拉致
深山の洞穴を抜け、風に従って風上へと歩を進める。火薬を盗んだ大罪人だ、隣国にも逃れられない。この際、海を渡って別の国を目指そうか。そう思っても、時折正気に戻っては事情を飲み、すぐに狂気に飲まれて椿を探し求める星を、長い船旅に連れて行くのは無理なように思われた。きっと彼女はいよいよおかしくなってしまう。そんな気がした。
「いっそ愛を遂げてしまったらどうだ」
ある晩、火を囲みながら龍が貴子にささやいた。
「女はどんどん変えられるぜ」
「馬鹿を言うな」
「だが、ほかにどうしたらいい? 体に教えてやれよ」
「下種め」
この言葉で、龍は立ち上がった。
「下種はどっちだ。今まで何人の女をその気にして、抱いてこなかった? 恥をかかせるなよ、彼女にも」
「彼女はおれを愛していない!」
信じられない、と龍が口の中でつぶやく。それからつばを吐くと、背を向けた。
「彼女に聞いてみるんだな。なぜ彼女が死なない道を選んだか。その理由がお前にあると、おれは踏んでいるがね」
龍が別の木陰に移動して、腰をおろすのを貴子は見守った。
(抱けと言われて、急に抱けるものか)
眠る星の横に寝そべって、貴子は彼女の頬に手を伸ばした。思った以上に柔らかい肌の感触に、どきりとする。
「さらわれて、あなたの幸せはなくなってしまった」
「あなたは王に愛され、子を産み、かつて言っていたように、国母になるはずだったのに」
ズキッと胸が痛む。
そうだ、この人はおれに皇后の地位と刻もの地位を——未来を奪われたのだ。この人の父が、かつておれから父と母を奪って、王子の地位からおれを遠ざけたように。
「おれが憎いですか」
そっと口づける。
「憎いわ」
口づけた唇がかすかに動いた。顔を覗き込むと、うっすらと星が薄目を開けた。
「でも、好きよ」
星が唇を求めてくる。腕が絡み合う。
「いいのですか」
「バカな人」
二人は初めて、一つになった。
気配を感じた龍は木陰で、ほっとして眠った。
朝目が覚めると、星の姿がなかった。二人の男は珍しく熟睡していたので、気づいた時には既に遅かった。どこかで女の悲鳴がした。それから三頭の馬の蹄の音。
「三将軍が来たんだ」
二人は悲鳴の聞こえた方に急いだ。邪魔する枝を払いもせず、葉が肌を切って血を吹いてもいとわず走る。風になったかのようだった。ごおごおと耳の中で音がうなる。
茂みを抜けると、岩場だった。すぐに貴子は肩にかけていた弓をとりだし、矢をつがえる。
「隠れても無駄だ!」
白銀の鎚が岩を砕き、奥から赤金が飛び出して来た。後ろに黒鉄がまわってくる。龍が剣を抜く。
「敵を離してくれ。おれは距離が欲しい」
「一人で三人は無理だ」
「正面の猿だけでいい」
「わかった」
龍はふっと吹き矢で赤金の目を狙った。
「何をしやがる」
龍に気が一瞬向いた間に、貴子はさっと横に逃げて距離をとると、別の岩場に走り込んだ。
「あ、まて」
「おれが相手だ」
龍が背中から赤金を狙う。
「うるさい」
振り向き様に赤金が小刀で龍の首に斬りつける。それを剣で払いのける龍。
「やるな」
「ふふ」
二人が向かい合っている間、貴子が弓を構える。狙いは赤金だ。矢を射る。だが、間に白銀が入って彼の楯にあたる。が、それが割れて白銀の眉間寸前にまで貫通する。
「く」
白銀が楯を捨てる。
「なんて威力だ」
「火薬を仕込んである」
「そうかい」
黒鉄も踊りだして来るので、それをよけて場所を変え、黒鉄を射つ。一瞬、旅をしていたときの笑顔や泣き顔が浮かんだ。
「若」
矢に倒れるかと思いきや、「まだまだですな」と黒鉄がそれを槍で払いのける。
奥では龍と赤金が戦っている。
龍が倒れ込む。
赤金が飛びかかる。
「まて!」
黒鉄の横をすり抜けて、矢が赤金の背中に突き立つ。
「なに」
「赤金」
動揺する黒鉄に、もう一撃。白銀に向けた時には、白銀は星を抱え上げて馬を走らせていた。
だが途中で足を止め、叫んだ。
「この娘は狂人か? 助けたくないのか」
「助けられるのか!?」
「宮殿には秘薬があると聞く。だがそれが必要なのは、おぬしの方かも知れぬ」
「この熱をもたらす死病のことか」
「知っていたか。この娘はわたしが連れて行く。おぬしはその首を賭けてこられるがよい。その首を代価に、薬をこの娘に飲ませるがよい」
「そんなことをすれば、亥虞修理は王位継承権を持つ正妃を妻にし、自分が王となるだろう」
「知らぬ。すでに椿さまを手なずけて摂政を楽しんでおられる」
「白銀、なぜ助けてくれるのだ」
「まさか。さらばだ」
白銀は星をつれて去っていった。貴子はぐったりとしていた。熱がずっと下がっていない。今の戦闘で精も根も尽き果てたようだった。倒れ込んで、貴子は吐瀉した。そしてそのまま、倒れ込んだ。
「考えるのは、あとだ。一瞬、休むのだ」
意識が途絶えた。




