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Lv.2

 からりと音を立てて教室の扉が開いた。私は入口を見て、それから壁掛時計に目をやる。楽しい時間がすぎるのは本当に早い。


「……染谷?」


 扉に手を掛けたまま眉を顰める綾香あやかちゃん。染谷くんに失礼だ。


「お疲れ様。ごめん、綾香ちゃん」

「おっつー」


 しかし寛容な染谷くんは気にすることなく笑った。

 綾香ちゃんの母親は私の叔母だ。しかし私達は血が繋がっていない。綾香ちゃんの実母は早世していて、後妻となったのが私の叔母だった。母と叔母は仲のいい姉妹で、丁度叔母の隣家が売りに出された時、私の母にその話を持ち掛けた。叔母が結婚してすぐのことだ。母の熱意に負けた父は、意を決して家の購入に踏み切った。冬守家には一軒家を一括購入出来る蓄えはないので、現在も住宅ローン返済中だ。

 私はいつも、部活が終わる頃に教室の戸締りをして、校舎の外のベンチに座って綾香ちゃんを待っている。教室にいてくれていいと綾香ちゃんは言うが、私はベンチでぼんやりしているのも好きなので断った。今日は私が時間に気付かず教室にいたので、迎えに来てくれたようだ。


「何してるの」


 普段よりも低い声で綾香ちゃんは尋ねた。その目は静かに染谷くんを捉えている。染谷くんが何かを言う前に私は答えた。


「勉強を教えてもらってる」

「そうじゃなくて」


 つかつかと大股で歩み寄ってくる綾香ちゃんは、表情や声色から伺えるように、不機嫌だ。目鼻立ちの整った綺麗な顔の綾香ちゃんが怒ると、周囲の温度が下がったように感じる、らしい。私にはよく分からないが、みんながそう言うので、きっとそうなのだろう。


「まあまあそんなに怒るなよ。明日世界が終わるとでも?」


 両手を肩の横まで上げて、大袈裟に頭を振る染谷くん。綾香ちゃんは無言で見つめ返す。長い時間を空けることなく、染谷くんは腕を組んで次の冗談を口にする。


「落ち着けよハニー。折角の可愛い顔が台無……しじゃないありありあり!! 冗談冗談!」


 しかしそれは地雷だった。

 すっと目を細めた綾香ちゃんに、染谷くんは慌てて謝罪して降参のポーズを取る。そして目線で私に助けを求めた。

 涼しげな瞳を縁取る長い睫、傷んだ様子のない黒髪、細身の体躯に長い手足。どこか鋭く冷たい印象のある綾香ちゃんを見れば、十人中七人は綺麗と称するだろう。残りの三人はかっこいいと言う。染谷くん同様に何でもそつなくこなす、誰もが一目置く美形。しかし本人は自分の造作が嫌い。「綺麗」はともかく「可愛い」と称されることも嫌い。


「ご機嫌斜めだね」

「そりゃあもう」

「私は染谷くんの相談に乗って、そのお礼に勉強教えてもらってる。ごめんね、怒ってるのは私が遅かったからだよね」

「いや、それはない」


 俯いて溜息を吐き、更には片手で顔を覆った綾香ちゃん。数秒そのままで、再び顔を上げると、いつものような笑みが浮かべられていた。


「じゃ、帰ろうか、咲。染谷はどうする?」

「俺も帰るわ。つーか下校時間過ぎてね?」

「部活生が何の冗談?」


 窓の鍵は閉められていたので、私達は電気を消して教室から出る。先程の空気が嘘だったかのように、職員室までの道のりに無音が訪れることはなかった。話題は主に、ラーメンが食べたいだとか、牛丼がいいだとか。ちなみに、染谷くんはアーモンドチョコ以外に嫌いな食べ物はない。好きな主食は米類。


「ああそうだ染谷」


 正門で別れた直後、綾香ちゃんは染谷くんを振り返ってニッと笑う。


「次可愛いとか言ったら、見えない部分を全力で殴る」

「お、おお……肝に銘じとく」

「足りない。五臓六腑に銘じとけ!」


 それはちょっと気持ち悪いと思った。

 時刻は八時近いが、空はまだ少し明るい。


「お腹空いたなあ」

「そうだね」

「ラーメン食べたいなあ。うどんでもいい」

「そっか」


 どこどこのラーメン屋が気になる、と語る綾香ちゃんは活き活きとして楽しそうで、やはり数分前の面影は見られない。昔の綾香ちゃんは、もっとあからさまに染谷くんを嫌っていた。何が気に食わないのか聞いても、それだけは教えてくれない。


「土曜日暇なら何か食べに行こうよ」

「分かった。そういえば綾香ちゃん」


 出掛ける話を聞いてふと思い出す。高校生は無論、中学生も、あるいは小学生だって。


「付き合うことにした?」


 一緒に出掛けるのなら、恋人の方がいいだろう。その考えは私の思い込みだろうか。


「…………は?」

「体育館で、今日綾香ちゃんに告白するって言ってた人、見たから」


 顔を顰めて綾香ちゃんは黙りこくった。事実のようだ。そして反応から察するに、どうやら断ったらしい。同学年であり、それなりに人気のある人だった。綾香ちゃんの隣に立っていても何ら違和感のなさそうな。恋人を作らない綾香ちゃんに告白したのだから、胆力もあるのだろう。

 会話が途切れる。私はそれでも構わなかったけれど、綾香ちゃんが不快そうなのですぐに話題を替える。


「そういえば、土曜日、何時に家を出るの?」

「あー……いつもみたいに十時くらいで大丈夫?」

「うん、大丈夫」

「映画も見よう」

「うん」

「あと買い物も行こう」

「そうだね」


 別にいい。

 モデルと言われてもおかしくない顔立ちなのにもったいない。私がそう思うだけ。人それぞれ幸福の形は違う。私は染谷くんが好きで、彼が幸せになれるのなら死んでも構わないと思っているけれど。綾香ちゃんは色恋沙汰に興味がないのだろう。独身貴族という言葉があるほどだ。綾香ちゃんが幸せなら私はそれでいい。


「ほしいものあったら何でも言って、買うからさ。いつものお詫び。ごめんね?」


 労わるような面持ちで綾香ちゃんは私を見た。このやりとりは昔からやっている気がする。


「じゃあ、フェルトと針」

「何するの?」

「手芸。ちょっと気になってて。道具が小さいから、学校でも出来るよ」

「ふーん」


 一緒に登下校をしたい。

 それは綾香ちゃんの希望だった。小学生の頃から登下校は一緒だったが、高校生になって綾香ちゃんは生徒会に入った。自然と下校時刻がずれるため、改めてそう告げられたのだ。確かに言われなければすぐ帰宅するだろうけれど、特にやることはない。私はどちらでもよかったのだが、綾香ちゃんは申し訳なく思っているらしい。

 無心しているように感じて、最初は断っていた。しかしそれだと、綾香ちゃんは適当に何かを買ってきてプレゼントしてくれる。人形や雑貨、服にアクセサリー、鞄、財布。

 むしろ安上がりなものを頼んだ方がぐっと金額は下がることに気付き、それ以来ありがたく頂戴している。綾香ちゃんが選んで買ってくるものは、どれもこれも高いのだ。金額が四桁以下であることはほとんどない。それに比べて市販の羊毛フェルトの安いこと安いこと。


「それ、何が作れるの?」

「人形とか、刺繍とか、ストラップとか」

「へえ……」


 綾香ちゃんは自分が可愛いと言われるのは嫌いだが、可愛いものを目の敵にしているわけではない。現に、綾香ちゃんの携帯には、私とお揃いのストラップが付けられている。


「上手く出来たら、貰ってくれる?」

「……うん、嬉しい。ありがと」

「いつになるか分からないけど、どういたしまして」


 道具から材料まで綾香ちゃんのお金で揃えるのに、ありがとう、どういたしましてというやり取りには引っ掛かるものがあるけれど。綾香ちゃんが目を細めて綺麗に笑ったので、私は気にしないことにした。


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