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いつか、竜の舞う丘で。  作者: 水浅葱ゆきねこ
水の章

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10/252

09

 翌朝、アルマが馬車まで歩いていくと、既にそこにいたノウマードはマントを身体に巻きつけ、じっと山を見つめていた。

「どうした?」

「山と言うのはつくづく驚異だと思っているところだよ」

「大袈裟だな」

 苦笑して、自分も見上げる。

「ロマは草原の民だ。山には馴染みがない」

「草原に住まなくなって三百年経ってるだろ」

 腫れ物に触るようにこの話題を避けていても仕方がない。この吟遊詩人とは、もう一月も共にいるのだ。

 青年は僅かに苦笑した。

「これだけの土の塊が目の前にある、というのは、本当に圧倒される。うん、自分で体験しないと実感できないこともあるんだね」

 そして強ばった身体をほぐすように肩を回し、自分の馬に跨った。

「そんなものかねぇ」

 一方、全然ぴんとこない表情で、アルマは呟いた。


 往きの行軍では、アルマは司令部に所属していた。近くにいたのは騎馬ばかりで、歩兵や荷車がどうやって山を越えたのか、彼は全く見ていない。

 今回、自ら兵を率いてみて実感したが、山道は思った以上に手強かった。

 平地のように石畳で舗装されていないのが一番きつい。轍の残るでこぼこした土や、ごつごつと尖った石の先を足の裏に感じながら登る歩兵は、目に見えて苦労している。

 荷馬車も、その重量から背後に引き摺られそうになりながら懸命に進んでいる。

 平地とさほど変わらないのは、騎乗している者ぐらいだ。

 午後遅くになって、平地へ出た。元々ある程度ゆるい勾配だった土地を、何十年もかけて切り開き、この山を通る旅人が楽に夜を越せるように整備した場所だ。

 尤も、通行規制を強いている今は、アルマの隊しかいないが。

 このような場所が、この山脈には道に添って数箇所ある。



 山道に入って、二日目の深夜。

 アルマが寝床に入るまで、全く何の異常も見られなかった。

 いつものようにペースを保って行軍し、野営地を設営し、仕官たちと顔を合わせて夕食を摂る。

 ノウマードは物珍しげに周囲を見回し、陽気に歌を披露する。

 ペルルは相変わらず口数が少なく、うかない表情を崩さない。

 一つ溜め息を落として、アルマは寝台に横たわって瞼を閉じた。

 そして。


「敵襲です、アルマ様!」


 今、腹心から乱暴に叩き起こされていた。



 反射的に上体を起こす。天幕の向こう側が、赤く染まっていた。

「何があった!」

 上掛けを撥ね除けながら怒鳴る。

「火をかけられました。それから、狼が野営地内を走り回っています!」

「はぁ?」

 エスタの報告は、簡潔だが要領を得ない。とりあえず寝間着のまま、ブーツに脚を突っこんだ。エスタが紐を結んでいる間に、頭に布を巻き直す。適当に一周させただけで、余り布が腰の辺りまできてしまうが、まあ仕方がない。

「アルマ様、とりあえず避難を……」

「そんなことができるか!」

 マントを肩にかけながら、天幕を飛び出す。

 炎が、天を焦がしていた。


 燃えている場所は、やや遠い。

 兵士たちの命令や罵声、獣の吠え声、馬の嘶きが響いている。数頭は綱が切れてしまっているのか走り回っており、それを止めようとする者や踏み潰されないように逃げ回る者で野営地は大混乱だ。

 どうすればいいのか、必死に考える。

 雷鳴で怯ませる、ということもできるが、それでは狼だけでなく馬も驚き、更に逃げまどうだろう。

 他の対処法も、一長一短だ。決め手にかける。

「アルマ!」

 眉間に皺を寄せているところに、声をかけられた。横手からノウマードが駆け寄ってくる。

「何があったんだ?」

「襲撃された、と聞いてる。……お前は、やけに身支度が整ってるな」

 じろりと睨めつける。

「寝間着を持ち歩くほど荷物に余裕はないよ」

 あっさりと着たきり雀であることを告白して、ぐるりと周囲を見渡した。

「しかし大騒ぎだね。どうするんだい?」

「地道にやるしかないだろう。火を消して馬を宥めて狼を殺す」

「……時間がかかるし、被害が大きくなるよ」

「他に手があるのか?」

 苦々しく言い放つ。んー、と唸って、ノウマードは上着の胸元に手を入れた。

 取り出したのは、掌に入るような小さな笛だった。

「アルマ。君、音を選んで増幅させることはできる?」

「あ? ああ」

 訝しく思いながらも肯定する。

「じゃあ、この笛の音だけを増幅してくれ。野営地の端まで、大音声で届くように」

「お前、アルマ様になにをさせようと……!」

 ノウマードの無遠慮な言動に我慢できなくなったのか、エスタが怒鳴りつける。

「それができたら、狼だけは早めに何とかできるよ」

 しかし飄々と青年は答えてくる。

 視線の先に、狼の影が駆け抜けていく。

「判ったよ。やってくれ」

 短く告げて、すぅ、と息を継ぐ。

「響け絶風」

 少年の声が終わると同時、ノウマードがその声量に裏打ちされた息を、一気に笛へと注ぎこんだ。

 しかし、笛からは何も聞こえない。

「おい……」

 揃って問いかけた主従を、空いている手で制し、指を一本立てる。

 そしてもう一度、大きく息を吸いこんだ。


 傍若無人に野営地を駆けていた狼が、不意に足を止めた。神経質に耳を動かしている。

 ざあ、と風が流れて、狼は鼻の頭に皺を寄せた。

 離れた位置で、仲間たちが子犬のような情けない鳴き声を上げている。

 顔を上げ、長く吠える。

 そして身を翻し、彼らは安全な森の中へと駆けこんでいった。



 近くにいた一頭の狼が、きゃんきゃんと鳴きながら逃げていくのを、呆然として見送る。

 笛から口を離し、ふぅ、と息をついたノウマードを見上げた。

「何やったんだ? お前……」

「これは、野犬避けの笛なんだよ。大人数で移動するならまだしも、少人数だと襲われやすいからね。人間には聞こえないけど、犬には聞こえて、しかも我慢できないぐらいに不愉快な音が出るらしい。私も聞いたことはないけど。音が遠くまで響いたのは君のおかげだ」

 説明して、再び笛を大事にしまいこんだ。

「……一応俺が指揮官だからな」

 ぶっきらぼうに言って、エスタに視線を向ける。

「テナークスを見つけてきてくれ。現状の報告が必要だ」

「しかし……」

 ちらり、とノウマードを見る。主人の傍を離れるのが不安なのだろう。だが。

「こいつに伝令を頼む訳にはいかないだろ。ここにいるから、早めに頼む」

「はい」

 更には反抗せず、エスタは素早く踵を返した。まだ混乱の続く野営地へと入りこんでいく。

「……そう。大人数なら、大丈夫な筈なんだ……」

 小さくノウマードが呟いていた。

 百歩譲って狼の来襲だけならまだしも、炎が上がっている。人の仕業だ。

 エスタは、敵襲だと告げていた。

「……アルマ」

 ノウマードの声にも負けないほど早く、アルマは地を蹴った。ペルルの天幕は、さほど遠くない。

 天幕の傍に、見張りの兵士の姿はなかった。入口から、焦りながらも声をかける。

「ペルル様! ご無事ですか?」

 返事はない。ペルルも、侍女も。

 この騒ぎが聞こえていない訳がないのに。

「……失礼!」

 入口にかけられた布を払いのける。布で二つに仕切られた天幕の、入口側の部屋に侍女が一人倒れていた。

「大丈夫か?」

 駆け寄り、肩に手をかけた。目を開けないが、呼吸は確かだ。

「アルマ!」

 一瞬の躊躇いも見せずに仕切の布を開き、奥の部屋を目にしたノウマードが叫ぶ。

 寝台の傍にもう一人の侍女が倒れ、そして天幕の分厚い布が切り裂かれていた。

 ……水竜王の姫巫女の姿は、どこにもない。


 罵声を上げながら、切り裂かれた天幕を抜ける。

 おそらく、賊は真っ直ぐに森へと向かった筈だ。一直線にそちらへと走る。

 毒づき続けるアルマを、険しい表情でノウマードが睨んだ。

「静かにしてくれよ。何も聞こえないじゃないか」

 とっておきの悪態を一つ二つ呟いてから、口を噤む。

 夜中の森の中は、何も見えない。実はアルマはかなり夜目が利くが、それでも木々の姿がぼんやりと見分けられるぐらいだ。ノウマードはそれこそ鼻を摘まれても判るまい。

「俺が先に立つ。肩にでも捕まってろ」

 不満そうな気配はあったが、大人しく青年の手がアルマの肩に触れた。



 テナークスを探し出すのは、さほど時間をかけなくても済んだ。彼自身の天幕のすぐ傍で、状況の把握や兵士たちに指示を出していたからだ。

 突然狼たちが逃げ出して行ったことを訝しんでいる彼らに、エスタは『アルマナセルの命令で』あのロマが野犬避けの笛を吹いたことを告げる。

 その後、得心したテナークスをただ連れて戻ってくればよかったのだが、連絡を集結させる場所をここからアルマのいる場所へと変更するという指示を徹底させるのに、しばらく時間を取られる。

 しかも、副官を急かして走らせる訳にもいかない。彼は丁重な態度を貫いて、ようやく主人の待っている筈の場所へと辿り着く。

 しかし、年若い指揮官はそこから忽然と姿を消していた。




 慎重に、闇の中を進む。

 何も見つからない。何も聞こえない。

 森に入ってから、向かう方向を変えたのか。そもそも、ペルルを連れ出してから真っ直ぐ森に向かった訳ではなく、歩きやすい山道を下っていったのではないか。

 数々の可能性が、絶望感を伴って胸を去来する。

 水竜王の姫巫女。ペルル。

 まだ幼い少女の、毅然とした表情。好奇心に満ちて見つめてくる瞳。穏やかな笑顔。

 最後に見たのは、そのどれでもなかった。

 奥歯を噛みしめて、下り気味の地面を踏みつける。

 どれほど進んだのか、やがて、ノウマードの手がきつく肩を掴んできた。押し殺した声が漏れる。

「声を出すな。足音にかなり近づいた。やや右手だ。獣じゃない。複数の、二本足の歩き方だな。……これ以上進んだら、多分私たちの足音で気づかれる」

「聞こえてたのかよ」

 安堵と苛立ちがないまぜになって、殆ど口の中だけで呟く。が、青年にはそれもやすやすと捕らえられていたらしい。

「森に入った辺りで静かにしてくれって言ったじゃないか」

 呆れたように返されて、とりあえず更に文句を口にするのは後回しにする。

 二人とも、森を行くのは慣れていない。落葉が進むこの季節、足音を立てずに歩くのは昼間でも至難の業だ。

「……お前、弓は持ってたな。奴らに届く距離か?」

 野営地で見た姿を思い出して、低く囁く。

 ちなみに、アルマは丸腰だった。寝起きで、着替えもせずに慌てていたとはいえ、迂闊である。

「届くだろうけど、この暗さで弓は引けないよ。的が判らないどころか、彼女に当たりかねない」

 当然の懸念を告げられる。しかし、アルマは不敵に笑んだ。

「暗くなきゃ、いいんだろ?」



 月のない夜だったのは幸いだ。冬が近い今でも、木の下闇は深い。

 彼らは行き慣れた道を歩いていた。獣道と大差ないが、充分だ。山に慣れない、しかも余所者には見たところでそこに道があるなどとは気づかれまい。

 ほんの、三人。暗闇に紛れて敵軍へと近づき、騒ぎを起こし、娘を一人攫って帰ってくる。地の利を得ていなければできない仕事だった。

 そして今、無言で、足音も立てずに山を下りている。

 油断など、一切していなかった。そんな猟師は長生きできない。

 なのに。

 背後から、突然真昼のような光が降り注いできて、男たちは反射的に振り向いた。


 あり得ない。

 真夏の、中天に差しかかった太陽を直接見た時のような強い光が、彼らを照らし出していた。当然、それに眼が慣れることもなく、男たちは空いている手で眼を庇う。

 一体何故、こんな真夜中に、こんな光が。

 こんなこと、ある訳がない!

「よぅし、そのままだ。少しでも動いたら、その心臓を射抜いてやるからな」

 まだ若い、しかし命令することに慣れた声が発せられる。次いで、これ見よがしに弓を引く時の軋みが響いた。

「た、救けてくれ!」

 一人が、混乱に耐えられなくなったか、哀願の声を上げた。

「お前たちが野営地に襲撃をかけたんだな? 少女を一人、拉致しているだろう。どこだ」

 一列に並んで歩いていた、真ん中の男がびくり、と身体を震わせた。その太い腕で、大きな麻袋を小脇に抱えている。

「……それか。丁寧に、彼女を下ろせ。怪我をさせていなければ、生命(いのち)だけは救けてやる」

 男の額に、脂汗が滲む。息が荒い。

 恐慌状態に陥った男は、支離滅裂な喚き声を上げながら、固く眼を閉じ、両手で麻袋を高く持ち上げた。


 背後に強い光球を浮かべ、男たちを見下ろす。直接目にしなければ、光はさほど影響はない。だが、相手からはこちらの位置はよく掴めないだろう。

 できるだけ刺激しないように話していたつもりだが、一人の男が、喚きながら抱えていた麻袋を持ち上げた。

 ノウマードが息を飲む。

 高さは、地面から二メートル近くになるだろう。しかも斜面地で、森の中だ。袋の中から外の様子は窺えない。状況も判らず、ひょっとしたら意識がないまま、力任せに叩きつけられたら。

 だが、男に向けて矢を射ることは、牽制にはならない。むしろ逆だ。

 迷い、動けなくなった青年を制するように、アルマは片手を腕に置いた。

 そして。


「花開け、氷柱」

 低く命じた言葉に応じ、男たちの足元から腰まで、そして麻袋を持つ男の肘の辺りが煌めく氷の塊に覆われていた。

 ひやりとした空気が、ノウマードたちのいる辺りまで流れてくる。

「うぁああああああああっ!?」

 今度こそ恐慌に襲われて、三人の男たちは悲鳴を上げた。


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