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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
人の章

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15

 翌朝、アルマとペルルはハウスメイドの案内で城塞内を歩いていた。

 窓の外は侘しげな曇り空で、風が小さく窓枠を揺らしている。

 やがて、ハウスメイドは一つの扉の前で立ち止まった。


 開かれた扉の向こう側は、サンルームとなっていた。大きく取られた窓枠が、壁一面に並んでいる。天井の半ばまでがガラス貼りで、天気がよければさぞ居心地がいいものと思われた。

 モノマキア伯爵夫人が立ち上がり、笑顔で二人を出迎えた。

 にこやかに挨拶を交わしながら、ざっと室内を見渡す。領主たちの夫人や娘、息子で総勢六名。一様に期待に満ちた視線でこちらを見詰めている。

 促されかけたのを素通りし、壁に背を向けた、窓から最も離れた椅子へペルルを導く。

「まあ、そのような奥にお座りにならなくとも」

「いいえ、こちらで」

 ペルルの手を握る強さを、僅かに強める。意味があると判ってくれたのか、彼女はおとなしくそこへ座った。アルマもその隣に腰を下ろす。

 絨毯を蹴る音が、微かに聞こえる。

「アルマナセル様」

 生真面目な顔で、パッセルが傍らに立った。

「あの、昨日は我儘を申し上げて、その、ごめんなさい。今日来て下さって、とても嬉しいです」

 懸命に、謝罪と感謝の言葉を述べてくる。周囲の貴婦人たちが、揃って微笑ましげに見詰めてくるのがいたたまれない。

「こちらこそ、お約束を反故にしてしまって、申し訳ない。許して頂けるだろうか」

 アルマの言葉に、驚いたように首を振る。

「そんな、僕、いえ、私が悪いのですから許すも何も」

「そう言ってくだされば、ありがたい」

 柔らかく答えて、手を差し出す。おずおずと、パッセルはそれを握った。

「さあさあ、仲直りが済んだらお茶にしましょうか」

 伯爵夫人の言葉に、ハウスメイドたちがてきぱきと動き始める。

 傍の椅子に座ったパッセルは、純粋に憧れを(こご)らせたような視線を向けてくる。

 周囲を伺うと、貴婦人たちの半数以上が時折欠伸をかみ殺していた。

 このお茶会の習慣は長くは続かない、と言ったアルデアの言葉に、アルマはただ縋っていた。


 しかし、その目論見は甘かったとしか言いようがない。

 翌日のお茶会には、新たに郷司の夫人や息女が五人同席する。

 そして、その翌日には実に十二人も増えていたのだ。


「……無理だ……!」

 彼らの居間に帰ってきて、ソファに倒れこむ。

「大丈夫ですか、アルマ」

 気遣わしげに、ペルルが傍らに座った。

「……苦手なんですよ、こういうの」

 ぼそり、と呟く。

「え、でも、舞踏会もお茶会も、以前にイグニシアに入った直後に招待された晩餐会も、流石に大公子の振る舞いだと思っていたのですが」

 訝しげに返されて、更に疲れた息を吐く。

 ペルルに泣き言を言いたくはなかったが、かなり限界だ。

「長期間は厳しいんです。いつ、どこから攻撃を受けるか判らないから、神経を張り詰めていないといけない。窓越しに矢を放たれるかもしれない。食物に毒が入っているかもしれない」

 お茶会は午前中に催されることもあり、昼食の時間より前には解散となる。それだけが、僅かに救いだった。

 とは言え、午後からはあの激論が交わされる会議に出席しなければならないのだが。

 それが三日続き、酷く神経がすり減ってしまっている。

「……まあ、流石にこの城塞でそこまで露骨なことはないにせよ、いつ足を引っ掛けられるかとかいきなり突き飛ばされるかとか紅茶を頭上でひっくり返されるかとか焼き菓子の中に虫が」

「君は本当に不憫だな……」

 追い詰められた表情で続けるアルマに、少し離れたところにいたオーリが、耳聡く話を聞きつけていたのか、呆れた声で割りこんでくる。

「何だよ。仕方がないだろう、貴族ってのはそういうもんだ」

 眉を寄せ、不機嫌に返す。

「あー、いや、こういうことを言うと気の毒だとは思うけど。それ、多分、普通じゃない」

「……は?」

 眉間の皺が、更に深くなった。

「確かに、そういう境遇にいる貴族が他にいないとは言わないさ。だけど、そういうことには理由があるものだろう。君が、イグニシアの宮廷で酷い目にあっていたのは、大公家の嫡子だったからだ。違うか?」

「違わないよ」

 僅かに憐憫をむけられたのを感じて、視線を逸らせる。

「イグニシアでも、そういう理由がない貴族は、多分そんなに張り詰めないでも生きていけるものだよ。そして、ここはカタラクタだ。カタラクタで、君がそんな目に会うだけの理由があるのか?」

 思いもしなかったことを言われて、数度瞬く。

「え……。じゃあ、普通の貴族って、刺客を用心したり毒殺の心配をしたりすれ違いざまに腹を殴られたり階段から突き落とされたり靴の中に虫を」

「多分普通はそこまで酷くないと思うけど」

「角を切り落とされそうになったりとか」

「うん確実に君だけだね」

 少し嫌そうな顔で、オーリが判断する。

 愕然として、アルマが俯く。

「なんてことだ……。世の中の貴族は、何でそんなぬるま湯で暮らしていけるんだ?」

「私に訊くなよ。貴族じゃないんだから」

 そろそろ面倒になったのか、オーリは投げやりに返してきた。

 きょとんとしてそのやりとりを見守っていたペルルが、小さく笑い出す。

「姫巫女?」

 訝しげに、オーリが視線を向ける。

「いえ、それでは、お茶会で部屋の奥まった席に座るのはそのせいですか?」

「え、あ、はい。外から中が見える窓に背を向けるのは危険ですから」

「お茶を手ずから淹れてくださるのも、私よりも先に自分のカップで飲むのもですか?」

「はい」

「ひょっとして、私たちに話しかけてこられる方をじっと見詰めているのも?」

 この辺りを尋ねられなければならないほど、自分は世間と乖離(かいり)しているのか。

 呆然としつつも、頷く。

「私を護っていてくださったのですね。ありがとう、アルマ」

 だが、嬉しそうに笑いながら礼を言われて、少しばかりほっとする。

「まあ、ペルルに何かあっても困るから、その用心は構わないけどさ。君、よく伯爵夫人に不愉快に思われなかったね」

 その辺りのことは、ひょっとしたら警戒しているとすら気づかれてないかもしれないが。

「相手が女性や子供だからって、気を許せなかったんだよ。俺が覚えている限り、人生で一番最初に身の危険を感じたのは三歳の時。相手はステラだった」

「……ああ……」

 その名前だけで危機感を共有してくれるのが、嬉しいというか侘しいというか、何やら複雑な気持ちである。

「ていうか、彼女、その時五歳じゃないのか? なんて言うか、凄いな」

「俺がお前に心底同情する理由が判っただろ?」

「思い出させないでくれ」

 疲れたように、オーリが制止する。

 その時に、奥の扉が開いてグランとクセロ、プリムラが現れる。もう数十分で昼食になるからだろう。

「酷ぇ顔色してるぜ、旦那」

 クセロがこちらに目を止め、眉を寄せて告げる。

「今、世間一般の貴族は随分と温い生活をしてるらしいって知ってショックを受けたところなんだよ」

 皮肉げに返す。視線はむしろグランに向いていた。幼い巫子は、全く気にした様子もなかったが。

「ああ、まあ、悪いけど貴族ってのは危機感が低いよな。この間から声をかけてくる女中たちも思ったほど腕がよくないし」

「…………は?」

 さらりと同意したクセロに、視線が集中する。その反応に虚を衝かれたか、男は軽く周囲を眺め渡した。

「言っておくけど、毎晩じゃないぞ。五日泊まったうちの、ええと、三日、か」

「三日? 夜? お前……!」

「腕がよくない、っていうのは、ちょっと失礼な評価じゃないかなぁ」

 激昂しかけたアルマを遮って、のんびりとオーリが返す。

「危機感の話をしてたんじゃなかったか? 夜に、一応とはいえ主人の客にコナかけて押しかけた上に満足に殺しもできないようなのを雇ってるんじゃ、そりゃ腕が悪いって言ってもいいだろうよ」

 少しばかり憮然として、クセロが反論した。

「殺し?」

 眉を寄せ、グランが繰り返す。

「物騒な話をしていたんだっけ?」

 視線をアルマに向けて、風竜王の巫子は訊いてきた。だが、アルマは、突然の話に頭がついていっていない。

「クセロ。順を追って話せ」

 短く命じて、グランは手近な椅子に腰掛けた。立ったまま、金髪の男は肩を竦める。

「最初は、舞踏会の晩だ。適当に寝静まったら屋敷の中を探索しようと思って、仮眠を取るつもりだったんだよ。そしたら、部屋の近くでその女中が待ち構えててさ。金は取らないって言うし、まあいいかと思って部屋に入れた訳だ。で、いろいろあって、その女中に殺されかけた、と」

「はしょりすぎだ」

 不機嫌に、グランが要請する。

「これでも言葉を選んでんだよ。どこまで詳しく話せばいいんだ?」

 ちらりと子供たちを見やって、クセロが返す。

「殺されかけた、っていうのが君の勘違いでは、ない?」

 オーリが誘導をかける。

「心臓にナイフを突き立てられかけて、勘違いだと思えるほどおめでたくはねぇよ」

「心臓? 三日ともか? それは流石に迂闊すぎないか」

 僅かに呆れた風で、青年は尋ねた。

「いいや、ナイフは一日目だけだ。二日目は何にもなし。三日目の女中は特に何もしてこなかったし、四日目は首を絞めかけてきたかな。昨夜は寂しいもんだった。ちなみに、全員違う女だ」

 指折り数えながら、説明する。

「……クセロ! お前、もう少し巫子としての心構えとかないのか!」

 ようやく話の内容から立ち直って、アルマが怒鳴りつける。しかし、クセロはそれを面白そうに見返してきた。

「よせ、アルマ。こいつが、型通りの巫子になることを期待していた訳じゃない」

 ぞんざいに、グランが諫める。

「クセロは趣味が悪いからねぇ。女癖が悪いのはもう仕方ないにしても、せめて相手を選べばいいのに」

「いやそういう問題じゃないだろ……」

 プリムラが呆れた顔で感想を述べるのに、酷く疲れた心持ちでアルマが呟く。

「え、でも、性格の悪い女をとっ替えひっ替えするのと、性格のいい女をとっ替えひっ替えするんだったら、どう考えても性格のいい方がよくない?」

「……だからそうじゃなくてな」

 ロマに育てられた少女が、あっさりとそう説明する。どう反論したものか、と悩むアルマは、そこで更に言葉を遮られた。

『うむ。繁殖するのはよいことじゃ。大いに民を増やすがいいぞ』

 気配もなく巫子の頭の上に現れた地竜王が、満足そうにそう告げてくる。困ったような顔で、クセロがそれを見上げた。

「あー、いや、おれは厳密に言うと繁殖には興味がねぇんだよ、おやっさん」

『なんと。では、何故あのような』

「プリムラ。ペルルと一緒に部屋に戻っていろ」

 皺の寄った眉間に指を当て、グランが命じる。

「え、でももうすぐお食事」

「用意が整ったら部屋まで呼びにやらせる。いいから言う通りにしておけ」

 プリムラの言葉に、有無を言わせずに再度命令する。今度はおとなしく、プリムラはペルルの傍に向かった。顔を真っ赤にさせて俯いていた姫巫女が、そそくさとその場を立ち去る。

 扉が閉まるのを確認して、グランは視線をクセロに向けた。

「それで、その相手をどうしたんだ?」

 クセロが僅かに視線を逸らせた。

「取り押さえて色々問い質してる間に気を失ったから、ちょっと離れた建物の中に置いてきたんだよ。おれと関係づけられたら困るだろ」

 グランが頬杖をつき、じろりと金髪の男を睨め上げる。

「クセロ。痴情のもつれでもなかったら、僕にちゃんと報告しろ」

「いやでも女中が尻軽だなんてよくあることだし」

「ねぇよ!」

 アルマが反射的に怒鳴る。

「旦那は世間知らずだからなぁ」

 だが、軽く笑っていなされた。

「でもその相手に六割の確率で殺されかかる、っていうのはそうそうないよね」

 オーリの呟きに、クセロは僅かに怯んだ。

「それで何を聞き出せた? 命じた奴の名前は?」

「その辺りは流石に口が固くてな。まあ、使命も果たせずに放り出されちまったら、もう殺し屋としても信用がなくなるだろ。特に騒ぎにもなっていないし、適当に始末されちまったんじゃないか?」

 軽く、クセロが返す。その言葉の内容に、アルマは息を飲んだ。グランが溜め息を漏らす。

「お前は、自分が殺されかかったということをもっと重く見ろ。例えば、標的が僕だったとしたらどう対処する?」

「そりゃ、生皮を剥いででも吐かせるし、その後で一寸刻みで殺してやるさ」

 あっさりと、そう返す。

「お前は今、それと同じぐらい重要な位置にいるんだ。巫子として型通りのことをこなせなんて言うつもりはないが、せめてもう少しその身は重要視してくれ」

 不愉快な、腑に落ちないような表情を浮かべて、それでもクセロは無言で頷いた。

「おそらく領主が噛んでいるということはないとは思うが、黒幕が判らないのは困るな」

 僅かに空中を見上げ、グランは呟く。

「幾らかは推測できるだろう。イフテカールの手は、酷く長い」

 オーリが苦々しげに呟く。

「まあそれは確かに最も疑わしいところだが。今集まっている貴族の中に不満分子がいる可能性も高い。お前に声をかけてきた女の素性を洗いたいところだが、お前自身が嗅ぎ回る訳にもいかんしな」

 じろり、とクセロに視線を向けて、あてこする。

「おれは別にやってもいいぜ」

 だが、男は悪びれもせずにそう告げた。

「いや。いい。トルミロスへ手を回させよう。後で竜王兵を寄越させるから、女の特徴を洗いざらい教えておけ」

「結局、ここでも用心を続けなくちゃいけないらしいね。今までの心構えが無駄にならなくてよかったじゃないか、アルマ」

「嬉しくねぇよ」

 不愉快さに眉を寄せて、アルマが愚痴った。




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