表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
乱の章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

105/252

02

 その店は、中流階級程度の者が住む地区にあった。

 エスタとしてはもう少し下層でもよかったが、一応イフテカールに気を遣ったのだ。上流階級の住む地域となると、そもそも客は店にやってくることすらない。彼らは料理人を呼びつけるだけだ。

 しかし、イフテカールは予想に反して文句をつけたりはしなかった。

 店の名前は、『夜鳴鳥の歌劇亭』。やや気取った名前ではある。

 造りがまた変わっていた。一階の酒場は、中心が広く開けてあり、二階の床も吹き抜けとなっている。その中央の空間では、夜毎音楽が演奏される。

 そして、その吹き抜けをぐるりと囲むように、二階には個室が作られていた。そう、まるで歌劇場の如くに。

 まあ、それでも薄い板で仕切られている程度だが。密談にはあまり向かない。

 フードを深く被ったエスタとイフテカールは、その二階の一室に陣取った。適当に酒と食事を頼み、下階を見下ろす。

 場所柄、そう大した音楽家が演奏する訳ではない。大抵がロマだ。

 この日も、一人の壮年の男がその豊かな声を響かせていた。

 酒場は狭い。ロマの夜の仕事は、少人数に別れて行うのが常だ。

「竜王と龍神の歌を」

 一曲終わったところで、声をかける。ロマは了解の印に軽く手を振り、リュートを抱え直した。

 曲が進むにつれて、イフテカールの顔が険しくなっていく。

「藩都を壊滅させないでくれよ」

 金属でできたグラスを指で弄びながら、声をかけた。イグニシアでこんなものを使っていたら、冬場など唇が貼りついてしまうかもしれない。

「判っていますよ。私はそこまで愚かではない」

 吐き捨てるように告げて、金髪の青年は自分のグラスに入ったワインを一気に飲み干した。


 一時間ほどが過ぎた頃に、ロマが個室へ入ってきた。室内ですらフードを被っているエスタにぎょっとした顔を向ける。

「ああ、今夜はいいものを聴かせて貰いました。評判を聞いて足を運んだ甲斐があったというものです」

 にこやかに、イフテカールが笑みを向けた。

「勿体ないお言葉です、旦那」

 深々とロマの男が頭を下げる。一枚の銀貨を卓の上で滑らせて、男の鼻先で指を止めた。

 驚いたように、ロマは青年を凝視してきた。

「私の主人が、是非に歌を聴いてみたい、と望んでいるのですよ。ですが、このようなところへ足を運べる身分ではないので。都合がつくのなら、内密に屋敷へ参って頂きたいのですが」

 丁重な要請に、ぱっと顔を明るくする。

「はい、それはもういつでも」

「そうですか。では、ちょっと詳しく話をしましょう。私たちはもうすぐ店を出ますので、裏口で待っていて貰えますか?」

 イフテカールの申し出に、ロマは一も二もなく頷いた。



 月が白い。

 細い路地裏の出口を塞ぐように、石壁に背をつけて立って、エスタはぼんやりと夜空を見上げていた。

 もうこの地では、吐息が白く濁ることもなくなっている。正直、やむをえないとはいえ、マントを着てフードを被っているのは、季節的にも人目を惹くようになってきた。

 どうしたものか、とさほどの深刻さもなく考える。

 ただの時間潰しだ。

 路地裏の奥から、鈍い音が途絶えることなく聞こえてくる。

 何かを折ったり割ったり裂いたりするようなそれには、常にべちゃべちゃと不快な水の音がつき纏っていた。

 やがて、ごとん、と何かが落ちた音がして、ようやく静かになる。

 ぺたぺたと粘っこい足音と共に、暗がりから連れが姿を見せた。

 その白い手も顔も、細い絹糸のような金髪にも、まして上等な衣服にすら、赤黒い液体が満遍なくこびりついている。

「……少しは気が晴れたか」

「人を異常者みたいに言わないでください。あれはただの尋問です」

 冷たい視線で見下ろしてみるが、イフテカールはそんなことで怯むような相手ではない。

 そのまま街路に出ようとしたのを、流石に肩を掴んで止める。

「そんな格好で外を歩くな」

「貴方のマントでも貸してくれるのですか?」

 嫌味に眉を寄せる。

「一度屋敷に戻って着替えてくればいいだろう」

 どうせ、彼が移動するのは一瞬あれば足りる。だが、青年は驚いたような顔を向けてきた。

「これから貴方の処置をしなくてはならないのに、何故そんな二度手間をかける必要があるんです?」

「気が晴れたんじゃないのか」

 諦めて、重い溜め息をつく。

「朝までには終わらせないと、こちらも予定が詰まっているんですよ。まあ、貴方の部屋までは一緒に行きますか」

 そう言って、イフテカールはエスタの腕を無造作に掴んだ。






 ぽかぽかと暖かな陽気だった。

 朝晩こそはまだかなり冷えこむものの、昼間はそれなりに暖かくなってきている。

 春先の草原を、彼らは行軍していた。なだらかな丘は、遠目に薄く緑色がかって見える。

 竜王の名の下に集った軍は、拠点をスクリロスの北の境界にある砦に決めた。古びているがかなり大きな砦であること、同盟を結んだ領地の中で最もカタラクタの王都に近い場所であること、が決め手である。

 アルマは火竜王宮の馬車の横で馬を進めていた。マントは風を孕んではためき、長い角を頂いた頭を真っ直ぐに前に向けている。

 少し後ろに、オーリとクセロも騎乗してついてきている。彼らは馬車に閉じこめられることに難色を示していた。

 そして、巫子たちを護るように、周囲を火竜王宮と水竜王宮の竜王兵たちが取り囲み、更にその前後には兵士たちと物資を運ぶ荷車が歩いている。

 今、巫子一行と共にいるのは、モノマキアの藩都とそのごく周辺の軍だ。何万、というほどの大人数ではない。砦に着くまで、一週間ほどで済むだろう。

 モノマキア伯爵の義兄であるスクリロス伯爵は、一足先に領地へ戻り、色々と手配を始めていた。サピエンティア辺境伯からも、軍を集めてできる限り早く合流する、という言質を取っている。

 宣戦布告は、使者がどれほど急いでも王都に届くまでに半月はかかるだろう。それから軍を編成し、こちらへ向かわせたところで、更に一ヶ月。実際には、双方の軍を衝突させるまでの間に条件の刷り合わせなどの会談が何度か挟まれる。

 それまでに叛乱軍が拠点に集結する時間は、充分にある。

「春まで、あまり時間がかからない土地でよかったよ。冬に戦うというのは、かなり厄介だ」

 オーリの声が聞こえてくる。

「雪が積もるからか?」

 クセロの推測は、いかにも北国出身のものだ。

「それもあるけどね。燃料費が余計にかかる。それに、馬に食べさせる飼料もだ。他の季節なら、食べさせる草はその辺りに生えてるものだから」

「それ、お前の国だけだろ」

 と、都市出身でもある男は胡散臭そうに感想を述べた。

 以前、ペルルやオーリと共にカタラクタをこうして行軍したのは、東から西へ、故国へと帰還する道程だった。

 今は南から北へ、あの時にはいなかった多くの人々と共にいる。

 そして、あの時にはいた者たちが、いない。

 アルマは、一度は所属した軍と敵対する、という事態を目前にして、長く溜め息をついた。


 昼食のために、一旦停止する。

 さほどの人数ではないとはいえ、それでも足を止め、全員分の食事を用意し、後始末をし、また隊列を組んで歩き出す、というのには時間がかかる。速度を考えると悩ましいところだが、かといって朝から夕方まで兵士を歩き通させる、という訳にはいかないのだ。

 馬を下りて、強張った筋肉をほぐそうとその辺りを歩き回る。

 やがて、荷馬車のある辺りで騒ぎが起こったようだ。兵士たちの驚いたような声に、怒声が混じる。

「……何かあったのか」

 馬車から降りていたグランが小さく呟く。

「ちょっと見てくるよ」

 言い置いて、アルマは軽く地を蹴った。ざわめく兵士たちの間を抜けていく。

「あ、おい」

 グランの言葉は、届かない。

「……全く、もう少し落ち着かないものかな、奴らは」

「君が軽々しく使ううちはそうはならないんじゃないかなぁ」

 苦く呟く隣で、オーリが飄々と返した。


「待て! こら!」

「そっちに回ったぞ!」

 怒声が、細い通路に響く。

 この辺りは整然と荷馬車が並べられている。関係のない荷馬車は街道に行列を作ったままで停車しているから、こちらは食料が積んであるものなのだろう。

 その合間を縫って、兵士たちが多数行き交っていた。

 これだけの人数だ、食事を作るだけでも一苦労である。

 アルマの前方で、籠にパンを積んで歩いていた兵士が、横合いから走り出てきた人影とぶつかった。よろめいて、地面に尻餅をつく。

「どこを見てやが……!」

 罵声をあげかけた兵士が、途中で口を噤んだ。

 見通しがよくなったおかげで、アルマの視界にもそれが見える。

 ぶつかった相手は、まだ幼さの残る少年だったのだ。

 兵士を通り越してくる視線は、驚愕と焦りと安堵が混ざっている。

「……パッセル、殿……?」

「アル……」

 名前を口にしかけたところで、走り出してきた方向からばたばたと足音が響いた。はっとした表情で、パッセルが踵を返しかける。

 が。

「よ、っと」

 どこから現れたのか、クセロがその勢いに乗せるように、少年の身体を掬い上げた。肩の上に腹ばいにさせるような形で持ち上げる。

「は、離せ! 離せ、この無礼者!」

 パッセルが大声を上げながら手足をばたつかせる。が、金髪の男は動じもしない。

「元気のいい盗っ人だな。もう少し、見つからないように上手くやれよ」

「な……っ、誰が盗っ人だ!」

 少年の怒声に、にやりと笑う。

「腹が鳴ってるぜ。減ってんだろ」

「ち……違う!」

 パッセルは一瞬身を震わせ、次いで顔を紅潮させて更に声を上げる。

「で、旦那。こいつどうすりゃいいんだ? 軍隊で盗っ人ってのは、普通に縛り首でよかったのか?」

 しかしそんな反応を無視して、クセロは視線をアルマに向けた。

「あー……。いや、とりあえず指揮官の指示を仰ぐべきだな」

 かなり疲労を感じつつ、アルマは責任を他者に引き渡すことにした。



 モノマキア伯爵アルデアは、傍目に見ても激怒していた。

「この、莫迦者が……!」

 仮ごしらえの野営地に建てられた大天幕へ連れてこられたパッセルが、俯き気味に目を逸らせる。

 幸いというべきか、まだ準備が途中であったために、天幕の中には呼び出されたアルデア一人であった。自領に仕える郷司とはいえ、このようなところを直に見られてはモノマキア伯爵の立場がない。

 尤も、情報は今にも野営地を駆け抜けているだろうが。

 そんなことを思っていると、アルデアはくるりとこちらを向いた。

「アルマナセル殿、クセロ殿。お手数をおかけした。申し訳ない」

 そう告げて、深く頭を下げる。

 驚いたように、パッセルがその姿を見詰めていた。

「いえ、我々は何も。偶然通りかかっただけですので」

「いや、貴方がたが見つけてくださったおかげで、これが兵士たちに殴られたりせずに済みました。彼らを処罰するのは忍びない」

 続けて放たれた父親の言葉に、息子が息を飲む。

 彼の正体を知らない兵士たちにどんな目に合わされるかを想像できていなかったからか、父親が自分を庇おうという姿勢を見せなかったからか。

 ともあれ、再び自分に視線を向けた父親を、今度は真っ直ぐに見上げる。

「パッセル。お前には留守を頼む、と言っておいた筈だな。何故今ここにいる」

「僕も、戦いに行きたいのです、とう……、父上」

 予想はしていたようだが、アルデアはうんざりとした顔になった。

「それはならんとずっと言っていただろう」

「何故ですか。僕はもう十三歳です。充分戦える年齢だ。アルマナセル様だって、まだ十六歳ではないですか」

 いきなり引き合いに出されて、怯む。

「お前の剣の腕は、戦場では通用せん。指揮官としての経験も技量もない。そもそも、アルマナセル殿とお前とでは事情が違う」

 それでも、辛抱強く父親は説得を試みる。

「ですが、皆様が戦場へ出ておられるのに、僕だけが安全なところで過ごしているだなんて」

「あー、あれか。ガキが仲間外れにされて、つまらねぇって駄々捏ねてんだろ?」

 ふいに、身も蓋もない声が割りこむ。

 顔を真っ赤にさせて、パッセルがこちらを振り向いた。

「……クセロ。余計な口を挟むなよ」

 酷く疲れた心持ちで、アルマが諫めた。だが、クセロは気にした風もない。

 そもそも、もっと早くこの場を辞しておけばよかったのだが。

「申し訳ない、モノマキア伯、パッセル殿。我々は一旦失礼しますので」

「いや。クセロ殿の言う通りだろう。子供じみた考えを押し通すつもりでいるなら、尚更ここに置くわけにはいかない」

 今からでも、と言い出したアルマに、やんわりと返す。これは出て行ってよいものかどうか迷っているうちに、アルデアは再び息子へ向き直った。

「お前の父として、仕えるべきモノマキア伯爵として命令する。今すぐ城塞へ戻れ」

「嫌です! 無理矢理連れ戻しても、また追いかけますからね! だったら、このまま僕も連れて行ったほうがいいじゃないですか!」

 更に言い返したパッセルに、ぎり、とアルデアは奥歯を軋ませた。

 この一月ほど領主の城塞に滞在した間に垣間見ていた親子の関係では、パッセルはここまで意固地にはなったことがなかった。どうしても、このまま従軍したいのだろう。

 だが、どう考えても彼が共に行くのは無理だ。

「パッセル殿。そう聞き分けのないことをおっしゃらずに」

 アルマが、とうとう割って入った。

「アルマナセル様……」

「嫡子である貴方が後方でご無事でいらっしゃればこそ、伯爵も安心して前線へ出ていけるのですよ。留守を護るのも大事な役割です。いざという時に、伯爵夫人をお護りできるのは貴方だけなのですから」

「……アルマナセル様は、戦場に出られるではないですか」

 僅かに頬を膨らませて、パッセルが呟く。アルマは苦笑した。

「私には、母がおりませんので」

 少なくとも、王都の屋敷には。

 が、少年ははっとした風に顔を上げ、アルマと目が合うと、気まずげにそれを逸らせた。

「……判りました」

 やがて小さな声で承諾して、その場の一同が安堵する。

「ですが、条件があります」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ