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冬守ふゆもり、今ちょっと時間いいか?」


 私が放課後、教室に残っていることは、それなりのクラスメイトに知られている。私は宿題を進める手を止めて教室の入口を見た。そこには染谷そめやくんが立っていた。

 染谷くんは暗い茶色の髪と、目力のある黒い目を持っている。肌は日に焼けていて、笑った顔は見ている人まで元気にさせる。現クラスメイトの他、小学校から高校まで同じ進路である彼。しかし接点は薄く、一クラスメイト以外の何者でもない。気まぐれに染谷くんが話し掛けて、軽く会話するくらいか。こんな人気のないときに、染谷くんが部活を休んでまで私に聞きたいことなんて簡単に予想が付く。

 内心激しく肩を落としながら、しかしそれを一切感じさせない態度を心掛けて返事をした。


「何?」


 嬉しそうに笑って、染谷くんは歩いてきて私の席の前に座った。


「冬守って頭いいじゃん?」

「……こんなに正面から嫌味言われるのは久しぶり」

「いやいやそうじゃなくてさ! 植物とか薬とか、詳しいだろ?」


 染谷くんは少し焦ったあと、穏やかな微笑を浮かべた。思わず「窓に背を向けて立ってほしい」と言いそうになり、私は彼から目を背けた。夕暮れを背負った彼は、きっとどんな美男美女よりも絵になる。微かに伏せられた双眸が漂わせる哀愁と、その奥に潜む確固たる意思、引いてはそれを成し遂げるためには手段を選ばないであろう強引さ。

 一言で表すならば。

 闇、だろうか。


「例えばさ。睡眠薬って、どのくらい飲めば死ぬ?」


 ああ、本当に残念だ。


「死なないよ。市販の錠剤は安全なものばかりだから。それで病院に連れて行かれたら、浣腸されて終わり」

「浣腸!? うわあ……」

「楽な死に方でも聞きに来たの?」


 少年漫画では主人公、少女漫画ではクラスの人気者として登場するような、典型的な美形。更には頭脳明晰、スポーツ万能、話術も巧みで気も利くという完璧ぶり。こうして染谷くんの長所を挙げると、あまりにも現実離れしていて笑いそうになるが、ともかく彼を嫌う人間はいないのではないかと思う。

 実際はそうではなく、少なくとも私の幼馴染と、彼自身は「染谷冬護そめやとうご」を好いていないようだが。


「さっすが冬守様! 話が早くて助かるわあ」


 染谷くんはわざとらしく手を摺り合わせて笑った。


「人に迷惑を掛けるのは嫌なんだね」

「え、何で知ってんの!?」

「だって、飛び降り自殺とか。楽そう」


 確かに痛みは小さい。高さ二十メートル以上の場所(これは最低高度であり、可能ならもっと高い場所が好ましい)を見付け、そこから飛び降りるだけと手間も少ない。しかし潰れた死体を片付けるには清掃員を呼ばなくてはならず、費用は家族の負担となる。噂が広まればその建物は曰付きのものとなるだろう。更に、飛び降り自殺の場合、失敗して生き残ると、高確率で後遺症が残る。自然と、誰かに頼る回数は確実に増える。

 ならばと駅のホームから飛び降りれば、電車の遅延で非常に多くの人間に迷惑を掛けることとなる。賠償金を要求されることもあり、当人が無事死んだのなら、その矛先は家族に向かう。家族に恨みがないのならあまりおすすめはしない自殺方法だ。


「んー……っていうか、冷静だなあ。いや、冬守だからそんな気もしたけど」

「そう」

「そう。理由とか聞かねえの?」

「聞いてほしいの?」


 疑問に疑問で返す。

 席次は常に三位以内。サッカー部に所属しており、部員の中で唯一、一年の始めからレギュラーだったという経歴を持つ。一ヶ月に一度は告白されているともっぱらの噂だが、その辺りの真偽は定かではない。

 岡目には順風満帆を地で行く染谷くんが死に急ぐ理由。それについて私は興味がないと言ってもあながち嘘にはならない。


「話変わるかもだけどさ。冬守って何に興味あるん?」

「趣味とか」

「何それ? 読書とか?」

「秘密」


 口元を緩めれば、一瞬驚いたように目を大きくさせた染谷くん。しかしすぐに私と同じくにやりと笑った。


「有毒植物でも教えようか?」

「手に入れられるもんなの? それ」

「うん。トマトとじゃがいものつると葉っぱとか、結構育てられるでしょ? 致死性のもの、そうでないもの、全部混ぜて野菜炒めにでもすれば死ぬんじゃない? 嘔吐・頭痛・呼吸困難、綺麗な死に方ではないと思うけど」

「う、やっぱり?」


 綺麗に死にたいと、事後のことを考えるのはきっと、誰にも無様な終わりを見られたくないからだ。無様な人生、無様な死に様。可哀想にと、名前も知らない人達から同情を貰うだろう。それは三日もすれば忘れるような、毎日の「おはよう」に似た感情だ。


「もっと簡単で、個人的におすすめなものが二つあるよ」

「首吊り?」

「練炭自殺とカリウムの注射」

「持ってる?」

「持ってる」


 私は自殺願望なんて物騒なものは所持していないため、使用した試しはないし、あったとすれば既に死んでいるかもしれない。先に言った植物も庭に生えているので、明日にでも提供は可能だ。


「冬守さあ、何かすげーの持ってるな」

「普通に売ってるよ」

「でもその知識はそこら辺では売ってないだろ? 誰か殺したい奴でもいんの?」


 その問いは冗談だったのか、はたまた真剣なものだったのか。


「いるよ。沢山いる」

「マジ? 誰? 担任?」

「染谷くんは相沢先生が嫌い?」

「いや? でも女子から人気ないだろ?」


 事実だ。相沢先生は顔立ちや癖から、女子生徒には不人気。しかしそれは元来のもの・無意識下の行動であり、意図的にセクハラの類を繰り出すわけではないので、私は相沢先生をただ哀れに思う。


「殺したい、というか。死にたい人は死ねばいいと思う」

「俺とか?」

「さあ」


 言葉を濁す。返答が早かった気がする。怪しまれないよう、私は言葉を続けた。


「昔はね、睡眠薬でも死ねたの」

「マジ? てことは改良したのか! うーん、生まれる時代を間違えたか」

「眠りながら死ぬなんて楽そうな方法なのに、それを潰すのは酷いと思う。苦しんだ末に自殺を選ぶのに、最後まで苦しい方法で苦しんで死ねって言うなんて」

「そもそも死ぬなってことじゃね? 自殺=苦しいって思わせることで、思い留まらせようとしてるとか。それで後々、幸せになれる奴もいるかもしれないし」

「うん、いると思う。でも辛い状況を何とか出来ない限り、また自殺を考えるよ。ぶつかって折れて、無理な補修だけをしてまたぶつかるの。そんな人達に向かって『辛いなら逃げちゃえばいい。命を捨てるなんてもったいない』なんて言う人は、頭が悪い上に、とても酷い人だね」


 頭の悪い人間を嫌いだとは思わない。だが悪い頭で弾き出した考えを、瀬戸際に立っている人間に考えなしに押し付けて突き落とす人間は嫌いだ。


「その『逃げちゃえよYOU』的な台詞、どっかで見たことある気がする」

「私もある。でも、どこに逃げたらいいのかは教えてくれなかった。会社とか学校はどうする? いつ帰ってきたらいい? そもそも帰ってくることは許される? 何一つ教えてくれない。一度逃げたら、その間にやるべきだった義務を、後になって一気に背負わされる。義務の処理に失敗したら、未来はない」

「家族が温かく迎えてくれるとも限らない、って?」


 少し考えれば分かると思うが。いや、「命がもったいない」と口にする人間には、平均より短命な者が多いのかもしれない。それも本人の望まぬところで。あの言葉の裏には「捨てる命なら私によこせ」という生への執着ならびに、それを自ら捨てようとする者への恨みつらみでも込められているのか。それなら大いに納得だ。


「あー……っと。俺、病気で死ぬ奴がちょっと羨ましいんだ。いや、そんなこと言ったらすっげえ怒られそうなんだけどさ」


 調子を落とした抑揚のない声で染谷くんは言った。私は彼の表情から何も読み取ることは出来なかった。


「全員がそうじゃないんだろうけど。病気の奴はみんなに囲まれて苦しんで、みんなに囲まれて死ぬ。時々、感動秘話になって後世に残される。だけど自殺する奴は一人で苦しんで、一人で死ぬ。時々、自殺したことで死んだ後まで疎まれる」

「自殺する人は来世でも自殺するって聞いたことあるよ。その話で言えば、現世で自殺する人は前世でも自殺していて、そしたら来世でも自殺する。永遠に自殺し続ける。その内、世界中の人の死因が自殺になるのかも」

「あっはは! すげえブラックジョーク! いいな、冬守」


 屈託のない笑顔。染谷くんはいつでもよく笑う。私はその半分も笑わない。染谷くんの笑顔と私の無表情は、同じ目的のためにある。厄介な感情を悟られないために築き上げた壁、その両極端。


『自殺をしてはいけません』


 その道徳的理念が、私は少し気に食わない。常識の領分にのうのうと居座るその考えを、高く掲げられたその旗を。引き裂いて、踏みにじって、燃やしてしまいたい。

 責任さえ負えるのなら、私たちは自由ではなかったのか。

 服を選ぶ、食べるものを選ぶ、ペットを選ぶ。どうして死に方だけは選ばせてくれない。服を、料理を、ペットを提供する。どうして死に方だけは提供してくれない。それどころか躍起になって邪魔しようとする。自己満足にしても迷惑極まりない。死ぬと迷惑が掛かるからやめろと言うのなら、迷惑の掛からない死に方を提供してくれたらいいのだ。それを利用するための金銭も、自殺志願者ならば惜しまないだろう。正義感に突き動かされて邪魔した後、ほとんどの人間は彼らに救いの手を差し伸べることなく放置するのだから。


「死にたい人は死ねばいい。そんな人達が後ろ指を指されない世界がほしいけど、壮大すぎて無理だから。せめて、手助けが出来たらって」

「サービス業かあ」


 何か違う気がするが、大きな括りで言えばそうなるのだろうか。中学の文集に、染谷くんは医者と書いていた。なれるだろう。昔から頭がよかったから。


「なあさきさん」


 冬守咲ふゆもりさき、私の名前。


「何ですか冬護くん」

「俺を客・第一号にしてくれない? さっきの二択だと、練炭の方が有名だよな。そっちがいい?」


 可愛こぶって首を傾げる染谷くん。カリウムより練炭を選んだその判断は多分正解だ。そっちの方が失敗は少ない。


「前払いでお礼くれるなら」

「おう、何々?」

「染谷くんが自殺しないって約束すること」


 そう言い切れば、染谷くんは二度瞬きをして固まった。

 私とこんな話をするほど、彼の限界は近くなっている。


「うーん? 俺が自殺しないことを前提に、自殺する方法を授ける……。何これとんち?」

「どっちかっていうと告白」

「何の? ていうかそれじゃ意味ねーじゃん!」


 染谷くんは戸惑った様子で不満を漏らした。

 死にたい人に様々な死に方を提供して、報酬は勿論貰う。私は慈善活動をしたいわけではない。


「誰かに殺してもらうっていう手もあるよね」

「そっかー。アメリカとか中東に行けばいいのかね」


 腕を組んで考え事に耽る姿も様になっている。染谷くんは昔からずっとかっこいい。きっとこれからもかっこいい。

 冬守。

 冬護。

 小学二年生のときに初めて染谷くんを見た。字が似ていると、何となく興味を抱いただけだった。そんな軽い気持ちで私が目にしたのは、太陽のような笑顔に似付かわしくない、影の瞳。底知れない病。七歳の私はころりと魅せられ、一瞬で引きずり込まれた。染谷くんは私の人格形成に大きな影響を及ぼした。闇に侵されたと言っても過言でないほど、傍から見れば明らかに悪影響だっただろう。

 彼の心に燻る、私の敬愛してやまない黒。私はその根源を知らないし、興味もない。

 染谷くんを好きでいること。それが私の最たる趣味。そこに染谷くんの感情や行動は関与しない。彼が誰かと付き合おうとも、結婚しようとも、私の名前を忘れようとも、私はずっと染谷くんを好きでいられる自信がある。想いのベクトルが一方的でも何ら不都合はない。しかしそれは断じて、見ているだけでいいなんていう健気なものではない。


「染谷くんは、ずっと死にたがってたよね」

「は!?  え、えー……マジか。バレてんのか。うっわあ。他にも気付いてる奴いるかな……」

「大丈夫だと思うよ」


 私のような人間を、私は他に見たことがないから。染谷くんの擬態は完璧で、誰もがその明るい言動に騙される。もしかしたらそれも染谷くんの本心の一部かもしれないが、薄暗い部分に気付く人は少ないはず。いたとしても、恐らく「猫かぶり」だとか「腹黒」だとか、常識の範囲内を出ない評価を得ている。

 そのままずっと、完璧でかっこよくて歪んだままい続けてほしい。生き続けてほしい。


「春川さんとかは、全然気付いてないと思う」

「そう? そりゃあよかった。心配されるのって苦手なんだよなあ」

「春川さんといるの、楽しい?」

「ん、まあ」


 そのためには、彼に死を望む以上の強さで生を望んでもらわなければならない。何でもいい。何でもいい。春川さんと付き合うことで天秤が動くのなら、私は心の底からそれを望もう。たとえ天秤が傾きすぎて、直視出来ないほど眩しく笑うようになっても。私だけ、この暗い部分に残されたとしても。私は心の底からそれを祝おう。

 染谷くんに惹かれ、引かれてしまった私では、きっと彼を救うことが出来ない。なぜなら私は彼に巣食うものに恋をしたから。彼にとって一番の害悪が、私の一番好きな部分。


「冬守は誰か好きな奴いねーの?」

「いるよ」

「……えーっと」

「何?」

「本気か冗談が測りかねてる」

「何で聞いたの」


 呆れると、染谷くんは慌てて謝罪を口にした。


「……で?」

「何?」

「ここだけの話、教えてくれませんか!」

「冗談だよ」

「マジか! 未来みらいだったらよかったのになー」


 未来とは私の幼馴染の名前だ。どういう意味だろう。幼馴染カップルが素敵だとか、そういった普通の意味だろうか。私と彼は結構、付き合っていると勘違いされる。私は別に構わないけれど、相手に悪い。


「……あのさ」


 躊躇っているような面持ちで、染谷くんは私を見た。どこか申し訳なさそうに見えて、私は正面から彼に視線を返す。


「気になってたんだけど」

「うん」

「冬守って、変わったよな」

「そう?」

「いや、気のせいだったらごめん! けど昔はもっとやんちゃな感じじゃなかった?」

「そうだね」


 驚きを隠せずに、僅かに瞠目してしまった。

 私が染谷くんを目にしたのは小学校二年生のとき。同じクラスになったのは小学三年生のとき。染谷くんが言っている「やんちゃな私」は、今の性格が出来上がる前、すなわち小学三年生に上がる手前までの人物だ。


「よく覚えてるね」

「そりゃあな」

「何それ」


 染谷くんは笑って誤魔化した。素敵な笑み。しかしその瞬間、今までよりも黒が濃くなるのを見た。

 分かったとしても、私にはそれを取り除く術がない。

 だけどもし。染谷くんに限界が来たときは、最後に私が助けてあげよう。医者ではない、もう一つの願いを叶えてあげよう。

 わざわざ私に教えてもらわずとも、自殺の方法なんて、インターネットで検索すれば数秒で見付かる。あえてそうしないのはきっと、イエスマンに看取ってほしいからだ。穏やかに見送ってもらいたい。綺麗で優しい死を迎えたい。

 言われなくとも。

 染谷くんを最後の最後まで苦しませたりはしない。一人で死なせたりはしない。まるでハッピーエンドのような、美しい終わりを提案する。それを掴むかどうかは彼の自由。

 私に出来る限り、最高で最善の救済を。

 私はずっと、それを考えて生きてきた。将来の夢などただの副産物にすぎない。

 想像上の染谷くんと、目の前の染谷くんの綺麗な笑顔が重なって、私はえも言われぬ幸せが込み上げるのを感じた。


You will smile at the last.

Because I kill you.


高校生のとき、文芸誌に載せたもの。に、ちょっと手を加えたものです。

別に季節は冬ではないむしろ春。

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