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落星物語  作者: 間々 ようこ
果て
37/42

水柱

 宮中では連日宴が開かれていた。皇王の息子である、椿チュン王子が三歳になったので、赤子と幼児の区切りとして髪置きの儀を執り行ったのだ。この祝宴に二十歳も間もなくの皇王は、実にご機嫌で出席していた。その横に、不機嫌そうに座る美女があった。皇王の愛妾・蛾である。

 蛾は皇王より五歳年上で、腰と目つきの艶かしい女である。どうやって取り入ったかというと、正妃星が勧めたのだった。既に夫婦ではない二人の間をつなぐこの女は、正妃としての意地をかけて愛妾になる女を見いだし、あてがった女だった。

 もちろん星の心中に波風が立たないはずもなく、何くれとなく蛾をかわいがりながらも、決して自分より優れているようには、見せなかった。服は必ず自分のお古を着せたし、化粧も自分に似させていた。

 女の意地であった。そして同時に、敗北でもあった。

 星の横から、するりと猫が抜けて、皇王のもとに去っていく。皇王は、猫をくれただけあり、猫をたまに見にきた。そして一言三言星と言葉を交わし、帰っていく。

 寂しい。

 今星の口から突いて出る言葉はそれであった。

「貴子」

 思わず自分の胸をまさぐり、はっとする。

 なんてはしたないのだろう。

 星は寝台に横たわる。

 今、とても貴子に会いたい。でも。

「貴子になびけば、王子は王位に就けぬ」

 その時だ。

 遠くで轟音が聞こえた。

 あわてて部屋を出ると、遠くで水柱が上がるのが見えた。どおん、どおんと何度か轟音がし、その度に水柱があがる。

「川だわ。ほん川が、水柱を上げている」

 大極殿に足を向けると、皇王に宰相が指示を出していた。

「いますぐ現地へ人を。襲撃ですぞ」

「わ、わかった。だれか、見てこい!」

 ばたばたと人が出て行く。半時後、血相を変えて、見に行かせた者が戻って来た。

「川が塞き止められています! 水が既にたまり、都に!」

「なんだと、早くもとに戻せ」

「上流でも水が止められていたのでしょう、鉄砲水のように急に水かさが増えて……。逃げましょう!」

「なにを、ここには城壁がある。裏には山もあるぞ」

「わ、わたしは今のうちに逃げさせていただきます」

 急に人々が逃げはじめる。その一人に、矢が立った。

「裏切りものは、皆殺しだ!」

 宰相の楽章である。

「どうせ、死ぬかもしれないなら、忠義をつくさんか」

 ぱすぱすと弓矢を射る。

「体を積み重ねて、皇王様をお助けするのだ」

「いやだ!」

 反逆が起きた。客の一人が宰相に切り掛かる。

「うっ」

 宰相は腕を抑えて、後宮に向けて走り出す。皇王と星も続く。人々は、門に向かうか後宮に向かうかである。

 混乱の中、轟音が近づく。

「城門が、破られたぞー!」

 ごおんと、ひときわ大きく轟音が。

「一体、何が起きているのでしょう」

「火薬だ。火薬をどこからか手に入れて来たのだろう」

「ど、どうしたらいい、宰相?」

「打って出ましょう。城を攻める火力はあっても、きっと兵力はさほどないはず」

「な、なるほど」

「打って出るだけの場所がございますかしら?」

「とにかく、氾濫した川より高い場所に移動するぞ」

「はい」

 後宮の門を開け、宰相と星、皇王は奥へと進んでいく。彼らについていく人々は、もう死を半ば決意している顔だった。


 貴子はカンファンの王門を焼き払うと、中に駆け込んだ。既に中庭に人の姿はない。川音が後ろから迫ってくる。坂道を駆け上がる。時々逃げ惑う人に出会うが、人影はない。

 王宮の懐かしい暗さに目をやっていると、どこからか人声がする。三将軍を連れて辿ると、後宮の門がわずかに開いている。

 開けようと、手を出す。

 ぱん、と聞き慣れない音がして、手元の金がはじかれる。

「え」

 手がいつの間にか負傷をしている。

「後宮の門を開ける資格が、おまえにあるの?」

 見ると、鞭をもった祝であった。

「祝さま」

「わたしの顔を知る者か? だれだ」

「おれです、貴子です」

「え、貴子」

 ひどく驚いたが、祝は鞭をばしんと地面に打ち付けると平静を装った。

「男であるとは察していたが、まさか反乱軍に加わっていたとは」

「わたしの父も、反乱軍でした」

「秀弓ね」

「ご存知でしたか」

「その、姉譲りの顔を見ればわかるわ。姉は秀弓を愛していたから」

 鼻をすんと鳴らして、祝は再び鞭を打つ。

「これからどうするの」

「王を討ちます」

「それだけ?」

 見通しであると、祝が笑う。

「星さまはお前のことを愛していらっしゃるわ。でも、王のことも。だから、これだけはお願いします。星さまの前で、皇王を討たないで」

「……」

 小さく、貴子は頷く。

「後宮に入るのは、あなたと……そう、内吏のあなた」

 え、と貴子は振り返る。後ろに申し訳なさそうに龍が立っていた。

「この二人だけよ。あとは、わたしがここで止めます」

「無茶です」

「無茶でもやるの」

 祝は兵たちににらみを利かせると、貴子を後宮に送り込んだ。

「わたしに手を出してご覧、どうなるか」

 そういう彼女の震える手に、そっと黒鉄が触れる。

「そんなことはいたしません。貴子さまの叔母上ですから」

 残された兵たちは、王宮内の残党を漁るために散り散りになっていった。

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