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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
人の章

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101/252

16

 会議は、変わらず紛糾していた。

 大半の貴族たちは、地竜王の姿を目の当たりにし、竜王という大いなる存在が危惧する敵の危険さを察したのか、蜂起することに同意している。

 だが、一部の貴族は頑なにそれを拒んでいた。

 最も声高なのは、サピエンティア辺境伯だ。老境に差し掛かったこの領主は、老獪で、かつ頑固だ。

「龍神とやらが、一万年をかけて支配できなかったものを、この先数年で達成するとも思いがたい。少なくとも、今の時点で王の意思に反した行動を起すべきではない」

「しかし、龍神がその意図を明らかにし始めた後に民が起ったところで、もう奴には立ち向かえない。今が、最後のチャンスだと忠告する。今行動を起さなければ、貴公も貴公の子孫も、苦痛と後悔の中で枯れ果てることとなろう」

 僅かに苛立ちを見せて、グランが反論する。老辺境伯は、もっとあからさまに眉を上げた。

「我らを脅迫されるか、高位の巫子よ」

 轟くような声にも、グランは怯まない。

 サピエンティア辺境伯領は、ここからは遠い。早馬を出しても、そろそろ返事が着くかどうかだろう。その内容次第でどう動くか、それまで決定を引き延ばしたい、という意図がある。

 そしてもう一つ。年長者である自分にまず話を持ってこなかったことを不快に思っているのだろう、とグラナティスは踏んでいた。

 尤も、サピエンティア辺境伯領は内陸の地であるので、彼らがまず上陸するには不向きな土地である。勿論、領主の性格もこの通り扱いづらい。

 年功序列を言い立てるなら、自分たちに従うのは当たり前だというのに、とグランは密かに零していたが。

 そんな事情があって、連日の会議はただ疲労だけを蓄積させている。

 わあわあと半ば怒鳴りあう声の中、傍観者のように聞いていたオーリが、突然立ち上がった。

 視線が青年に集中し、怒声が尻すぼみに消える。

 そんなことを全く気にした様子もなく、オーリは踵を返し、背後の窓を押し開けた。バルコニーに通じる窓から、冷たい風が吹きこんでくる。

「オーリ?」

 問いかけたグランを無視し、そのまま外へと足を踏み出した。

「アルマ、私が戻ってくるまで、その部屋に誰も出入りさせるな。絶対だ」

 肩越しに早口で命令すると、軽く、たん、と胸壁へ飛び乗る。長衣が、吹き上げる風に靡く。

 室内で、小さく息を飲む音が幾つも漏れた。

 ここは三階だ。この場所よりも高いのは、もう見張り用の小塔しかない。

 だが、次の瞬間、風竜王の高位の巫子は、躊躇いなく更に足場を蹴った。そのまま、十数メートルは高く跳躍する後姿に、掛け値なしの驚愕の声が上がる。

 アルマが、無言で立った。とりあえず風の吹きこむ窓を閉める。そして、グランに目を向けると、幼い巫子はこちらも何も言わずに頷いた。

 柔らかな毛足の長い絨毯の上を、大股で歩く。

 巨大な一枚板の扉の前まで来ると、無造作に剣を抜いた。切っ先を下に向けて床に立て、手を添える。

 ざわり、と会議室の中がどよめく。

「何の真似か、レヴァンダル大公子」

 固い声で、サピエンティア辺境伯が問いかける。

「お聞きになられていた筈ですが」

 ぶっきらぼうに、アルマは答えた。

「〈魔王〉は竜王宮の管轄ですのでね。確かに無作法ですが、ご勘弁いただきたい。どの道、夕刻までは誰も出入りせぬのですから、あれがあそこに立っていても何の支障もありますまい」

 やんわりと、グランが補足した。

「オリヴィニス殿は、どうされたのだ?」

 そわそわと、落ちつかなげに一人の郷司が尋ねる。

「さて。まあ、何かあったのでしょう。彼も高位の巫子として、やるべきことは弁えておりますよ。ところで、何のお話でしたか?」

 樫のテーブルに肘をつき、グランは一同を眺め渡して、促した。


 ばさばさと、風が長衣の袖や裾をはためかせる。

 兵士が気づいたのはその音だったのかもしれない。小塔で見張りに立っていた若い兵士は、こちらへ向けて飛びこんでくる青年を目にし、酷くうろたえる。

「う、あ、あああああ!?」

 オーリは軽い音と共に外壁に足をつき、控え壁に手をかけ、くるりとその場で向きを変えた。

「警鐘を」

「え?」

 驚愕に息を切らした兵士に、苛立たしげに再度口を開いた。

「警鐘だ。絶対に、この城塞から人を出すな!」

 ぐるりと周囲を見渡し、方角を見定めると、そのままオーリはまた足場を蹴った。呆然と見送る兵士は、青年が肩越しに視線を向けるのに、慌てて近くに吊り下げられた鐘を叩き始めた。


 がんがんと鐘の音が響く。

 軋みを上げて城門が閉まり、堀にかけられていた渡し板が、鎖が巻き上げられる音に伴って、引き上げられていく。

 城塞がある敷地のほぼ中央、木々と花壇と噴水に彩られた一角に、オーリが降り立つ。

 心を引き裂かれるような、子供の泣き声が幾つも響いていた。

 彼らの群がる噴水は直径が十メートル近くはあるだろうか。中央に物寂しい彫像が聳えており、そのすぐ傍の黒々とした水の中、力なく手足をばたつかせて子供が一人、もがいていた。

「救けて!」

 突然現れた青年に、噴水の周囲に集まる子供たちが、不審を覚える余裕もなく、口々にそう訴える。

「誰か、大人を呼んできなさい。早く!」

 まだ年長らしい子供に告げると、そのまま噴水へ足から飛びこんだ。

 木の葉が浮き、水が止められた噴水は、深さが大人の胸ほどもある。精一杯急いで進むが、今にも凍りつくのではないかと思える水はじれったいほどにその動きを阻む。

 小さな指先が水の下に沈みかけたところで、ようやく手が届く。歯を食いしばり、殆ど頭まで水につける勢いで、何とかオーリは子供の腕を掴んだ。

 力任せに引き寄せ、肩にもたせ掛けるように抱きかかえた。背中を何度か叩くと、咳きこみながらいくらか水を吐き出す。

 沈んでいた時間は短い。殆ど水は飲んでいないだろう。だが、この寒さだ。

 視線を背後に向けると、庭師やハウスメイドたちが数名、大騒ぎしながら駆け寄ってくるところだった。



 会議室にも、鳴り響く警鐘は聞こえてくる。

 この城塞の主であるモノマキア伯爵が、アルマに詰め寄っていた。

「状況を把握しに行かねばならん!」

「オリヴィニスが、ここから出ては危険だと判断しているのです、伯爵。お命が惜しければ、この場に留まることをお勧めします」

 グランの言葉に、当主はきつい視線を向けた。

「巫子であるならば、それでもよいかもしれぬ。だが、アルマナセル殿、貴公であれば、この状況で命惜しさで閉じこもってなどいられるのか?」

 矛先を向けられて、僅かに怯んだ。

 彼の言い分も、充分判る。だが。

 十数分、押し問答をしていたところで、再び窓が開き、寒風が流れこんだ。

「どうした、オーリ」

 視線を向けた先で、頭からずぶぬれになっている青年を認め、呆れた口調でグランが問い質す。

「ちょっとね。ええと、サピエンティア辺境伯」

 明らかにこの騒動の源であろう風竜王の高位の巫子を、辺境伯がむっつりと睨みつける。

「ご令孫が、噴水に突き落とされました。すぐに引き上げましたが、水は冷たい。今、東翼の部屋でお休みになっています。行ってさしあげてください」

 一同が驚愕の叫びを上げる。顔色を変え、老人は立ち上がった。

「ペルル、よければご一緒して。アルマは二人の護衛に。気を抜くな、目の前にステラがいる気持ちでかかれ」

「余計なお世話だ」

 オーリの指示に小さく毒づいて、剣を納める。急いで席を立ったペルルと共に、老辺境伯の後について部屋を出た。

「悪いけどクセロ、この部屋の中の警備を頼む。人を出入りさせないようにしてくれればいいから」

「お前はどうするんだ?」

 グランの再度の問いかけに、ようやく視線を向けた。

「これだけ濡れてて、部屋に入れる訳がないだろう。ちょっと着替えてくるよ」

 見ると、青年の顔色は蒼白で、唇は紫色になっている。窓枠を持つ手が、目に見えて震えていた。

「そんな場合か! こちらに来なさい」

 有無を言わせずに、当主が命じた。暖炉の傍に椅子を引き出し、強引に青年を座らせる。自らの上着を脱ぐと、それに着替えるようにと言い渡した。

 おそらくは、事情を一刻も早く聞き出したいがために。

 肩を竦め、クセロは扉に向かう。入口から顔を出し、遠巻きにしていた召使を呼びつけて必要なものを持ってくるように告げた。


「水音が聞こえたんです。それに、子供の悲鳴が」

 やがて、届けられた毛布やタオルに包まって、ようやく人心地ついたか、オーリは口を開いた。だが、警戒しているのか、温かい飲み物は丁重に断っていたが。

 周囲を取り巻く貴族たちがざわめく。

「聞こえた? あの、会議のさなかに?」

 アルデアに訊き返されて、頷く。

「大人の声は聞こえませんでした。何かしら、よくないことがあったのだろうと思い、単純に私が一番早くそこに着けるだろうと判断したのです。途中、塔の中で見張りをしている兵士に警鐘を鳴らしてもらって、出入り口を閉ざしました」

 唖然として、人々が窓からまっすぐに見える小塔を見つめる。

「ここから? 一体何メートルあるというんだ」

「三十メートルほどでしょう。それから、噴水の辺りで子供たちが叫んでいたので、そちらへ跳びました。周囲に大人は一人もおらず、一人の子供が噴水の真ん中辺りで溺れていたのです。あの大きさはご存知でしょう。子供が、間違って落ちる場所じゃない。おそらくは、誰かに放り投げられたのではないかと」

 恐怖の声が、口々に漏れる。

 貴族たちは、家族を伴ってこの地へやってきている。他の誰かが標的になっていたかもしれないのだ。

「それで、門を閉ざしたのか」

「二、三分の遅れはありましたが、多分犯人があの場所から外へ逃げるだけの時間はない。おそらくはまだ城塞内にいる筈です。出すぎた真似をして、申し訳ない」

 小さく青年が頭を下げる。いやいや、と鷹揚に当主はそれを許した。

「そろそろここを出ても宜しいかな。色々指示をせねばならん」

「充分に護衛をつけて行動くだされば、伯爵」

 高位の巫子の許可を得て、アルデアは戸口へと向かった。

 残された貴族たちが、不安げにざわざわと囁きあっている。

 オーリが、視線をグランへ向ける。難しい顔で考えこんで、相手はそれをただ見返した。



 子供は、暖かな部屋で寝台に横になっていた。頻繁にくしゃみをして、身体がだるそうにしているが、意識ははっきりしている。周囲の貴婦人たちに慰められて、心なしか嬉しそうだ。

「グラロス!」

 サピエンティア辺境伯が部屋に入ってきたのに、子供が顔を輝かせる。

「おじいさま!」

 身を起そうとするのを、柔らかく止める。老人は、寝台の傍に膝をついた。

「あのね、おじいさま! 僕、風竜王の巫子様に救けて貰ったんだよ! 空をびゅーん、って飛んできて、凄かったんだ!」

 その時にはもう水に沈みかけていただろうに、子供は興奮に捕らわれて、今は恐怖はないようだ。

「そうか、頑張ったな」

 ゆっくりと、子供の頭を撫でる。

「宜しいですか?」

 小声で、ペルルが尋ねた。辺境伯の隣で腰を屈めている。

「姫巫女、椅子を」

 慌てて、召使が椅子を持ってくる。

「巫女様……?」

 驚いた顔で見上げるグラロスに、ペルルが微笑みかける。蝋燭の灯りに、銀のサークレットが(きらめ)いた。

 穏やかな声で静かに話しかけながら、ペルルはグラロスの手を取った。

「孫は大丈夫でしょうか、姫巫女」

 今まで見せていた、意思の強い老辺境伯、という顔とはまた違う、孫を気遣う祖父として、心配そうに問いかけてくる。

「充分にお強いお身体をお持ちですよ。一晩、風邪のような症状は出るでしょうが、暖かくしておとなしく休んでおられれば心配はいりません。念のために、少々竜王様の御力で護りを強めておきましたから」

「かたじけない」

 深く頭を下げ、そして彼はきっと顔を上げた。

「乳母はどうしている」

「控えの間におります」

 おどおどと、召使の一人が告げた。


「申し訳ございません、旦那様!」

 中年に差し掛かった乳母は、泣き腫らした顔を伏せて、辺境伯に慈悲を請うていた。

「何があったのか、話しなさい。それからだ」

 部屋を替え、乳母を呼びつけた老人は、厳しい声で言い放つ。

 ペルルとアルマは、こちらにも同行していた。椅子を勧められたが、アルマは護衛という名目でもあるので、傍に立っている。

「は、はい。あの、グラロス様が他の方々と午後からお庭で遊びたいとおっしゃいましたので、一緒におりました。そのうち、ハウスメイドが来まして、若奥様がお呼びだと言われたので、皆様で戻ろうとしたのです。が、一人だけで来るように、しばらく自分がお子様がたと一緒にいるから、と言われ、その通りに」

 乳母は、両手でエプロンの裾を掴み続けている。

「その呼び出しは本当だったのか?」

 主人が、更に問いかけた。

「いいえ、若奥様はそのようなことは頼んでいない、とおっしゃいました。不思議に思って戻ろうとしましたら、鐘が鳴り始めたのです。ああ、お気の毒なお坊ちゃま!」

 わっ、とエプロンに顔を伏して更に嘆き始める。

「ああ、判った。もういい。また話を聞くかもしれないから、しばらく休んでいなさい」

 ぐすぐすと鼻を鳴らしながらも、乳母が退出する。辺境伯は長く溜め息をついた。

「お見苦しくて申し訳ない。だが、あの乳母はもう八年も仕えてくれている。実直で、そして忠実だ。おそらく、犯人に利用されただけだと」

「判っておりますよ」

 穏やかに、ペルルが頷く。

 力なく少女を見る男は、この一時間ばかりで酷く老けこんだように見えた。

「……しかし、オリヴィニス殿はどうして孫の危機を知ることができたのだろう」

 ぽつりと呟く。

「オリヴィニスは風竜王の高位の巫子ですもの。聞いている世界が、私たちとは違うのです」

 さらりとペルルは告げた。

 聞いている世界、と辺境伯が呟く。

「それでも、彼はフルトゥナの巫子だ。我らカタラクタの民を救ってくれる義理などないのに」

「あら。全て、竜王に帰依するものは、どの国の民だとて私たち巫子が慈しみ、保護する民ですわ。国境など、関係ありません」

「そう……なのですか」

 疲れの中に驚きを滲ませ、男は問いかけた。

「ええ。私たちは、それを、グラナティスの姿より教わりました」

 嬉しげに笑んで、ペルルが告げる。

 サピエンティア辺境伯は、もの思わしげにしばらく沈黙した。



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