訳ではなかった。

「……パッセル殿は、私を買いかぶりすぎていますよ」

 様々な返答を思いつくが、結局のところどれも彼にはふさわしくないように思えて、アルマはただそれだけを返した。

 パッセルは、僅かに期待外れだったような、そんな表情を向けてきた。


 それは、農道に入って一時間ばかりが経った頃だった。

 今までにも数台の荷馬車や騎馬と行き会っていた。街道が軍勢で溢れかえっているので、目端の利く者はさっさとこちらへ進路を変えていたようだ。

 しかしその荷馬車は、道路に対して斜めになって停まっていた。中年の男が車輪の下を覗きこんでいる。

 兵士が一人、先行した。男の傍で馬を止めると、なにやら話している。

 そして、すぐに兵士は戻ってきた。その間に、隊の先頭までアルマとパッセルは進んできており、共に報告を聞く。

「荷馬車の車輪が、道の縁から外れてしまったようです。岩の間に嵌りこんでしまったために、一人では抜け出せないのだとか。迂回して通ることはできるようです」

 農道の西側は、しばらく前から溝に沿って通っていた。まず道の端で三十センチほど段差があり、地面はそこからなだらかに下りながら二十センチほど続き、その後は急勾配になっていた。溝自体の深さは二メートル、幅三メートルといったところか。雪解け水がきらきらと光を反射しながら流れている。溝の向こう側にはこんもりとした藪があった。数十メートルほどの範囲だが、木立が続いている。

 その、高さ三十センチほどの段差を踏み外してしまったのだろう。崖の縁まではさほど幅はないし、下手に動けば荷馬車が落下してしまいかねない。

 隊長は僅かに考えこんだ。農夫を助けることは彼らの任務ではない。しかし。

「私が手を貸しましょう。二、三人、手伝って貰えるとありがたいのですが」

 アルマが横から申し出た。パッセルが驚いたように見詰めてくる。

 そう、今ここには、将来の領主となるパッセルがいる。

 民を見捨てるような行動をするべきではない。例え、偶然に行き会っただけの民だとしても。

 隊長が頷いて、彼らは荷馬車の近くまで馬を進めた。身軽に下馬すると、アルマは男に近づく。

 心配そうにこちらを眺めていた農夫が、おどおどと頭を下げる。

「車輪を道路まで持ち上げればいいんだろう?」

「へ、へぇ。ありがとうございます、旦那さん」

 見ると、突き出た岩の隙間に、がっちりと車輪が嵌ってしまっている。

「これは上手いこと入ったもんだな……」

「申し訳ねぇ。滑っちまったもんだから」

 周囲の地面が濡れている。確かに、道の縁が崩れた痕もあった。

「荷は重いのか?」

 幾つもの小ぶりな麻袋と、樽が積まれている。

「人参やら蕪やらの種と、水を。種を蒔いて、水をやりに畑に行くところで」

 水があるとなると、少し重いかもしれない。周囲に集まった兵士に向き直る。

「足場が狭いから、私が持ち上げる。バランスを取るために、一人か二人、横で支えてくれ。持ち上げたら、そのまま馬を前進させて、車輪を道路に上げればいい」

 ばらばらと兵士が散っていく。

 傍につく兵士は、危険だからと言い張って崖側に立った。まあ、荷台のこちら側に手をかけられれば普通に持ち上がるだろう。気遣いはありがたく受け入れることにする。

 準備ができた、と言われ、荷台の下に手を入れた。以前なら、アルマでもこれを何とかすることはできなかっただろう。しかし、『成熟』した彼は、以前よりも身体能力が上がっている。

 ゆっくりと持ち上げる。斜めになっていた荷馬車が元に戻っていくのに、見詰めていた兵士たちが感嘆の声を上げる。

 微かに風切り音が聞こえた次の瞬間、視界の隅で手伝ってくれていた兵士の身体が揺れた。

 目を見開き、呻き声を漏らして、兵士は膝を崩れさせ、そのままゆっくりと崖から落ちていった。

 彼の方を向いたアルマの視界に、その脇腹に矢羽根が突き立っていること、そして中空を更にこちらに飛来する数本の矢が入ってくる。

「伏せ……!」

 警戒の叫びを上げた瞬間、そのうちの一本が鈍い音と共に肩へと突き刺さった。

 衝撃に、そして続いて発した鋭い痛みに思わず手から力が抜け、ごとん、という重い音と共に荷馬車が再び(かし)いだ。

 その動きと、飛んでくる矢とに恐慌に陥ったか、荷馬が高く(いなな)く。闇雲に逃げ出そうとしたのだろう、車輪が道の縁に添って動き、嫌な音を立てた。

「アルマナセル様!」

 驚愕の叫びが聞こえて、僅かによろめいたところで踏み止まった。矢が突き立ったままの肩を、もう一方の手で押さえる。本能的な動きだった。自分に、癒せる訳でもないのに。

「パッセル、馬の陰に隠れろ! 早く!」

 視線を向けずに怒鳴る。彼が言う通りに動けなくても、近くにいる兵士が何とかしてくれる筈だ。

 更なる矢が放たれる。方向から見て、射手はおそらく溝の向こう側の木立に隠れているのだろう。距離が近い分、放たれてからこちらに到達するのも早い。

 時間は、あまりない。

「貪欲たれ、炎! 餓えたままに喰らい、喰らい、喰らい、灰を飲みて消えよ!」

 それらの矢を見据えて、叫んだ。

 何かの境界線を越えてしまったかのように、一瞬で十数本の矢尻が、次いで()が、そして矢羽根までが炎に包まれ、炭となり、灰と化して風に散った。

 周囲の者たちが息を飲む。

 間髪を容れずに続ける。

「怒り狂え、雷光! その指を開き、我が敵をこの眼前にて打ち倒せ!」

 瞬間、周囲の空気がぴりぴりと緊張し、そして、溝の向こうにある木々が数本、轟音と共に弾けた。

 音を立てて、(こずえ)が燃え上がる。

 一瞬の沈黙の後、幾つかの悲鳴が上がり、藪の中から数人の男たちが這い出てきた。

「騎乗している者は全て、突撃!」

 隊長がその機を逃さずに命令する。

 ぐるりと馬首を巡らし、草原に数メートル駆け戻った兵士たちは、そのまま溝に向かって突進し、飛び越えた。

 地響きを立てながら迫る軍馬に、射手たちは慌てて弓を引こうとするが、恐怖と雷が至近距離に落ちた際の衝撃で、上手く動けない。

「残りの者は救助を!」

 隊長の命令に、他の兵士が動いた。一名が、アルマに駆け寄る。

「傷の手当てを」

「ああ、いや、大したことはない。それよりも、彼を救けてやってくれ」

 先ほど、矢に射られて溝に落ちた兵士を気遣う。彼と立つ位置が違っていたら、最初に為す術もなく射抜かれたのは自分だっただろう。

 溝そのものは深いが、水深はまだ浅い。早く手当てをすれば救かるかもしれない。

 兵士は、地面にアルマが座るのに手を貸してから、溝に下りていっている仲間の方へ走り寄る。直後、彼と入れ替わるように、パッセルが飛びついてきた。

「い……っ!」

 瞬間、肩から脳天までを貫いた激痛に、悲鳴を漏らしかける。

「凄い凄い凄い、凄いです、アルマナセル様!」

 しかし、アルマのそんな様子にも気づかず、パッセルは興奮に声を上げていた。

「パッセル殿、あの、もう少し、落ち着いて」

 苦痛と苦笑に顔を歪ませながら、振り返る。

 溝の向こう側からは兵士たちの罵声と襲撃者の悲鳴、ばちばちと木の燃え盛る音が聞こえてくる。溝の中からは倒れた兵士にかける声や、彼を引き上げるための話し声がしていた。

 陽は既に西から差しており、影すら彼らの背後に落ちている。音も殆どなく、影さえ視界に入らない状況で、そのままアルマが振り返らなければ、決して気づかなかったことだろう。

 パッセルの背後、一つの麻袋を両手で振りかぶった農夫の姿に。



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