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落星物語  作者: 間々 ようこ
果て
40/42

枯木

 貴子。

 埜貴紫芳。

 お前は敵とはいえ愛人の父である楽章を殺し、名前を捧げた皇王を殺した。ともに旅した朱と刻をも殺した。そしてなもない民をも巻き添えにし、弔いもせずに逃げている。

 お前は鬼だ。

 お前は今すぐ死すべきだ。

 ましてや愛人を狂気のふちに追い込んだお前は、いますぐその首を断って詫びねばなるまい。

 闇の中のもう一人の自分が、貴子を攻めたてる。

(うるさい)

 ねっとりした闇に手を伸ばすと、両手がぬらりと血に染まる。

「うわあ」

 ガバリと身を起こす。ベトリとした汗が体中を這う。体は冷たく、心臓だけが熱く脈打つ。

「夢か」

 頭を抱え込む貴子に気づいて、座ったままウトウトしていた龍が声をかける。

「大丈夫か」

「ああ」

 はあっと深くため息をついて、貴子は目を上げる。龍の心配そうな目と、出会う。

「ずっと眠っていた。——心配したぞ」

「どれくらい寝ていたんだ」

「二日」

「そんなに!」

 貴子は膝を打つ。乾いた笑いも出てこない。

「いますぐ、追わなければ」

「追ってどうする。どうやって帰る場所を見つけ出す気だ」

「おれにはこれがある」

 貴子が弓の弦をふるわせる。

「しかしそれではーー」

 言いかけて、龍は言葉をのんだ。

「だがこれは。いや、しかし」

「どうした?」

「おまえ、強弓が射れるのだったな」

「?」

「一カ所だけ、黒都を強襲可能にする場所がある」

「それは、どこだ」

「火薬庫」


 丘を登ると、黒い城壁が現れた。中はよく見えないが、どの辺りに何があるか、よくわかっていた。貴子は目測したが、距離が足りない。

「裏の山からなら、火薬庫が狙えるかもしれない。だがそれでは、星さまを救えない」

「中に突入するしか、ない」

「弓など、持って入れぬだろう」

「一つ考えがある」

「いってみろ」

「あの街には、噴水がいくつもある。そこには水路がつながっているのだ」

「え! どこから!」

 龍はにやりと笑った。

「北山の麓に水小屋がある。そこだ」

 貴子は色めき立った。だがすぐに、おかしいと思った。

「なぜそんなことを知っているんだ」

「これでも官吏を目指して勉強していたんだ。各国の造りくらいはな」

「そういうもんですか」

「ほんとうは、お前をここに迎えにきたとき、万一に備えて調べておいたのだ」

「おれは一体、どんな危険な女だったんだよ」

「こんなさ」

 龍はくすくす笑って、貴子の腕を引っ張った。

「こっちだ」

 丘を下り、北の山までの道のりを歩む。貴子は、いつもならひょいひょいと山道を歩くのに、いまはぐったりとしていた。

 龍が背中に負うて歩き出す。

「こんなになっても、星さまを助けたいのか」

「あの人が、殺されてしまう」

「……少し、休もう」

 貴子を背中からおろすと、龍は座り込んだ。

「女の頃は、軽かったのに」

「食べるもの、食べていなかったし」

「不健康だな」

 急に、龍が言葉を詰まらせる。

「不健康なお前に恋したおれも、不健康なんだな」

「龍?」

「貴子。おれはやっぱり、お前に賛同出来ない」

「え?」

 心底驚いて、貴子は龍を丸い目で見つめた。龍はうつむいていた。

「このままでは、お前が死んでしまう。お前がいいなら、それもいいと思った。でも、お前には生きてほしい」

「何を言い出すんだ」

「あんな女の、どこがいいんだ! 明鈴を見殺しにした女だぞ!」

 はっとして、貴子は青ざめた。

「聞き捨てならない」

「よく聞け。おれは、お前が好きだ。お前を死なせない」

「なら、助けてくれよ! おれは星さまを幸せにしたいんだ」

「……」

 龍は泣き出しそうな顔で貴子を見つめる。だがすぐに、その目は強い光を帯びていった。

「玉璽は持っているな?」

「ああ」

「それが最後の砦だ。お前は首ではなく、これを渡すんだ」

「えっ」

「その隙に、おれが吹き矢で亥虞修理を倒す。秘薬と星と椿をつれて、そして逃げる」

「わかった」

 龍は満足そうに、笑った。

 水路にたどり着いた二人は、水の流れていく穴の中に飛び込んだ。水は冷たく、熱のある貴子には自殺行為だった。

(さむい。体が凍えるようだ)

 時折水から顔を出して空気を吸っては、また流される。そうしてしばらくたつと、急に流れが速くなった。

 

 ざぱあ。

 飛び出した所は、中央広場の女神の噴水だった。

 折しも夜で、誰もいない。

「寒いか」

 龍が声をかける。貴子は既に冷えきって震えが止まらない。

「体を温めなければ」

 龍は顔を上げた。奥に亥虞修理の屋敷が見えた。

「あそこだ。あそこに、火矢を打ち込むんだ」

 二重になった筒の中から、弓と矢を取り出す。矢には油をしみ込ませた布を巻き付け、火をつける。

 そして。

 貴子は亥虞修理の屋敷に、火を放った。それも、火薬庫近くの亥虞修理の中庭の、枯れた木に。

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