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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
人の章

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103/252

18

 入ってきたのは、サピエンティア辺境伯だ。表情は硬く、怒りを押し殺しているようだった。

「遅くなった。知らせが届いたものでな」

 そう告げて、不審そうに周囲を見渡す。ざわついていた空気が、すぐに静まった。

「知らせとは、どのような?」

 モノマキア伯爵が尋ねる。

「うむ。これから話そう。……どうやら、策を弄しすぎたようですな」

 老辺境伯が頷いてから、ぎろり、と巫子たちへ視線を流し、告げる。

 そして、モノマキア伯爵の隣に立ち再び室内を一瞥する。

「先ほど、留守を預けていた息子より知らせが届いた。わしは、地竜王に拝謁した日、領地へ早馬を出していたのだ。その使者が殺された、との知らせだ」

 一同が息を飲む。グランですら、僅かに驚愕していた。

「幸い、一人がかろうじて息があり、救けを求めたために、息子の元へ連絡はついた。使者の一人は息子の古い友人でもあり、怒りのままにこちらへ知らせを寄越したよ。あれは、使者を殺したのが何者であろうとも、その仇を取るつもりでいる」

 静まり返った室内を一瞥する。そして、グランへと視線を固定すると、辺境伯は一歩彼へと近づいた。

「四竜王の高位の巫子よ、我がサピエンティアは全力を()って協力を誓約しよう。何なりと、お申しつけくださるがいい」

「……え?」

 貴族たちの間から、虚を衝かれたような声が幾つか上がる。再びざわついた一同を、老人は不思議そうに眺めた。

「一体どうしたというのだ?」

 問いかけに、モノマキア伯爵が口を開く。

「ほら、貴方が出て行かれる前に、この犯人たちが話したことを覚えておられますか?」

「勿論だ。黒幕が巫子たちであるとのたわけた話であろう。……まさか、皆、それを信じておったのか?」

 驚いたような、呆れたような顔で、返す。

「いや、信じていたというか、その、一応一考はするべきかと」

 しどろもどろに、伯爵が言葉を続ける。何となく救けを求めるような視線をこちらへ送られたが、どうしようもない。

「莫迦者らが。竜王の巫子が、民を害するものか。竜王は民を慈しみ、加護を与えるというのに、巫子がそれに反した行いをする訳がないではないか」

 辺境伯が、巫子たちへと視線を戻した。

「勿論ですとも、閣下」

 ペルルが、穏やかな笑みを浮かべ、片手を胸に当てて肯定する。

 それを憎悪に満ちた瞳で睨め上げて、娘たちが低く呻く。

 貴族たちが、その情景に素早く目を走らせている。どちらに就くべきか、判断するために。

「ああ、それと、もう一つ。使者を殺した者たちも幾人か死体となっておってな。その身を改めたところ、皆、肌の目立たぬところに奇妙な焼印があったとのことだ」

「焼印?」

 モノマキア伯爵は、何とか気持ちを切り替えたらしい。問い返されて、老辺境伯は頷いた。

「蝙蝠の翼を持った、見慣れない形状の竜の姿だとか」

「えっ?」

「あ」

 アルマとクセロが、反射的に声を漏らす。視線が集中して、内心怯んだ。

「お二方、何か心当たりが?」

 促されて、視線を交わす。とりあえずクセロが先に口を開いた。

「いや、そう言えばこの二人にもそれがあったな、と思っただけだ。(へそ)の上と、左の太腿だったが」

 どうしてそれが判る状況だったかを考えると、頭が痛い。

「……それが龍神のシンボルだよ! 何でその時点で言ってこないんだ!」

 とりあえずその苛立ちを転嫁してみる。

「そう言われても旦那、そんなことおれは知らねぇし。人を殺そうとする奴なんて、今までに一度ぐらいとっ捕まってても不思議はねぇだろ。変な形だとは思ったが、イグニシアの焼印とは違ってもまあ当然だしよ」

 困ったように、クセロが返した。その足元で、二人の娘は目に見えて青褪めている。

 基本的に、焼印を押されるのは犯罪を犯し、裁かれた者だ。クセロ自身にその経験はなかったが、彼の周囲にはそういった者もいた。特に珍しくもない。

「いい、アルマ。知らせておかなかったのは僕の落ち度だ」

 グランが割って入った。

 思えば、クセロはイフテカールやエスタが嵌めていた指輪を目にしたことはない。知らなくても、無理はなかったのかもしれない。

 それにしても、信望の証が焼印だとは。想像しがたい苦痛と、おそらくそれを行ったのであろうイフテカールとを考えて、アルマは小さく背を震わせた。

「なるほど。ならば、我らの敵は龍神であると決定したな」

 満足そうに、辺境伯が決めつけた。

「ああ、ええと、伯爵」

 声をかけづらそうに、クセロがモノマキア伯爵を呼ぶ。

「何か、クセロ殿」

 こちらは丁重に、伯爵が返す。地竜王の巫子の出自が明らかになったからといって、あからさまに態度を変えるようでは、貴族としては二流だ。

 それをどう思っているのかは素振りに見せず、クセロは無造作に床に蹲る娘たちを指した。

「この二人、言っちゃ悪いんだが、幾ら何でも間抜けすぎる。多分、指示を与えていた奴が傍にいる筈だ。これは単なる提案なんだが、その焼印を探して、城塞内の人間を全員ひん剥いたらどうだ? 子供に悪さした犯人を捜し尽くすのよりは時間は少なく済むだろう。勿論、焼印を押されていない場合に備えて、こいつらの尋問も続けた方がいい。まあ、寝床でナイフを突きつけられたい、というなら余計なお世話なんだが」

 しかし、金髪の男のその物言いには流石に少々怯んだようだった。

「クセロ」

 溜め息混じりに、グランが(いさ)める。

「いや、貴重なご意見、いたみいる。早速手配させよう」

 モノマキア伯爵が、扉の両脇に立っている兵士を手招きした。





 その後、会議は(つつが)なく過ぎていった。

 サピエンティア辺境伯が全面的に竜王の巫子の支持に回ったことで、反対していた他の貴族たちの勢いが、なし崩しに失せたのだ。

 だが、今後の軍事戦略を練るために、会議自体は重要の度合いを増していく。

 ここまでくると、ほぼグランの出番はない。彼は主に謀略には秀でてはいるが、実際の軍の運用についての知識は、素人よりはましだといった程度でしかない。

 むしろ、オーリの方が役に立ってはいた。

 しかし彼の軍事に関する経験は三百年前のものであり、しかも当時のフルトゥナと現在のカタラクタとではかなり事情が違う。

 よって、竜王の巫子たちは、さほど会議に介入することはなくなっていった。

 また、午前中に催されていたお茶会も、頻度が減っている。

 辺境伯の孫が殺されかけた、ということで、郷司たちが妻や娘をあまり城塞へ寄越さなくなったのだ。自らの領地へと送り帰した者もいる。

 あの事件直後のお茶会では、何故かアルマが犯人相手に大立ち回りをしたのだという噂が広まっていたのをパッセルが真に受けて、興奮して詳しく話を聞きだそうとしていたが。

 正直、それが事実なら自分も見物したかった、とアルマは苦笑した。

 ちなみに、クセロが城塞内にいるはずだ、と強弁した指示役の存在は、未だ把握できてはいない。

 尋問は続けられてはいるが、犯人の娘たちは頑として口を割ろうとはしなかった。

 それだけに、最初にあっさりと自供したことが、巫子を陥れる目的であったという説の信憑性が増している。

 微妙な緊張感を残し、日々が過ぎていった。



 その日は午前中のお茶会もなく、アルマはのんびりと中庭を散歩していた。

 フルトゥナからカタラクタへ移動して既に二ヶ月近く経っている。刺すような冷たさだった空気も、少しづつ和らいできていた。

 ふと、小道の傍らに置かれた小さなベンチに、プリムラが座っているのに気づく。ぼんやりと空を眺める様子が訝しくて、近づいた。

「よぅ。どうした、こんなとこで」

「……なんでもないよ」

 何か言いたげに、しかし少女は小さく笑う。

「何でもないじゃないだろ。お前がこんなところにいて、ペルルが困ってるんじゃないか」

 その言葉を聞いて、プリムラは俯いた。

「そんなことない。ペルル様には、ちゃんとした侍女がついてるもの」

 語尾が、小さく震えている。

 それが自分でも判ったのか、プリムラは大きく呼吸した。

「まあ、あれなの。今、あたし、やることがないのよ。ペルル様のお世話って言っても、旅をしていて他に人がいなかった間、必要だっただけなんだもの。カタラクタについてからは、巫女様とか侍女とかがずっとお世話をしているし。竜王兵と合流してからは、食事の支度とかもしなくてよくなってる。オーリの手伝いも、もう終わっちゃった。クセロも、今、あたしの手はいらないだろうし。……暇に、なっちゃってね」

 顔を上げて、青空を流れる雲を見詰める。

「やることがないんだったら、ここにいても仕方ないかなぁ、って。イグニシアに帰れるなら帰った方がいいのかな、って思って」

 ここを出たところで、行くあてなど殆どないに違いないのに。

 一つ溜め息をついて、アルマは顔を上げた。

「オーリ。俺は今日の会議、気分がすぐれないから欠席だ」

 虚空にそう告げて、プリムラの隣に座る。あの青年のことだ、気を配っていなくても自分の名前を呼ばれれば気がつくだろう。

 プリムラが目を丸くして見上げてくる。

「何やってんの?」

「聞いただろ」

「だって、会議にはアルマが必要なんでしょ」

 拗ねたように返してくるのに、片手を振った。

「カタラクタに来てからこっち、俺の仕事なんて大したもんじゃない。基本的に、ハッタリを効かせるためにいるだけだ。それだって、そろそろそんなに必要じゃなくなってる。一日やそこら、さぼったって問題にはならないさ」

 そう、彼は、自分が役に立っていないこと、そしてそれによる無力感の辛さをよく知っている。

「気を遣わなくたって、いいのに」

「俺が暇なんだよ。何か、気を紛らわせてくれ」

 更に文句をいいかけるプリムラを、遮った。

「……しょうがないなぁ」

「しょうがないのさ」

 そうして、顔を見合わせて、小さく笑った。



 昼食が近くなり、パッセルは屋敷の廊下を歩いていた。視線を庭へ下ろすと、見慣れた人物が木陰のベンチへ座っている。

 彼の隣には、見知らぬ少女が一人いた。まだ幼く、衣服などは酷く質素だ。

「パッセル様、お早く」

 先に歩いていた家庭教師が、足を止めて促した。

「うん。……あの子、誰だろう」

 呟いた言葉に、家庭教師は窓へ近づいてくる。

「確か巫子様がたについてきた子供ですね。小間使いか何かでしょう」

 さあ早く、と更に急かされて、パッセルは渋々足を進めた。

 屈託なく、楽しげに笑う少女と、それを優しく、愛おしげに見る少年の姿に、僅かに胸を重くしながら。



 空を見ると、もう太陽が中天を過ぎかけている。

「腹減ったか?」

「そうだねぇ」

 無造作に訊くと、そう返ってきた。

「厨房に行って何かくすねてくるか」

 にやりと笑ってもちかける。

「大貴族の一人息子が言う台詞?」

 くすくすとプリムラが笑う。

「最近、回りに悪い仲間がいっぱいいたんだよ」

 茶化してアルマが返したところに。

「おや。それは悪いことをしたね」

 背後から、笑いを含んだ声が降ってきた。

 振り返ると、オーリとペルルが立っている。

「どうしたんだよ、昼食会と会議があるんだろ」

「君がそれを訊くのか? ペルルが何だか気分がすぐれない、と言うから、今日はゆっくりしてもらおうと思ってね。私はまあつきそいだ」

 オーリが、片手に下げたバスケットを持ち上げてみせる。ペルルは楽しげに小さく笑っていた。

「……悪い奴らだな……」

「お互い様だよ。さあ、アルマはどいて。ご婦人方にベンチを空け渡さないと」

 空いた片手で追い払われるような仕草をされる。慌てて立ちかけるプリムラの肩を軽く叩き、アルマは場所を空けた。



 豊かな歌声が聞こえてきて、パッセルは書物から顔を上げた。

 音を立てないように気をつけて、廊下へと忍び出る。

 先ほどアルマを見かけた窓からは、今は更に二人の巫子が合流し、木陰に昼食を広げている様子が見えた。

 先ほどの少女と青年が、歌を歌っている。彼らの雰囲気はとても楽しげだ。

 少年が思わず廊下を走り出そうとする。

「何をしていらっしゃいますか、パッセル様」

 そこに、控え室から身を現した家庭教師が、厳しい声をかけてきた。

「あの、ちょっと」

 何とかごまかそうとするが、彼は視線を外へと向けた。その風景を認めて、眉を寄せる。

「なりませんよ。午前中を貴方の好きにする代わりに、午後からのお勉強はきちんと進める、というお約束ではないですか」

「そうだけど」

 今日は午前中にアルマと会えなかった。肩を落して、小さく呟く。

「さあ早くお部屋にお戻りください」

 取りつく島もなく家庭教師に促されて、のろのろと踵を返す。

「……全く、あの方々が来られてから騒がしくていけませんね。まあ、あとそれほど長い時間はかからないだろうことが幸いですが」

 生徒の後ろで、家庭教師は小さく独りごちた。



 陽も暮れた頃に会議から戻ってきたグランは、酷く不機嫌だった。アルマとオーリが彼の前に立たされて、ひとしきり小言を浴びせられる。

 とはいえ、会議を欠席しても貴族たちから少々嫌味を言われた程度だろう。クセロはいたのだし、さほど大した被害ではなかった筈だ。

 平然とした顔の二人に呆れたのか、やがてグランは言葉を途切らせた。

「まあ、プリムラに関してはまた僕から話しておく。どうにも物騒だからな。万が一のことがあった時に、ペルルの傍にいるのが侍女だけでは心もとない」

 プリムラは、ロマに育てられ流浪の生活を送っている。ここ数年は定住していたとはいえ、場所は王都の下町だ。

 下級ではあるが、貴族の子女が侍女として仕える中にはいづらかったのだろう。実際、ここしばらくはグランの傍にいることが多かった。

 だが、その育ちをグランは買っている。彼ならば上手く事態を収めることができるだろう。

 やや安心して、アルマとオーリとは顔を見合わせた。





 そして、すっかりと春めいたある日。

 カタラクタ南部を治める領主三名と、四竜王の高位の巫子の名において、南部連合軍からイグニシア王国軍への宣戦布告がなされた。


 その宣言は、否応なく世界を戦乱へと変えていくこととなる。



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