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彼女と私の契約

作者: 樹朱

 桜。


 一口にさくらと言っても、その数は多い。植物の知識がほぼない私にでもソメイヨシノや枝垂桜、山桜と三種類も言えるくらいなのだ。品種改良も散々行われて名無しのさくらもどこかに咲き乱れているかもしれない。



 庭のど真ん中に植わっている桜。

 祖父母の代から植わっているようでかなり大きく、それでいてなお未だあでやかに花をつける。

 ぼさっとその木に向かい立ち、真下から桜の花を眺める。

 外から眺めるのとは違い、幹の茶色が淡い紅の中で目立つ。

 今年も変わらず咲いたな、と思った。


「そうやって見てると、首つらくないですか」


 背後の家のほうから声が聞こえ、振り返るとなぜかりんごを持った少女が縁側から、こちらを呆れたように見ていた。


「長い時間見てないからへいき。なんでりんご持ってるのか、聞いていい」

「食べるためですが、欲しいですか。台所からちょこっとパクって来ましょうか」


 けろりと言った彼女に首を横に振る。さっき朝食を食べたばかりだ。

 丸のままのりんごをかじりながら、少女ははだしで庭に飛び降りた。結っていない長髪がふわりと揺れる。


「おいしいですよ、りんご」


 隣に並んだ少女はしゃくしゃくと食べながら私を見上げた。私は彼女から桜に目を移しつつ、うんと頷く。


「きれいですね、桜」


 つられるように彼女は言った。ごく、あっさりと。


「そりゃね、あんたと私のだから綺麗に咲くでしょ」

「あは、まぁそうでしょうが、熱心に毎年見てる様を見せられては言いたくもなりますよ」


 苦笑交じりの声に彼女を見れば、彼女もこちらを見ていた。儚い存在感。彼女を見ているとそんな言葉が浮かぶ。私とは違う、女の子。


「……いつまで咲くかは、わからないじゃない?」

「そうでしょうか。当分このままですよ、きっと」


 ふわりと、彼女が微笑った。

 風が吹く。

 ざわりと頭上で桜が鳴った。ひらひらと落ちてくる、花びら。


「……ね? 大丈夫ですよ。きちんとわたしは――」

 


 いきていますよ、と。

 彼女は言った。

 


 風に乱された髪を手でわしわしと直しつつ、笑う。


「まぁね、そうでなきゃ困るのは私だからね。頼みますよー」

「了解していますよー」


 声音を変え、いたずらっぽく私の真似をする。

 これからの懸念はすくい上げられて、冗談のように軽い笑みと言葉はきちんと重く受け止められた。余計な心配事はなくなるように。私がここにいられるあいだは。

 割りと強めの風だったにも関わらず、乱れ一つ無い黒い長髪。10代半ばほどの、背格好。漆黒の澄んだ目。しゃくしゃくと食べ進められていくりんご。

 あぁ、似ている、と不意に思った。こうして前にも桜の下で話を、した。もっと私が小さかった頃に、桜の幹を背もたれにして仲良く並んで座って。もっとも、そう。隣にいたのは彼女ではなかったのだけれど。





「知っていますか?」


 唐突に、彼女が私に尋ねた。


「桜というのは、舞うだの舞い落ちるというんですよ。よく雪の形容にも使われますよね。まわってめぐる。そんな風に空中を飛ぶからそう言われています」


 いきなりなんだろうかと彼女をよく見ると、りんごが既に芯のみの状態になっていた。食べ終わってなにやらうんちくでも披露する気になったんだろうか。


「藤は散るんです、風に散る。散る、と言うのは一つのものとして秩序のあるものが、ばらばらの細かい破片になることらしいです」


 風も吹いていないのにひらひらと桜が落ちてくる。

 目を細めて彼女はそのさまを見ていた。ひらひら、ひらひら。


「よかったですね、ここに植えてあるのが桜で。言い方悪いですが藤だと故意にばらばらの破片になっている気がするんです」


 しゃなりと垂れ下がる花は綺麗ですよ? 悪口言いたいわけじゃないんですよ?

 わたしの偏見なんですけどね、と断って、さりげなくりんごの芯を桜の根元にポイ捨てすると、舞い落ちる桜をつかまえようと動き出す。


「まぁでも、桜が舞い落ちるとか、藤が散るとか、どっかの本で読んだほんとかどうだかわからない知識ですから完全にわたしの偏見ですね」


 要はどうやってその花が落ちるさまを形容するかです、その人の感性の問題です。

 はらはら、ひらひら降る花びらに目移りしてうろうろ彷徨いながら彼女はうんちくでも何でもなかった話をまとめた。


「……つまり?」


 風が吹く。

 桜が鳴く。幾つもの花びらが降り注ぐ。春の真ん中を咲く花。


「ゆっくり、寄り道しながら枯れていきましょうよってことです」


 にまぁと彼女が私を見て、笑った。

 桜の花びらを閉じ込めたのであろう両手を私につきだして、そっと開く。


「ふふふ。見てください、花びらじゃなく花です」


 一輪の桜花。

 全体で見るよりも一つで見たほうが色が淡いのは何故だろう。

 そっと手に取り、彼女の髪に引っ掛ける。茎のない、がくのみで支えられている花は今にもばらばらに、髪から落ちてしまいそうだったが彼女は嬉しそうに笑った。


「ね、ここにいる限りは共に、歩いてあげますからご心配なく」


 桜の花に愛された、朱色の――。


「ちょっと、あかり。暇してるなら、表掃いてきてちょうだい」


 振り返ると、縁側で洗濯物かごを抱えた母がこちらを見て立ち止まっていた。


「今日はいい天気だから済ませておけることは済まさないと」


 いっそがしいのよ、と呟きながら母はかごを抱え直し、不意に私の背後に目を向けたらしかった。


「あら、綺麗に咲いていたのねぇ桜。今年は花見だ花見だって騒ぐ人がいないから、なんだか忘れがちだわ」


 うふふと。伏し目がちに笑って表の掃除よろしくと仕事を押し付け去っていった。


「……相変わらずお母様もまだ直視はしたくないのでしょうか」


 悲しそうな笑みと、動き回り忙しくして気を紛らわすこと。あれほど好きだった桜の開花を知らなかったこと。


「どうかな。私にはよく、わからないや」

「そう、ですか」


 はらはら、ひらひら。相も変わらず季節はめぐり、巡ってまた、おなじときをくりかえす。私達がどれだけ変わろうと、変わらぬときを携えて。



「さーて玄関前、掃除してくるかなぁ……ほうきってどこに閉まってあったっけ」

「傘立ての中に一本、あった気がしますよー」

「え。掃除私だけ?」

「えーだってわたし頼まれてませんし。頑張ってきてくださいよ、あかりちゃん」



 傘立ての中にあったぼろぼろの竹箒を手に、私は一人、表へ出た。

 桜並木も五分咲きといったところだろうか。裏庭の桜ほどではないけれど、ずいぶんと花を咲かせている。歩道には既に花びらが落ちていた。うちの桜のかもしれないが。

 表を掃けと言われても、秋の落ち葉ほどではないからやる気も失せる。

 おざなりに花びらと砂を集め寄せて、私は空を見上げた。水色の空だ。春の空。目を閉じれば思い出せる。庭の桜の樹の下で、話をしたこと。


『あなたを生かすためだもの、仕方ないじゃない? ふつう、そんなのは母親の役目だと思うけどね~』


 耳障りに響く、きゃらきゃらとした声。

 幼いころに望んだ私の記憶。春の空が好きな、父親のための。


『子供が生まれることを望んであたしと取引し、生まれた赤ん坊は今にも死にそうでしたってね。アホだなぁバカだな~って、大笑いさせてもらったわよ。どうもありがとうぷぷ』


 説明しながら彼らは、思い出し笑いを始めて結局そこで話は途切れたのだった。

 病で去年死んだ、私の父親の話。子供に甘く、お酒が好きで、陽気な人。 

 私の生命はどこへ続くかわからなくて、それでもここに繋ぎとめようとした、その代償を父が払っていたこと。それを彼らは私に教えてくれた。そして今、その役目は彼女に引き継がれて私は生きている。


『だから、罪深いね~って話よ。あ、それからあんだけ大笑いさせてもらったんだもの、あなた、ぜーったいにその恩、仇で返すなんてするんじゃないわよ。思い出した時に笑いが半減するわ。そんなのごめんなんだから』


「……わかってるよ」


 呟いてみる。

 共に生きたいと望まれて、私はここにいる。

 それに私も、まだここに居たかった。

 だから不安になる。桜を見上げる。私はどこまで生かされるだろう。




「あかりー、掃除終わったら買い物お願いねー」


 母の声が家から聞こえる。

 一応玄関まで引き返し、はーいと返事を返して傘立ての脇からちりとりを拝借。ろくに集めていなかったごみを収集し、庭までまわって桜の根元にまいておいた。どうせ砂とやや茶色くなった桜の花びらだ、問題ないだろう。


「なんだか今日はえらくお母様、張り切ってますね。大掃除日なんでしょうか」


 縁側に座ってうんうん考えている彼女の腕を引く。


「うわあ、なんですか、いきなり引っ張って。あかりちゃんも今日はえらくへんですね」


 随分不安定ですし。もしかして今日は厄日なんですかこの家は。

 災難なときに出てきてしまいました、とうめく彼女に微笑む。


「一緒に買い物行こうよ」


 考えても仕方のないことは割りと多く存在して。何も考えずに、自然に身を任せたほうがすんなり飲み込めることもあるかもしれない。


「荷物はすべて、あかりちゃん持ちですよ?」

「わかってる」

「やっぱり今日は変ですね! ではわたしもお買い物に付き合いましょう」



 玄関まで戻り、箒とちりとりを置いて、台所においてあったメモ用紙と買い物袋、財布を確認。


「お母さん、買い物行ってくるよー」

「あー、待って待って。あかり、りんご食べちゃったでしょう全く。コンポート作る予定なんだから、りんごを追加で買ってきてちょうだい」


 空っぽになった洗濯かごを抱えてやってきた母はメモ用紙にりんご、と書き加えいってらっしゃいと送り出してくれた。



「怒られたよ、りんご」

「え。バレてたんですか。じゃあやっぱり2つパクってきたほうがよかったんですね」

「なんでそうなるかな」

「わたしとあかりちゃんで食べたことにすればほら、盗っ人感は薄くなりません?」

「盗っ人感とかどうでもいいよ。結局は私が両方食べたと思われるって。だいたい、あんた、りんご好き過ぎる」

「あは、好きですよーりんご。でもわたしはあかりちゃんも好きですよ」

「よく言うよ」

「じゃあ言い換えましょう。わたしは朱梨(あかり)が好きですよ、だからりんごも好きです」

「……よくいうよ」


 はらはら、ひらひら舞い落ちる。

 支えられ続けている私の生命は、どこまで生かされるのだろう。

 桜が舞うこの季節だけ、思い出される。

 彼女と私の契約。

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